六十二章 三つ巴の不幸話
ルゥは隣で馬鹿が空気読めない発言をしたのを聞いていた。
なぜ、イケテルさんの不幸話を?
どうしてそうなるのか、おかしいのでは、とルゥは思う。
元から彼はそれなりにおかしいがこの状況を見てほしい。
どう考えても彼がここで言うべきは彼女への返答であり、自身の不幸話ではないはずだ。
周囲の皆の反応も同じようで一部を除いで怪訝そうな視線をイケテルに向けていた。
ちなみに除いた一部は最前列にいる観客で、どうやら聖剣のファンらしい、今も彼らは聖剣の過去に涙を流して声を上げている。
「ぐっ、……その気持ちわかるぞぉ! 俺も彼女に約束の場所に置いて行かれていつまでも来なかった時は悲しかったぁ!!」
「くっそ、まさか聖剣姐さんにそんな過去があったなんて! 生で聞けて感激だ!」
「……私、賭けに勝つことばっかり考えて、くぅ私ったら! バカバカ! でも勇士が勝つと困るわ! 誰かもっといい相手はいないの!?」
などと感想が漏れているが、何か微妙にズレてないだろうか。
ルゥは思いながら、ふと、興味が湧いた。
この街の代表たる街長は街が生まれる前からあった伝説の聖剣の過去にどんな想いを抱いてるか、顔を少し向けて、隣を伺うと、
「……まさか、あの聖剣にそんな秘話があったとは、これはコールブランド大劇場で舞台として演じれば凄く人気が出るのではないか、そうだ喜劇もいいが、悲劇も悪くない、涙を流し人々は言うのだ、こんな悲しくも切ない話を聞けるのはコールブランドだけだと! よし、イケる!」
ぶつぶつと呟き、拳を握りしめていた。
おかしな人が隣にもいたのだが、とりあえず見なかったことにする。
正面に顔を戻すと、イケテルの思わぬ返しに面くらって動きを止めていた聖剣が復活していた。
「……あんたはわたしの話の聞いてたの? それの答えが不幸話って」
聖剣がその柄頭を横に傾けて不満げに言ってくる。
だが、気にしてないのかイケテルは自信満々な顔を崩さない。
そんな相棒に一応、問いかけてみることにした。
「イケテルさん、急に不幸話をするって言いましたけど、どういうことですか?」
ああ? と彼がこちらに向き、口を開いた。
「あいつが悲しみを背負ってるなら、俺にも同じように悲しい過去があるって教えてやるんだよ!」
理屈はわからないが、何やら彼は彼女と同じ悲しい過去を語って、一緒だと伝えたいようだ。
それに、剣先を向けて聖剣が答えた。
「なによそれ、わたしと同じ悲しい、恋の想い出があんたにあるっていうの? そのブサイク面で恋バナとか冗談にしか聞こえないのだけど」
「あぁ!? ブサイクでも恋バナできるわぁい! よっし、全員聞けよ! 俺の悲しい過去を! いいか、これを聞いたら絶対にお前らは涙するぞ! そして、聖剣は俺の剣になってもいいと思うはずだ!」
周囲の注目を一同に集めたイケテルが一歩前に出て語りだした、彼が悲しい過去だと言う不幸な話を。
○
イケテルは思い出す、アレは中学二年の時のことだ。
四階建ての薄汚れた校舎の三階、二年の教室は全クラスその階に集まっていた。
その日の六時限目の授業は選択教科だった。
自分のクラスは国語・英語・体育と選択できる。
もちろん一番人気は体育だ、中学生ぐらいだと勉強に励むより運動を選ぶもののほうが断然多い。
その中で自分は英語を選択していた、理由は単純だ、運動は嫌いだし、英語は何かよくわからんが単語がカッコいい。それだけの理由だった。
英語の科目を選んだのはクラスでも少数、皆、体育に集中し、国語は作文系を中心とした授業だったため、読書が好きな連中が選んでいた。
そして、英語はリスニングだった、ハッキリ言って選ぶものは少ない。
そんな授業を受ける生徒は少数なのもあり、座席を教卓に近い、中央前に集中させようと鼻の長い教師が言った。使ってない人の席につかされて、その授業は行われた。
「俺はその授業で、ある席に座った、もちろん選んだわけじゃない、先生が言う通り出席番号順に前の席から詰めて行っただけだ、そして、その席は当時俺が好きだった女子の席だったんだ」
そうだ、あの子の席で自分はガチガチに緊張していた。
元から意味わからないリスニングの内容も余計に頭に入ってこない。
聞き取れない、それは別にいい。
緊張しながらその授業を受け続けて、そして、それは終わった。
「授業は問題なく終わった、そしてホームルームも無事に終わり、俺は帰宅したのだが、途中で忘れ物に気づいてな、自分の教室に戻ったんだ、そして見てしまった、聞いてしまった……」
イケテルは空を見上げながら思い出す。
忘れもしないあの窓から夕暮れが差し込む廊下を一人音を響かせて歩き、
教室に入ろうとして、すすり泣く声に気づいてドアの前で足を止めた。
誰かいるのだろうか、そっとドアの隙間から覗いたのだ。
そこにいたのは、好きだった女子とその子と仲がいい女子だった。
泣いてたのは好きだった子で、親友の子が慰めている。
どうして泣いているのか、何かあったのか、教室に入って聞くべきか悩んだが、そんな勇気はなかった。とりあえず忘れ物だけは取りたいと、ドアを開けようとした時、彼女の口から自分の名前が出てその手を慌てて離した。
そして、走って逃げた。聞いてしまった、何故泣いてるのか、その理由を。
「泣いた女の子は言ったんだ、今日の授業で俺が私の席に座ったって、それが嫌で彼女は泣いてたんだ、と俺は知ってしまった、それ以来だ、俺は女子の席にも荷物にも触れることが出来なくなったんだ……」
イケテルは目から一筋の涙を流して、語り終えた。
○
ルゥはイケテルが上を向いて涙しているのを見ていた。
……いやいや、それ違いますよ、イケテルさん。
違う何か違う、悲しい話ではあるのは認めよう、凄く悲しい、悲しいが、それ気の毒というか、可哀想な話だ。よくわからない単語があったが、ようは彼は好きな女子に嫌がられたという話で聖剣の過去と同列で語っていい話ではない。
聖剣さんも怒りませんか、これ?
