建国記念祭
エテルアエリア大陸の西半分を支配する帝国。
ラインベリオ帝国がなって十年目の祝祭が帝都の中心、皇帝宮で華々しく行われていた。
大陸中から来賓が訪れ、宮殿はさしずめ巨大な迎賓館だ。
「油を塗ってはいかがですか?」
式典用にあてがわされたメイドが聞いてくるのをライムジーアは片手で制した。
髪になんてこだわる人間の気が知れない、というのがライムジーアの持論だ。
あんなものはむさくるしくない程度に整っていればいい。
そもそも髪は飾りじゃないのだ。
女の子ならともかく、男がそんなものを気にしてどうする!
・・・と理由を付けているが、本音としては単にめんどくさいのだ。
髪に油なんて付けていると、迂闊に頭も掻けなくなる。
掻いた手で本を触ったら、ページにシミができるじゃないか!
そんなわけで、とりあえず丁寧に櫛を入れられただけで済ませると、早々に控室を飛び出した。控室にいたのでは否が応でも鏡に映る『お坊ちゃん』な自分を見てしまう。
そんなものを見たら朝食を戻すか、失神してしまうかもしれない。
さっさと逃げ出すに限る。
廊下を目的もなく歩き出す、貴族ばかりが目についた。
どれもこれも着飾ってふんぞり返った態度で嫌味と見栄の応酬に明け暮れていた。
よく飽きないものだ。
まあ、自分たちのことに夢中で気に掛けないでくれるのなら、その方が助かるので好きにすればいいとは思うが。
実際、彼等は誰一人としてライムジーアに意識を向けはしなかった。
中には露骨に目を背ける者もいる。
いいことだ、と思う。
下手に意識されては、自由を謳歌していられなくなる。
嫌われていても、それが物理的な障害にならないのなら、むしろ大歓迎だ。
宮殿中の廊下を歩き回って時間を潰し、ついに残す廊下は一本となった。
歩を進めるたびに、楽の音が大きくなる。
無駄に巨大な扉の前に、金や銀で縁取られた軍服を着た騎士が並んでいた。
近衛師団の兵ではなく、前戦に立つ各部隊選り抜きの騎士が集められているらしい。
下級兵士の士気向上を狙った報奨制度の一環だ。
貴族しか入れない宮殿での警備任務。
これに選ばれることは、騎士にとって生涯の栄誉となる。
老齢の執事が、扉に向かってくる者たちから招待状を受け取って確認していていた。
ここで、招待状は? と聞かれて持っていないからと答え、追い返されたら面白いな。などと思って近づくと・・・
ライムジーアの顔を見ただけで、執事はうやうやしく頭を垂れた。
扉の向こうに来場を告げる。
「ライムジーア・エン・カイラドル様、ご来場!」
その声で一瞬、扉の向こうの音が完全に消えた。
ライムジーアが扉を抜けて中に入るのとほぼ同時に、音が戻る。
一瞬の沈黙は、「誰だっけ?」の戸惑い。
その後すぐの復活は「ああ、帝位継承権18位の皇子か」というどうでもいい奴だ、との判断によるものだ。
会場内を見渡す。
まだ来場していない者も多いだろうが、それでも百数十の貴族が歓談していた。
皇帝宮の中でも華やかなことで知られる広間が使われている。高い天井から吊るされたシャンデリア、壁を飾るタペストリー、どれも高価なものだ。
足元にはふかふかの絨毯が敷かれている。
なぜ靴を履いているのかと、不思議に思うようなものだ。
会場の前の方には演説用の舞台と無駄に装飾された椅子・・・つまりは玉座が置かれている。後ろの方には酔い覚ましのために座るソファや椅子が置いてある。
会場をぐるりと囲む壁の上、二階部分には楽隊が並んで、優雅な音楽を奏で続けている。
あちらこちらで、貴族たちが輪を作っていた。
帝位継承順位の高い者のところにそれぞれの支持者が集まっている。それぞれの派閥が、自分たちの勢力の大きさを周囲に知らしめようと必死になっているのだ。
めんどくさいことに、長男が皇太子になるという取り決めや法律がないもので、皇帝が誰を後継者と定めるかわからないのだ。
順当に長男が、という説もあるし他の者にするかもという説もある。
なんにしても五位ぐらいまでの話。
会場内に大輪の花を作っているのは―――皇妃の長男で第一皇子、という意味の皇太子。
貴族の一大派閥を要する大貴族の娘、第二皇女。
剣姫と呼ばれた亡国の大将軍を母に持つ第三皇子。
海を隔てた南の大陸にすむ部族からの贈り物を母とする第四皇女。
生ける伝説、とある王国最後の女王が母の第五皇女。―――となる。
それらとは明らかに花がしぼむが、帝位継承権六位以下の者たちも花は咲かせていた。
だが、それも十位を境にカクッと減る。
なので、ありがたいことに18番目ともなると支持しようという者は皆無、僕の周りは見事な空白状態になっている。
美味そうな料理を見つけてテーブルに寄ると、近くにいた貴族が僕の支持者と思われるのを嫌う一心で逃げだすくらいだ。
まったく、めんどくさい。
とはいえ、一人でポツンと突っ立っているのも体裁が悪いので、僕はこういう場合にいつもいる場所へと移動した。
会場に入って右側の壁、真ん中あたりに固まっている人々のところへ。
「ん? おお、ライムジーアか」
「相も変わらず、冴えん顔だ」
「もうちっと育っているかと思っていたが、ちっこいままだな」
などなどなど・・・。
親しげな―――意訳、人を馬鹿にした―――態度でその人たちは迎えてくれた。
ちなみに、全員言葉が違っている。
普通に帝国の標準語も話せるくせに僕には自分たちの母国語、それもわざわざ出身地特有の訛りのまま話しかけてくる。
めんどくさいっ!
