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蚤の市

 蚤の市


 ラバルート州を出た僕たちは、今度こそタブロタル目指して西へ進むつもりだった。

 ザフィーリの部下が面白そうな情報を掴んで報せに来るまでは。

 「東のボゴールの町で蚤の市が開かれていますよ」

 知らせてくれたのはザフィーリの部下の中にあって副長を務める二人のうちの一人、シャハラルという女騎士だ。

 ライムジーアとも長い付き合いで、互いに相手をよく知っている。

 蚤の市が開かれていることを知らせてきたのも、そのおかげだ。

 ただの護衛兵であれば敵がいるとの警告以外で、わざわざ駆け付けては来ないだろうが、彼女はライムジーアが興味を持つだろうと知っていて報せに来たのだから。

 目的地とは逆方向だと知っているのに。


 「寄っていきますか?」

 寄っていくんでしょ?


 そう言っているとしか聞こえない口調でザフィーリが聞いてくる。

 「寄ることにしよう。僕の所在地は皇妃側の人間にバレているっぽいんんだし、たぶん監視網が敷かれているはずだ。人ごみに紛れた方が安全かもしれない」

 もちろん言い訳だが、間違ってもいない。

 ペレグリナに警告を受けていた。

 何者かに、ライムジーア一行の捕捉を依頼されたと告げられている。

 つまり、ライムジーアたち一行の動向をかなりの確度で把握している者がいる、そう考えるべきだった。

 そうでなければ、先回りして現地の勢力に声をかけることなどできるわけがない。

 「あー。・・・ええ、そうかもしれませんね」

 ザフィーリは、優しく言い訳の部分を聞き流して手綱を引いた。

 行き先が変わったのだ。

 蚤の市はボゴールの町から少し南に下った街道と燐州に続く山道が交差するあたりに広がっていた。周囲1キロはありそうな広さにわたって青、黄色、赤のテントや太い縞模様の大天幕が並んでいる。

 灰褐色の平野の中に忽然と現れた賑やかな色合いの町とでも表現したいような光景だ。

 今にも降り出しそうな空の下で間断なく吹き付ける風が、鮮やかな色の旗を勢いよくはためかせている。

 「ここでしばらく商売でもするか」

 長い丘を下って市に向かう途中で、馬車の窓から眺めながらライムジーアが呟くように言った。

 「逃走中の人間が、こんなところで商売を始めるとは思わないだろう」

 目線を遠くから近くへと移す。

 泥にまみれた六人の乞食が道端でわびしそうにしゃがみ込んで、両手を伸ばしていた。

 昔は外套だったらしいぼろを頭からかぶっているので、年齢も性別もわからない。


 他に何もできないから乞食なのだろうか?

 楽をしたくて乞食でいることを選んだのだろうか?

