三十四章 雷光
ルゥは準備終えて、合図として紋章を村の男達に打ち上げさせていた。
使ったのは村の祭で使う、打ち上げ型の紋章だ。
簡単な形なら空に光として描けるし、軽い物なら打ち上げることもできる娯楽用の簡易紋章だ。
「さて、準備は整いましたが、イケテルさんは無事ですかね」
広場の方を見ると、そこから少し西の方から大きな音が立て続けに聞こえる。何かを破壊する音だ。
村長や男達も何事かと、その方角を見る。
音はだんだんこちらに近づいてくる。
(あれは)
ルゥは杖で浮かび、音がする方角を確認した。
一直線に建物を破壊しながらこの大通りに向かって何かが突き進んでくる。
「派手にやってくれますねぇ」
ルゥは一度呟いてから、下の男達に伝える。
「皆さん、逃げてください! まもなくここに紋章堕ちが来ます! 巻き込まれないうちに急いで!」
村長は男達にすぐに避難指示を出し、こちらを見上げてから、一度頭を深く下げた。
ルゥはそれに頷き返して、前を見据える。
「準備は整いました、あとは育つのを待つだけですね」
○
イケテルは無事だった。
(……危なかったぁ!)
空に上がった合図に気を取られて、一撃を貰いそうになったが、目についた、家の窓に頭から飛び込んで難を逃れた。
イケテルは建物内にお邪魔している。その足は止めず、出口、外に通じるドアへ急ぐと、背後から何かが崩れる大きな音が聞こえた。
「あいつ、塀をぶち破ったか!?」
その音だけで何が起きたのかイケテルは把握出来た。
急ぎ、ドアの鍵を開けようとしたとき、背後、先ほど入ってきた窓が壁ごと破壊された。
紋章堕ちだ、アレにとっては狭い天井を頭を下げて入ってくる。
「ちっ、馬鹿力が過ぎんだろ!」
イケテルは言うと同時にドアを蹴り破って外に出た。
向かうは合図のあった場所、その方角へと走る。
通りには出ない、平坦なまっすぐな場所では奴に追いつかれる。
故に、庭を走り、家庭菜園の柵を跳び超え、敷居の塀を超えて、跳んで、走り続ける。
後ろから聞こえる破砕音からとにかく逃げる。
「クソ、アイツ止まらねぇなぁ!」
頭に血が上り血が垂れてきたので、イケテルは手で拭う。
最初飛び込んだとき、窓ガラスの破片でこめかみ辺りを切ったらしい。
「あーくそっ、まったく、イテェし疲れたし!」
手当てする暇もない、息を整える暇もない。
破砕の音が鳴りやまない。こちらを一直線に追いかけてくる。
奴にとって家や塀は、迂回する程度の障害ではないらしい。
それでも、奴は破壊するたびに足を止める。これなら距離を稼げるはずだ。
「もう少しで東通りに出れる……!」
新たな家に窓から押し入り、家の中を三歩で横断して、今度は窓から庭に跳び出した。着地と同時に走ろうとした時、イケテルは気づいた。
背後からの破砕する音が止んでいることに。
「なんでだ」
不審に思い、背後を振り返ると、赤い塊が家を突き破って出て来た。
突っ込んで来た赤い塊にイケテルは妙な既視感を感じながら、宙を舞った。
○
「……あ、どこだ、ここ」
イケテルは自分がどこにいるかわからなかった。
さっきまで逃げていたはず。
「そうだ、あのクソ野郎が壁突き破って……ってぇな」
棍棒を支えにイケテルは立ち上がる。
イケテルが周囲を確認すると、後ろの家が倒壊していくところだった。
立っている場所はさっき出てきた家の庭だ。どうやら遠くに吹き飛ばされたわけじゃない。
紋章堕ちの一撃もさすがに家一件突き破った後だと威力が落ちたようだ。
「……そうだ、アイツは?」
「あっしならここでやすよぉ」
イケテルの前に紋章堕ちが飛び降りてきた。
赤い巨体が、こちらの行く手を阻むように立ち塞がる。
「小鬼の旦那ぁ、もう逃げられないでやすよぉ」
ひひっと声を漏らすが、紋章堕ちの顔に笑いはない。
「もう逃がしやせんぜぇ」
赤いラインが走った巨大な手がこちらの頭へと伸びてくる。