そう思いつつ、全員にかけられた言葉で挨拶を返した。
「こんにちは、みなさまがた」との定型文の後に、一人一人にかけてきた言葉への返答と返しをする。
本当にめんどくさい。
・・・まぁ、大昔―――と言っても五年くらい前の話だが―――みたいに壁に一人張り付いてなければならないよりはましと言えなくもない。
あのときは本当に退屈だった。
義務として会場にはいなくてはならないが、話す相手がいないし食べ物をある程度腹に入れてしまうとやることがないので比喩ではなく死にそうなほど退屈だった。
幸いにもというか不幸にもというべきか、死にはせず立ったまま寝ていたのだが、それを起こしたのがこの団体だ。
帝国の一般人は理解できない言葉で、好き勝手にしゃべる声が耳に入ってきて起こされた。かなりきわどい話をしていたので。
ああっ!
言ってしまおう!
皇帝の妻たちの夜の確執にまつわるあれやこれやだ。
非常に刺激的で、勉強になった。
なんの勉強になったか?
もちろん言葉のだ。
そういうことにしておいてほしい。
『アレ』のことを『そんな』風に表現するとは・・・! というようなことだ。
やがて一団の一人に、寝ているふりをした僕が聞き耳を立てていることに気が付かれて・・・こんな関係になってしまった。
ほぼ全員と母国語で話ができる、というのはかなりすごいことらしい。
ほぼ以外の一人にはかなりいじめられたものだが、それも最近はマシになってきた。
「ところでな、ライムジーアよ。わしらからお主にサプライズプレゼントを考えたのだ。受けてくれるな?」
ニヤニヤと笑いながら言ってくる。
怖い。
肉食獣に見つめられる草食動物の気分にさせられてしまった。
だが、この人たちからのプレゼントなんて、唯々諾々と受けたら身の破滅すら生ぬるいことになりかねない。
あくまで、なりかねない、だ。
この人たちが悪意を持って破滅させようとするということではないのだ。
善意から、心からの善意で、喜んでもらおうと考えてのプレゼントが、僕にとっては身の破滅かもしれないというだけのことなのだ。
それだからこそ、よけいにたちが悪いわけだが。
「プレゼント・・・ですか? いったい・・・」
なにを? は口にできなかった。
なぜなら・・・。
盛大なファンファーレが鳴り響いた。
老齢の執事が声を張る。
「アバリシア・ハーブギリ・モナルカ・カイラドル皇帝陛下、おなり―」
拍手が起きた。
どんな話も、会場に皇帝が来てしまっては胡散霧消が定め、ライムジーアは追及を諦めた。
皇帝は紫を基調とした衣装をまとっており、悠然とした足取りで玉座へ歩み寄り腰を下ろした。年齢はもうじき七十になろうかというところなのだが髪は白くなっているものの、未だ老齢の兆しが見えない。
「皆、よく集まった。そなたらこそが、我が帝国の礎。これまでもこれより先も、帝国の発展と繁栄はひとえに、そなたらの力にかかっておる。帝国に力を!」
玉座を蹴るような勢いで立ち上がった皇帝が、黄金の杯を掲げた。
「帝国に力を!」
貴族や軍の高官がグラスを片手に唱和する。
乾杯がなされた。
それから、貴族たちが皇帝の前に列をなし、帝国の建国記念日を祝う言葉を捧げていく。
誰かが整理しているわけでもなく、列はまったく乱れない。
貴族たちは全員、いまの自分が貴族社会のどこにいるかを明確に知っており、その順番を確実に順守しているのだ。
おそらく、一つでも順番を間違えれば、社会的地位はともかく、貴族間の序列はダダ下がりするのだろう。
