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解放2

 解放2


 翌日から、ベルグシャンデ騎士団の団員が街中から消え始めた。

 酒を飲みに行った先から、娘を追いかけて上がり込んだ商家から、税金を徴収に出た先から、誰一人本拠地であるボカムント家の邸宅に戻らなくなったのだ。

 そのことに騎士団の団長が気付くのに数日かかった。

 「何が起きている!?」

 気付いたのは、戻っているはずの税金の徴収担当兵が戻っていなかったからだった。

 部下たちがどこで何をしているか、そんなことにはまったく興味のないベルグシャンデ騎士団の団長でも、税金の帰りは待ち遠しかったと見えて、いらいらと怒声を張り上げた。

 「ど、どこかで税の支払いを渋った者でもいるのではあ、ありませぬか」

 部下たちが八つ当たりを避けようと姿をくらます中、逃げ遅れた幹部が、必死に弁解をしようとした。が、できなくなった。

 頭と胴が離れてしまっては弁明もままならない。

 「ちっ、役立たずめ!」

 転がった首に吐きかけられた唾は強烈なアルコール臭を放っていた。

 この地を占領してから、一度も素面だったことはないと言われる泥酔ぶりが、行動に顕著に表れていた。

 もはや、判断力そのものを失いつつあるのではないだろうか。

 そう感じた幹部もいなかったわけではない。

 ただ、そう感じた幹部たちもまた、まともな判断力をなくしていた。

 領民の歓迎を受けて、占領した。

 領民どもにはすでに恐怖を教え込んで反抗を抑えてある。

 領民どもは支配を受け入れるだけの家畜に過ぎない。

 どこかで何者かに襲われたのであれば騒ぎになるはずだが、そんな話は聞こえてこない。

 そう考えた時、出る結論は?

 「兵士どもが裏切っている!」だった。

 幹部たちは配下の兵を招集した。すでに元々の数の半分にも満たない兵だ。

 自分たちの分け前が減るので、人数が減ってもわざわざ補充しようとした者はいない。

 売り込んでくる者はいたが、全財産と、それ以外のすべてを失うだけであったので、近付いてくることすらなくなっていた。

 ここ数日で、そこからさらに半数に減っている。

 集まる間に、その数はさらに半減した。

 地方都市に存在する戦闘部隊には、明確な基準が設けられている。

 地方の州が持つことのできる軍団の数はその地方が帝国政府に収める税金の金額により、三つから最大七つまでが認められていて軍団の最大戦闘員数は五千まで。それを支える事務方が千までで六千を最大と定められている。

 それとは別に領主たる身分の者が持つことのできる騎士団の総数は三千を超えてはならず、街単位で組織される守備隊は千五百まで、自警団を名乗るものは五百までだ。

 だから、このバレンムートを支配しているベルグシャンデ騎士団も、はじめは三千だった。支配を始めて一年足らずで一割が姿を消している。その後の数年でその数は四割となり、残った六割の半分がここ数日のうちに行方をくらまし、その半分が本拠地に集められるまでに消えた。