恐怖はない。体は重い。心底疲れた。頭もぼんやりして働かない。
今、この状況を打開する術が自分にはない。
(あーくそ、ここまでか……悪りぃ、ゴブオ)
イケテルは心の中で友に謝罪した。仇を取れずごめんと。
それともう一人、謝らなければ、頑張ったがダメだったと。
「悪い、ルゥ、俺は――」
『イケテルさん! しゃがんでください!』
その声にイケテルではなく、体を支えていた棍棒が反応した。
棍棒が勝手に倒れだす、支えを失い、イケテルは前に倒れた。
そして、その上を雷光が走った。
○
ルゥは撃ち込んだ術式の効果を見た。
建物を穿たれ、崩れていく。イケテルのいるところまで一直線に道を作り上げていた。
行ったのは、砲撃だ。ありったけの打ち上げ用の照明の紋章に、祭用の火薬を詰め込み、村の男達に運んでもらった石の塊を無理やり打ち出した。
弾丸として使ったのは通りの石材店にあった、一メートル近いマスコットキャラの石像だ。
確か、西部のほうでひと昔前に流行った、丸を二つ組み合わせたような生き物。
名前は覚えてないがタヌキのような獣だった気がするが今は気にすることじゃない。
「イケテルさん!」
ルゥは急ぎ彼の元へと走る。
打ち上げ術式はいざというときの迎撃の手段として準備していたが、ひと際大きな破砕音の後、突然音が止んだので、彼の身に何かあったのではと、アレに仕込んだ印に誘導させてぶち込んでみた。
さすがに考えなしだったか、とも思ったが、ぶち込んで正解だった。
彼が頭から血を流して倒れている、かなり危険な状態のはずだ。
「イケテルさんしっかりしてください」
返事がない、イケテルは眠るように倒れている。
ルゥは彼の頭を膝にのせて、自分のローブの裾を裂いて、止血する包帯代わりに巻く。
「さぁ、イケテルさん立ってください」
彼の腕を取って立たせようとして、出来なかった。
重い、この巨漢は非力な自分には持ち上げられない、懐から予備の浮遊の紋章が刻まれた紙を取り出し、彼の服に貼り付ける。
彼の身体が紙に引っ張られて多少浮く。
「イケテルさん、あとでダイエットしてくださいね」
ルゥは軽くなったイケテルの体を支えて通りへと歩いていく。
「まぁイケテルさんは女神様のお力でその姿になったようなものなので、痩せようとしても無理な気がしますが」
ルゥは彼に話しかけるが、彼は何も言わない。
いつもなら、クソが、三流女神めぇ! 絶対に許さねぇぞ! と叫ぶだろうに。
「イケテルさん、リアクションが薄いですよ……私はイケテルさんがその面白い顔が、さらに面白い顔になるのを見るのが密かな楽しみなんですから」
だから、
「何か言ってくださいよ、イケテルさん」
「……お前……なんで、そんな、楽しみもってんの」
ルゥは見る、そのブサイクな顔を。
酷い顔だ。傷だらけで、血と汗と泥に汚れている。だが、今はその顔が見れるのが何より嬉しい。
「イケテルさん、生きてましたか」
「……殺すな、ちょっと寝てただけだ、あーくそ、腹減った」
ルゥは彼に見られないようローブの裾で目を拭う。
彼は生きている。だが、
「まだ終わってませんよ、というかこれからやるんですからね」
「……ああ、わかってるわかってるさ……ところで今凄い大事なことに、気づいたんだが……。胸当たってねぇか……!」
イケテルが彼の身体を支えるために密接させた、こちらの胸を凝視してきた。
ルゥは大きくため息をついて、
「イケテルさん、全部台無しにするの何なんですか、そういう特殊能力ですか」
「……いや、知らんし、ケチ女神にそんなユニークスキル貰った覚えはねぇよ」
「そうですか、報告書にはユニークスキル:フラグブレイカー(セクハラ)って書いておきますね」
「おい、待て、その報告書ってなに? というかそれ書いて誰がみるの? なぁ」
いまだに胸から視線を外さないでしつこく聞いてくるイケテルを無視して、ルゥは彼を支えたまま通りへと向かった。