六十一章 乙女は過去を晒す
「さて、どこから話したらいいかしら」
聖剣は過去を思い出す。五百年前の出来事、彼との想い出、その始まりを。
「まずわたしは最初から聖剣だったわけじゃないわ、最初はただの剣、どこにでもある一振りの長剣だったわ」
始まりの記憶、鉄から鍛えられ生み出された記憶。
この身を打ったのは伝説的な鍛冶師でもなく、どこにでもいる至って普通の鍛冶師だった。昔ながらの職人気質で一本一本、想いを込めて打つ無名ではあったがよい職人。
この剣の生みの親だ。
男は特別な剣を作っていたわけじゃない、幾多の同じ様な剣を作り、契約する店に卸していた。自分もその一本だった。
「ま、そういうわけで店で売られていたのよ、大量生産なんて言い方は好きじゃないけど似たような剣がたくさん並べられる中の一本だったわ」
……あの日、までは。
聖剣は彼と出会った時のことを思い出した。棚に並べられて、誰かがこの身を手にする日を待ち望んでいたことを。
自分は剣なのだ。飾っておくものじゃない、使われてこそ意味がある。
ゆえに、持主を待っていた。大量生産品にも剣としての誇りはあるのだから。
「どこにでもあるような鍛冶製品を扱う店で、わたしは待ったわ、いつか買われることを夢見て。……そしてあの人が来たの、手に硬貨をいれた布袋を握りしめて目を輝かせてね」
彼はその日、店に来て袋の中を見せた。
〝これで買える剣が欲しい〟
店主が指差したのは剣売り場の一画、安いものではないが手が届かないほどのものじゃない、そのぐらいの値段の剣。
彼はいくつもある剣の中からおもむろに選んでくれた。手に取ってくれた。
この柄を掴み、この剣を大切な宝物のように胸の中で抱いてくれた。
……ああ、運命だったのかな。
それが剣の主人、いずれは聖剣と呼ばれる自分の担い手だった。
○
「ま、それがわたしの持主よ、どう素敵な出会いでしょ?」
ルゥは聖剣の話にどう返すべきか一瞬悩むと、こちら側に来て一緒に話を聞いていたイケテルが首を捻って言葉を返す。
「それ、ただの買い物じゃ――うがぁ!?」
彼が言葉の途中で、背後にいた観客たちに一斉に頭を叩かれて、口を押えられ、人の群れの中に引きづり込まれて行った。
「……ま、空気読まない人は任せて置くとして、それで聖剣さんはその人の剣に?」
ルゥは質問すると、聖剣が泉の方を見て答える。
「そうよ、あの人は騎士になりたかったの、紋章騎士団のね、だから剣が欲しかった、訓練に使う木剣だけじゃ物足りなくて、背伸びして体格に合わない剣を買ったの、ちなみに、今の剣の長さは当時のあの人に合わせてるのよ」
本当バカみたいと聖剣が呟く。
その様子を見てルゥは思う。
本当に大切な人だったんですね。
出会った時の想い出をいつまでも忘れない、いや、忘れることができないぐらいに。……自分にはそんな想い出はない、気づいたら一人で、誰か大切な人と一緒にいることなんて無かった。周りには多くの人がいたけど、それでも自分は一人だと思い込むのが強くなるだけだった。
羨ましい……いえ、どうでしょう。
そんな人と、別れのときが来たら自分はどうするだろうか。
一瞬そんな思考が過ったが、否定するようルゥは内心で首を横に振る。
どうせそんな相手は――。
「うりゃりゃりゃあ――っ!!」
その奇声に下を見ると、地面を這いつくばって腕の力だけで群集から抜け出てきたイケテルがいた。まるでそういった生物のような動きで何故か踏み潰したくなる。
「……ま、死んでも死ななそうですよね」
「あ? 誰に行ってんだお前は、俺がこんな程度で死ぬかぁ!」
言いながらイケテルが立ち上がって、手で服を叩いて、汚れを落としている。
それを横目で見ながら、ルゥは聖剣に言葉を投げる。
「それでその人は騎士になれたのですか?」
「ふぅん、当然、このわたしの持主なのよ、当たり前じゃない! ……だけど、それが剣にとってもあの人にとっても、運命の分かれ目だったのかもね」
聖剣が振り返り、寂しげに過去の続きを紡ぎ始める。
○
聖剣は彼が成人となり、試練を乗り越えて、夢を叶えたときのことを思い出す。