 農村の乞食なら前者だろうが、こういうところにいるのは後者の可能性もある。

 前者なら拾って行くのも手だが・・・そう考えていると。


 「・・・あの人たち、密偵です。少なくとも、乞食じゃありません」


 肩越しに、ライムジーアの見ているものを一瞥したシアが、静かに囁いた。

 「なぜそう思うの?」

 さっと顔を引っ込めて、聞いてみる。

 「手が綺麗すぎますし、フードから出てる髪も先が裂けていません。纏っているぼろも、揉んだり踏んだりしてくしゃくしゃにしただけの新品です」

 ・・・なるほど。

 プロのメイドの目には、本当に古くなったぼろなのか急造のぼろなのかの違いがはっきり見極められるもののようだ。


 「・・・よし。シア、服を交換しよう」

 「はい?」

 「君は今から、僕の身代わりを演じているメイド。僕は、数合わせでどこかから拾われてきた子供になる。僕たちを囮だと思わせるんだ」

 密偵というのが何を見張るためのものかはわからないが、もし自分たちを探しているのなら、これで混乱させられるはずだ。

 「あ、そういうことですか」

 一つうなずくと、シアは急いで服を脱ぎ始めた。

 ライムジーアも服を脱ぎ、互いの服を交換した。

 二人の背格好はほぼ同じなので、これは問題ない。

 そのあとで、シアはライムジーアにメイクを施して女性に仕立て上げた。


 「さて、あとは・・・」

 ライムジーアは馬車の中の荷物をかき回し始めた。

 皇子用の服やシアの化粧道具の隙間に素早く腕を突っ込むたびに、馬車の床に高価な小物が山のように積み重なっていった。

 「シウダットで穀物を売ったあとで買っておいてよかった」

 鼻歌混じりに、座席の隙間から布袋と大量の布を取り出して、商品を包んでは袋に入れていく。

 手慣れた様子がうかがえた。

 馬車を市の入り口に止め、ライムジーア皇子様になったシアと馬車をランドリークとシャルディが護衛する。

 皇子様は外に出ず、馬車で待つ態勢だ。

 メイド服姿のライムジーアがザフィーリと馬車を離れ、物陰でライヒトゥーム・レグリゾに早変わりして市へと繰り出す。

 これで、万が一見張られているとしても、どれが皇子なのか、そもそも皇子はここにいるのかいないのか。混乱をきたすはずだとライムジーアは確信していた。

 ・・・僕の顔を完全に記憶している人間はそう多くない。似ている誰かなのか本人なのか、はっきり断定できる人間はこんなところまで来るはずがない。

 結局断定はできず、思い切った行動に出にくい状況を作り出せる。

 もし、実際に見張られているのだとすれば、この混乱の間に何かしらの手を打てばいい。


 「さて、始めようかな」


 ライムジーアは黒いベルベットの帽子を粋な角度に被った。

 それから宝物のぎっしり詰まった袋を持つとザフィーリを従え、ボゴールの蚤の市の只中に入っていった。

 テント一つ一つを端から回り始める。


 宝石のついた短剣を仕入れ値の倍で売り、綺麗な絹の染め物を値切って買う。

 銀のゴブレットを二割増しの金額で立て続けに二個売って、値段の付け方を間違えたに違いないカット前の宝石を八個買った。

 そんな感じで売り手になり、買い手に回り、場合によっては交換し、交換ついでに情報を仕入れるといった具合で市を回る。

 そして午後も半ばになるころには、シウダットで買った品物を全部売りつくしてしまっていた。

 財布には今やぎっしりと中身が詰まってジャラジャラと音を立てていて、肩に負っている袋は相変わらず重いまま中身はすっかり入れ替わっていた。

 帝都の目抜き通り、前世世界でいえば銀座の一等地で三年間も商売をしていたのは伊達じゃない。

 こんな田舎の市に出張ってくるような商売人なんて、どうということはない。

 ・・・と言いたいところなのだが。


 ライムジーアは浮かない顔をしていた。

 素晴らしく美しい、小さな茶色のガラス瓶を手のひらで転がしている。

 象牙の表紙を付けた高名な詩人の詩集二冊と引き換えに手に入れたものなのだが・・・。

 「勝ったんだか負けたんだか」

 ライムジーアは不機嫌そうにそう言った。

 「なぜですか? ずいぶんと儲かったように見えますが?」

 「これにどれだけの価値があるかわからないんだよ。商人としては致命的だ」

 「そうなのですか、では、なぜ交換したのですか?」

 「価値がわからないという致命的な弱みを見せたくなかったんだよ」

 「誰かに売ってしまえばよいのではありませんか?」

