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勇者様のお亡くなり

作者: 理想久

短編でございます。理想久です。

 

 勇者が死にました。

 すみません、不敬でしたね。

 勇者様がお亡くなりになりました。

 御歳28歳、余りにも早い死でした。


 国中が大騒ぎのてんてこ舞いです。

 普段は暇すぎて閑古鳥が鳴く私の部署ですら手伝いに駆り出される位に忙しく。

 通常業務の範囲外ですので頼られても困るのですが。


 ああすみません、色々と省いてしまいましたね。

 私はエトラと申します。

 僭越ながら王宮庶務官として勤務しております。


 大層な名称ですが、実の所仕事は殆どありません。

 王宮には多種多様な専門職の方々がおりますゆえ。

 日常業務といえばそういった方々の範囲外の事を細々とやっております。


 さて私の事などこれ位に留めておきましょう。


 ええ、はい。勇者様がお亡くなりになりました。


 勇者様は10年前魔王を倒し世界を救ったお方です。

 魔王はとても恐ろしく、今では考えられない程に国も疲弊しておりました。

 正真正銘、勇者様は世界を救ったお方なのです。

 そうして陛下から褒美としてお姫様を与えられたのです。第一王女のリラ様……現在24歳でございます。


 勇者様は勇敢でお優しい方。魔王を倒し10年が経過した今でさえ国民から熱烈な支持を受けていらっしゃいました。

 対しリラ様もとてもお美しい方。氷の如く、とでも表現しましょうか。とにかく透き通った美しさと静かさを纏った方なのです。


 そんな二人は王宮の外れに邸宅を用意され、そこで10年間の結婚生活を送っておられました。

 結婚生活と言っても侍従もおりますし、王宮の催事には参加されます。厄介払いとかではありません。国民の前にも定期的に顔をお出しされていました。


 ですが……そうですね、これは不敬なので心の中に留めておくのですが、あの方々が幸福かどうかは測りかねます。


 10年前といえば勇者様は18歳、リラ様は14歳です。

 今の私が19歳ですから、それよりもお若いのです。

 リラ様に至ってはまだまだ子供の時分です。


 勇者様もリラ様も、陛下に用意された結婚生活を10年間も送っていらしたのです。

 特にリラ様はどう思っていたのでしょうか。


 なんと驚く事に、勇者夫妻が食事会に顔を出された時、リラ様は一度たりとも勇者様の顔を見なかったという伝説もあります。他にも噂は絶えません。


 繰り返しにはなりますが、不幸だったと決めつけている訳ではありません。幸福であったか、それは他人には計り知れない部分でしょうから。


「失礼します。お手伝いに参りました、王宮庶務官のエトラ・リッサです」

「ああ、ありがとう!助かるわ。本当に急な事で皆手が空いてなくてね……まさかこんな事になるなんて……誰も思ってなかったでしょうね……」


 さて、今の私は上司に命ぜられるままに王宮各所のお手伝いの最中。

 私くらいしか手が空いてないからですね。

 あれ?先程も言いましたっけ?すいません、色々と考えてしまうたちでして。


 国をあげてのお葬式に権利関係の精算。勇者様が担っていた責務の引き継ぎに加え、他にも儀式関係があるのだとか。お忙しいようです。

 流石に私はそこまでは手伝えませんが。


「それで、私はどのように?」

「あぁごめんね。リラ様に喪服の用意が出来た事を伝えてきて欲しいの。私は今から人を呼んできたり、部屋を準備したりしないといけないから」

「わかりました。お呼びするのはこの部屋でよろしいですか?」

「ええ、この部屋で大丈夫。じゃあお願いね。これ館内の地図ね」


 という訳で私は今勇者夫妻が生活していた離れに来ています。

 侍従の方々は遺品の整理やらお葬式の準備でお忙しい様です。誰にでも、というのは失礼でしょうが、こうした合間の作業を任せたいという事ですね。理解しております。