 なので、ボカムント家の邸宅に集まったのは、三百と少し。

 その兵士たちに、幹部たちは疑惑の目を向けた。

 「この中に裏切り者がいる!」

 「それとも、お前ら全員反逆を企てているのか!?」

 証拠があるわけでもない、決めつけだけの尋問。

 市民への暴虐ゆえにたがが外れている兵たちが、黙っているわけがなかった。

 たがいに剣を抜くまでに数分。

 十分経ったとき、そこは敵味方もわからぬ殺戮現場へと姿を変えていた。

 三百と少しが二百に、二百が百になるのに時間はかからなかった。

 生き残った者たちが血に濡れた剣を下げて荒い息をついたとき、立っていたのは四十人程度。

 「お疲れ様―」

 陽気な声を上げて踊りかかるフファルとリューリ。

 「・・・」

 無言で長剣を振るうザフィーリとその部下。

 四十人は二十人になり、その二十人は捕らえられた。

 バレンムートの住人なら、知らぬ者のない顔。ベルグシャンデ騎士団の団長以下の幹部たちが数人、その中には混ざっていた。

 ベルグシャンデ騎士団を毒蛇に例えるならば、毒蛇の身体は切り刻まれ、頭は衆人環視の中で潰すためにのみ、残された。

『掃除』の締めは、実にあっけなく幕を閉じた。

 幕後の挨拶を除いて。

 数年に及んだ支配から、バレンムートはこの日、解放されたのだ。


 「・・・こんな・・・こんな、簡単に・・・・・・?」

 うつろな声が漏れた。

 二年ぶりに実家の門をくぐったカベサコークは自分の見ているものが信じられなかった。

 強大で凶悪だったはずだ、反抗は死を意味していたはずだ。

 恐怖の権化だった。

 それが、ライムジーアたちと出会ってわずか数日の間に消えてしまった。

 残っているのは死体。

 それと忌まわしい過去の記憶。

 魂の抜けた顔で座り込んでいる悪魔ども。

 「八割がたは自滅だよ。僕は最後の一押しをして滅亡を加速させただけだ」

 死臭をなるべく無視しようと努めるライムジーアの口調はそっけなかった。

 そもそも、ここバレンムートの現状バランスがひどく不安定であることはザフィーリの部下たちの報告で知っていた。

 ただ、こうして撃破するとしても、この地での行動を正当化してくれる後ろ盾がないと母や兄たちの注意を引いてしまうのは明らかで、二の足を踏んでいたのだ。

 カベサコークがバレンムートの領主の子息だと知り、ベルグシャンデ騎士団を何とかしたいと考えていると分かったから手を貸す気になった。これがなければ、候補としては残しつつも、もっと穏便に進められる他の『掃除』を優先しただろう。

 「ひはっ・・・ひっひひひひっ・・・馬鹿どもが。俺たちにこんなことをしてただで済むと思うのか?」

 「俺たちは帝国中央軍に正式に認められている騎士団だ。それを潰すとは、反逆罪だぞ!」

 「今ならまだ許してやる。俺たちに跪いてわびろ。命だけは助けてやらんでもない」

 死に残った幹部どもが、嗤い声を上げた。

 人とは思えぬ醜い嗤い顔に我慢できず、ザフィーリが殴りつけている。

 「そうだ・・・こんな騒ぎを起こしたと知られたらどうなるか」

 仮にも帝国軍に治安維持を委ねられた騎士団が一つ消えたのだ。

 簡単に済む話ではない。

 カベサコークは震える手を胸元で組んでうろうろと歩き回り始めた。場合によっては帝国軍に反逆の疑いをかけられる可能性もある、と気を揉んでいる。

 それに対して、ライムジーアは「何を言っているんだ、こいつは?」という顔をして見せた。初めて会ったときのカベサコークの表情をまねたのだ。

 「なにか問題が起きましたか? ベルグシャンデ騎士団の幹部が突然引退して、騎士団の兵員も大量解雇。若返りがはかられた・・・だけのことでしょう? 領内での騎士団の運用は領主の自由裁量が認められているんだから、何の問題もない」

 「!!」

 ハッとした顔で、カベサコークが顔を上げる。

 その顔に、徐々に理解の色が広がっていく。

 「そういう・・・こと、か!」

 「そういうことです。ベルグシャンデ騎士団の名前が残るのは不快かもしれませんが、しょせんは名前。じきに慣れるでしょう。『古いラベルのビンに新しい酒を』ですね。飽き飽きした酒瓶でも、中身が違うなら、飲む人間に文句はないでしょう?」

 「ベルグシャンデ騎士団をなくすわけにはいかないのてすか?」

 ザフィーリが意外そうな顔で聞いてきた。

 その問いにライムジーアは重々しく頷いた。

 「ベルグシャンデ騎士団は本人たちがどう思っていたかは知らないけど、実質的には帝国軍の工作兵だ。旧シレンシュティ王国の領地から搾取しつつ、反抗できない状態にしておくためのね。それがなくなったことが表面化すれば、帝国軍は別の手立てを打つだろう。どんな策かはわからないけど、ロクなものじゃないことは間違いない。それを避けるには、ベルグシャンデ騎士団による搾取は続いている、と思われていた方がいい」