そう思って聖剣のほうを伺うと、
「……不憫な子」
何故か、泉のほうを向いて悲しげに呟いている、あれ、共感してますか?
周囲を見れば、男を中心に涙を流す観客が多い。
「わかる……わかるぞぉ!!」
「うっぐぅ、くっそ、おんなってやつはよぉ、男がどんな気持ちを受けるか理解できねぇんだ!」
「……ブサイクだからって少年心に傷つけられたのね、可哀想なのはわかる、でも勝ってもらったら困るわぁ!」
思い思いの言葉に、なるほど、とルゥは頷いた。
共感できる人は過去にそれに近い経験があるのだなということがわかる。
一応、隣の街長の様子も伺ってみると、
「ぐぅうう!? 聖剣殿の話もいいが、勇士殿の話も心に締め付けられる想いがありますなぁ! ここは二大悲劇としてコールブランド大劇場で一部二部で連続上映して観客の涙を枯らせる勢いでいくことにいたしましょう!」
どうやらイケテルの哀れな過去の上映が決まったようだ。
さて、これどう収拾つけましょうか。
ルゥは泉の上、陽光の紋章の位置を目測で測った。
すでに時間は昼を上回っている、ランチタイムに突入しているのだ、このままだとお昼が過ぎてしまう、何とか決着をつける方向に持って行きたい。
どうしたものかと、思考を巡らせていると、よく通る美しい声が泉に響いた。
「皆さん! ぜひ、私の話も聞いて欲しい! この私にも一つこの泉にまつわる不幸で悲しき恋の物語があるのです!」
歌うように紡ぐ言葉に周囲の皆がその乱入者に注目した。
詩人のような装いをした着飾った男がいる。
誰ですか、あれ?
他の皆も同じことを思ったのか、一様に首を傾げた。
○
「では、語らせて頂きましょう!」
とタレ目の男が勝手に語ろうとするのをイケテルは見ていた。
そういやアイツのことすっかり忘れてたな。
思いっきり忘れてた、そう、あれが泉周辺で起きてる事件の元凶だ。今すぐ棍棒で殴り倒そうかと手にすると、先に灰色の上着を着たスタッフが声を上げた。
「あぁ!? 街長! あの人、あの人ですよ! 泉の立てこもり犯、ロニー氏です!」
その言葉に街長が自慢の髭をピンと伸ばして叫んだ。
「何ィ!? よもや自ら出てくるとはいい度胸ですな、勇士殿! この男の捕縛を! 奴の話を聞いてから行いましょう!」
「おっし、任せろって――あ? 今なんだって?」
街長が言った言葉にイケテルは思わず聞き返した。
今、話を聞くって言ったか?
それに街長が真剣な表情で頷いた。
「別にこの男の悲話も聞いてみたいとか思ってませんが、一応、犯人の弁明を聞くのも大事なことかと、決して二大悲劇より三大悲劇のが盛り上がるとか思ってませんよ、それにどうですか、観客の皆さん、あの男の話も聞いてみたくはありませんか!」
街長が振り返って観客を煽ると、それに次々と声が上がった。
「おおお、いいぞぉ! とことんブルーになってやるぜえええ!」
「ふっ、今日は悲しみの海に深く沈み、眠りに付いて、紋章と共に翌朝を迎えたいと思っていたんだ……!」
「さぁどんな悲しいお話なの! 聞かせて、そして、あなたのハンサムな顔と声で魅了して――!」
うわーとイケテルは口に出して引いた。
何か知らないが観客の盛り上がりがおかしい。
隣のルゥを伺うと、ぶつぶつ呟いている。
「……あーこれ、収拾つきませんねぇ、このままだとイケテルさんとの約束は間に合いませんし、うん、やはりこれが必要ですか、そうですか、ふふっ」
顔を伏せ気味で何か嫌な予感しかしない言葉を口にしている、無表情な顔に怒りマークが見えて、正直言って怖い。とりあえずスルーして前を見る。
すると、聖剣が言葉を斬り込んだ。
「で、あんたがいったい何者なのか、知らないけど、私達の勝負に介入するっていうなら、半端な話をしたら泉に叩き落とすわ、底に沈むぐらいは覚悟しなさい」
聖剣がタレ目に脅しをかけると、奴は仰々しくお辞儀をして言葉を作った。
「承知しました、聖剣嬢。それでは語らせていただきます――題目は泉の恋人たち」
タレ目の男は歌うようにその声を弾ませて、語り出した。