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小鳥

 

 小鳥


 「それはそうとして」

 女王の謁見の間をあとにしたライムジーアは、すぐそばの控えの間にシュッペを引き込んでニッコリと微笑んだ。

 見た者を凍り付かせるような微笑。

 レルヒエが息を呑んで固まっている。

 当のシュッペなどは死人のような顔で立ちすくんだ。

 「な、なんでございましょう?」

 「アマボラ・モーン子爵とその執事セルビエン・シュランとかいうやつらのことだ。危うく拷問されかけたんだけど。どうケジメをつけてくれるの?」

 逃げ出せたからいいものの、失敗していたら仲間を数人失い、皇子もボロボロにされていた可能性がある。

 看過することなどできなかった。

 「・・・」

 シュッペの顔に困惑が広がっていくのが見て取れた。

 予想していたのとは違う反応だった。

 「・・・」

 ライムジーアの顔にも困惑が浮かび始める。

 「はて? 隣の領地を統べる者たちのことでございますから、お名前は存じております。ですが、直接のかかわりはないのですが?」

 目を見開いたまま、宦官頭はそう告げた。

 ・・・嘘じゃなさそうだ。

 前世で散々騙されたので、嘘やごまかしを見抜く自信がある。

 彼は嘘を言っていない。

 「・・・ここの『飲み物』が出回ってたよ? 子爵はもうかなり重篤の様子だった」

 「な?! それは・・・確かに由々しき事態です。早急にルートを探り出して処置をします」

 ナーガ族の『飲み物』は世に出てはならない存在だ。かつて、この近くにあった国はこれが元で衰退し滅びてもいる。

 前世の歴史で言えば、「アヘン戦争」といったところか。

 アヘン戦争はまだ、しかけた側が冷静だったが、こちらでは双方とも薬漬けだったせいで際限もなく続いてどちらも自滅したのだった。

 それゆえ、帝国も安易な流出を禁止している。

 問題化する前に手を打たなければ、いかな『盟友』でも立つ瀬がなくなるだろう。

 「そうしてくれ。子爵や君はともかく、女王や、ひいては『盟友』全体の障害になるようなことになれば許されないぞ」

 「承知してございます」

 小さく頷くと、ライムジーアはレルヒエを伴って、今度こそ女王の居城を、そして『谷』を後にした。

 ザフィーリたちと合流したときには殺気ばしった面々をなだめるのに苦労したが、事前に警告しておいたおかげか、皇子直々に土下座して三回頭を下げるだけで済んだので問題はない。

 ハーピィ族の少女の件も「またか」という顔はされたが、それこそまたかなので文句の一つも出ず、一行はともかくそそくさと旅立った。

 続く数日のあいだ、彼等は一気に北に向かった。

 『谷』から出る道が一本しかないことから、待ち伏せの懸念があったのだ。

 とくに、来るときに策にはめた野盗と、子爵家の一党には警戒が必要だった。見張りらしい人間を避けるために、夜中に馬を走らせることもしばしばあった。

 北に向かう道中、皇子はハーピィ族の少女がナーガ族の荷物の中にもぐりこんだいきさつについて尋ねた。

 聞いたところでどうなるものでもないが、一応は理由を知っておこうと思ったのだ。

 だが、聞くだけ無駄だった。

 話しの内容は毎日変わり、距離を追うごとにでたらめで信じがたいものになっていくようだった。

 最初は、好奇心のせい、といういかにもありそうな理由を言うだけで満足しているようだったが、やがてずっと年上の男性との見合い話が進められていたので逃げ出したという事情をほのめかし始めた。