 「相変わらず、坊ちゃんはそう言うことになると鋭いですな」

 茶化すような口調のランドリークも、今回ばかりは目が真剣だ。

 ・・・それは僕もだけど。

 「帝国軍駐屯地はブラソアルムの友人にでも任せて、ブラソアルム本人を騎士団の団長に押し上げる。で、カベサコークは参謀役として運営をすることだね・・・御父上が以前のように領主の役割を果たすことができるなら、だけど・・・どう?」

 できないようなら、領主の役にカベサコークを立てなくてはならなくなる。

 「そ、それは・・・」

 自分にも父親にも、自信がないのだろう。カベサコークは目を泳がせ、口ごもった。


 「以前のように・・・といわれると無理だというしかないが。領主の役を演じるだけでよいなら、こんな抜け殻にでも務まりましょう」


 邸宅の方から、ゆらり、と姿を見せた初老の男性が、乾いた笑い声を上げた。

 「親父・・・!?」

 カベサコークが息を呑んで後退る。

 蝋人形館のゾンビのような男が、そこに立っていた。

 親父、と呼ばれたところを見ると、この人がボカムント家の現当主フェナシオン・ボカムントなのだろう。

 「頼めますか?」

 僕は、ある確信を持って問い掛けた。

 この顔には覚えがある。

 「皇子、あなたには借りができた。この借りを返すまでは、働かせていただこう。なに、あの者たちにできたことぐらいはして見せるとも」

 気のいいおっさん、のような微笑。

 そのくせ、目は完全に死んで淀んでいる。

 「時が来れば、楽にさせてくださるでしょうな?」

 洞窟の奥から響くようなうつろな声。

 僕はうなずいた。

 「僕の代わりに、別の者が、その役を担うでしょう」

 いずれ、中央に見咎められて断頭台に送られるだろう、という意味だ。

 それを分かった上で、フェナシオンはにっこりと笑った。

 清々しさすら感じさせる表情で。

 僕にはわかった。

 この人の精神はすでに死んでいる、と。

 それでも、本人が言うように、あと数年、領主の役を演じることぐらいはできるだろう。


 「では、よろしく」

 「・・・それは私の言葉のような気もするがね」


 フェナシオンは一つ頷くと、邸宅へと戻っていった。

 何年かぶりの執務室で、それこそ、大掃除をするのかもしれない。


 「ライムジーア様。今夜のお食事は何になさいますか?」


 死体が散乱している中、落ちてる腕や足、あちこちに散っている血だまりを縫うようにして歩いていながら、普段通りの歩調を崩すことなくシアが寄ってきて聞いてきた。

 ・・・絶対、普通のメイドじゃないよな。この子。

 いや。もちろん、それを知った上で側に置いてるわけなんだけど。

 「肉だけはなしで頼むよ、あと赤ワインもなしね」

 「わかりました。ではメインはお魚にしましょう。調理場によさそうな干物が置いてありましたし」

 ポン、と両手を合わせてシアが微笑む。

 そのまま一礼すると、お花畑を散策するような足取りで戦場を抜けて行った。

 ・・・普通の振りをしたいんなら、もう少しなんとかならないものかな?

 わざとか? それともこんなところでもドジってしまう天然さんなのか?