 リラ様の部屋は離れの奥にありました。

 離れといっても普通の豪邸位はありますね。

 侍従の方々も居ますから、狭い筈もないです。


 窓の外からは豊かな自然が見えていました。

 花々が咲き誇り、青々とした木々が茂っております。

 まるで森の中を切り取った様な、そんな庭園です。


 そうして窓の外に目をやりながら、王宮に比べればかなり質素な廊下を歩み邸宅の奥へと進みます。


「……ここ、でしょうか?」


 教えられた場所にはしっかり扉がありました。

 新しく建てられたといっても10年前の事ですので、新築同然に綺麗な扉ではありません。

 ですが10年の歳月を感じさせる程には色がついた木の扉でした。


 そんな扉を見ていると、ふと気になりました。

 また悪い癖です。


 私はまだ恋も愛も知らぬ身ですが、普通夫婦というものは同室で過ごすものではないでしょうか。

 陛下もそうです。父もそうでした。母もそうでした。


 ですが教えられた部屋はリラ様の部屋だと伺いました。

 そうなると違和感も生まれるというものです。

 与えられた図には勇者様とリラ様のそれぞれの部屋がありますが、寝室が存在しないのです。

 つまり夫婦共同の部屋が、この館には存在していないのです。


 ……やはり、仲は良くなかったのでしょうか。


 嫌でも考えずにはいられません。

 太陽の様な勇者様、氷雪の様なリラ様。

 どちらが悪いという事ではないのでしょう。ただ与えられるだけで生まれた、生まれてしまった関係だったというだけなのでしょう。


 重くなる思考を中断して、私は扉をノックします。


 ……返事がありませんね?

 もしかしてお休みでしょうか。しかし、もしも、万が一という事もあります。


 リラ様に当てはまるかは微妙ですが、恋人の死を嘆いた自殺というのはよくある話です。


 嫌な予感を振り払うように、私は扉を開いて……


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」


 とんでもないものを、目にしてしまったのです。


 失礼。は?と言わざるを得ません。

 もう一度言わせて下さい。

 とんでもないものを、目にしてしまったのです。


 扉を開けた先に居たのは、間違いなくリラ様でした。

 見紛う筈もありません。それだけ特徴的な美をお持ちのお方です。


 そんなリラ様が、枕に顔をうずめてうずくまり、まるで生まれたての赤ん坊の様に……いえ、それよりももっと激しく叫び泣いていらっしゃったのです。

 扉を開けるまで声が聞こえてこなかったのが不思議な程に、リラ様は泣いていたのです。


 そんな姿を見て、私はうっかり扉につま先をぶつけてしまいました。

 ゴトッ、という音が鳴ります。


「誰っ!?」


 リラ様が振り返りました。

 涙で腫れた目と薄く赤色に染まった顔。

 誤魔化せる筈もありません、彼女は泣いていたのです。


「……あ!も、申し訳ございません。あの、喪服の準備が出来たと侍従の方から言伝を頼まれました。私、王宮庶務官のエトラ・リッサと申します」

「……あぁ、そう。喪服が………ごめんさい、すぐに行くわ」

「いえ、お気になさらず………」


 き、気まずいです。

 そもそも王族の方と一対一で話す機会なんてそうあるものではありません。

 私としても初めての機会、緊張もします。

 もちろんこの気まずさはそれ以外の理由が大きいのですが。


 数秒間程だったと思います。

 先に口を開いたのは、なんとリラ様でした。


「………見た?」

「見ておりません。私は何も聞いておりません」


 咄嗟に私は嘘を言いました。

 正直に答えれば何をされるか分かりませんから。


 ですが彼女の次の言葉はある意味私の想像の範囲外のものでした。


「良いわ、気にしていないから。見られてしまったものは仕方ないし、油断した私が一番悪いもの。貴女は仕事をしただけでしょうからね。それに………誰かに聞いて欲しい気分だったから」


