三十一章 木野球
紋章堕ちに追撃を仕掛けようとイケテルは突っ込んだ。
奴は今、体の大部分が半壊した家に押し潰されて、下半身だけが見えている。
無防備だ、今なら何度も攻撃を叩き込める。膝を曲げて、家に飛び込もうとした時、眼前に、赤い模様の壁が現れた。
「壁!?」
イケテルはその壁に打撃された。
咄嗟に棍棒でガードはしたが、衝撃で腕がしびれる。
家の前から通りを超えて広場まで飛ばされた。
何が起きたか、イケテルが立ち上がり、見ると、赤い足の裏が向けられていた。
壁と思ったのは足だ。
紋章堕ちが近づくこちらに倒れたまま前蹴りを放ったのだ。
「くそっ、人にきったねぇ足を向けるな! カーチャンに言われなかったか、おい!」
文句をつけると、足を地面を付け、紋章堕ちは家の残骸をどかして立ち上がる。
こちらを睨みつけているその顔に、今まであった下卑た笑いはなくなっていた。
(なんだ、今更マジになったか)
イケテルは息を整える。大分消耗したが、まだ動ける、動かなくてはいけない。
構える、相手がこちらに突撃してくるなら避けて一撃を叩き込む。
そのつもりでイケテルが相手を見据えると、奴はその場から動かず、腕を振り上げていた。
その腕の先には、半壊した家の材木が掴まれている。
一気に長い腕を振り降ろし、それを投げた。
「はぁ!?」
上から下へと叩きつけるように木の柱が飛んでくる。
それも、一本だけでなく、次々と奴は材木を投げつけてきた。
○
紋章堕ちは戦い方を変えることにした。
弱い小鬼が何故か突然強くなったからだ。
体はこちらのが大きいのに、ちょこまか動いて、こちらの拳を何度も弾かれた。
痛い痛い痛い。
痛いの嫌だ。傷はすぐ癒える、負けるわけがない。だが、アレはこちらを殴れる。
殴られれば痛いのだ、だから殴られないように近づかせない。
丁度良く投げる物がたくさん落ちている、だからこれを投げる。
「あっしぃを怒らせたぁ、小鬼の旦那が悪いんでやす!」
小鬼が動かなくなるまで投げる。投げる。投げる。
落ちてる材木がなくなれば、半壊して突き出た柱を引き抜き、へし折り、投げる。
目の前の広場からは材木が砕く音が聞こえる。
小鬼が手に持った木の棒で投げた材木をうち砕いている。
生意気だ。小鬼の分際で。
だが、これで奴は近づけない。痛くない。
口の端を吊り上げ、紋章堕ちは投げ続けた。
○
イケテルは棍棒を振り回していた。
飛んでくる材木を打ち砕く。
もちろん全部砕くつもりはない、回避できるものは回避して、回避しづらいものは砕くか、弾く。
そして、少しずつ前に距離を詰める。
だが、前に行くほど、飛んでくる材木の速度が上がるため、回避してる余裕がなくなる。
かといって、全部砕くのも厳しい。
一旦距離を取るか、思案したとき。懐から声が響いた。
『イケテルさん、聞こえますか。重要な話がありますのでそのまま聞いてください』
イケテルは槍のように飛んできた柱を右に避けて、横向きに飛んできた材木を棍棒で砕く。
『アレの倒し方で一つ案があります。奴の身体のどこかに起点となった赤い紋章があるはずです、それを叩けば奴を倒せるかもしれません』
(赤い紋章?)