 謎だ。



 夕食はおいしかった。

 僕の味覚を完全に網羅しているシアだけのことはある。

 午後に飽きるほど嗅いだ死臭を想起させない爽やかな香りづけ、多分干物をさらに軽く燻したのだろう。

 さっぱりした塩味のスープ。

 最後に蜂蜜とレモンを加えた紅茶。

 荒れていた感情がほっと息をつく。

 持つべきものは気の利くメイドかもしれない。


 ところで、実際にはフェナシオンに執務室の大掃除をする暇はなかったようだ。

 その日から大車輪で働き詰めに働かなくてはならなかったからだ。

 まず、捕らえたベルグシャンデ騎士団の元団長以下の幹部たちの処刑が行われた。ボカムント家の所領に属する各街に布告をしたうえでのことだった。

 規模は小さいが、各街の指導的立場のものには確実に届くような形で、布告を行う。

 もう悪夢は終わったことを知らしめるためだ。

 そうでなければ意味がない。

 罪人は、楽な死に方をさせてもらえなかった。

 両手足の指が、一本ずつ。

 腕は手首と肘、そして肩と三度に分けて。

 足は足首と膝、太ももで。

 鼻と耳がそぎ落とされ。

 歯が一本ずつ抜き取られた。

 そして目がくりぬかれる。

 身体には、致命傷とならないよう慎重に刺し込まれた槍やナイフがびっしりと生えた。

 そして、ゆっくりと、死ぬのを待たされた。


 「殺してくれ!!」


 そう哀願するのを、市民たちは静かに見守った。

 彼等のように、そんなものを見て愉しむような精神はしていない。

 だから笑いはない。

 愉悦もない。

 ただ、罪人どもの流す血が、涙が、そして絶叫と悲鳴が、澱のようにたまり続けていた負の感情を洗い流してくれる。

 そんな気がして、見つめていた。

 忘れたくとも目と心に焼き付いてしまった血の色の記憶を封印して、新しい未来に歩み出すための、それは儀式だった。


 犠牲となった人々の慰霊のための儀式も行われた。

 まともな弔いさえ許されていなかった弔いが、街を上げて執り行われたのだ。

 その中には、フェナシオンの妻、アドミラーゼ・ボカムントも含まれていた。

 ベルグシャンデ騎士団が再建される意味と理由とが説明され、この事実は決して帝国中央に知られてはならないことが告げられた。

 人々は誰一人、異議を差しはさまなかったという。

 そして、復興が始まる。


 「思いのほか早く、拠点が手に入ったな」

 ボカムント子爵家の所領にある五つの街の一つ、ラティマ。所領においては南端の街だが、そのさらに南、他の州との境に打ち捨てられた砦がある。

 いま、ライムジーアはそこにいた。

 拠点というのは、この砦のことを意味するのではない。

 ボカムント家の所領のことだ。

 いざとなったとき、身を寄せることのできる場所があるというのは、根無し草のライムジーアたちにはとてもありがたい。

 ライムジーアたちは、ベルグシャンデ騎士団の元幹部たちを捕らえた直後に、街を出ていた。

 目立つわけにはいかなかったからだ。

 この件にライムジーアが関与したという事実を、知られるわけにはいかなかった。

 誰にも。

 「今ごろ、ボカムント家ではカベサコークとブラソアルムとで、ベルグシャンデ騎士団の再建に取り組んでいるのだろうな」

 セグロヒャーズィ駐屯地の人員を最低数の50にして、残りの二百六十を騎士団の中核として入団希望者を募り訓練をする。

 数年はかかる大事業だろう。

 なので、シャルディを軍事顧問として残してきた。

 頼りになる友人と別れるのには勇気と決意が必要だったが、これは仕方がなかった。

 軍事顧問として残すとしたら、彼かザフィーリの部下たちかだ。

 プラム・・・ブラソアルムに一目置かれているのは、やはり彼だろう。

 そして、なにより、リザードマンの彼は連れて歩くには目立ちすぎる。

 以上のような理由から、彼を選ぶほかなかった。


 『やれやれ、ようやく坊ちゃんを一人で歩けるとこまで育てたと思ったら。またオムツ穿いたガキどもからやり直しかぁ。めんどくせえ』


 なんてことを言いながら、僕の頼みをシャルディは受け入れてくれた。

 立派な騎士団を作ってほしい。

 いつかきっと必要になる、僕のために。

 夕焼けが、やけに目に染みて、僕は瞳を閉じた。


 さて、次はどっちに進もうか。


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