三章 いざ行け、村へ
イケテルが森を抜けると目の前に緑のゆるやかな坂が飛び込んできた。
丘だ。
一息付き。後ろ、先ほど抜けてきた森の道をちらりと見てイケテルは呟く。
「……もう二度と森には入りたくねぇな」
森の中は一言で表すと大自然キングダムという感じだった。
草木は繁栄し、倒れた木が重なり合って自然の壁になり、人が通るような道がない。まさしく自然様の国という具合だ。
そんな中を強行突破してきたので顔や手にはスリ傷だらけで服も汚れてかなりボロボロな状態になった。
「道もねぇし、人が通った様子もないし、看板書いた奴はどこ通って来やがったんだ……」
看板の示す通り、川沿いに下ると途中から川の幅が広がっていたり、滝があったりと進むのも困難だった。
森を抜けてから、目印にしていた川は丘の方を見て左手側。まだ続いてる森と丘の境界線のように流れている。
(ぐるりと回ってるようだし、この丘を登れば川の先にある村が見えっかなぁ……しかし疲れた)
森を抜けるのに体力を相当消費した。最初に比べてだいぶ足が重くなってる。
当たり前だが、ステータスMAXとは言え限界はあるわけだ。
興味本位でどのぐらいの力があるか道中でちょっと試してみたが、
(なんとか倒木はどかせたけど、生えてる木はさすがに引っこ抜けなかったなー)
ステータスMAXとはいえ肉体は人間だ。人の限界を超える力はさすがに無いらしい。
それでも人としては相当なパワーがあるとイケテルは思う。
(これなら武器があれば魔物とも戦えっかな……まぁ魔物なんて出なかったけど)
森で魔物や怪物などとエンカウントしないかとちょっとビビっていたが影も形もなかった。他にも、
(森に住むエルフの縄張りに勝手に踏み込んでエルフの美少女に捕まるとか、泉で清めてる裸のエルフの美少女と出会うとか、えっちな格好の妖精とか期待したのになー)
異世界お約束的なイベントは一切起きずにただただ森を踏破しただけだった。
ここは本当に異世界なのか、ちょっと疑いたくなってきた。
「そこらも村に辿り着いてわかるかねぇ」
とりあえず丘の上まで行って休憩しようと、イケテルは坂を上り始めた。
○
「これは絶景だな」
丘の上でイケテルはつぶやいた。
上から見える風景は広大だった。
遠くには山々が連なり、眼前の平地には緑の草原が広がっている。
ここから少し離れた緑の中には黄色と茶の色が混じる四角い場所がある。恐らく耕作地だ。
そしてその耕作地を挟むように一本の帯が伸びてるのが見える。道だ。
その道を目で追うと家や畑がぽつぽつと増えていき、建物が密集している場所が見えた。
「看板に書いてあった村がアレか!」
川も森から離れてその密集地帯に続くように流れを伸ばしているし間違いなさそうだ。
やっと見つけた。人がいる場所だ。森スタートからやっと村に辿り着ける。
「よっしゃああ! 待ってろ村人共おおおお!」
疲れていることも忘れてイケテルは意気揚々と駆けだした。
○
高かった陽が少し傾きだした頃。
村に辿り着けたイケテルは建物の壁に隠れて村の様子を伺っていた。
目につく家々は木造やレンガのようなで構造材で出来ている。丸い家や四角い家と形は様々だが、どの建物も壁の一面に紋様が描かれている。
(管理者が言ってた紋章って奴か、あれ)
建築にも使われてるとしたらこの世界では一般的な力なのかもしれない。
店が並んでいる通りを伺うと、人の好さそうなおじさんがこちらに歩いてくる。
イケテルはそっと隠れて、バレないように建物の影から影へと音を立てずに素早く移動して行く。
別にこそこそする必要もないのだが、一つここにきて問題が出来た。
(なんて話しかけたらいいんだろうか!)
