拘束
拘束
その夜の寝床は地面の上だった。
テントを張るほどの広い空き地を見つけることができなかったのだ。
気のいいリザードマンがいかに優秀な仲間だったかが、骨身に染みる夜となりそうだった。
馬車では足を延ばして眠れない。
結果としてまるっきりの野宿と相成ったわけだ。
月は冴え冴えと青い輝きを放っていて、木立の隙間から降る月光が青い斑模様を描いている。
ライムジーアは足の裏で平らな場所を見つけると、その場で毛布にくるまって少しの間もじもじと動いていたが、間もなく眠りに落ちた。
だが、スッキリとした目覚めにはありつけなかった。
不意に目が覚めたとき、顔の上には六本の松明が掲げられていて目がくらみ。ついで、大きな足が胸をぐいぐい踏みつけられた。とどめに、喉元に剣の先が危なっかしく突き付けられている。
「動くな!」
ザラザラした声が命令した。
「動いた奴は殺すぞ」
ライムジーアは恐怖におびえて身を固くした。
自分が死ぬことにではない。自分がこんな状態になるということは、仲間はすでに全員死んでいるのではないか。
そう考えたのだ。
死ぬことなんて何とも思わないが、一人になるのだけは怖かった。
剣の先はますます鋭く喉元に迫ってくるが、頭を転がして左右に目を向けた。
ホッとした。
仲間たちもみんな同じように地面に押さえつけられていた。
少なくとも、死体にはされていない。
・・・まだ。
見張りをしていたはずのランドリークは二人の荒っぽい兵士に両腕を掴まれ、口の中にぼろ布を詰め込まれている。
声を上げる間もなく討ち倒されてしまったらしい。
頭に何か衝撃を受けたらしい痕がある。
多分、遠距離から何かを投擲されたのだ。
気配を感じさせることなく近付き、遠距離から一撃で気を失わせた。
これではランドリークを責めるには当たらない。相手の技量を褒めるしかない。
「これはいったいなんのまねですか?」
そこまで見て取ったところで、僕の方から声をかけた。
「すぐにわかるさ」
中心人物らしい男がしゃがれ声で答えた。
「武器を取り上げろ」
男が手で合図を送った瞬間、右手の指が二本足りないことに気が付いた。
「なにかの間違いでしょう」
僕は意識して平静な声を出してなおも言った。
「わたしは帝都にございますメティロソ商会手代ライヒトゥーム・レグリゾと申します商人でございまして。仲間もわたしも悪いことなどしてはおりません」
「さあ、立つんだ」
三本指の兵士は僕の抗議を無視して命令した。
「もし一人でも逃げようとするやつがいれば、あとの仲間も皆殺しにするからな」
ライムジーアは立ち上がって帽子をかぶった。
「こんなまねをしてあとで後悔しても知らないぞ、隊長さん。うちの店も伊達で帝都に店を構えてはいない。お偉方にだって顔が利くんだからな」
兵士は肩をすくめた。
「一介の隊長に、獲物を選ぶ権利があると思うか? おれたちはアマボラ・モーン子爵の命令で来ただけさ。お前たちを連れてくるよう命令したのは子爵なんだ」
「わかったよ」
アマボラ・モーン子爵とはどんな人物だったろうか?