 その次は、その老人には彼女を監禁して身代金を要求する企みがあったのだと告白した。

 さらに苦心して、ついにはその誘拐計画には政治的な動機が絡んでいて、ハーピィ族の存亡にかかわる巨大な陰謀の一部だったのだという話をでっち上げた。

 「あの子、ずいぶんな嘘つきだね」

 ある晩、見張りを交代してきたフファルが、ライムジーアがまだ起きているのを見つけると側に来て、そう言って肩をすくめた。

 「あー、そうだね」

 皇子は彼女の意見に笑みを浮かべてうなずいた。

 「嘘も芸の内ではあるけれど、うまい嘘っていうのはあまりごてごてと飾り付けないものだ。あの子にはまだまだ経験が足りないな」

 八歳だし、しょうがない。

 知識も経験も足りていないのだ。

 嘘を形作るには。

 でも・・・。

 だからこそ、その嘘には真実が含まれている。

 ライムジーアは、そう感じていた。

 まったく何もないところから嘘を生み出すだけの知識と経験がないのなら、彼女が話す嘘の中には本当のことが欠片ほどではあっても含まれているということでもある。

 どれが真実の欠片で、どこが創作なのか。

 それを見極める必要がある。

 ともかく、彼女の話には注意して耳を傾けなくてはならない。

 日が暮れれば野営する。

 スマホなんてもののない世界で、森の中を進む旅だ。

 野営の支度が済んでしまえば、話しをするか寝るかしかない。

 見張りをすることのないライムジーアとレルヒエには、時間がたっぷりある。

 「さて、レルヒエ。今夜も、話しを聞かせてもらえるかな?」

 こうして、嘘と真実を織り交ぜた『物語』が語られるのだった。


 北へ北へと数日のあいだ進み続けると、森の中で近くを小川が流れ、巨木が枝を張った広場に出た。

 久々に、まともな野営ができると、一行は即座に枯葉色のテントを張った。

 ライムジーアは食事を済ませたあと、腹ごなしにあたりを少し歩いた。

 ランドリークとザフィ―リは、互いに反対方向に目を光らせて見張りをしている。シャハラルとロロホルは野営から少し離れた位置でパトロール。シアは、手近な切り株でレルヒエの髪を櫛けづっている。

 ハーピィ族には手首から先がないので、通常は伸ばしっぱなしのぼさぼさになることが多い。もちろん、やろうと思えばできなくはないのだが、人間の五倍の労力と十倍の時間がかかるので、やる者はほとんどいない。

 「シア、僕は川に行って水浴びをしてこようと思う。服を用意してくれるか」

 荷物くらい、馬車に行けば自分で出してこれるのだが、メイドの仕事を奪うと彼女が不機嫌になるので、よほどのことがない限り自分でやったりはしない。

 ・・・メイドの機嫌を取るために、仕事をさせる。

 させている。

 してもらってる?