イケテルは飛んできた壁の破片を弾いて、紋章堕ちを見る。
全身肥大化した筋肉の塊は体中に赤いラインが走っている。真っ赤だ。
「いや、わかんねーだろ! あれじゃ、っと!」
今度は木でなく石礫が来た。
手頃な材木がなくなってきたのか、半壊した家の中にある物を片っ端から投げ始めた。
『イケテルさん、奴の身体に何か赤い模様が入ったものはありませんでしたか? もしかすると多重に展開されて紋章の形を保ってないかもしれません』
イケテルはその言葉に思い出す。
赤い模様、ぐちゃぐちゃになったようなもの見た気がする。
それは、壁。奴の足の裏に。
ハッとして、イケテルはルゥに聞こえるように叫んだ。
「足の裏だ――――ッ! って家具だ――――ッ!?」
気づけば、巨大な口を開けた木製家具が空から落ちてきた。
○
ルゥは見た、イケテルが年季が入ったワードローブに潰されるのを。
ひときわ大きな音が広場に響いた。
「イケテルさん!?」
あの大きさのワードローブは嫁入り道具で持たされる巨大な家具だ。あのサイズだと100キロはくだらない。
いくら彼が頑丈でしぶとくても、アレに潰されたらひとたまりもない。
安否を確かめようと急ぎ近づこうとして、音がした。
木を叩く音。音は何度も聞こえた。
音の方向は、彼が潰されたところから。
(まさか)
急ぎ走り、ワードローブの元へたどり着くと。背面部分を叩く音が聞こえる。
ワードローブは扉が開いた状態で地面に倒れていた。彼はどうやら覆いかぶさる形で中に入り込めたようだ。
不幸中の幸いだ。ある意味運がいい。
ルゥは紋章が刻まれた紙を口に当てて聞く。
「イケテルさん無事ですか? イエスなら二回叩いてください」
ドン、ドン、と二回叩く音がする。
その音に、ルゥは胸に手を置いて安堵した。
(……無事のようですね)
ルゥはワードローブに手で触り確かめる。
(この年季が入った物だと、おばば様の家にあったものと同じ系統ですね)
そうなると相当厚い。それに彼の巨体ではこの中では身動きとりづらく破ることは難しいだろう。
「窒息する前になんとかしましょう」
ルゥは腕の裾を捲り、刻まれた雷の紋章を露わにする。
ワードローブの上に指を置いて紋章を刻む。使うのは自分に刻まれた雷の紋章だ。
「イケテルさん、今からワードローブを雷でぶち破りますので耐えてください、大丈夫ですね。イエスなら二回叩いてください、はい」
ドンドンドンドンドンとワードローブの背面から音と振動が立て続けに響いた。
ルゥはそれを無視して、数歩下がってから、指を横に振った。
「弾けなさい、炸雷」
紋章から稲妻が一度、ワード―ローブの面の上を四方に走り、そのラインを炸裂した。
背面を叩く音が止み、煙と焦げ臭い匂いが漂う。
次の瞬間、大きな音と共にワードローブから巨漢が飛び出した。
「あっちいいいいいい!?」
飛び出たイケテルが地面を転がりまわる。
ルゥはしゃがみ込み、声を掛けた。
「イケテルさん無事ですか?」
「ハァハァ、ああ、おかさまで、な! 焦げただけで済んだよ!!」
ルゥは立ち上がったイケテルを見る。
少々服は焦げているが、傷はなさそうだし、とりあえず元気そうだが、
(ん?)
彼は手に何か握りしめている。ルゥは立ち上がってから指摘する。
「イケテルさん、それ」
「ああ、なんかさっきの中に入ってたもんで――なにこれ」
イケテルが手に持った、白い布を広げる。フリルがついた女性用下着だ。
彼はしばらく呆然とそれを眺めている。
「イケテルさん?」
ルゥは半目をイケテルに向けると、彼は慌てて。
「お、応、なんだ、あ、助けてくれてありがとうございます」
と、ペコペコ頭を下げながら、イケテルがズボンのポケットに下着をしまうのをルゥは見逃さなかった。
「……不幸中の幸いでしたね」
「お、おう! 不幸中の幸いだった!」
どっちの意味だと、分かり切ったことをルゥは思うが、今はそれどころではない。
「イケテルさん、足の裏に紋章を見たんですね」
「あ、おう、アイツに蹴られたとき、足の裏が赤く模様みたいになってたはずだ、どっちの足か分からねぇが」
その言葉に、ルゥは思いだした。
(確かあの男は……)
一度頷いて、イケテルに言う。
「イケテルさん、作戦を考えたのでちょっといいですか」