並ぶ貴族たちの顔ぶれを戦場に立つ兵士の顔で見定めては、列の中に入っていく。
面白いのは、貴族の爵位が必ずしもここでは役に立っていないという点だろう。
普通であれば、公爵、侯爵、伯爵、男爵、子爵、準子爵、騎士爵の順で並びそうなものだが、ときおり 公爵より先に侯爵が、子爵より前に騎士爵が皇帝に挨拶をしていた。
爵位だけでなく、社会的な地位も加味されているようだ。
たとえば、公爵より先に立った侯爵は経済に関わる見識の高さを買われて財務大臣の要職についているし、子爵より上の騎士爵はどこかの戦場で手柄を上げたとかで西方戦線では代将――皇帝の代理をも務める将軍の意――の称号を与えられている。
それら貴族の挨拶が一通り終わったあと、さっきまでライムジーアと話していた一団が壇上に上がっていった。
「陛下、建国記念日が無事に迎えられましたこと、誠に重畳のこととお喜び申します」
流暢な標準語だ。
しゃべれるじゃないか!
ツッコみたいのは山々だが、さすがに皇帝の眼前でというのは無理だ。
「・・・うむ。その方らの協力あってのことだ」
満足げにうなずく。
誇張ではない。
現実として彼らの協力があるからこそ、何かと問題を抱えながらも帝国は安定していられるのだ。
彼らがこうして参列するぐらいの友好の精神を見せていなければ、建国記念祭など開けてはいないはずだ。
「本日は、陛下にお願いしたい儀があり、この場をお借りしたい」
「ほう。申してみよ」
興味深げに、皇帝が先を促す。
会場内の貴族たちの間から、音が完全に消えた。
息すらもひそめて、成り行きを見守っている。
彼らが皇帝・・・帝国に対して何かを要求したという事例はない。
接触から、半世紀が過ぎようとしているのに、だ。
一人ひとりでも、集団でも。
それがここにきて突如として、要求を突き付けようというのだ。
何を望む気なのか、気になるのは当然だろう。
「われらと帝国の間には、これまで常設の窓口というものがなかった」
確かに、ときおり使者のやり取りはするが、他国との間には設けている外交窓口というものが彼らとの間には存在していない。
「わしらが必要ないと言ってきたからではあるが、そろそろ特定の窓口を作るのもよかろうとの意見で一致した」
「なんと、それはまた突然のことよな。むろん是非に及ばぬ。喜んで設置させようぞ」
戸惑いつつも彼らの影響力を考えたとき、常設の窓口が設置してあるかどうかは周辺諸国との外交関係の構築を有利に進めやすくなる。
帝国をさらに強大にすることを望む皇帝には、渡りに船の話だった。
「いえいえ、あえて設置するには及びませぬ」
「・・・ほお?」
「陛下にはただ、許すとおっしゃっていただければ十分でございます」
皇帝の顔が怪訝なものに変わった。
「よくわからぬな。いったい、何を許させようというのだ?」
「我々は、陛下と自らを繋ぐものとして推挙したき者がございます」
「・・・推挙だと」
また会場がざわついた。
自分たちの身内しか信じないといわれる彼らが、一致して推挙する人物、そんなものがいようとは思いもよらないことだった。
「はい。我々は、自らと帝国を繋ぐ者として、ライムジーア・エン・カイラドルを推挙したく存じます。彼の皇子は我らの言葉を解し、我らの文化にも造詣が深い。我らが信を置くにふさわしいと認めるところであります」
「・・・・・・ライムジーアをな」
皇帝・・・いや、父帝の限りなく銀色に近いアイスブルーの瞳がライムジーアを見た。
・・・僕かよ!?
つうか、サプライズプレゼントってこれかよ!