 そうして、リラ様は私に椅子に座る事を促し、私も素直に座りました。

 私が座るのを待った後、リラ様は静かに話始めたのです。


「あの人が、死んだの」

「存じております」

「もう、10年………10年も一緒に居たのに、もうそこには居ないの」


 まるで言葉をその場に置く様に、リラ様は話しました。

 幼い子供に絵本を読み聞かせる様に、母親が御伽噺を聞かせる様に。


「でも、たった10年なの。たった10年しかあの人の事を知らない」


 その姿は私が知っているリラ様では無いようでした。


 氷雪とは程遠い、一人の女性がそこには居たのです。


「……勇者様の事、お好きだったのですか?」

「好きよ」


 即答でした。一切の迷いも、恥ずかしさも無い、純粋無垢な答えでした。


「何で?」

「………失礼ながら、時折お見かけする勇者様と一緒にいらっしゃる時のリラ様は決して笑っていらっしゃらなかったものですから」

「そんなの当然じゃない」

「当然、なのですか?」

「だって横顔を見たらドキドキして気を失ってしまうかもしれないでしょ?」


 …………は?


「えっと、横顔でしょうか」

「そう、横顔。だって正面から見るあの人の顔は皆のものかもしれないけど、横から見るあの人の顔は私だけのものでしょう?そう思うと、凄くドキドキして………ね?」

「は、はぁ」

「だから礼服を着ているあの人の隣に立つ時は顔を見ないようにしていたの。普段でも危ないのに礼服のあの人を見たら、本当に危ないから」


 まさかリラ様の口からこんな言葉を聞く事になるとは思いもしませんでした。

 リラ様は現在24歳。まだお若いですが、それでも大の大人です。

 私ですらそこまでは思いません。


「………でも、それももう終わりね。これから見るあの人の顔は、正面だけだもの」


 それは、どのような気持ちだったのでしょうか。


 10年という月日はとても大きいと、私は思います。

 10年経っても色褪せぬ愛というのは、どのような物なのでしょうか。


「あの人と初めて会った時に、あの人が言ったの。『君の横顔が好きだ』って。理由を尋ねたら、恥ずかしそうに誤魔化した。とっても下手にね。でも、なんだかその様子が可愛くって………いつの間にか好きになっていた」

「では、あの婚約は望まれて?」

「心の中ではね。でも父に負い目を作らせる為に何も言わなかったわ。だって望んで勇者の妻になった娘と、褒美として勇者に差し出された娘じゃ対応も変わると思ったから」


 さ、策士ですね。

 リラ様はとても聡明な方だと伺っておりましたが、10年前からそこまで頭が回るとは。

 全然今の私より賢いですね。


「ではこの館もその負い目につけ込んで?」

「ふふ、貴女不敬ね。一応この国の王なのよ?」

「あっ、も、申し訳ございません」

「良いのよ。どうせ私以外誰も居ないし……今の貴女は私の話相手なのだから」


 話相手とは恐れ多い。

 不敬な事を迂闊に言わないように気を付けないと。


「でも半分正解ね」

「もう半分は?」

「もう半分は、あの人を政治から遠ざけたかったからかしら。離れで一緒に過ごせれば………少なくともそういった争いや政から距離を置けると思ったの」


 その企みは成功していたでしょう。

 勇者様は魔王討伐後、ある程度の責務はありましたがそれ以外の時間は殆どこの館にいらっしゃったのだとか。政治的な思惑等とは無縁の立場を貫く事が出来たでしょう。


「好きだったんですね」

「ええ、愛してる」


 過去形じゃなくて、現在形でした。


「朝目覚めた時に『おはよう』って言ってくれる所が好きだったの。猫舌の癖に私が淹れた紅茶を無理して飲んでいる所が可愛かった。腕が鈍らないようにって、毎日鍛えてた彼の腕が好きだった。実は可愛いものが好きで、趣味で作ったものを渡してくれたりね。記念日になったらバレバレのサプライズを仕掛けてくれるの。気が付かないふりをすると、凄く喜んでくれて………」