 なにかが間違っている気がしないでもないが、大したことじゃないだろう。

 「水浴びですか?」

 シアは少し驚いたようだ。

 「ど、どこででしょう?」

 「川に沿っていけば、どこかに淵ぐらいあるだろ」

 彼女はレルヒエの髪を引っ張ってしまったらしい。

 甲高い鳥の鳴き声のような悲鳴が上がった。

 「冷たい水につかるのですか、風邪を召してしまいます」

 ハーピィ族の少女に小声で詫びながら、メイドが言いつのる。ちゃんとした浴室で、自分が背中を流すべき、そう思っているのかもしれない。

 「大丈夫。まだそこまで寒くはない」

 肩をすくめて皇子が言うと、観念したのか、メイドはすぐさま着替えと石鹸とタオルを揃えて手渡した。

 テントからしばらく来たところで、ライムジーアはかなり大きな淵を見つけた。

 そこはちょうど小川が上方の岩場から滝となって落ちてくるところだった。

 淵の水は非常に住んでいて、そこにある綺麗な色の玉石や、用心深く彼を観察している数匹の大きな鱒の姿もはっきりと見ることができた。

 水の様子を見るために片手を入れてみる。

 確かに冷たい。

 でも、嫌な冷たさではない。

 ライムジーアは、なぜかその冷たさにビボラ・フェアーテ女王の肌の触感を思い起こしもした。

 かすかに身体が火照りそうになるのを感じて、皇子は素早く服を脱ぐと、そろそろと川の中に足を踏み入れていった。

 入った直後は、刺すような冷たさを覚えはしたが、慣れてくるとそれは爽快ですらあった。適度に濡らした身体を石鹸を塗りつけて泡立てたタオルで拭いていく。

 滝が、泡立った身体をいい感じにすすぎ落してくれた。

 「気持ちよさげだねぇー」

 堤の上からレルヒエが妙に柔らかな口調で声をかけてきた。

 人間の年齢で言えば八歳だが、ハーピィ族の成長は早い。

 あとほんの少し経てば、成熟するという状態。

 思春期・・・前世的に言えば16歳の女子高生とでもいうところだろうか。

 子供ではあるが、結婚も可能な年齢。

 本気で愛する異性がいれば、すぐにでも『妻』に、『母』になれる。

 その片鱗が、少しだけ先行している感じだ。

 「どうした?」

 ・・・なにか、用でもあるのだろうか?

 「わたしも入るのねぇー」

 「ああ・・・」

 それで気が付いた。

 彼女は服を着ていなかった。

 一人では脱ぐのが大変だから、先に脱いできたらしい。

 ・・・シアのやつめ。

 せっかく丁寧に櫛を入れた髪が、またぼさぼさになるだろうに。

 なにを考えているんだ、そう思いはしたが、別に困ることでもない。

 ・・・そうとも、困ることなどなにもない!

 レルヒエはぴょんっと両足で飛んだかと思うと、空中で両腕を伸ばして、小さく上空を旋回して水面に滑り込んだ。

 飛び込みの競技なら最高点が出そうな、水をまったく跳ねさせない見事な着水。その直後は、水の冷たさに悲鳴を上げたが、しばらくすると水面に顔だけ出してすいすいと泳ぎだした。

