六十六章 後に残ったのは三つのカップ
泉での騒動が収まった次の日の朝。
ルゥはテーブル席に座り、ティーカップを片手に紋章板に文字を入力していた。
場所は昨日と違い、一階のカフェラウンジを使わず、宿の自室に備え付けられたバルコニーを利用している。解放的な造りは眺めもよい、朝のティータイムセットを届けてもらったが正解だった。
今、使われてるカップは三つ。テーブルに二つ置かれて、床に一つ置かれている。
おもむろに手を伸ばしてテーブルに置かれた丸い焼き菓子の皿を手に取り、床へと差し出す。
「どうですかイケテルさん、食べますか?」
床で胡坐をかいている彼に差し出すと無言で一枚掴んで、口に運ぶ。
頭に白い包帯を巻いている彼は不満げな表情だが、味に対しての苦情ではないだろう。
皿をテーブルに戻し、彼女にも勧めておく、
「聖剣さんもいかがですか?」
対面に座る、正確には椅子の背もたれに寄り掛かかった、鞘に収まる一本の剣にルゥは問う。
「ふぅん、ま、気持ちだけは頂いておくわ、ありがと」
機嫌が良いのか聖剣が声を弾ませた。
三つ目のカップ、テーブルに置かれたもう一個のカップは彼女の物だ。
剣である彼女は飲み食いできるわけじゃないが、こういうことは形だけでも大事なのだと思う。
「さて、報告書とっととまとめないといけませんね」
ルゥは呟いて、紋章板に目を向けると、床にいるイケテルが口を開いた。
「……おい、おかしくねぇか」
「何がですか?」
「この状況だよ、なんで俺が床でアイツが椅子に座ってんだ? というかなんでアレいるのよ、お前の部屋に?」
「私の部屋だからじゃないですか、イケテルさんの部屋にはたぶん来てくれませんよ」
イケテルを見ずに、ルゥは言葉だけ返すと、聖剣が声を作った。
「当然、あんたの部屋なんてお断りね、誘いたいならまず、その顔と体型と性格と性根と人生を鍛え直してきなさい」
「人生まで否定するなぁ――!?」
「と言ってもイケテルさん、二度目の人生まだひと月ぐらいですよね」
「なにそれ、じゃあやり直しなさいよ、ここから飛び降りればやり直しできると思うわ、さぁ飛びなさい」
「ナチュラルに自殺を命令すんなぁ――!?」
二度目のイケテルのツッコミを聞きながら、ルゥはカップを口に運ぶ。
朝の静かな一時、ティータイムだというのに、中々にホットな状態だ。
ま、このお二人がいればこうなりますか。
ルゥは報告書作りを進めながらしばらく二人のやり取りを耳にする。
「というか何でいるんだ、お前がここによぉ! 帰れ! 森に帰ってあの広場で一人寂しくぽつんと剣を挿してろ!」
「はぁー? 聖剣がどこにいようがわたしの自由よ、それにあんたのせいで台座壊れたのよ? 責任取りなさい!」
「お前が勝手にぶった斬ったんだろうが! あーくそ、叫ぶとまだ全身が痛い、昨日はよくもボコスカ殴ってくれやがったな、この狂剣!」
「ふぅん、その程度で済んだことに感謝しなさい! 本当ならあの泉がアンタの墓標で残った水の足しに髭と仲良く真っ赤に染めて上げようと思ったのよ? それともなに、もっと殴られたいのかしら」
「おいバカやめろ、それ以上やったら死ぬわ! ステMAXの体でもなHPは無限じゃねーんだよ!」
「ステMAX? HP? よくわからないけど、今回のことはその傷でチャラにしてあげるわ、だけど、次ふざけことをしたら、今度はその顔がまともになるまで叩き直してあげるから、いいわね」
フンと聖剣が言葉を終え、イケテルがそれに、うーと悔しそうに唸っている。
今回はイケテルも自身が悪いと思ったのか、それ以上は何も言わなかった、それとも単純に痛めつけられたトラウマか、恐らく後者だろうとルゥは思う。しかし、
……次、ですか。
その言葉を何気なく使った彼女は気づいているのか、ルゥは顔には出さす内心で微笑する。
朝の騒々しいティータイムは静かな時間に戻るかと思ったが、それはまだ続くと言わんばかりにドアをノックする音が響いた。
○
「どうぞ、あいてますよ」
イケテルはルゥが迎え入れた来訪者を見る。
身なりのいいちょび髭がトレードマークの街長だった。
「失礼しますぞ、術士殿、少々お聞きしたいことが、あ! やはり、ここに居られましたか!」
街長が早足で部屋を横断して、すぐにバルコニーまでやってくる。
イケテルは床に座ったまま、街長に声を掛ける。
「よぉ、なんかようか?」
「あ、勇士殿おはようございます、昨日は大変でしたな、その、御身体のほうは大丈夫で……?」
「……一応な」
イケテルは座る聖剣を睨みつけるが、聖剣はふんとバルコニーの方に身を傾けてそっぽを向いた。
自分は一切悪くない、お前が悪いとい言わんばかりの態度。
くっそ、あの剣めぇ。
いつか必ず敗北宣下させてやると、イケテルは今後の予定に報復を加えると、街長がさらに一歩前に出た、その顔は緊張してるのか強張った表情だ。
「……今回お話に来たのはそちらの聖剣様なのですか、少々お時間の程よろしいでしょうか?」
腰をえらい下げて偉い街長が聖剣にかしずいた、その様は女王とその配下という感じに見える。
聖剣が座ったままちらりと街長を見て言葉を作った。