 そこまででした。

 リラ様の目から大粒の涙が溢れ出して、机の上に滴りました。

 自分でも何が起きているのか分かっていらっしゃらないのか、指で頬をそっと撫で、そうして微笑まれたのです。


「駄目ね………やっぱり、耐えられないみたいなの」


 私は携帯していたハンカチをリラ様に手渡しました。

 王族が使う様な高品質なものでは決してありませんが、それでも涙をそのままにして放っておくよりは幾分かマシだと信じて。


「………ちょっとついてきてくれる?」


 ◇


 私が連れられたのは、先程窓から見ていた庭園でした。

 リラ様はその庭園を更に奥へと進んでいきます。


「あの人が世話をしていたのよ」

「庭師の方は?」

「自分で世話をしたいからって。全部じゃないけれど、この先はそう」


 見ると確かに花の種類が変わっています。先程は色とりどりの花が咲いていましたが、今は水色や空色といった淡い青色の花の割合が増えています。


「ついたわ」


 リラ様が立ち止まる。

 そこにはさっきの館よりも、もっと小さな………それこそ私の実家と同じ位の家が建っていたのです。


「………ここは?」

「家。といっても毎日住んでいた訳じゃ無いけどね。一週間の半分位をここで過ごしていたわ」


 そうか、と自分の中で納得がいきました。

 侍従が渡した地図に勇者様とリラ様の寝室が載っていなかったのはこういう訳だったのです。

 こんな家があって侍従が知らないという事は無いでしょう。多分だけれどリラ様が口止めをしていたのです。その上で過ごす時間を半分にして、怪しまれないようにしていたのです。

