生命の砦 後編
副題:──或る医師の戦場──
魔獣の群れは既に城壁の内側へと入り込んでいた。
市街地から立ち昇る炎と黒煙、住民達の悲鳴、兵士の怒号、そして空気を震わせる様な魔獣の咆哮。
避難所となった商業ギルドのホールは担ぎ込まれた怪我人で埋め尽くされ、其処此処から血の臭い薬草の匂い、苦しげな呻き声が上がっていた。
中も外も地獄絵図だ。
医学会への参加でセーガルに居合わせた私も、故国エルセラに戻らず一医師として怪我人の治療に当たっていた。医師や薬師と言った癒し手の傍には神官も付き、治療と並行して傷口から入った瘴気の浄化を行っている。
魔獣による致傷の怖さは直接的な損傷だけでは無い。
大量の失血による生命力の低下や傷口から入る雑菌や瘴気による化膿や感染症、最悪の場合だと瘴気に依って被害者が新たな魔獣に変質してしまう事もある。エルーシアの医療を担うのが医師と神官である所以だ。
「扉が破られそうだ!!」
「何とか持ち堪えろ!絶対に此処を通すなッ!!」
入り口を死守する冒険者達の怒号と共に何かを叩き壊す様な轟音が聴こえた。振り向けば巨大な魔物の姿が半ば破れた扉の向こうに視える。ギルドの三階にすら届きそうな巨羆、アルクトドゥスキングベア──!
魔羆が咆哮と共に逞しい腕を振り下ろす。バキッと言う不吉な音と共に扉が粉々に砕かれ傍に居た不運な冒険者が一名、床に叩き付けられた。
その巨躯には狭い入り口を、周囲の壁を砕きながら押し入ろうとする魔羆にホールを護る冒険者達が一斉に遠距離攻撃を仕掛けようとした、其の時だった。
突然、辺り一面が眩くも柔らかな光に包まれた。
ひっきりなしに聴こえていた魔獣の雄叫びも住民の悲鳴も、何か固いものを打ち付ける様な音も、何かが崩れ落ちる様な音も。それまで街中に響いていた戦いの音が、光に包まれると同時に消えた。
それだけではなく、先程まで猛威を振るっていた魔獣の姿も悪夢が醒める様に街中から消え去っていた。
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入れ替わる様に現れたのは、不思議な医療器具を携え見た事の無い服装をした異邦人の医師達だった。
「私達は"亜空間グランデホテル"オーナーにより派遣されたG.T.C医療チームです。エルセラの同盟国、セーガルの皆さんのお手伝いに参りました」
医長らしい実直そうな男──ニックと名乗っていた──が我々に協力を申し出た。私と同郷だが聞き慣れない施療院の名前だった。それでも、薬や包帯が尽き掛けている中での申し出はとても有り難いものだった。
早速、ギルドホールに半透明の繭の様な不可思議な寝台が幾つも設置された。医師団に同行した若者達は、変わった形の乗り物で街中を走り回り、動けない程の深手を負った者達を見付けてはホールまで搬送し、息付く間も無くまた飛び出して行った。
連れて来られた重傷者は医長の指示の下、先程の繭の様な寝台に寝かされて行く。
硝子の蓋が閉じられ寝台が淡い光に包まれてから四半刻程。光が消えた繭から羽化する様に起き上がった怪我人は、全ての傷が癒され瘴気による不調も浄化されていた。
中には如何なる術式なのか、欠損した筈の四肢が再生した者すらおり、家族や愛する人と涙ながらに喜び合う姿は、かつて私が渇望した光景そのものだった。
聞けば、この奇跡の様な寝台もあらゆる病に対応する治療薬も、全てニック医長達を遣わした"オーナー"の持つ権能に依るものだと言う。
創造神に見出され異界から招かれたと言うその人物は、まだアカデミーの学生くらいの歳でありながら既に数々の国難を解決しているのだとか。
もし、彼の様な人物が十年早く現れていたなら。
私の脳裏に、かつての親友の姿が浮かんだ。彼の唯一の『家族』だった弟分に救いの手が差し伸べられていたならば。
「ニックさん!最後の重傷者を連れて来ました!」
私の詮無い夢想を断ち切るかの様に、医師団の若者達が全身に深手を負った冒険者を担ぎ込んで来た。片腕は無く、片方の脚はあらぬ向きに捻じ曲げられている。
そして、その男の顔には確かに見覚えがあった。
「私が連れて行こう!『かぷせる』は空いているか?!」
気が付けば自然と身体が動いていた。
もう二度と後悔したくない。目の前の生命を取りこぼさない。
既に意識が無く、激しい出血で体温も下がっているかつての親友を抱え、私はふらつきながらも繭の様な寝台を目指して走り出した。
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「お前、本当に医者になってたんだな」
復興の槌音が聞こえ始めた市街を眺めながら、親友は私に言った。あの大暴走から半月、私達はエルセラへの帰国を延ばし、セーガルで医療活動に当たっていた。
「君こそソロ冒険者になっていたとはな」
そう言って、私はすっかり快復した親友に目を移した。スラム街を出た親友は例の『連続失踪事件』──前宰相ゴアが意図的に引き起こしたものだった──を何とか生き延び、紆余曲折を経て単身の斥候として活躍していると言う。
今回セーガルに来たのも、エルセラの然る大貴族からの依頼を受けての事だった。その最中、街に入り込んだ魔獣から逃げ遅れた子供を庇い、怪我を負いながらも自ら囮となったのだと。
「……弟分の顔がダブって見えてな。今度は絶対に死なせない!と思ったら身体が動いてたんだ」
首のチョーカーに付いた鳩のチャームを弄りながら、凪いだ表情で親友はそう言った。弟分の形見なのか、カディル人特有の装飾品なのかは判らないが、陽の光で輝く其れは何かの希望の象徴にも見えた。
「そうか。──もう無茶はするなよ?何時も助けられるとは限らないんだからな」
友人では無く医者の顔で私は親友に釘を刺した。が、
「なぁに、いざとなったら名医殿が居るじゃないか。頼むぜ?親友!」
彼は屈託なく笑いながらそう言ってのけた。
つられて苦笑いを浮かべる私の胸元には、別れの日に貰った押し花の栞がやや色褪せながらも忍ばせてある。
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薬草や魔法、民間療法に重きを置く我々の医療水準は、残念ながら『創造神の賜物』たるG.T.C医療チームに遠く及ばない。これからも救いの手を伸ばし切れず、苦い涙を流す事もあるだろう。
それでも一人でも多くの生命を、そしてあの笑顔と喜びとを護る為に私は今日も立ち向かう。我々は患者達の『生命の砦』なのだから。