四十章 勇士は祈らない
装飾された窓から入る光に照らされる中、鍵盤楽器による荘厳な演奏が響く。
その空間は長方形に長く広がり、中央通路を挟む形で柱が建物を差さえ、その柱の合間には木製の長椅子が並んでいた。
椅子には何人もの信徒が座り、誰もが両手を組み頭を下げ、女神に祈りを捧げている。
そんな神聖な領域の中、一人だけ違うポーズをする、この場に似つかわしくない男がいた。
男は椅子の背に両腕を回し埋もれるような態勢で、天井を見上げている。
女神に祈りを捧げるつもりも、悔い改めるつもりも一切ない、そういう意思表示を見せるように。
あー、と退屈そうな声を漏らして男、イケテルは呟いた。
「おせぇ……アイツ、いつまで待たせんだ」
イケテルは退屈していた。
相棒が上で待っていろと言うのでかれこれ二時間近く椅子に座って待っている。
暇だ、と口から漏れる。
ここでの軟禁生活からも解放されて、やっと外に出れるというのに。
……あれからもう一週間ぐらいか。
イケテルは高い天井を見ながら、一週間の出来事を思い返す。
○
最初の村での事件を解決したイケテルとルゥは丘を越えて隣街に辿り着いていた。
時刻は陽光の紋章が落ち、夜光の紋章へと変わる夕時。
今日は宿屋でゆっくり休んで、明日は朝一で街を探索しようとイケテルは決めていた。
初めての異世界の街だ。最初の村と違って人も多いし広い、冒険者ギルド的なものや、武器屋とかそういう日本ではお目に掛かれないものがあるかもしれない。
観光プランを思い描いていると、さっきからそっぽ向いて何か紋章板を弄っていたルゥがこちらに振り向いて口を開いた。
「イケテルさん、急なお話ですが、入院です」
「は?」
イケテルは唐突すぎる相棒の決定に首を傾げた。
ルゥがこちらの肩を指さして言う。
「肩に赤の紋章が刻まれてるのは覚えてますね?」
ルゥに指摘されてイケテルは思い出した。
自分の右肩には気づいたら紋章が刻まれていたのだ。
恐らくは紋章堕ちの紋章を破壊したときに移った物だと思うが、
「そういや上層部しだいでこれの検査するって言ってたな、つまり検査入院か?」
イケテルは自分の肩をさすりながら、ルゥに聞くと、彼女は一度頷いて、
「ま、そんなところです、なにやら紋章研究所のほうでイケテルさんの解剖、いえ、詳しく検査して話を聞きたいらしいです」
「え、いま、治療でも手術でもなく、なんか人権とか無視した単語が聞こえなかった?」
「大丈夫です、そういった要望があっただけですので安心してください。それじゃあ至急お越しください、という話なので、このまま馬車乗り場に向かいましょう」
何が大丈夫で、その要望ってどういうことか聞く間もなく、ルゥがこっちです、と言葉を残して歩いていく。
その背中姿を見てイケテルはぼやいた。
「あー、くそっ、どういうことだよ、まったく」
置いて行かれるわけにもいかないのでイケテルは彼女の背を追いかけた。
○
目的地は大陸西部中央だという。
街から馬車、あれを馬と呼んでいいかわからないが、とにかく異様に速い馬車に揺られて丸二日。
イケテルは目的地に到着した。
そこは立派な教会のような建物だった。中央部分が一番高く、左右が少し低い、山の形の建物で、てっぺんには紋章が描かれた丸いプレートが取り付けられている。
周囲には他に建物がない。ここから離れた場所には街や村、集落があるようだが、この場所にあるのはこの建物だけだ。
目の前のポツンと佇む教会を見上げながらイケテルは思う。
俺はここに入院するのだろうか?
教会だ。病院ではない。近くにそれらしい建物ものもない。
召されたりしないよな?
イケテルは脳裏に過ぎった嫌な予感に苦い顔になる。
教会は結婚式とかそういう祝福的なイメージと共に、墓地とか葬儀を行う死のイメージもある。
そんな場所に入院するって、死ぬ前提なんじゃないかと疑いたくなるが。
イケテルは隣にいるルゥを見ると、ルゥが短い髪を軽く弄ってから、ローブを軽く払って身なりを整えていた。
彼女はローブの裾を払おうと、手を伸ばして、くの字に屈んだ。すると二つの丘が押し出るように下に揺れた。手で裾を払うたびにソレが揺れる。
イケテルは凝視しながら、ルゥに見えないように左手で握りこぶしをぐっと作る。
よし、ここは天国だ!