 この地図はうっかり忙しさのあまり渡してしまったのでしょう。普段は侍従以外がこんな事をする筈がありませんから、仕方がない事ではあります。


 そしてそこまでしてでも、彼女は………。


 彼女が持ってた鍵で扉を開けました。

 ガチャリと音がして、リラ様に案内されるままに私は家の中へ踏み入りました。


「…………わぁ」


 思わず息が漏れました。

 そこは普通の家だったのです。

 生活感があって、所々手作りと思しき雑貨が飾られていて、使い込まれた家具がある。そんな、町の中を見渡せば幾らでもあるような普通の家がそこにはあったのです。


 どうやらここで生活をしていたというのは嘘では無いようです。

 住んだふりだけで、こんな生活感は滲みません。


「元々庭師が住む予定の家だったのだけれど、館に部屋が用意されたから空き家になっていたの」

「そうでしたか………とても良いお家ですね」

「でしょう?10年前はとても汚れていたけどね。掃除をして、家事をして………全部じゃないし、侍女からはまだまだだと怒られたけれどね」


 王族がこんな事をしているなんて想像もつかないでしょう。

 ましてや侍従から家事まで教わる王族なんて聞いた事がありません。

 寧ろ侍従の方々の忠誠心に感服いたします。王宮で噂すら流れないなんて。


「あの人は元々平民……普通の村に産まれたの」

「………初耳です」

「でしょうね。勇者に選ばれる前は、こんな風に小さな家で生活してたんですって」

「だから、リラ様も?」

「あの人はちゃんと言わなかったけどね。でも、何故かしてあげたいって思ったの」


 そう言いながら、リラ様は机を撫でました。

 机の上には庭園に咲いていたものと同じ花が花瓶に生けられていました。どれもまだ新しく、恐らくは数日前に摘まれたものだという事が分かります。


「10年前の昨日………あの人と結婚して、夫婦になった。魔王を倒した次の日だった」


 この国には祭りがあります。

 それは救国祭と呼ばれているもので、この国では一番大きくてめでたい祭りです。


 祭りは二日間に渡って行われるのですが、二日間ある意味は当然あります。

 一日目は勇者様が魔王を倒し、世界が救われた事を祝う日。

 そして二日目は勇者様が帰還し、王女と結ばれた事を祝う日です。

 つまり昨日は………


「まさか、結婚記念日の前日に死ぬなんてね」


 なんと数奇な運命でしょうか。

 一昨日、つまりは魔王を倒した10年後に、そして10年目の結婚記念日の前日に亡くなられるなんて。


 王宮が大変に騒がしく忙しかったのも祭りの準備から葬式の準備に急遽変更された事が大きな理由です。


 勇者様は街中で倒れている所を発見されました。

 恐らくはお仕事の帰りだろうと。

 戒厳令を敷かれていますが、検死を担当した王宮医によれば目立った外傷は無かったそうです。つまり、誰にでも起きるような突然の死だったのです。


「………ごめんなさい。何か、上手く言う事が出来れば良かったのだけれど」

「い、いえ……滅相もございません」

「駄目ねやっぱり」


 リラ様はそうして食卓と共に並べられた椅子に腰かけられました。

 食卓に並べられているのはシンプルなデザインの木の椅子が二つ。

 片方には黄色の布が、もう片方には青色の布が背もたれに使われていました。


「私、この先どう生きれば良いのか……分からないの」


 リラ様の表情は相変わらず変わりません。凍った植物の様に、そのままです。

 ですが私には、とても深い哀しみが伝わってきました。


「この先、あの人の好きなスープを用意して待っている事も無くなるでしょう。この家に来る事も……多分減るわ。そして未亡人になった私は、多分あの離れから出る事も少なくなる」


 他の国の文化は知りませんが、この国では再婚という行為は殆ど行われません。

 跡継ぎが無い貴族が稀に再婚したり、或いは複数人の妻を娶るという事はありますが、女性の場合は未亡人となりそのままの事が殆どです。


 勿論再婚される方もいらっしゃいます。ですがリラ様は勇者様の奥様です。例え第一王女といえど、勇者様の後に名乗りでる人間は居ないでしょうね。

 そして第一王女であるリラ様に子供がもし生まれれば余計な政争が産まれてしまう事から、リラ様が王宮の……つまりは政治の場に出る事は極端に少なくなるでしょう。


「あの人が居ない世界で、どう生きれば良いのか分からないの。だって、10年……10年も……一緒に居たのに……今更、どうして……一人で……」


 私は上手く言葉を紡ぐ事が出来ませんでした。

 絶望、と一言で言い表す事は勿論出来るのでしょう。

 何か慰めの言葉を言う事だって出来るでしょう。

 ですが、それが何だというのでしょうか?


