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逃亡

 

 逃亡


 そして、朝。

 朝食を終えたところで、ライムジーアが告げた言葉に、全員が自分の耳を疑った。

 「なんとおっしゃいましたんで?」

 代表して、ということでもないだろうが、ランドリークがゆっくりと聞き返した。

 「ビボラ女王のところに行ってみようと思う。行かなければずっと追っ手を差し向け続けるに違いないからな。なんでそんなことをするのか問い詰めて、解決させた方がいい」

 彼女たちは、文字通りに蛇のごとく執念深い。

 一度こうと決めたら、諦めるということを知らないのだ。

 

 「石にされますよ?」


 恐る恐る、シャハラルが口を挟んだ。

 上官がライムジーア至上主義者なので、ここは越権行為と知りつつも自分がツッコむしかない。

 そう覚悟を決めての発言だった。

 「それは誤解だよ」

 その覚悟を、ライムジーアはやんわりと受け止めた。

 こちらの世界にも、前世世界で言うところの『メデューサ』や『ゴーゴン』のような伝説があって、ビボラ・フェアーテらナーガ族には石化の能力があると恐れられているのは事実だ。

 だが、恐れられているのが事実だということと、現実として石化能力があるかどうかというのはイコールではない。

 まぁ、もちろん。誤解されるのにはそれなりの理由がありはするのだが。

 「心配しなくていい。とにかく、南へ針路を変えるからそのつもりでね」

 「わ、わかりました」

 ザフィーリやシアの、ライムジーア至上主義者。

 フファルとリューリの、戦えるなら一人で千人の敵陣にでも斬り込むような戦闘狂。

 どちらにも、反対する素振りがないのを見て取ると、シャハラルは折れた。

 ロロホルが彼女の肩に手を置いて、小さく首を振っている。

 野営のテントを畳むと、一行は皇子の宣言通り道を南に取った。

 大きな街道を外れて、細い林道を進んでいく。さいわい、この道を通る者は少ないらしく、細い道ではあるが馬車で進むことができた。



 昼になろうかというところで、そのささやかな幸運は尽きてしまったらしい。

 「前方から何者かが近付いてきます」

 先行して斥候を買って出てくれていたロロホルが戻ってきて告げたのだ。

 「戦う?」

 キラリ、目を光らせてフファルが身を乗り出す。子爵邸から余分に失敬してきたので、今や彼女も馬に乗っているのだが、そんなことはお構いなしのようだ。

 すさまじい熱意を込めて、サーベルに手をかけている。

 「いや、隠れよう」

 ライムジーアはそっけないほどサラリと答えた。

 「隠れるところはありそう?」

 ロロホルに聞く。

 「少し先に藪があります。一度道を外れてから回り込ませれば、馬車も隠せるでしょう」

 「よし、それで行こう」

 ライムジーアが指示を出した。

 その藪は木立の中にあった。小さな窪地になっていて中は湿っていたが、確かにこれなら馬車も隠せそうだった。

 「そこに身を隠していてくだせいや。ちょいと戻って足跡を消してきますんで」

 ランドリークはそう言うと道を戻っていき、木の枝で一行の痕跡を消していった。もちろん、相手次第では道の途中で痕跡が消えている奇妙さに気が付くかれる可能性はある。

 それでも、やらないよりはやったほうがいい。

 まぁ、なんにしても、何者とも知れない一団は何事もなく目の前を通り過ぎていった。

 「貴族ではなかったな」

 ランドリークが呟きを漏らした。

 「騎士とも見えませんでした」

 「戦士でもないよ」

 ザフィーリとフファル。

 「商人でもなかったな。・・・幸いなことに」

 締めたのはライムジーアだ。

 「自分のことしか考えていない奴らだった、ということさ。だから、僕たちのいた痕跡を見落とした」

 ここで見つからずに済んだ、それは幸いなことだ。

 ただし、それは女王のテリトリーが近くに迫っていることをも示している。

 幸いと言っていいのかどうか・・・少しばかり悩んでしまう状況かもしれない。

 そしてそれは、すぐに形となって表れた。

 道に戻って、ほんの数刻移動したところで空に向かってひょろひょろと昇っていく幾筋かの煙を発見したのだ。


 「ああ、やっぱりいるか」


 思わず、というふうにライムジーアは溜息を吐いた。

 「敵ですか?」

 馬車の横に寄っていたザフィ―リが聞いてくる。

 「間違いなく敵だ。ナーガ族の不思議な飲み物目当てでうろついている連中だよ。飲み物を買うための金を手に入れるためなら、親でも殺すような奴らだ」

 飲み物、と言っているが要するに麻薬の類のことだ。

 ナーガ族は自身が毒を持ち、当然のこととしてその毒を中和する能力も持っている。

 ・・・自分の毒の中和のためというより、恋人に勢いついでに噛まれた時のためというのが本当のところらしい。

 前世世界の蛇も、実は自分の毒が体に回ると死ぬんだったと思う。

 なんにしても、ナーガ族にはたいていの毒は毒として機能しない。

 ちょっと変わった味のジュースでしかないものが、人間にはある種の幻覚作用を引き起こす毒になったりするのだ。

 「では、ただのならず者ですね。何か意味があって私たちを襲おうというわけではないわけですか」

 「そういうこと。話して分かり合えるような相手じゃないから、結局のところ戦うことになるだろう」

 そう言った直後、ライムジーアは顎に手を当てた。


 「使えるかな・・・」


 ニヤリ、と笑みを浮かべる。

 「シア、大きめのハンカチかそんな感じの布を何枚かくれないか?」

 「はい。お待ちください」

 即座にうなずいて、有能なメイドが布を用意すると、皇子はその布にたっぷりの金貨を入れた。そうして馬車を止めさせると、残りの布には小石を詰め込んだ。どちらも四隅をつまんで紐で縛る。