 そして・・・。

 「では、洗ってねぇー」

 ぴょんっと、陸に飛びあがってくると、裸体を惜しげもなくさらしてくる。

 目には意地悪やテレ、その他なんであれ、なにかを企む色はない。

 純然たる要求以外には何もない瞳が見つめてくる。

 総じて、『盟友』たちは羞恥心などの感覚が人間とずれているのは知っているが、こういうのはさすがにちょっと困る。

 知識として知ってはいても、実際に肌に触れたりというのは一度としてなかったことだから。

 先日のビボラ・フェアーテ女王との抱擁が初めてで、今度がこれ、だ。

 「ふー?」

 不思議そうに小首を傾げる――小鳥がよくやる仕草だ――レルヒエが、両腕を上げて万歳の格好になった。

 洗いにくいから戸惑っている、とでも思ったのだろうか。

 ・・・仕方ない。

 自分のタオルを今一度石鹸で泡立てて、洗ってやる。

 背中、胸、腹、腰回りから足の先へ・・・当然、あれやこれやが目に入るし手も触れてしまうが、相手が意識していないのにこちらだけ意識するのも恥ずかしい。

 何でもないことなのだ、と自分に言い聞かせて洗ってやった。

 羽毛のある腕だけは洗剤は使わず、水だけですすぎ、そっと拭いてやる。

 だいたい終わったところで、レルヒエはブルブルッと頭を振ると、まだ濡れている髪を腕の先で撫でた。

 「それじゃかえってもちゃもちゃしちゃうよ」

 僕は立ち上がって、レルヒエの後ろに回った。

 「僕がやってあげる。シアの方がホントはうまいんだけど」

 ここまでやってて姿を見せないということは、僕に全部やらせる気なのだと思わざるを得ない。何を考えているのやら、とは思うが、意図はわかる。

 レルヒエの髪に櫛を当て、丁寧にとかしはじめた。

 「きれいな髪だね」

 まっすぐで、絹のような手触りを褒める。

 「むーっ、だねぇー」

 頬を膨らませて、彼女は不満そうに半目になった。

 「気に入らないのかい?」

 「色、中途半端な色、ねぇー」

 濡れ羽色で、僕的にはすごく好きな色なのだが・・・と思ったところで理解した。

 人間から見れば、ただの色だ。

 でもハーピィ族から見れば、いつでも濡れっぱなしの羽の色、となる。

 確かに、あまりかっこいい色とは言えないかもしれない。

 個性のある色でもない。

 中途半端、と言えばそうかもしれない。

 僕は一、二分の間、黙って髪をとかした。

 レルヒエも黙ってされるに任せている。

 ある程度とかし終えたところで、彼女の顎を掴んで顔を仰け反らせ、その顔をじっと見つめた。

 素直で真っ直ぐの視線が見返してくる。

 その視線は見ないようにして、髪のわきを一、二度抑えて、思い通りの形になったところで顎を離した。

 半歩下がって、できを確認する。

 「うん、いい感じだ」

 納得のいく仕上がりになったので、自然と笑みが浮かぶ。

 彼女も微笑んで、ふわっとポーズまで決めて見せてくれた。

 飾らない素のままの裸体が眩しい。

 「ねぇー」

 とか思っていたら、レルヒエが腕の中に身体を滑り込ませてきた、くるりと背中を向けて上体を後ろに反らす。肘の上にもたれかかってきた。

 そして、僕の顔を見上げると・・・。

 「わたしにキスしたい?」

 無垢な瞳で、そう聞いてきた。

 必死に誤魔化してきた心臓の鼓動がにわかに激しくなった。

 ・・・もしかして?

 そう思ったのは事実だ。ちょっと期待したことも認めよう。

 でも、そのチャンスは、少なくともここにはなかった。

 僕たちは、いつの間にか敵に囲まれていたらしい。

 淵を取り囲むように、鎧姿の騎士が並んでいる。

 三十人ほど、だろうか。

 降ってきたか湧いて出たか、そう思うほど突然姿を現したのだから大したものだ。

 「無粋だなぁ」

 僕は、肩をすくめ、そう呟かずにはいられなかった。

 驚きはしたが慌てたり、ましてや怖がったりはしていない。

 僕には、『ここ』という時のための切り札がある。

 そのカードを切らない限り、僕に絶体絶命のときなんてない。

 「シアがいつまでたっても出てこないなぁ、とは思っていたけど・・・」

 なんのことはない。

 捕まっているか戦いの最中か、だったわけだ。

 おそらく、多勢に囲まれて戦いにも持ち込めずにいる、というところだろう。

 ・・・僕たちの状況がわからないのでは、下手に暴れられないからな。

 「またお会いしましたな、皇子様」

 捕らえた、という愉悦に弾む声を隠しもせず現れたのは、セルビエン・シュランだった。

 病的な熱っぽい眼と、青いとすら言いたくなる生気のない肌。

 アンデッドかと疑いたくなる。

 「ああ、君か」

 ごく穏やかに会釈を返してやる。

 彼の希望としては、僕は恐れ慄いて跪く場面なのだろうから、可能な限り逆の反応をしてみたわけだ。

 ・・・おお! 見事に表情が消えた。

 カチン、と来たようだ。

 歯を噛み締めた音が聞こえたような気さえする。

 「もう、女王とは会談してきた。僕を捕まえたとしても、なににもならないのだけどね。いったい、何の理由があって僕たちを引き留めようとしているのかな?」

 そこが問題だ。

 目的が分からないと交渉のしようがないし、なにに警戒すべきかもわからない。

 ビボラ・フェアーテ女王のもとに連れて行って金を受け取る、ということでないのだとすれば、彼の目的はいったい何なのか。

 ・・・皇妃か?