 彼女が本当に求めている言葉は、最早手に入る事は無いのです。


 その時、館の方から誰かを呼ぶ声が聞こえました。

 あの侍従の方の声です。

 ああ、つい忘れていました。私はリラ様に喪服の用意が出来た事を伝え、そしてお部屋に案内する為にリラ様の部屋を訪れたのでした。


「リラ様、侍従の方が呼んでいらっしゃいます。申し訳ございません」

「あぁ、そういえば貴女は私を呼びに来てくれたのでしたね………すぐに行くわ」


 リラ様は立ち上がりました。

 その表情は再び氷の様に澄んだものでした。


 ですが今の私には、とても………。


 ◇


「はぁ………」

「どうした、エトラ。お前が溜息なんて珍しいじゃねえの。悩みなんて無縁だって顔でいつも居る癖に」

「ほっといて下さいエド。今の私は貴方と軽口を叩きあうような気分じゃないのです」


 庶務官の勤務する部屋に戻ると、同僚のエドワードがそんな風に言ってきました。

 エドワードは私と同期の王宮庶務官です。

 同期と言っても新設されたばかりの仕事ですから、上司以外は大体同期なのですが。

 中でもエドワードは年齢が近いという事もあって割と仲が良い方です。


 ……リラ様の事が忘れられませんでした。


 王宮で見る彼女の姿とのギャップに驚かされたというのも大きいのですが、何よりあの表情です。


 私は自分が思った事が本当に起こりそうで、怖くなってしまったのです。

 そう、リラ様がこのまま勇者様の後を追ってしまいそうな、そんな雰囲気を感じてしまったのです。


「エド、一つ聞いても良いでしょうか」

「何だよ、藪から棒に。良いぜ、何でも聞けよ」

「エドは恋人が出来たらどう思いますか?」

「ブッ!!??な、なんだよいきなりよぉ!?」

「真剣な話……というか相談ですね」


 私はまだ恋というものをした事がありません。

 そんな私がリラ様の心を理解出来る筈もまたありません。

 藁にも縋る思いで、私はエドワードに尋ねてしまいました。


「そ、そうだな………って本当にいきなりどうしたんだよ?お前がそんなん聞くなんて普通じゃないだろ」

「色々、思う所がありまして。それで、どうなんですか?」

「あー……俺なら、多分すげー好きになる、と思う」

「好き?既に恋人なのにですか?」


 意味の分からない事を言いますね。


「いや分かんねえよ!俺だって、まあその、あれだし」

「ああ、もしかしてエドも恋をした事が無いのですか」

「あるわ!恋くらいしてるわ!」

「じゃあどういう意味でしょうか」


 エドワードは顔をやたら赤くしながら私の質問に答えてくれます。


「……なんか、特別な感じがするんだよ。両想いっていうか、ただ好きなだけじゃなくて、特別な関係になった気がするんだと思う。そんで、もっとソイツの事を好きになれる……気がする」