騎士になってからも彼は自分を愛用してくれていた。
大切に扱い、何度も研いで鍛え直してくれる。
同僚の騎士達には新しい剣を買うように言われるが、彼はいつもこう返した。
〝手に馴染む剣が一番いい〟
嬉しかった、あの頃は今のように喋ることもできないけど、彼への気持ちで溢れていたものだ。
愛していると。
もちろん剣としてだ、彼にいい恋人が出来るならそれはそれでいいと当時は思った。彼はその辺り少し唐変木でいい感じの女性がいても気づかずに終わってしまうこともあったのだ。それに少しやきもきしたものだ。
そんな彼は女性にも渡したことないのに自分に贈り物をくれた。それが、
「紋章、あの人は剣に紋章を刻んでくれたわ、それから剣の刃は青みの掛かった剣身になったの、笑っちゃうでしょ? 普通はもっといい剣や専用の剣を鍛えて貰えばいいのに、こんなどこにでもある剣にね」
言うと、正面にいたルゥが手に持った荷物を軽くあげて、口を開く。
「彼氏さんは昇格して騎士団用の紋章術式を受取っていたんですね」
「それってどういうことよ?」
隣でブサイクな顔を傾けて、イケテルがルゥに問いかけている。その視線の先がルゥの胸に行ってる気がするが、気のせいではない、斬っていいだろうか?
すると、ルゥが手に持つ荷物を抱え込むようにして胸を隠し、告げた。
「騎士団はこの国、大陸で唯一紋章による武力を持つことが許された組織です、もちろん協会の術士や憲兵隊、各町の自警団にも術式は配られていますが、あくまでも防衛や自衛といった守るための術に使うもの、ですが騎士団は違います」
ルゥがいいですか、と続ける。
「彼らは紋章関連の事件を解決するため同じ様に紋章術を使います、これは相手を倒すことに使うので防衛ではないです、千年前の戦乱以降、人に危害を与える目的の攻性紋章の流通は全面的に禁止されてますが、彼らは特別にそういった紋章術式を扱う許可が出て、与えられるってことです」
わかりましたか? とルゥがイケテルに言うと。
イケテルがあー、と声を伸ばしてから、
「つまり、アレだ、警官が銃持ってたり軍隊が兵器持つことを許される感じで、職業レベル上がって、報酬として専用のスキル覚えることを許されたわけか! おーけーわかった、おっし完璧!」
馬鹿が何を言ってるかよくわからないが、ルゥはそれでいいですよ、と返している。本当にいいのだろうか、そんな二人を見てると聖剣は少し不安になった。
見ていると、こちらに気づいたルゥがどうぞ続きをと、マイペースに促すのが何か気に入らないが続けることにする。
「……ま、そういうことよ、それでわたしはあの人の紋章剣になったのその力で多くの任務を成功させて多くの人に感謝されて讃えられたわ、そしてあの日、運命ってのがあるならそうね、女神はそういうの扱えるんでしょうね」
あの日だ、と聖剣は思う。
全てはあの朝に変わってしまったのだ。
あの人も、剣も。
厄介な運命を空の上にいるという紋章の女神から押し付けられたのだ。
○
その日の朝は変わらない朝だったことを聖剣は覚えている。
騎士団の一室、彼に与えられた個室の中、専用の置き場で彼の目覚めを待っていると、起き上がった彼はいつもと様子が違った。
信じられない物を見るように自身の左手を見ている。
その手の甲には紋章があった、輝く紋章。あれが女神の勇士の証、女神の紋章だと知ったのは彼が紋章協会に呼び出された時だ。
〝貴殿に女神セイブル様より神託が告げられた、女神に代わり世界を救う勇士としてその責務を果たせと、その手に輝く紋章こそ、その証拠なのだ〟
偉そうな、実際に偉いのだろう、その老人たちが集まり彼に使命を告げた。
〝その紋章を使い、確認された穢れた紋章を破壊するのだ〟
彼は騎士として、女神の信徒としてその使命を受け入れ、自分と共に旅に出た。
お付きは協会の術士の少女と、志願した騎士団の同期の友を連れ、
そして、彼の腰には自分ともう一本新たな剣を携えて……。
紋章を宿した物には違う紋章は宿せない。
それは物でも人でも剣でも同じだ。
最初に複数の紋章を組み合わせて組み込む術式方法と違い、一度紋章を刻んだものに別の紋章を刻むことはできない。
