三十八章 広場の感謝
森の中に出来た広場でルゥは大きな石に文字を刻んでいた。
硬化の紋章を刻んだナイフで表面を削っていく。
硬化させているとは言え、刃が折れないよう慎重に、丁寧に、想いこめて掘る。
(彼にとってはそのぐらい大事なものでしょうから)
自分が作っているのは墓標だ。
これはイケテルの望みだ。彼が目覚めて最初に、
「森の広場に行ってゴブオの墓立ててやりたいんだ」
と相談された。彼がそれで満足するのならと、共に森に来て、自分は彼の言う墓標作りの手伝いをしている。
彼が川で墓標に頃合いの石を見つけたのだが、彼は文字が読めても字は書けない、ゆえにここは自分の出番だ。
ルゥは手を動かしながら思う。
(……死者のことを想うのは同じですが)
彼の世界と自分たちの世界では死者の弔い方は違う。
この世界では肉体が滅んでも、光となって大地に還せば、また世界に生まれる一連のサイクルが信じられている。
ゆえに葬儀をして祈りを捧げても、墓は存在しない。亡くなった体は紋章を刻み光へと還すからだ。
近しい人たちが死者を想い忘れなければいい、もう一度生まれてくるその日まで。それが一通りの流れだ。
ならば、彼の世界において墓標を作る意味、実はこの石を探しているときにイケテルに聞いてみた、すると彼はこう言った。
「成仏して欲しいだろ? それに墓があれば、また会えるし、寂しくないよな!」
それはつまり、
(ずっと忘れずにいるってことですよね)
例えこの石の下に眠っていなくても、そこに墓標があることで思い出せる。そういう意味があるのではないかと、ルゥは思う。
これは生者の願いであり、死者への想いだ。どうかここで安らかに眠っていて欲しいという。
それはきっと、彼が友に捧げる最後の感謝なのだろう。
ならば自分も願いを込めて彼の友への言葉を刻もう。
刻む言葉は、
最初の友、ここに眠る。
ルゥは時間をかけ掘り終えた。顔を上げると、額から汗が流れ落ちる。汗をかいていることも気づかないほど自分は没頭していたようだ。
それほど真剣だった自分に内心で苦笑し、ルゥはイケテルに言葉を掛ける。
「イケテルさん終わりましたよ」
後ろを振り向いたが、いない。彼はどこに行ったのだろうか。周囲を探すと木陰の下に彼はいた。
樹の根元に背を預けて、気持ちよさそうに、無駄にでかいいびきをかいて寝ている。
「…………」
しばらく、ルゥはその酷い顔を見てから、指を下に振った。
「落ちなさい」
雷鳴と共に森の広場に野太い悲鳴が響いた。
○
若干焦げたイケテルは石碑の前で手を合わせていた。
(ゴブオ、本当お前は良い奴だったよ、マジ、ほんと、だからもうちょっと話させて、な。今後ろが怖いんだ、凄い怖いんだ、本当マジ助けて)
背後からの威圧感に嫌な汗が出始めてるが、イケテルは逃げることも、祈りの態勢を変えることも出来ないでいた。
背中に視線が突き刺さるどころか、実際に杖でぐりぐりと押さえ込められてるからだ。痛い。普通に痛いのでやめて欲しいが、止めてくれそうにない。
痛みを我慢しながら、彫ってくれたルゥにも、もちろん感謝して友のことをイケテルは想う。
しばらく祈っていると、許してくれたのか背中をぐりぐりするのを止めて、ルゥが横からこちらの手元を覗き込んだ。
「……イケテルさん、そういえばその手を合わせるポーズの意味は何ですか? 食事の時もそれしてましたけど、その石食べるんですか? 手伝いますよ?」
「喰わすなぁ!? いや、喰いませんすいません。……あのですね、これは成仏してくれとか、感謝しますって意味の、はず? 俺の国ではまぁ墓参りとかでは、亡くなった人に感謝を表す意味でやるんだよ。飯食うのもほら、命に感謝? とか作ってくれたカーチャンありがとうみたいな? まぁ食事のときのはババァがうるせぇから癖になってるだけだがな」
自分なりの説明を終えると、ルゥがなるほど、と頷き。隣に座り込み、ゴブオの墓標に手を合わせる。
その横顔を見てイケテルは心の中でルゥに感謝した。
(ありがとな)
イケテルはルゥとのこれまでの出来事を想い返す。
短い間に彼女には色々やられて酷い目も見た、というか酷い目に会いすぎた。囮にされたり紋章で人釣っておちょくったり、彼女は自分が酷い目に合うの楽しんでる節がある、というか間違いなく、楽しんでるだろアレ。
(やっぱり感謝しなくていいんじゃ……)
あれは無表情でわかりにくいが、悦んでいるのだ。ドS。間違いなくサディってる。人が泣いてるのとか実はほくそ笑んでるじゃないかと疑いたくなる。そんな奴に感謝するべきだろうか?