思わず仰け反りそうになるが、かろうじて抑えた。
命をくれた父親とはいえ、皇帝の前でそんなふざけたことをするわけにはいかない。
「ライムジーアよ、そなたはどう思うか?」
重々しく問い掛けてくる。
正直、父帝から声をかけられたのは数か月ぶりだ。
皇帝にとっては何人もいる子供の一人にすぎないのだから仕方がない。
足が震えた。
何にしても、こんな離れた場所で答えるわけにはいかない。
なるべく早く、ただし足元を確かめるような足取りで階段をのぼり、壇上に上がった。
「まずは、建国の記念すべき日が盛大に祝われておりますことを、お慶び申し上げます」
貴族と軍人の挨拶が済んだら、義務としてするはずだった挨拶をした。
こんなに目立つことになるとは思っていなかったから心臓が破裂しそうだ。
「うむ」
皇帝が首肯し、目で問い掛けてくる。
「わ、わたくしといたしましては、そのような大任が務まりますか不安ではありますが、陛下の血をわずかなりと継ぎしこの身が、帝国の役に立つのでありますれば、いかようにでも削って働く所存にございます」
拒否はあり得ない。
下手なことを言う度胸もない。
当たり障りのない言葉で、引き受ける以外の選択肢はなかった。
横の方から「してやったり」という顔を彼らが向けてくる。
思わず殴り掛かりたくなるが、実行などしない。
実行したところで彼らを喜ばせ、皇帝に品位を傷つけたと罰を与えられるだけだ。
「よかろう。では、ライムジーアよ。そなたには『盟友の友』の称号を授けよう。余が目、余が耳となって働くがよいぞ」
皇帝直々に称号が与えられた。
周囲の貴族たちが、どよめいている。
身に余る名誉と言っていいだろう。
そう。
名誉、だ。
実質的にはなにももらってはいない。
権限があるでなく、部下の一人たりともいない。
形・・・いや、名前だけのものだ。
まぁ、それでよかったと思うべきだろう。
皇后が・・・恐ろしく冷え切った目を向けてきている。
正式に権限のある役職などもらおうものなら、今夜にでも夕食に毒を盛られかねない。
名誉職なら、まだかろうじて許容してもらえるかもしれない。
『まだ』、殺意を向けてこられたくない。
「ありがたき、幸せと存じます」
他になにが言える?
ライムジーアは丁寧に頭を下げた。
「あははは! そいつぁいい!」
厳かな空気を振り払って、笑い声を上げたのは第三皇子ロベルクホン・レッヘン・カイラドルだつた。
声は壇の正面。
人垣の向こうから聞こえていたが、貴族たちがさっと引いたことで姿が見えた。
すっきりとしたというか武骨な衣装を身に纏った鉄灰色の髪とトパーズ色の瞳。パーティー服というよ り戦場で着るような衣装なところが、兄上らしい。
「陛下! 俺にライムジーアを貸してくれ。うちの軍にも盟友からの兵が協力してくれてるんだが、指揮する者がいなくて困ってたんだ。うまく使いこなせなくてな。『盟友の友』ならきっとうまく統率してやってくれるだろうさ」
彼は帝国第四軍団の司令官をしている。
二年前の初陣以降、負け知らずで戦功を積んでいる最前線の剛将だ。
つい四日前。この式典のために最前線から戻ってきた。
・・・って、僕を最前線に連れてく気か?!
顔が引き攣る。
顔から血の気が引いていくのが自覚できた。
横顔に突き刺さっていた皇妃の視線が緩むのが感じられる。
まずい!
このままだと第三皇子の思い付きを皇妃が実現させてしまう。
つまり、最前線に送り込まれてしまう!
「ほっほう。ロベルクホン兄様では盟友の兵士を使いこなせないと? そういうわけなのですか? そ れは一軍の将としてどうなのでしょうね?」
透き通った声が、人垣を切り裂いた。
今度は左側だ。
露出度の高い踊り子でも紛れ込んだのかと思わせる赤いドレスで、小麦色の肌を惜しげもなくさらしているのは第四皇女のエルトゥシオン・アオスフ・カイラドル。
帝国南岸で南の大陸に作り始めた植民地群の総督に任じられてまだ半年。それだというのに、経済基盤を構築して多額の税収を得ていると聞いた。
まだ帝国への送金時期ではないので定かではないが、莫大な財貨を国庫に献納してくるだろうと言われている。
「まったくだ。そもそも、外交の話をしているところだぞ。ライムジーアは盟友との間での外交官をと望まれているのだ。将軍として軍を率いろと言うのは筋が違うぞ」
今度は右側。
エルトゥシオンとは対照的に、肌の露出を極限まで避けた真っ白なドレス姿の女性が人垣の間から歩み出てくる。
第二皇女モートシャイン・クラロデ・カイラドル。
帝国の北西部に領地を持つ大貴族の取りまとめ役的存在。
支配域にいる貴族たちの抱える部下たちが、有能なことで知られている。
人材の豊富さと、その人材を使いこなす政治力の高さが彼女の特徴だ。
「よさないか。陛下の御前で、見苦しい」
壇の左横合いから出てきたのは、黒いスーツ姿の男だ。
見栄えは完璧、それだけに中身の方は印象に残らない。
そんな感じの男だ。
第一皇子フラシュコ・リヒトル・カイラドル。
帝位継承権第一位の登場に、貴族がざわめく。
「あらあら。兄妹みんな仲が良いということですわよ? このぐらいの言い合いもしないなんて、逆に不自然ですわ。ねぇ、お父様?」
フラシュコの背中から、ひょいと顔を出した女性がころころと笑う。
桃色のフリルのついた可愛らしいメイドドレスに身を包んだ、第五皇女ケィシア・セルヴァント・カイラドル。
皇女でありながらメイドドレスとは?