 「理由など知るか」

 言葉を吐き捨てた。

 同時に大量の唾が地面に垂れ落ちる。

 口から地面まで、粘つく唾液が糸を引く。

 狂気を宿した黄色く濁った眼が、ギョロリ、と動いた。

『飲み物』が効きすぎているのではないかな。

 思考力が働いていなさそうだ。

 ここまでになるには、かなりの濃度の『飲み物』をそれこそ頻繁に摂取していなくてはならないはずだった。

 そもそも、『飲み物』なのであって「薬物」ではない。

 たまたま、ナーガ族の飲むお茶が、人間にはお茶以上の効果を発揮する、というだけのことなのだから。

 一度や二度飲んでみただけでは、こんな風にはならない。

 「・・・ずいぶんと『出来上がっちゃってる』ようだ。よくそんなに・・・て!?」

 声が上ずった。

 理由はともかく、黒幕が分かった・・・ような気がする。

 出回ることを禁じられている『飲み物』を、それだけ大量に手に入れられる相手。

 ビボラ・フェアーテ女王なら、それが可能だ。

 もしくはその宦官頭。

 だから、シュッペの関与を疑ったのだ。

 でも、彼ではないようだった。

 ビボラであるはずはない。

 ビボラは『飲み物』を嫌っているからだ。

 とはいえ彼や彼女ではないとしても、ナーガ族だろうとは考えられる。

 つまり・・・。

 これだけの人間に配ってのけることができる存在と言えば誰か。

 思いつくのは一つだ。

 ビボラが『飲み物』を嫌う原因。

 「そうか。デセス・ベランサ・・・前のナーガ族女王が暗躍しているのか」

 かつて、二つの王国を壊滅させた者。

 別名、『毒の女王』。または『絶望を運ぶ蛇』。

 「でも、なんで僕なんだ?」

 『谷』を追放されたという話は聞いていた。

 生きていること自体に驚きはない。

 かつての権力を取り戻そうと活動することも予想はできる。

 だけど、僕を付け狙う理由がわからない。

 思いつかない。

 まぁ、だからこそ。

 その存在に思い至らなかったわけだが。

 こんなにヒントがあってもなを。

 「・・・とはいえ、こいつらに訊いても無駄だろうしな」

 『飲み物』欲しさに言われたことをしている、そんな使いっ走りが知らされている情報になんて、価値はない。

 「役に立たない奴らだ」

 めんどくさげな眼を、思わず向けてしまった。

 「てめ。さっきから何ブツブツ言ってやがる!? 自分の立場が分かってねぇのかよ!」

 セルビエンの横でなぜか前後に揺れていた男が剣を抜き放って凄む。

 明らかにラリっている。

 しかし、立場ね・・・。

 思わずこめかみを抑えてしまった。

 頭が痛い。

 僕には切り札がある。

 ・・・いくつか。

 こめかみを抑えていた手を離して、親指を突き出すと下に向けて振った。

 ずっと前から決めていた合図だ。

 レルヒエが小さく息を呑んだ。

 耳を抑えている。

 さすが、敏感だ。

 風切り音が僕の耳にも届く。

 同時に、声にならない断末魔の悲鳴が、立て続けに上がった。

 「なに・・・が? ぁ・・・」

 背中から胸を貫いた矢を見下ろして呟くと、セルビエンは血の塊を一つ吐き出して地面に倒れ伏した。

 他の者たちも、似たような姿で倒れている。

 背後から撃ち込まれた長弓による矢を一本から二本、その身に受けて。

 「付け狙われていると知ってて、五、六人で旅を続けるわけないだろうが。他に味方が全くいないというわけでもないのに」

 三百人余りの兵がいるのだ。

 全員ではないが、何隊かは常に僕たちを付かず離れずで警護している。

 僕たちを見ているのではなく、僕たちに近づくものを見張る形で。