「なによ? 謝罪なら昨日泣きながら土下座して貰ったからもう十分だわ、それともその髭を斬り落として欲しいの?」
「ひぃ、そ、それだけはご勘弁! 申し訳ありません申し訳ありません!」
膝をついて頭をぺこぺこ下げる。
ひでぇ光景だ。
すっかり冷めたお茶を飲みながらイケテルは剣に頭を下げる街長の姿を黙って見ていた。
「そ、それですね、実は今回はご提案ございまして」
「なによ? まさかまた如何わしい破廉恥な企画立てたんじゃないでしょうね?」
「め、滅相もございません! 今回のことは私も心の底から、本当心臓が止まるぐらい肝を冷やし、反省いたしました! なので今回は健全な誰でも楽しめる企画を立ち上げまして、そのご助力を聖剣様に、と、いかがでしょうか?」
聖剣がふぅんと値踏みするように街長を見ている。
それに不審なところがあれば即座に、頭を踏みつけて床に叩きつける、そんな暴君系の女王のような姿が垣間見えた。
「ま、いいわ、聞いてあげる、手短に伝えなさい」
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
何度も頭を下げる街長にプライドはないのだろうか、イケテルは哀れに思いながら、おもむろに立ち上がり、テーブルのポットを手に取ると、街長が話を切り出した。
「こほん、では説明させていただきます、この私の代表作となるはずだった野外コンサート会場は誠に残念ですが中止となりました。正直、昨日はショックから一睡もできずにいたのですが、朝になって思いついたのです! 我、天啓を得たり、と! 紋章の女神様が私に閃きを与えてくださったのです!」
両手を握りしめた、街長の熱のこもった説明を他所にイケテルはカップにお茶を注いだ。カップから湯気が立ち昇る、甘い良い匂いだ。このお茶は紅茶色で甘味が強い、朝食代わりに一杯飲む人も多い、人気の茶葉らしい。
テーブルに置かれた焼き菓子、つまりクッキーに目を向けると、街長が声を張り上げた。
「そう、そうなのです! この企画は凄いのです! 私はこれまでの街長のように観光名所を建てなければならないと考えてきましたが、それが間違いでした! 私が考えたこの企画は巨大建築物を作る必要もなく、ちょっとした広場と道具があれば誰でも出来る、そうスポーツ競技! 健全な新たな遊びを考えたのです!!」
今度は両手を天高く振り上げた街長を邪魔だなぁと思いながら、イケテルはしっとりしたクッキーを二枚ほど皿から失敬して、床に座り直した。
すると、ルゥがまた戻るんですね、と呟くが、他に座る場所ねぇだろ、チクショウ。その席をどいてくれるのか? 退くわけないよな、うん。
仕方なく床にティーカップを置いて、クッキーを一枚咥えると、街長が叫んだ。
「その名も――空飛ぶ剣、フライングブレード!! いいですか、ここから競技の説明をいたしますよ! まずは浮遊の紋章を付けた剣を浮かせて、その剣を互いの手に持つ競技用の木製剣で打ち合うのです! この際、互いの陣地を決めまして、その範囲の地面に剣を落としたり、相手に当てると点数が入るのです! もちろん浮かせた剣は本物ではなく、安全面を考慮した当っても痛くない特別仕様にしますとも!」
イケテルはクッキーを咀嚼しながら思う。
素朴な味だが悪くない。おやつというより朝食って感じがする甘みを抑えた味だ。この甘い紅茶によく合う。
カップを一口つけると、街長が聖剣の前に膝を付けて懇願した。
「そこで、です! このスポーツを広めるために聖剣様のお力をお借りしたいのです! そのために聖剣様にはこのフライングブレードの象徴たるマスコットキャラとなって頂き、この街で一日に三度、午前、午後、夜の三部構成で、昨日のように街中浮いて飛んでもらいたいのです! あ、夜は照明関連の紋章を刻んだ装飾品を付けて煌びやかに輝くのどうでしょうか! これは人気が出ますぞ! 街も多くのお客様が訪れるでしょう! いかがです、飛んで頂け――」
「アンタが飛べええぇ――!!」
叫んだ聖剣が椅子から宙に翻り、街長の背後に降りるとその尻をフルスイングでぶん殴った。
街長が悲鳴と共に宙を浮く、その方向は解放されたバルコニーの外、つまり三階から外に飛んだ。
あーと長く伸ばした声が消えてから、何かが落下した音がした。
一度、お茶を飲んで口の中をリセットしてから、イケテルは呟く。
「死んだか」
冥福を祈るべきか、考えると外を眺めているルゥが口を開いた。
「いえ、死んでませんよ、向かいにある生垣で出来たモニュメントの上に落ちましたから命に別状はないかと、私はちゃんとそれを計算したうえでこの宿を選びましたので」
その言葉にそうかと、返してからイケテルはふと気づいた。
「お前、俺を落とす気だったな――ッ!!」
指摘すると、ルゥが無表情でこちらを見ずに聖剣の方に顔を向けて呟いた。
「今後は紋章を仕掛けなくても大丈夫そうですね」
それに自分も同じように視線を向けると、外を見下ろして聖剣が呟いた。
「……ちっ、仕損じたか」
その本気を感じ取れる声を聞いてイケテルはこの剣がいる間は大人しくしようと密かに誓った。