頭の中の人物図鑑のページをめくりながら僕は答えた。
「そのアマボラ・モーン子爵とやらにお会いするとしよう。すぐに片が付くだろう。そんなに剣を振り回さなくていいよ。黙って付いて行ってやるさ。君の面目を傷つけることはしないと約束するから安心しなよ」
残念ながらまったく思い出さなかったので、そう言っておく。
おそらく皇妃側ではなかったはずの貴族だろう。
皇妃側に加担している貴族はすべて把握しているつもりだ。
三本指の兵士は松明の光りの中でさっと顔を曇らせた。
「商人、おまえの口調はどうも癇に障るぜ」
「そうですか? あなたも寝込みを襲われて剣を突き付けられれば、こうなると思いますよ」
「こいつらの馬を連れて来い」
兵士は大声で怒鳴った。
僕はじわじわとザフィ―リのところに近寄っていた。
「黒幕の顔を拝んでから手立てをこうじるとしよう」
声を潜めて告げる。
彼女が小さく頷くのが気配でわかった。
「しゃべるな!」
兵士が吠えるように言った。
僕は胸に突き付けられた剣を見ながら、肩をすくめた。
モーン子爵の屋敷は、刈り込んだ生垣と幾何学式庭園を左右に配した広々とした芝生の真ん中に立つ、大きな白い建物だった。
寒色系と言えなくもないが、これまた僕の趣味には合わない。
屋敷と西側の間にある中庭に着くと、兵士に馬を降りるよう命令された。そして、急き立てられるようにして屋敷の中に入れられ、長い廊下を歩かされた。
モーン子爵は目の下に肉のたるみがある、痩せこけた影の薄い男だった。高価そうな調度品の並ぶ部屋の真ん中で両手足を伸ばして椅子に座っていた。
ライムジーアたちが部屋に入ると、彼は嬉しそうな、まるで夢でも見ているような微笑を浮かべて顔を上げた。
彼のマントは淡い桃色で、貴族であることを強調すべく縁に銀の飾りを付けていたが、いたるところにしわが入っていて清潔とは言いかねた。
「どなたじゃったかな?」
早口な上に不明瞭で、ほとんど聞き取れないような声だった。
「囚人です、子爵」
三本指の兵士が説明した。
「あなたが捕まえてくるように命令したんですよ」
「はて、わしがかね? わしがそんなことをするとは珍しい。あんたたちに迷惑が掛かっとらんといいが」
「わたしたちは、ほんのちょっと驚いただけですよ」
・・・黒幕の姿にね。
まぁ、黒幕はたぶん他にいるんだろうけど。
「わしはどうしてそんなことをしたんだったかのぉ?」
子爵は何か悩み始めたようだ。
「執事のシュランさんなら、覚えているのではないですか?」
見かねたのか、三本指の兵士が口を挟んだ。
「おお。もっともだな。すぐに呼んでくれ」
顔を輝かせて子爵が言った。
「承知しました、子爵」
兵士は子爵にお辞儀をすると、部下の一人に向かって軽く顎をしゃくった。
待たされるかと覚悟したが、その執事とやらはすぐに来た。まるで・・・待っていたかのように。
「お呼びですか、子爵?」
部屋の隅のドアから四十代とみられる男が入ってきた。
酷薄な笑みを張り付けているような顔の男だ。
その声はかすれていて、息がただシューシューと漏れているだけのように聞こえる。
もしくは・・・。
そこまで考えて、僕は真の黒幕に思い当たった。
もっと早くに気付くべきだったとちょっと後悔する。
だがもちろんもう遅い。
「ああ。セルビエン、ちょっと助けてくれ」
「なんなりと、子爵様」
「この者たちを捕まえるように命令したらしいのだが、理由を思い出せんのだ。お前は覚えているか?」
「問題ありません。この私があなたに代わって速やかに解決いたします。もうお休みになった方がいい。あまり無理をなさっては体にさわります」
子爵は片手で顔を撫でた。
「そうだな。そう言われると少し疲れたような気がする。あとのことは頼むぞ」
子爵は椅子の上で体の向きを変えたかと思うと、ほどなく寝息を立てはじめた。
「子爵はいささか健康状態に不安をお持ちでしてね」
セルビエン・シュランという名前らしい執事が慇懃な態度で呟くように言った。
「そうだろうね」
僕は最高に冷たい声で応じた。
「ナーガ族の飲み物はとかく不安定だから」
執事は眉を高角度で上げ下げした。
どんな要素を持つ男であるにしても、事情通ということはなさそうだ。
「わたしは帝都にございますメティロソ商会手代ライヒトゥーム・レグリゾと申します商人でございまして、いろいろな噂にも長じているのでございますよ」