 「価値がわからないのにどうやって売る? 高い値を付けたら誰も乗ってこないだろうし、安くし過ぎれば笑い者になる」

 馬車に戻っても、ライムジーアはまだ不機嫌なままでいた。

 だが、すぐ隣にシアが座っているという事実に気が付くと、にっこり微笑んだ。

 「親愛なる方、大したものではございませんが、あなたへの敬意の印としてこれをお受け取りください」

 大袈裟なお辞儀をして、両手で件の小瓶を差し出した。

 シアは嬉しさと疑惑の入り混じった奇妙な顔をしていた。

 彼女は小さな瓶を受け取り、ぴったりしまった栓を用心深く抜いた。

 それから、優雅な動作で手首の内側を栓にあてがうと、その手首を顔のところに持っていき香りをかいだ。

 「まぁ、皇子様」

 彼女は嬉しそうな声を上げた。

 「皇子にふさわしい贈り物です」

 ライムジーアは笑顔をわずかに曇らせると、彼女が本気なのか、あるいはふざけているのか見極めようとした。

 やがて溜息をもらすと、諦めたように座席に腰を落ち着けて服の胸元をくつろげた。

 少し、休憩を入れたかったのだ。

 シアは香水の香りがほのかに漂う馬車の窓から、そっと外の様子に目を向けた。だが、外を見た途端。喉を詰まらせて身を引いた。

 「どうしたの?」

 ライムジーアが訊いた。

 「市の入り口にいた者たちがいます」

 「どれどれ」

 そっと窓に近づいて、ライムジーアもシアと一緒に外に目を向けた。

 確かに人が六人いる。

 だが、様子がまるで違っていた。

 まず、ぼろをまとっていない。

 どころか、安物ではあっても新品のチュニックとズボンを着けている。

 「えっと・・・あれがあのときの乞食だって?」

 とてもそうは見えない、とライムジーアはシアに顔を向けた。

 シアは真顔でうなずいた。

 「服は替えられますが、手と耳の形は変えられません」

 「な、なるほど」

 何がどう違うのか、わからないが。シアには今見えている六人と、市の入り口にいた六人の乞食は同一人物だとの確信があることは分かった。

 ということは、やはり見張られているということか。


 「ザフィーリ、もう一度出かけるよ」


 帽子をかぶり直して、馬車を降りたライムジーアはザフィーリを伴って再び市に出向いた。

 いくつかのテントを回り、ある交渉を行う。

 そして・・・。

 「うん。いいじゃないか」

 市の端っこにある目立たないテントを覗いて、ライムジーアは満足げな顔をした。

 とある商人と交渉をして、彼が商品置き場として持っていたテントを買い取ったのだ。

 中に放り込まれている売れ残りのガラクタも込みで。

 「ランドリークたちのところに行って、ここに移動させてくれ。馬車もね」

 「ここを拠点にするおつもりなのですか?」

 「うん。しばらくの間ね」

 そう言って、ザフィーリをテントから追い出したライムジーアは、目についたガラクタをテントの端に転がされていた荷車にポンポンと積み込んだ。

 ザフィーリが戻ってきたときには、テント内のガラクタは全て荷車に詰まれ、テニスコート半面分は面積のある大きなテントの中はすっかり空っぽになっていた。

 「よし。ランドリーク、荷車を頼む。ザフィーリは護衛ね。シャルディとシアはテントから顔も出さずに閉じこもっていてくれ」

 「寝てろってことなら、そうさせてもらいやすぜ」

 「わ、私、掃除しておきます!」

 リザードンはテントの入り口付近にゴロリと横になり、メイドはどこから出したのかだが、箒を片手に掃除を始めた。

 ライムジーアは先刻の戦利品の入った袋を担ぎ金貨のぎっしり入った財布を懐にしまい込むと、ザフィーリとランドリークを従えて、まるで戦場に乗り込むような勇み足でボゴールの蚤の市に突撃を敢行した。



 今回の商売はさすがに手強かった。

 なにしろ商品がガラクタなのだ。

 売れるわけがない。

 それを、ライムジーアは先刻の戦利品との合わせ売りで、どんどんと売捌き始めた。

 少しでも賢い商人が、彼を見るなり身を隠すようになるのに時間はかからなかった。

 市に店を構える商人、その誰もが彼の前では兜を脱いだ。

 気が付くと、彼等は荷車すら売り飛ばしてしまっていて、金貨でずっしり重い袋を三人で担いでいた。

 一つの袋に入れたら破れてしまいそうなほどの金貨を手に入れていたのだ。



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