「成程……そうですか」


 特別な関係。リラ様もそうだったのでしょうか。


「どっか出かけたり、遊んだり、記念日に何かあげたり………と、とにかく相手の喜ぶ顔がもっと見たくなるんじゃないかって……思います、はい……」


 萎んだ袋みたいになってしまいました。

 耳まで真っ赤です。


「そんなに恥ずかしいなら無理しなくて良かったのですが」

「うっせー!じゃあお前はどうなんだよ!!」

「私、ですか………考えた事もありませんでした」


 多分ですが、私にはとても遠い事なんだろうと勝手に思っていたのです。

 考えたり、悩んだりする程の事ではないのだろうと、そう感じていたのでしょう。


 ですがリラ様を見ていると、その思いが痛い程伝わって来てしまったのです。

 それこそ、柄に合わない質問を同僚にしてしまうくらいには。


 どこかに出かける?外出は好きですが、余り想像できないですね。

 遊ぶ、というのも子供じゃないですし。運動は得意ではありません。

 何かをあげる……そういえば勇者様も趣味で作ったものを渡していたと言っておられましたね。


 記念日……


 そこで、私は一つ思い至ってしまったのです。


「エド!!!!」

「うぇっ!?ど、どうしたんだよ!?」

「貴方なら記念日に何を用意しますか、それか何を貰ったら嬉しいですか!?」

「なな、急にどうしたんだよ!?」

「お願いします、教えてください」


 もしそうなら、早い方が良い。

 最悪の場合を想定するのなら、一刻も早く。


「まあ俺なら花束とか首飾りとか……それか、ゆ、指輪とか?貰ったら嬉しいもんは、まぁ好きな奴に貰ったら何でも嬉しいけど……」

「花束、首飾り、指輪……ありがとうございます。参考にします」

「さ、参考って何だよ!?」

「すみませんが少し付き合って頂けますか?」

「本当に何なんだよ!?」


 ◇


 次の日。

 いよいよ明日は勇者様のお葬式です。

 多くの国民が参加出来る様に、なるべく早く、けれど死体が痛まない限界の日数という事で明日が通達されました。

 既に国内の貴族だけでなく、各国の王族たちも王都に集まっています。


 心なしか町も騒がしいように感じたのですが、そこはただただ静かでした。


「待って下さい!!」

「…………ッ!?」


 嫌な予感が当たって逆に良かったです。勿論当たらないに越した事はありません。

 ですが予感したからこそ、間に合ったのです。


「どうして、貴女が……?」


 そこにはとても綺麗なリラ様がいらっしゃいました。

 手には何かを握り締めて。


「どうしてもお渡ししなければならないものがありました」

「渡したい……もの?貴女が?」

「はい。ですから失礼ながらここまで来させて頂きました」


 昨日会った時の様に、リラ様は椅子に座っていらっしゃいました。

 青の席に、包丁を握り締めて。


「どうか、これを」

「これは……?」


 そうして、私は持っていた袋をお渡しします。

 中身が見えない、袋。

 リラ様は袋を受け取ると、その中に入っていた箱を取り出しました。


 そして、箱を開かれたのです。


「…………ッ!」

「誠に勝手ではございますが、勇者様に代わり告げさせて頂きます。……こちら、勇者様の最後の遺品……二人の結婚記念日のプレゼントでございます」

「プレ……ゼント」


 私は考えました。


 勇者様は街中で倒れている所を発見されました。

 勿論単に責務の帰路であった可能性もあります。

 ですが、それ以外の可能性を考えてみたのです。


「勇者様はサプライズがお好きだったとお伺いしたものですから」

「でも、それなら貴女がどうして……」

「同僚の協力を得て、王都中の装飾品店を探し回りました」


 これは意外と簡単でした。

 花束はわざわざ用意しなくても良いでしょうから、後は王都にある装飾品店を探すだけです。

 三日前に受け取り予定の上で、まだ依頼者が取りに来ていない商品。

 しかも匿名で依頼している商品と、ここまで限定されていましたから。


 条件に合致していたのは一店舗だけ。

 そしてその店舗があったのは、勇者様が発見された場所からほど近い場所でした。


「………指輪」


 箱の中に入っていたのは、本当に簡素な指輪でした。

 豪奢な宝石類なんて一つもついていません。

 ですが職人の腕が良かったのでしょう。

 リングに彫られた意匠一つだけでも、その腕を感じさせられます。


 本当は褒められた事ではないのでしょうが、王宮からと事情を伝えればすぐに渡して頂けましたし。


「それと、こちらも」

「これは……手紙?」


 これもその装飾品店に預けられていたものでした。

 正真正銘、勇者様の手紙です。


 万が一の事を考え、失礼だとは思いながら中身を検めさせて頂きました。


 名前なんて書いてはいませんでしたが。

 それは間違いなく、勇者様からリラ様宛の手紙でした。



『僕の愛する人へ


 10年前のあの日、君と初めて会った時の事を覚えているかな。


 あの時僕はうっかり口を滑らせて、君の横顔が可愛いなんて言ってしまった。

 自分でもちょっときもいよなって思って誤魔化したけれど、10年経ったし良いよね?


 君は気が付いていないかもしれないけれど君は本当に嬉しかったり楽しい時少しだけ口角が上がる。

 ほんの少し、それこそ横からみないと分からないくらい。

 あの時もそうだった。


 そんな君を見られるのは、隣に立った時だけだから。

 横から君を見た時だけだから。

 だから、僕は君の横顔が好きだ。笑顔が好きだ。


 10年も経った今では正面から見ても君の感情くらい分かるけどね。


 君は賢い人だから、僕の下手なサプライズなんていつもお見通しだろうけれど。

 でも喜んで欲しいから、今回はちゃんとした所に頼んでみた。

 勿論、自分で稼いだ分だけでね。


 10年。僕が君の事を好きになった日から数えるともっと。

 本当にありがとう。


 これからも僕の隣で、君が笑っていてくれると、とても嬉しい』



「似た物夫婦ですね」


 その手紙には、愛が溢れていました。


 10年分の愛が込められていました。


 最早私から言える事はありません。


「本当……サプライズが下手なんだから」 


 ◇


 勇者様がお亡くなりになりました。

 もう不敬な事は言いませんよ。


 葬式には沢山の人が参列しました。

 国内外から本当に沢山の人が集まりました。


 誰もが涙を流し、彼の死を悼まずにはいられませんでした。


 棺桶の中には、大量の花束と共に安らかな顔で眠る勇者様がいらっしゃいました。

 その花束は私があの庭園で見たものと同じ品種のものです。

 恐らくあの庭園の花が摘まれて入れられたのでしょう。


 王様と貴族、そして勿論リラ様の姿もその中にはありました。


 しっかりと仕立てられた喪服を身に纏い、彼女は普段の表情のままそこに立っていらっしゃいました。

 そしてその指には、あの指輪がはめられていました。


 その後の別れの言葉を全て語る様な事は致しません。


 それこそ不敬でしょうから。


 END

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― 新着の感想 ―
[良い点] 読みやすくとても良い話だった 主人公と王女に此れからの幸運が訪れてくれることを祈る
[良い点] 悲恋タグ身構えましたが過剰な出来事がなく、ただ淡々と胸にずっしりとくる、突然訪れる早すぎる「死」が苦しくて、隣り合わせにある日常感がとても良かったです。 王女様と勇者様、ふたりひっそり長生…
[良い点] 読ませていただきました、切なくていい作品でした
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