商売のことしか頭にありません、そんな顔と口調で言ってみる。
・・・さて、どんな反応をするか。
「お芝居は結構です。あなたが、一応は皇子であるということぐらいは知っています」
周囲で仲間たちが殺気立つが、僕は小さく手を振って抑えさせた。
予想していた答えだ、慌てるには値しない。
それはそうと・・・。
「いつからビボラ・フェアーテ女王は皇妃と遊ぶようになったんだい?」
「気軽に女王の名を口にして大物ぶったところで意味などないぞ。貴様は捕らわれたのだからな」
確かに、とその点については認めないわけにはいかなかった。
「で、僕たちはどっちに行くことになるのかな? 皇妃か? 女王か?」
「心配するな。皇妃なんぞに興味はない。俺は女王陛下からお前たちを『谷』に連れてくるよう命じられたのだ」
セルビエンは恍惚とした表情で天を仰いだ。
女王から命令してもらえるのは生涯の栄誉、そう信じ切っている顔だ。
わからないではない。
そういう風になってしまうのだ。
それを望みさえすれば。
もっとも、そうなってしまうと「なぜ、それを望んだのか」という疑問も抱かなくなるので、たいていの場合にはなんの意味もない。
「まぁ、なにも急ぐことはない。地下にゲストルームがある。一晩ゆっくりしていけ。俺自身、個人的に聞きたいことがあるしな」
そういった執事の目が、ザフィ―リの胸に向いた。
フファルの目に殺意がこもる。
「あなたの思い通りにはなりませんよ」
不快感というより、くだらなさに辟易した表情を浮かべて、ザフィ―リが言った。
「それはどうかな。高潔なる姫君にして勇猛な女騎士殿。この家の地下室はとても深いんだ。そこで想像もつかない恐ろしいことが起きるとは思わんのかね? 意思を捻じ曲げることなど簡単なことだと考えている部下が私にはたくさんいるのだがな」
「は! 拷問ですか、そんなものに屈するものですか。恐いとも思いません」
ザフィ―リは馬鹿にしたように言い返した。
「ああ、そうだろうな。恐がるためには、そのことを想像できなければならない。お前はまだ、私の部下たちの拷問を知らんから恐れようがないだろう。だが、ひとたび拷問を受ければ、私のためなら犬の子供でも産みたいと言うようになるだろうよ」
セルビエンはそう言うと声を上げて笑った。
その声はひどく残忍で陽気さの欠片もなかった。
「詳しい話は、子爵を寝かしつけてからにしよう。ゆっくりとな。地下の特別なゲスト用の部屋で待っているといい」
執事が三本指の兵士に片手を振って呼び寄せる。
鎧の音が耳にでも入ったのか、モーン子爵が目を覚ました。
「おや、その者らはもう行ってしまうのか?」
「ええ」
子爵の問いに、執事は優しげに答えた。
「そうか、ではな」
子爵は微かに微笑みながら、手首だけで手を振った。
僕も小さく手を振り返してやりながら、背中を小突く兵士に従い歩き出した。
ライムジーアが連れて行かれた独房はじめじめと湿っぽく、下水と腐った食べ物の臭いがした。それより不快だったのは、漆黒の闇だった。
まるで自分の身体が闇に侵食されているような気にさえなってくるのを感じながら、鉄のドアの脇にうずくまっていた。
独房の隅の方からは、カリカリという小さな音が聞こえていた。たぶんネズミだろうと思い、ライムジーアはできるだけドアの近くにへばりつくように努力した。
やがて、鉄のドアからガリガリと音が聞こえ始める。
音がし始めた瞬間こそ、ビクッとしたライムジーアだったが、すぐに落ち着きを取り戻して強張った腕を伸ばしたりし始めた。
その間にドアが開く。
ライムジーアはすぐに外へ出た。
「なんでこんなに時間がかかったの?」
よく見えないが、相手が誰なのかはわかっていたので、ライムジーアの語調は強かった。
予想以上に時間がかかったので、思わず最悪の事態を想定し始めていたことで拍車がかかっている。
「錆ですよ!」
苛立った声を上げたのはランドリークだ。
彼は追剥だけでなく、空き巣も得意なのだ。本当に盗みを働いたことなどないはずではあるが。
部屋の外にはセルビエンのためだろう、松明が灯されていて眩しいというほどではないが明るかった。
少し向こうに見慣れたシルエットがあったので歩み寄ると、ザフィーリが待っていた。ザフィーリはしばらく思いつめた様子でライムジーアを見ていたかと思うと、やがて両手でライムジーアの体を包み込んだ。