だけど、彼女のおかげでこうして今日を迎えられたのは本当だ。彼女がいなきゃ今も森で途方に暮れたかもしれない。村人にも誤解されたままだったかもしれない、いや今も別の誤解が生まれているが、よくはないが、まぁいい、それに殺されてたかもしれない。そうだ、ルゥは最初、世話はしませんとか言っていたのに、ずっと世話になりっぱなしだ
いつも無表情で滅茶苦茶やるが、根は人をほって置けない、いい子何だと思う。
一緒にいたのは実質二日ぐらいだったが、そのぐらいはわかるようになったつもりだ。彼女が自分の案内人でよかった、本当に。だからやっぱり感謝したい。世話になったことも、助けてくれたことも、自分の相棒になってくれたことも、その中でも特に、
(胸とか、胸とか、胸の感触とか!)
見た、揺れた、当たった。そう当たったのだ! でも、あの時は意識が朦朧としてたから、あの時の感触が思い出せない!
(やっぱあの夜のとき、鷲掴みして感触を覚えていれば……!)
夜のことを思い出し、イケテルは忘れかけていたアレを思い返してしまった。
あの夜、見たアレ。
(アレか、アレはどうしたらいいんだ)
凄い気になるが、聞くべきではないとは思う。実は性別がそっちだとしたら、考えるだけで恐ろしい。逆に性別はそのままで生えてる系だったら、それは自分にとっては新たな扉だ。どっちにしても、知ってしまったらもう、ルゥの胸――じゃなく顔がちゃんと見れない気がする。
どうしたものか、イケテルがルゥの顔をちらっと覗くと。
「…………」
何故か無言でこちらに手を合わせていた。
(それ、成仏しろって意味じゃないよな? な?)
○
ルゥはこのポーズが感謝の意味と聞き、一応イケテルに向けてみたが。
なぜかイケテルは微妙な顔をされた。
いまいち伝わっていないことにルゥは小首を傾ける。
そうなると、ここは感謝を言葉で表すべきだろう。だが、それを言うのは少し躊躇いがある。気恥ずかしいというより、
(なんか負けた気がしますね)
勝ち負けの問題ではないが、なにか悔しい。ついさっきも人に作業させて、居眠りするとか、やってくれた。そんな彼に感謝すべきだろうか。
大体、人の胸をずっと見ている男だ。どれだけ胸が好きなのか、あまりに回数が多いので報告書にはスケベ◎と彼が好きそうな表記で描いてみた。意味はよくわからないがスケベの上位的な意味だろう、つまりドスケベだ。
正直、文句をつければ山ほど出てくる。だけど、そんな相手に、感謝したいと自分はやっぱり思っている。それは本当だ、彼は自分を信頼すると言ってくれた。その言葉に一切の嘘が無いとわかってしまい、あの時は驚いた。
この性格と嘘を見抜く体質のせいで、身内を除けば、信頼することも信頼を受けることもなかった。ずっと他人と距離を取って生きてきた。なのに彼は自分を信頼するしかないと言ってくれた。
あの時、自分のことを必要だと言ってくれこと。広場でも彼は自分がいないとダメだと怒ってくれこと。嬉しかった。
それに最初から、私は彼が気に入っていたのだ。広場で初めて彼が一人で叫んではしゃいでいたときから、……そう、彼は、
(本当にいいリアクション取りますよね!)
彼は顔がまず酷面白い。ブサイク、しかもこの世界ではまず見ないタイプの珍獣顔だ。もうこの時点で良い。天然ものだ。そのうえ表情豊かだ。彼は顔だけでなく体全体で気持ち表す、ゆえにいいリアクションが出来る。叫ぶ声もいい。ただツッコミのバリエーションがもっとあるといいと思う。そこは今後に期待したい。
白状すると自分は人のリアクション、感情が好きなのだ。自分が感情を表に出さないせいか人の感情を見ると楽しくなる。驚いた顔も、笑った顔も、泣いた顔も。特に地元で何故かよく突っかかってきた彼女はよかった、小さい彼女は必死にこっちに食って掛かってくるので、仕方なく受けて負かしてやると、泣いて帰っていく。あれは良い顔だった。泣き顔部門では彼女が一番だが、彼は驚きの顔部門では最高だ。リアクションが本当にいい、紋章板は動く姿も写せたらいいのだがさすがにそんな機能はない、残念だ。
(そういえば一つ、イケテルさんに言ってないことがあるんですよね)
ルゥは悩んだ。さすがにこれは使うかどうか悩む。
これをこの時にこの場所で告げるのはさすがに酷じゃないかと。自分にも良心ぐらいはある、はずだ。自信はない、でも、
(いいリアクション取る気がするんですよね)
言いたいが、さすがに気が引けた。これを知ったら彼は本当に悲しむかもしれない。それは自分が望む顔ではない。
どうしたものかルゥは少し考えて決めた。
(聞かれたら答えましょう)
嘘は嫌いなので。聞かれたら答える、これは仕方ない。決してリアクションが見たいわけじゃない。