 で、現実に僕たちに近づくものを見つけると、こうして援護できるよう用意をして、こちらからの合図を待つ態勢になるわけだ。

 特に今回は、先日のこともあるので普段より厚め、十隊、五十人が付いてきている。

 このぐらいはどうとでもなる。

 「皇子様!」

 と、ザフィーリたちが駆けつけてきた。

 フファルとリューリが心なしか満足げなのは、久々に活劇を演じてストレスを発散したからだろうか。

 ランドリークがほくほく顔でいる理由については・・・考えないでおこう。

 「巣に戻る前に、少し寄り道してもいいかな?」

 傍らで、ちょっぴり青褪めているレルヒエに問い掛ける。

 少女の顔が、ぱぁっ、と明るくなった。

 すごい勢いで首が振られる。

 どこのロックフェス会場の観客か、と言いたい。

 ともかく、了解は得た。

 「こいつらのアジトを知りたい。モーン子爵以外にも後ろ盾がいる。多分だが、それはデセス・ベランサだと思われる。本拠地を調べてくれるか?」

 目顔で問うと、ザフィーリは敬礼で答えた。

 ビシッ、と音がしそうな敬礼だった。


 二日後。

 ザフィーリの部下たちの情報から、デセス・ベランサの潜む場所を特定した一行は、その場所を目指して進んでいた。

 そこは、かつて彼女が自ら手を下して滅ぼした、二つの王国の跡地であるらしい。

 彼等は、すでにその境界に足を踏み入れている。

 ドリュアドほどではないにしろ、森を活性化させるという『盟友』ならではの特性を持つナーガ族の影響なのか、日を遮る暗い森がすでにその廃墟を埋め尽くそうとしていた。

 壊れた壁は横倒しになって、苔や湿ったところを好むシダ植物に呑み込まれてしまっている。

 木立と霧の中で朽ちかけた、かつては町の誇りだったであろう当の残骸がかろうじて王国のあった証として立ち尽くしている。

 通りに崩れ落ちた家屋の瓦礫を用心しながら上り、彼等は荒廃した町を憂鬱な気持ちで探検し続けた。

 見るに値するものなど全くなかった。

 時の流れと、手癖の悪い何人かの人間によって、町には瓦礫以外何も残されてはいなかったのだ。

 彼等は霧の中を南西に進んでいた。

 瓦礫とうっそうと茂った森のため、皇子もとうとう馬車を諦めて馬上の人となっている。

「ここは、まるで墓地ですね」

 ザフィーリが溜息を吐いた。

 獣の気配どころか、鳥の声すらもしない湿った森が、華麗な女騎士の彼女を憂鬱な気分にさせてしまったようだ。

 それは他の者たちも同様で、九個の人馬が縦列になって森と霧の中を進む。

 無言でどこか沈んだ様子は、まるで葬列だ。

 一人そんな雰囲気に全く動じないレルヒエがときどき、小さく口ずさむ鳥の歌――数百に及ぶ鳥の鳴き声をメドレーで紡ぐハーピィ族の歌――が彼等にとってほとんど唯一の救いとなっている。

 「昔はこうじゃなかったって話だよ」

 ライムジーアは、静かに言った。

 実際に見たわけではない。

 在りし日の様子を描いた絵画や書籍で知っているだけだ。

 「どんな風だったのですか?」

 その問いに、ライムジーアは最も美しくその姿をほめたたえた詩集の一説を諳んじて聞かせた。

 「壁は高く、塔がそびえ立つ。永遠に続きしものと、誰一人疑わぬ王国あり」

 皇子は、乱雑に絡み合い、岩に巻き付いた不気味な蔓性植物を指差した。

 「バラの薫り高き庭園に、淡き色のドレスを纏いし、乙女たちが座して待つ。庭の壁向こうより、紳士の謡いかけるを。男たちの歌声に胸を震わせ、乙女たちは吐息を漏らして真っ赤な薔薇を壁向こうへと放つ。通りを下りしところ、大理石を敷き詰めし広場あり。年老いた人らの昔語りを聞く。わたしは、夜になるとこれら素晴らしき友とテラスに座り。星の出るをながむる。給仕の運ぶ冷たき果物に喉を潤し、耳には鳥たちの歌を聞く」