意気込んでここまで来たのは良いが、いざ話しかけようとして、どう切りだしたらいいか悩んで隠れてしまった。
おっす、俺イケテル! 異世界から来た勇者です! なんて正直に言って信用されるだろうか、いや絶対頭がおかしい奴扱いされる。
(……とにかく話しかけやすそうな人を見つけっか)
理想としてはきちんとこちらの話を聞いてくれる美女だ。フラグが立つかもしれないし。あとおっさんは嫌だ。
イケテルは大通りを避け、村の外側に並ぶ家の影に隠れながら慎重に進んでいく。
細い通りに差し掛ったところで、人の気配に壁に身を寄せて隠れる。
そっと顔だけ出して覗くと、通りの向こう側にある家から若い女性が出てくる。
髪を束ねる留め具として巻いている、鮮やかな黄色のスカーフが目につく美女だ。
どうやらステMAXの恩恵で自分の動体視力も相当良いらしい。今も彼女が家の前に置いてある踏み台を拾おうと屈んだ際、スカートに浮き出た尻のラインも見逃さなかった。
そのまま彼女は踏み台を抱えて家の裏側へと向かっていく。
(……いい、とりあえず追いかけよ)
もちろん話しかけるためだ。ここはどこなのか聞きたいし。決してやましい気持ちからではない。
よしと頷くとイケテルは静かに素早く、彼女の尻を追った。
○
彼女は家の裏庭にいた。
イケテルは隠れてその様子をうかがう。
彼女は木製の踏み台に乗って、吊るされた縄に黄色い瓢箪のような物をいくつも結ぶ作業をしている。
(……いつまでも見てないで、勇気もって話しかけるべきだよな)
問題はどう切りだすかだ。
無難なところで、自分は旅人で迷ってこの村に辿り着いたとかそんな設定でなら話かけやすいか。
決めた。っし、と静かに気合入れて、音を立てずにイケテルは彼女の背後へ向かう。
まだ彼女には気づかれてはいない。
(俺、落ち着け、まずは軽い挨拶だ、挨拶ぐらいできるだろ)
心臓がバクバクしている、異世界で記念すべき第一異世界人との接触だ。
一度息を整えて、
「あ、あのおおぉ!」
緊張のあまり声が裏返った。
自分の呼びかけに彼女が驚き振り返ろうとし、
「あっ」
彼女が声を漏らした。踏み台の足場から足を踏み外したのだ。背中から落ちてくる。
まずい。
イケテルは受け止めようと足を一歩前に出す。が、その一歩がなぜか自分の思う一歩より短かった。
「あれ、くっ、そぉい!」
咄嗟に頭から前に飛び込む。
「きゃっ」
彼女の短い悲鳴と共に背中に重さが来る。
ヘッドスライディングになってしまったが彼女を背で受け止められたようだ。
(うえぇ……つめてぇ)
自分の顔が泥に埋まっている。
家の裏側は日が当たらないのか、昨日雨でも降ったのかあるいは両方か、地面は水気を含んでいて泥のようになっていた。
(ついてね――ってうおおっ、柔らかぬくもり!)
受け止めた背中に柔らかいぬくもりを感じた。
女性とこんなに密着したのは人生で初めての事だ。
これなら顔が泥だらけになってもプラスだ、とイケテルは嬉しくなる。
「いたた、あれ、あ、すいません私ったら!」
彼女が自分を下敷きにしてることに気づき慌てて背中からどいた。
背中からぬくもりが消えてちょっと残念だが、イケテルもその場を立ち上がる。
「あの、大丈夫ですか?」
後ろから彼女が心配して声を掛けてくれる。その言葉が妙に嬉しい。
ちょっと助ける格好は無様だったが、いい印象を与えるイケメン対応だったはずだ。
(あとはカッコよく決めれば、フラグが立つ……!)
左手を腰に当て、右手を軽く振り、手首をスナップして指をパチンと鳴ら――ない。
締まらないポーズを取りながらイケテルは振り向いた。
「フッ、俺は大丈夫ですよ。それよりお嬢さんこそお怪我は――えっ?」
彼女を見ると真っ青な顔している。何か恐ろしいものを見ているような表情だ。
「もしかしてどこか怪我を?」
心配になり彼女に近寄ろうと、イケテルは足を一歩前に出す、すると。
「い、いやああああ、ば、化物! 小鬼が! 小鬼が出たわーー!」
彼女が指をこちらに差し悲鳴を上げた。
「うええぇ!? 化物おおっ!?」
イケテルは思わず声を上げて、彼女の指さす方向、自分の後ろを振り向いた。
(おいおいおいおい!? 化物なんてここまで出なかったのに村の中では出んのかよおお!?)
急ぎ周辺を確認する。
だが、そこには化物の姿もない。家の壁と干された瓢箪だけだ。
「あ、あれ? あのすいません、なんもいねぇんだけど」
彼女のほうに向き直すと、彼女の姿もなかった。
「は? どこ行った」
辺りを見回してみると彼女が通りに逃げる姿がちらっと見えた。
「ちょ、ちょっと待ってー! お嬢さああん!」
この場は危険だ、と感じイケテルは彼女を追った。
とにかくここから離れたい。化物は見えなかったがどこかに隠れているかもしれないのだ。急ぎ人がいる場所へ移動しなければ!