そのために、穢れた紋章を破壊するための女神の紋章を刻む剣がもう一本必要だった。
女神の剣、妖艶に赤く輝いた紋章を破壊するための剣。
「女神の勇士になったあの人は協会から渡された剣を持ったわ、別にそれに嫉妬したわけじゃないの、普段は使い慣れた剣を使い、使命を果たすときはあの剣を握った、それだけのことよ」
そうして共に各地を旅して使命を果たすにつれて、彼は人々から女神の勇士、聖なる騎士と呼ばれるようになった。
そして、その手に持つ剣が聖剣と呼ばれるようになる。
それが聖剣だ。
女神の剣ではなく、自分が選ばれたと内心で喜んだ。
だけど、それが、
聖剣にとっての不幸だった。
○
聖剣が泉を見ながら、語るのをイケテルは見ていた。
「女神の勇士たる聖なる騎士、あの人はそう言われるようになって、その手に持つ剣も聖剣と呼ばれるようになったわ、そして長い時間掛けて、全て使命を果たしたの、そして――最後にこの泉を一緒に見たわ」
聖剣の刃と同じ青く澄み切った泉は光を反射させて水面を輝かせている。
「変わらないわね、この泉は……」
寂しげに感想を漏らす聖剣を見て、イケテルは聖剣に言葉を投げることにした。
「それでお前はどうなったんだ? 聖剣としてその持ち主と共にいろんな人に認められたんだろ? そんな悪い話じゃないだろ」
「そうね、そのとおりよ、悪い話じゃない……聖剣以外にはね」
聖剣が泉に剣先を少し沈めてから、斬り上げてその水を宙に飛ばした。
水が泉に降り注ぎいくつもの波紋を広げる。
「あの人はね、最後にこの泉を見ながらこう言ったの、自分はもう剣を握って戦えない、ってね、ボロボロだったのよ、使命を果たすために大陸中駆け回って使命とも関係ない人々を救って、最後に紋章堕ちの化物と戦って、一緒に旅した仲間もその戦いで亡くなったわ、彼を庇ってね……きっと体より心の方が」
こちらを聖剣が見る、それは忠告するように青い刃を光らせた。
「別に女神が悪いとは言わないわ、その使命を受けたのもあの人の意思だもの、だったら、わたしは最後まで彼と共に戦うだけ、それが剣でしょ? だからそれに対してはなんの恨みもないの、あるのはね――」
一息の後、聖剣が告げた。
「――最後まで一緒にいさせてくれなかったこと」
○
わかる? と聖剣は言う。
「あの人はね、最後に聖剣をあの台座に挿したの、女神の伝説が残るあの場所に、あそこはね、地脈の点なのよ、あの人と共にいた術士が言ってたわ、あの一点はこの地の地脈が収束する場所だって、だから紋章剣であるわたしを挿せば地脈を通じて力を吸い取り、朽ち果てることなくその聖剣は残るだろうって……まったく余計なことをしてくれた、わ!」
聖剣は怒りに任せて剣先を地面に突き刺した。
こうでもしないと何かに当りかねない、自分を制御出来なくなる感情が爆発する。怒りは声に、想いを乗せて叫ぶ。
「どうして! どうして聖剣を置いていくのよ! 聖剣は最後まであの人の剣として最後まで共に居たかったのに! わたしは彼が亡くなった後、部屋の隅で朽ち果てるだけでよかったのに……! なにが、」
〝キミが必要とする人はいずれ訪れる、だからここで待ち続けてくれ〟
そんなの勝手じゃない……!
「……それがわたしの過去よ、聖剣がなんであんな場所に刺さって誰かを待ち続けていたのかわかったでしょ? わたしはね、彼に捨てられたの、うん、わかってるわ。それが聖剣を想ってのことだと言うのは、でも、わたしの気持ちは何もわかってくれなかったのよ」
聖剣は己を地面から抜き上げて、その場に浮かぶ。
青く輝く汚れ一つない刃の先を勇士に向けて言う。
「さぁ、あんたはどう答えるつもり、女神の勇士イケテル! 聖剣が必要だと言うなら答えなさい、あんたにわたしの想いを手にする覚悟があるならその答えを――わたしに頂戴」
イケテルが両腕を組んで目を瞑り、むーと唸りを上げてから口を開いた。
「よし分かった、じゃあ、俺の不幸話をしてやるかっ!!」
どーんと自信満々に答える姿に、聖剣は周囲の皆と共に呆気に取られていた。