 穏やかな抑揚をつけた皇子の声が、静寂の中に吸い込まれていった。

 「そこへ、例の『飲み物』だ」

 大理石のように固く冷たい口調になって、皇子は続けた。

 「永遠に続くと思われた王国が、消えるのに三年とかからなかったという。それも一つではなく、二つだ」

 ひどいこともあるものだ。

 廃墟を見やりながら、皇子は頭を振った。

 「少し早いけど、あの塔で野営しよう。どうやら霧のおかげで僕らの気持ちにまでもやがかかっているみたいだ」

 少し先に見えている、頑丈そうな塔を指差すと、仲間たちからも賛同の声が上がった。

 廃墟ではあっても、ちゃんとした壁がある建物というのは有り難かったのだ。

 テントでは、布越しに霧が入り込んでくるような気がして、あまり落ち着けそうになかったから。

 塔の地下にあった部屋は、時間の経過にも、そこいらじゅうから伸ばされているだろう木の根にも負けずに存在をとどめていた。

 アーチ状に組まれた石が低い天井を支え、それが部屋を洞穴のように見せている。

 結構な広さがあるので、皇子たちと護衛兵も含めて全員を収容するのに十分だった。

 もちろん、全員は入れる広さがあるからといって、全員が入ることはなかった。

 いま、彼等は敵対しようとしているかもしれない者たちの本拠地へと向かっているのだ。

 警戒を薄くするわけにはいかない。

 ザフィーリの部下の何隊かが、必ず外で見張りを行っている。

 「ところで、そろそろはっきりさせておきたいんですがね。皇子?」

 夕食のすんだライムジーアが、シアの手からコーヒーの入ったカップをもらっていると、ランドリークが重々しく口を開いた。

 「その、蛇の女王に会えたして、どうするおつもりなのかってことなんですがね」

 「蛇と女王を分断するなら、任せてくれていいよ」

 ランドリークの言葉にかぶせるように、フファルが過激なことを言い出す。

 「元だよ、元。今は女王じゃない」

 彼女なら本気で、楽しみながらナーガ族の元女王を腰斬してのけるだろう。

 そう思うとちょっと怖い。

 怖いのは、相手の蛇女もだが。

 「僕を捕らえようとしている理由しだいだね」

 皇子は考え考え、そう答えた。

 「思い当たることはないのですか?」

 控えめな口調で聞いてきたのはザフィーリだ。

 皇子なら、どんなことにも解答を持っていると信じて疑っていないような目をしている。

 ライムジーアは、少し首を傾けた。

 「いくつか答えは予想している。最高に楽観的な答えの場合、僕は彼女の手を取って歌を歌うかもしれない。最悪の答えであれば・・・僕たちは彼女とその部下を皆殺しにすることになる。どちらになるか・・・」

 「ずいぶんと振り幅があるのですな」

 「そ。一番の問題は両極端の答えが、どちらもあり得るもので、しかもどちらになるかの確率も五分五分だということなのさ」

 両手を肩で広げ、ライムジーアは首を振った。

 おどけているようだが、かなり本気だ。

 「つまり、行ってみないことにはわからない、と?」

 盛大に溜息を吐くランドリーク。

 大袈裟な仕草で肩をすくめるフファル。

 静かに拳を握るザフィーリ。

 とりあえず、コーヒーの二杯目を入れるシア。

 それらを頭の痛そうな顔で見守るリューリ、ロロホル、シャハラル。

 小鳥のように小首を傾げて、一人一人を見つめ続けるレルヒエ。

 「そういうこと。答えは二、三日後に出るだろう」

 ライムジーアが、無責任にものたまった。

 夜が、静かに更けていく。


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