ルゥは手を合わせるのを止めると、彼が頭を指でかきながら、短く笑って言った、
「そ、そう言えば、なんでゴブオは俺のこと助けてくれたんだろうな」
ルゥは内心で言葉を作った。
あー、聞いちゃいましたかー、と。
○
イケテルはなんとなく話題を変えようと切り出したのをちょっと後悔した。
何せルゥが急に立ち上がって、
「イケテルさん少し待ってください、今、写し撮る準備するので、やっぱり正面か、斜めからでもいいですね」
とか、何故かスマホもとい紋章板持って念入りに撮影場所を模索しだしている。
(……こえーよ)
どんな真実があるのかイケテルはちょっと怖くなってきた。
正直、ゴブオがどうして助けてくれたのか自分で考えてもわからないのだ。
ルゥ曰く、森人は森の環境保全をする存在。つまり、自然に生きるなら人と関わる必要がない。それにゴブオは仲間を人間に殺された、むしろ人間を憎く思っていてもいいはずだ。それなのに、何故彼は助けてくれたのだろう。
イケテルがその疑問に首を捻っていると、準備を終えたのか、ルゥが手を上げた。
「では、イケテルさん、聞く準備はいいですか? 泣かないでくださいね、私が泣かしたみたいになるので」
「それ聞く限り感動的なことじゃないと言うのはわかった、まぁ言ってみ」
手振りも付けて言えとルゥに催促する。
彼女は紋章板を構えながら淡々と説明をしだす。
「まず、森人として考えてみると矛盾だらけなんですよ、ゴブオさんの行動って。イケテルさんにも言いましたが、彼らは普通人間に関わろうとしません。もちろん森を破壊したり荒らしたりする相手なら別です、それは敵対行為ではなく彼らにとっては当たり前の存在を意味する習性からなので、なら逆にゴブオさんがイケテルさんを救うとしたらどの条件なら当てはまるか、それを考えれば彼が助けてくれたことがわかります」
ルゥの言葉にイケテルは思案する。
条件として当てはまるとしたら、森の環境を整えることが、自分を助けることに繋がる場合か、でも、
「俺にアイツを、森を荒らしたあのクソ野郎をぶっ倒して欲しいって理由じゃないよな、俺が助けてもらったのはあの果物喰って、ぶっ倒れたときだし、あの時点でゴブオが俺を女神の勇士だと認識できたのなら別だけど、たぶん違うよな」
「そうですね、それは違うと思います。女神の勇士として頼みたいなら、イケテルさんを介抱した岩場から出て行かずに最後まで面倒見ようとしたと思います。自分の願いを叶えるためにも、だからもっとシンプルな答えがあるんです」
「シンプル?」
「ええ、恐らくこれが当たりじゃないかと、もういいですね、言っちゃいます」
イケテルはルゥを見て素直に思った。
(なんでこいつ楽しそうなんだろう)
ルゥはいつもの無表情なのに言葉の端々には言いたくてうずうずしているのがなんとなくわかる。
なんか悔しいので一応宣言しておく。
「先に言っとくが、驚かんからな! そうそう同じようにリアクション取ると思うなよ!」
負けフラグな気もするが、イケテルは無表情を貫こうと構えた。
わかりました、とルゥが頷いて、少し間を置いてから答えを言った。
「ゴブオさんはイケテルさんのこと同じ森人だと思ってたんですよ」
「は?」
「村の人が小鬼と勘違いしたようにぶっ倒れてたイケテルさんのこと仲間だと思って助けたんでしょうね」
イケテルはルゥの説明を受けてしばし、思考が止まった。
それはつまり、
「ゴブオおおおおっ! お前もかああああっ!!」
イケテルは空高く叫んだ。空に光となって昇った友に向けて言うように。
言い終えたあと、イケテルは友の墓石に視線を落とし、
「――ったく、ありがとなゴブオ!」
歯を見せて笑った。
○
ルゥは見ていた。紋章板に写した笑顔を。
(……まったく)
自分が期待してた顔とは違う顔だ。
にししと笑っている彼。
いい顔だ、とルゥは正直に思った。自分もいつかこんな風に笑えるだろうか。
静かに紋章板を指でなぞり、その写した絵を消した。
これは自分の心の中だけに。
「おい、それ写したのみせてみ」
イケテルが手を伸ばして要求するので、自分は真実を言うことにした。
「消しましたよ」
「本当か? というか写してどうすんだよ俺の顔なんて、はっ!? もしや俺のことが好――」
「あ、ないです、イケテルさんそれは絶対ないです。嘘じゃないですよ、いつも言ってるじゃないですか、私は嘘は嫌いです、本当ことしか言わないって」
イケテルが絶対って言うなー、と怒っているが、まぁ本当のことだから仕方ない。
ルゥは微笑してる自分に気づきながらも今日、この時だけはそれを隠さないことにした。
さて、今日までの出来事を振り返るのはここまでだ。
次は、明日からの進むべき道を彼に聞かねばならない。