ロロホフとシャハラルがほのぼのとした目を向けてくるが、無視する。
その間に、ランドリークは次々にドアを開けては仲間を救い出した。と言っても残っていたのはシアとリューリだけだった。
「鍵開け・・・かぁ。すごっ・・・」
出てきた途端にリューリはランドリークの手元を見て感心し、シアはザフィーリの腕に包まれているライムジーアを見つけて胸をなでおろしていた。
そこまで見届けたライムジーアが、ふと眉をひそめた。
・・・人数が足りない。
いないのは・・・。
フファルだな、と思っていたら、出口の方から戻ってくる。
「見張りはみんな寝てるみたいだよ」
にゃはにゃは笑いながら言う。
殺したのか、拳でか、とにかく見張りをみんな寝かしつけて来てくれたらしい。
廊下を進むと、確かに端の方に窮屈な格好で横たわる見張りが見られた。皆一様に、とても苦しそうな寝息を立てているが・・・元気そうだ。
目を覚ました時、自分でもっと安らかな眠りに入れることを祈ってあげよう。さもなくば、彼等の眠りは狂気と苦痛の果てにしか、もたらされないことになるだろうから。
「わたしらを捕まえてくれた兵隊さんたちは勤務時間が明けたみたい。一人もいなかったよ」
「それは残念。じっくりとお礼を言いたかったのに」
フファルの報告に、シャハラルが応えた。口調に剣呑さがにじみ出ている。
ロロホルは賢明にも、目を逸らして聞かなかったふりをしていた。
「僕たちが挨拶もなく立ち去ったと知った執事さんが、見送りに派遣してくれることを祈るといいよ。僕は二度と顔を見れなくてもちっとも残念とは思わないけど」
軽口を叩きながら、廊下を進む。
とりあえず、この地下室からは出ておきたい。
途中で執事が自慢していた腕のいい部下と思しき一団と遭遇したが、フファルが不思議な踊りを踊るような動きをしたかと思うと、全員別の世界へと旅立っていた。
「お見事」
シャハラルが目を見張って呟いている。
そのまま進むと、見覚えのある階段まで来た。
最初に降りさせられた階段だ。つまり、この上がすぐ子爵の屋敷の一階というわけだ。
「ちょっとここで待っていてくだせぇや」
禿げた大男がそう囁くと足音をまったく立てずに姿を消した。
・・・本当はやはり、泥棒をやっていたのではないかと疑いたくなる動きだ。
待つのに飽き始めたころに、彼は戻ってきた。
手には兵士に取り上げられていた各自の武器を抱えている。
他の武器もそうだが、聖槍がちゃんとあることにライムジーアはザフィ―リ以上にホッとした。
これをなくさせるようなことになったら、どう償えばいいかわからない。
「さあ、いくぞ」
ランドリークはみんなの先頭に立って廊下のはずれに向かった。
外に通じるドアをそっと開けて、一行はひんやりとした月夜の世界へと滑り出た。
頭上には素晴らしい星空があり、風には甘い香りが付いている気がする。
「馬を連れてきやす」
ランドリークが言った。
ずいぶん率先して働くな、そう思ったところで、ライムジーアは彼が見張りをしくじったせいで全員が捕まったのだということを思い出した。
正確には、しくじったと彼本人がそう信じ込んでいることを、というべきだろう。
彼以外は、誰もそんな風には思っていない。
「一緒に行ってやりなさい、ロロホル。わたしたちは向こうで待っています」
ザフィ―リは闇に沈んでいる庭を指差した。
ランドリークとロロホルは屋敷の裏へと曲がる角で姿を消し、残ったものは子爵邸の庭を囲んでいるぼんやりとした生け垣の陰に入った。
そのまま、じっと二人が馬たちを連れてくるのを待った。
馬車は庭の片隅に停められていて、ライムジーアはシアとザフィ―リに半ば命令されて馬車の中に避難している。
やがて蹄が石を蹴る音がして、ランドリークとロロホルが馬を率いて戻ってきた。
「急いで立ち去りましょう」
ザフィ―リがささやいた。
誰にも否やはなかったから、一行は速やかにアマボラ・モーン子爵家に背を向けた。
「音を立てないように」
ランドリークが御者台に猫のように乗り込むと、低く指示をして馬車を進めた。
馬車は、電気自動車並みの静かさで、月の光の中を進んでいった。
彼等はその後、日が昇って中天に達し再び沈むまで、馬が倒れない程度に大急ぎで西へ西へと進み続けた。
そして、慎重に寝床を決め、見張りを立てて休んだ。
本当の意味で、ぐっすりと眠れた者はいなかったがともかく休むことはできた。