そう思っていると、ルゥが姿勢を戻して、こちらに顔を向けて言う。
「それじゃあ入りましょうか、ところでイケテルさん、そのにやついた顔は直してください。これから協会員の人達と面会するんですから、まぁその顔を直すのは無理でしょうが、せめて表情ぐらいはちゃんとしてくださいね、人の胸見て喜んでるスケベな顔は女神の勇士としては恥ずかしいですよ」
「そ、そんな顔してねーぞ、して、ないよな?」
「してますよ、ええ、嘘じゃないです、嘘は嫌いなので」
知っているでしょ? とルゥが一度半目をこちらに向けてから教会の扉へ手を掛ける。
イケテルは自分の顔を両手で縦横に伸ばして、表情戻ったかわからないまま彼女と共に教会の扉をくぐった。
○
教会に入ると荘厳な雰囲気と重圧感にイケテルは圧された。
「……おおう、すげぇなこれ」
つい、イケテルは感嘆の声をあげた。
高い天井。高い柱。高そうな装飾の数々。長椅子が並び、何人もの人たちが祈りを捧げている。
そして一番、目につくのが中央通路の奥に置かれたひと際でかい立派な女神の像だ。
イケテルは祈りのポーズをする女神像を眺めながら思う。
本人より胸が足りない……じゃなく、あれが三流女神のこっちの世界での一流女神のイメージか。
三流なのに一流の扱いを受けている。
イケテルの中で微妙に矛盾している気がしたが、まぁイメージの問題だろう。
実物を知らないのなら偉大な女神として扱っていてもおかしくない。
一人納得していると、中央の通路、眼鏡をかけた白いローブの男がこちらに気づき、駆け寄ってきた。
男は自分とルゥの顔を見て、もう一度自分の顔をじっと眺めてから、口を開いた。
「失礼、あなたが女神の勇士殿ですね。報告通りの方でちょっと驚きまして、いやー嘘じゃなかったんですね」
はははっと悪気もなく笑う眼鏡。
イケテルはその眼鏡割ってやろうかと思ったが、さすがにやめた。
すると、隣にいたルゥが手帳の紋章を見せて、
「女神の勇士の案内を任された、術士のルゥです。上層部の命により勇士イケテルを連れて参りました。宜しくお願いします」
ルゥが頭を下げる。
眼鏡もこれはご丁寧に、と返し一度礼をしてから名乗った。
「自分はこの支部で働く協会員のロックスと言います、この度は所長に頼まれて勇士殿の案内を任されました」
それでは中へ、と眼鏡が教会の奥へと案内する。
イケテルはルゥと歩幅を合わせようと早足でついて行く。
周囲を見ながらイケテルは眼鏡に問いかけた。
「なぁ、ここで俺は検査受けるのか?」
眼鏡が振り返り、器用に後ろ歩きをしながら答える。
「ええ、この聖堂、いえ、正確にはこの先にある入口の中で、ですが」
眼鏡が笑みを浮かべながら、右手でその入口を示す。
教会の一番奥、女神像の右手側にある木の扉だ。
「さぁ、どうぞ、勇士殿一行をご案内いたします」
仰々しく、お辞儀した眼鏡が扉を開ける。
その扉の先にはまた扉が続いていた。
次の扉は装飾が施された鉄格子で出来ていて、眼鏡が壁に刻まれた紋章に触れると紋章が灯り、独りでに鉄の扉が横に開いた。
中に通されると、中は大人が五人ぐらいは入れる広さの箱の形をした空間だった。
イケテルはこれに既視感を感じたので、そのまま思ったことを口に出した。
「これ、エレベーターか?」
すると、眼鏡が眉尻を下げて笑った。
「はは、ご存じでしたか。そうなると勇士殿の出身の世界にも昇降機はありましたか」
「あるある、透け透けのやつとか」
言うと、ルゥが首を傾げながら、
「透ける意味あるんですかそれ?」
「知らん、でも、大体どこにでもあったぞエレベーターぐらい」
眼鏡が顎に手を置いて、うーんと唸りながら言う。
「この昇降機も周囲は格子なので隙間から外の様子は見えますが、やはり他の世界では一般的にそういった技術が浸透しているのですね。この世界、オルトガルズはその辺りがまだまだですからねぇ」
眼鏡が苦笑を漏らした。
その言葉に確かにな、とイケテルは思う。
この世界は魔法のような紋章はあるが文明の発展は遅れていると感じていた。
移動手段は馬車がメインのようだし、あの村も見た限りではこういった昇降機が置かれた様子はない。
まず、機械がないもんな。
ルゥが持つ紋章板は機械のようなものだろうが、アレは女神が造ったオーバーテクノロジーらしいので、カウントしないとして。
浮遊の紋章のような物があるならホバー的な乗り物があってもおかしくないはずだ、どういうことだろうか。
イケテルが首を傾げると同時に、一度大きく揺れて、昇降機が動き出した。
下へと乗った箱が落ちていくと、身体が浮遊感を得る。地下へと降りている証拠だ。
教会の地下という場所にイケテルは思うところがあった。
地下というと地下墓地とか悪魔的宗教とかそういう黒いもんだよなぁ……。
ゲームの知識からとはいえ、イケテルは不安になってきた。
なにせ、これから曰くありそうな地下で自分は検査受けて入院するという流れなのだ。
黒いなにか見せられないだろうなぁ、と警戒していると、薄明りに照らされていた箱の中が一瞬で明るくなった。
昇降機が壁の中を抜けて地下の空間に出たのだ。
そこは一面、白だった。
鉄格子越しに見えるのは真っ白な壁に囲まれた地下とは思えない巨大な空間。
最初に目がついたのは中央を繰り抜いたような吹き抜けの構造に昇る、巨大な光る柱だ。
それを囲うようにぐるりと階層に分かれた廊下がいくつも目の前を流れていく、この地下施設だけで何階まであるのか、わからない。
下を見ると、壁には巨大なモニターがあり何かの情報を流している。字は読めるが数値やグラフは何を指しているのかは不明だ。
イケテルはその光景に呆気に取られていると、がしゃんと音と共に一度大きく揺れた。
昇降機が終着点までたどり着いたのだ。
昇降機の扉が横に畳まれ開いた。
出ると、そこはエントランスだった。中央の光の柱の前を大勢の人々が行き来していく、皆似たような白いローブを着ていた。
眼鏡が前に出て両腕を広げて言う。
「ようこそ、我が協会が誇る、紋章研究所へ」
この世界の文明進んでな、おい。とイケテルは心中で呟いた。