 一見まったく同じ巾着が数個できあがった。

 ライムジーアは二、三回それらを持ち上げると満足そうにうなずいた。

 「一見するとどれも同じものに見えるよね」

 「なにか、考え付いたようですね」

 ザフィ―リが諦め顔で言う。

 「たぶんね」

 皇子はウィンクをしようとしてできなかった。

 失望のため息が漏れる。

 なかなか『格好良く』とはいかないものらしい。

 一行がゆっくりと進み始めると、森に囲まれた中に少し広い場所があった。

 何度も使われた襲撃場所なのかも知れない。

 予想を裏付けるように、手慣れた様子で山賊どもが姿を現した。

 三、四十人はいそうだ。まともに戦っても勝てなくはないだろうが・・・めんどくさい。

 フファルの目がそう言っていた。

 良さそうな男がいないし、歯ごたえもないのでは萎えるのだろう。

 多少なりとも生きがよさそうなのは、頭らしい男。

 背は高いが横にも奥にも厚みのない男だけだ。

 穴だらけの上に染みまみれの臭い服を着て、錆びの浮いた剣を振り回している。

 「俺たちは山賊だ。金と女を置いていけ。そうすれば男どもの命までは取らねぇ」

 お定まりの脅迫が叩きつけられた。

 白けた空気が流れかける。

 「・・・わかりました。お金は置いてまいります。ですが女たちはご勘弁を、この娘たちは商品なのでございます。ナーガ族に売るためのね」

 馬車を降りたライムジーアが、震え声でそう訴えると、懐から巾着を取り出して投げた。

 山賊を束ねているらしい男に向けて投げたつもりが、震えていたせいで狙いを外したらしく、道の横の方に飛んで落ちた。

 落ちた衝撃で紐が外れたのだろう。

 一掴みはありそうな金貨が飛び出して散らばった。

 山賊の仲間たちの間にどよめきが走る。

 そこに追い打ちをかけるように、ライムジーアは巾着を投げ続けた。

 今度は中身がこぼれだしたりはしないが、ともかく重そうな小袋が積み重なっていった。

 頭の後ろに控えている荒くれどもが顔を見合わせると、道の端に積み重なっている子袋の山を物欲しそうに眺めながら、じりじりと移動し始めた。

 「さあ、それだけあれば十分でしょう? 死んでしまっては金なんて持っていても意味はないんですから」

 さっきまでの態度とは裏腹に、今度は居丈高な口調で言ってやる。

 「こ、こっちは人数が多いし、全部根こそぎ奪った方がいい」

 頭らしいのが脅迫めいた口調で喚いた。

 「そこに積んだ金があれば、あんたらは全員が金持ちになれる。だが、欲をかきすぎて戦いになれば・・・こちらには熟練の戦士と騎士がいて、しかも馬に乗っている。どんだけうまくいってもおまえたちの半分は死ぬだろうな。その半分になる危険を冒してまで、戦う気はあるのかな?」

 頭は、はっと後ろを振り返り、歯を食いしばった。

 山賊の仲間たちは、ランドリークの堂々とした様子や、ザフィーリたち騎士の凛々しさ、そしてフファルとリューリがアマゾネスであることを見て取り、尻込みをしている。

 簡単に手に入る金が目の前にある状況で、無理して戦うだけの度胸はなさそうだった。

 「この借りは絶対に忘れないぞ」

 山賊の頭はライムジーアを睨み付けると、怒鳴った。

 「そうだろうね」

 ライムジーアは真顔で答えた。

 その間に山賊たちは小袋の山の方へとにじり寄り、最後まで立ち尽くしていた頭も悪態をつきながら逃げるように道をあける。


 「行こう」


 ライムジーアの号令を合図に、騎士五人と馬車一台は、再び道を進み始めた。

 逃げるような速足で、事実彼等は逃げ出したのだ。

 後方では、頭の悪い山賊どもが輪になったかと思うと、山積みになった布の小袋にわっと駆け寄っていった。

 たちまちのうちに小競り合いが起こり、殺し合いに発展した。

 誰かが、しっかりと口を結ばれていた小袋をあけてみるまでに、十人は二度と金の要らない存在になっていた。

 その後に起こった喚き声は、欲望の色が失せてはいたが、怒りの激情を増幅させていた。

 徒歩の彼らが、万一にも追いついてこれないであろうと思えるまで距離を稼ぐと、フファルが声を上げて笑った。


 「かわいそうな、お頭だね」

 「金貨が入ってると思ってた袋の中身は・・・石。すごっ」

 「皇子様は、本当にこういうことになると悪魔のようです」

 ザフィ―リがしみじみと言った。

 「引っかけられたと分かったら、山賊の手下どもは頭を責めるでしょうね」

 ランドリークがニヤニヤした。

 「頭とかリーダーってのは、常にそういう危険を負わされているのだよ」

 「殺さないとも限りませんよ」

 「それは彼等の問題だ。僕たちが気にかけてやるようなことではないさ」

 日が沈むまで、さらに黄色っぽい丘陵を進んだあと、一行は隠れ場所としては絶好の小さな渓谷で夜を過ごすことにした。

 そこなら、辺りを横行しているならず者に焚火を見つけられる心配がない。



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