家の敷地から通りに猛ダッシュで出ると、通りの先にさっきのお嬢さんと二人の男がいた。
彼女は男にしがみつき家のほうを指さし何かを伝えている。
あの様子からやはり何か恐ろしいものを見たのは間違いなさそうだ。
(よし、俺も化物がまた出てくる前に男の人の元へ急ぐんだ!)
おーいと手を上げて駆け寄ろうとしたときお嬢さんの声が通りに響いた。
「あ、アイツです! 私を背後から襲おうとした小鬼です!」
彼女が通りをまっすぐ指さしている、その方向にいるのは自分だ。
(え、まさか後ろに!?)
後ろを見る。
だが通りの先は柵があり、T字の形で左右の道が通りと繋がっているだけだ。
(……何かおかしい)
イケテルは嫌な予感を覚えながら、前を向き直すと、
「小鬼がこっちを見たわ!」
と、またこちらを指さして彼女が声を上げている。
待て、と心の中で呼びかけ、イケテルは落ちついて考えてみる。
先ほどから彼女は誰に言っているのか? もちろん、それはこの通りにいるモノにだ。
それは自分が確認できない化物にか? 彼女は見えない化物に言っているのか? まさか。
嫌な予想がイケテルの脳裏をよぎる。
(俺に言ってんじゃねぇよな……?)
いやいや、化物と人間間違えるなんてありえないことだ。
確かに森を抜けて服はボロボロだ。さっき泥に顔面ダイブしたから泥まみれでもある。だけど人と怪物間違えるとか。
(無いよな……?)
ありえないことを考えていると、男達が近くに立てかけてあった棒を手にしてこっちに向けている。
(あれー? これってあれ、あれれー?)
迷いながらもイケテルはわずかに後ずさる。
まだ遠いが男達から明らかな敵意を感じる。
まずい。ありえないことだが、もし化物と間違われてるとしたら。
急ぎ誤解を解かないと、自分の身が危ない。
「あ、あっ! 俺、異世界――いや、旅人で! あのぉ!」
気が動転して要領を得ない言葉を叫んでしまった。
だが、声は届いたのか二人の男はこちらに武器を構えたまま言葉を交わす。
「おい、何か喋ってないか?」
「何言ってんだ、小鬼が喋るわけないだろ?」
ステMAXの恩恵は聴力にも効いてるらしく、男達の会話はこの位置でも聞き取れた。
自分はなぜか小鬼とやらと間違われてるらしい。酷い誤解だ。どう見ても人間だろうに。
だが、男が言うには小鬼とやらは喋らないそうだ、なら人間であることを主張した言葉で押せば小鬼ではないと分かって貰えるはず。
コレだ! とイケテルは思いついた作戦を早速実行した。
「ワタシ! ニンゲン! カイブツ! チガウヨ!!」
主張するべき単語を選らんで叫んだ。
これで馬鹿でも通じるはずだ。
すると男達がまた顔を見合わせて、
「おい、なんか人間って言ってるぞ、もしかして小鬼じゃないんじゃないか? 小鬼してはでかいぞアレ」
「うーん、確かに、汚いデブなだけかもしれん」
さらっと悪口が聞こえた気がするが気のせいだろう。
イケメンマシマシセタカメイケボチョイシブステMAXにして貰ったはずだし。
(なんでその小鬼という化物と間違えられたかはわからないが、これで一安心だな)
とりあえず誤解が溶けたようだ。
ほっとしながら、イケテルは彼らの元へと近寄ろうとしたとき、片方の男が待てと叫んだ。
「今思い出したのだが、爺さんからこんな話を聞いたことがある。酒場で飲んでた爺さんが酔っぱらって家に帰るとき、通りで喋る小鬼と会話したことあるって、なんか樽みたいな小鬼だったとか! アイツ、それなんじゃないか!」
(いやそれ酔っぱらってタルと間違えただけだろ!)
イケテルは内心でツッコミ入れた。誰がそんな与太話を信じるのか。
だが、もう一人の男はその与太話に同意した。
「そうか! じゃあアイツは小鬼で間違いないな!」
結論づけた二人の男が互いに顔を見合わせ頷くと、
「「捕まえろおおっ!!」」
棒を振り上げてこちらに向かってきた。
「クソジジイめええええっ!!」
イケテルは決定打になった話をした酔っ払い爺を怨む叫びを上げ、反対方向に全力ダッシュした。