不思議に思われそうだが、列席者の誰一人としてツッコむ者はいない。
彼女の母、伝説的女傑のことを知らない帝国人など皆無だからだ。
あの人の娘なら、さもありなん。
下手にツッコんだら・・・。
考えるだけで体が震えてくる。
もっとも、それをいうならケィシアが兄妹と言ったとたん、皇妃の視線に殺意が宿ったことの方が体を震わせるが。
『兄妹』のなかにライムジーアも含まれているのを感じ取ったのだ。
ケィシアの発言は火に油を注いでしまったらしい。
・・・余計なことを。
だが、チャンスだ。
ライムジーアは思い切って、その要求を口にした。
ずっと欲しかったものを手に入れる千載一遇の機会だった。
「陛下、わたくしに外交の任をお与えくださるのでありますれば、なにとぞ城外へ出るお許しをいただきたく、お願いいたします」
そう、これ。
この一年余り、ライムジーアは城に軟禁状態となっていた。
別に部屋に閉じ込められていたとか、監視が付いていたとかではなく。
城に出ることを許されていなかったのだ。
城門まで行くと門兵に、言葉面は丁寧ながらぞんざいな態度で押し戻される。
別に何かをしたわけではない。
強いて言えば、城の外で羽を伸ばして自由を満喫していただけだ。皇妃には、そんな小さな幸せもライムジーアには許されてはならない贅沢と思われたのだ。
だが、ライムジーアは外に出たかった。
出なくてはならなかった。
外交官だというなら、外に出してもらえる!
はやる気持ちを抑え、外交官なら当然のことと、何ら特別な理由はありませんよとの表情で皇帝の顔を見る。
皇妃の顔は見たくない。
身体はかくしゃくとしているが、寄る年波から逃れることは皇帝にもできない。
時の年輪が深く刻まれた皇帝の顔を見つめる。
盟友の彼らが言ったとおりだ。
皇帝はただ一言、「許す」そう言ってくれればいい。
あるいは、彼等がくれようとしていたのは、これだったのかもしれない。
そうだとしたら、思惑通り外出許可をもらえたなら、彼等には可能な限りの感謝を送ろう。・・・口頭で「ありがとう」と言うぐらいが精いっぱいだが。
「城内に事務所を作ることを許す。予算も回そう。・・・それでよいな」
よいな――それで決定だ。文句を言うな。――ということだ。
ライムジーアは慌てて頭を下げた。
強張った顔を見られたくない。
特に皇妃には。
だが、残念なことに壇を降りようとしたところで目が合ってしまった。
たぶん、向こうが強引に合わせてきたのだ。
満足げな顔で、これ見よがしにせせら笑っていた。
必死にポーカーフェイスを作り上げて、会場の隅に引っ込んだ。
貴族たちがたむろっていないエア・ポケットだ。
「すまんな。思いのほか強敵だの」
壁に映る影の中から、声が聞こえた。
盟友たち、の一人だ。
「・・・そんなにうまくいくなら苦労してませんよ。称号をもらえましたし、予算が取れたので無駄ではなかったってことで痛み分けでしょう」
「なるほどの。役には立ったわけじゃな」
「喜んでると思われると皇妃がまた何かしてくるでしょうから、全身で敗北色を滲ませてますけど、そういうことです。皆さんによろしくお伝えください」
「うむ。ではな、達者で暮らせ」
影の中の声は消えた。
会場の奥で、皇帝が退場していくのが見えた。
何人かの高官と皇族だけを連れて別室に移るようだ。
貴族たちが、ゆるゆると帰り支度を始めている。
彼等も城を後にして仲間内で集まるのだろう。
ライムジーアもまた、会場を後にした。