本能
モニターのアルバイトが予定より5時間も早く終わり、老人は時間をもて余した。
給料は日払いで、しかも日給なので、2時間で一万四千円は嬉しかった。
ショッピングモールに立ち寄ると、そのお金で早い昼飯にステーキ丼を食べた。豪華だがあまり美味しくはなかった。
モール内にアニメショップがあったが入る気にはなれなかった。
最近、何も面白いと思わない。
好きだったゲームもマンネリで、始めたはいいがすぐに苛々してコントローラーを投げ捨てていた。
何も面白いと思えなかった。
ただ、あの棺桶のような夢を利用したヴァーチャルリアリティー体験マシーン『ドリームクエスト』を除いては。
独り暮らしの部屋へは帰りたくなかった。
職員の言っていた「ふへんむいしき」という言葉が気になっていた。
老人はショッピングモールの休憩スペースの椅子に腰掛けると、旧式のスマートフォンで検索をした。今時のインスタント・ホログラムはどうにも使い方がわからず、未だに売られ続けているスマートフォンを機種変更しながら使い続けているのだ。
「不変無意識」と入力し、検索すると「普遍無意識」に訂正されて検索結果が並べられた。
それは100年以上も前に心理学者カール・グスタフ・ユングによって提唱された述語で、人間は無意識の底のほうで互いに繋がり合っているという「思想」とも言うべきものだった。
それを読み、老人は不思議な思いに捕らわれた。
自分は1人であり、他人とはどうあっても繋がり合えない孤独なものだと思っていた。
しかしこの思想によれば、人間個人はまるで根を張った樹木のようなものであり、その下の大地で繋がっていると言うのだ。
『本能』という言葉が頭に浮かんだ。
それはまるですべての猫が喉を鳴らし、ネズミを見ると追いかけ、誰にも教わらないのに排泄物の隠し方や毛繕いの仕方を知っているようなものなのではないのか。
その思想は結局、あまり老人の救いになるようなものではなかった。
「あなたは幸せだ、なぜなら5体満足であり、社会生活が出来ているから」と言われているようなものだと思った。
しかし普遍無意識のことを文章で読んで知るのと、そこへ行けるらしいのとはまったく別のことだった。
土の中を潜り、他の樹木の中へ入り込めたりするのだろうか?
老人は勝手な想像を巡らし、明日のことを楽しみにした。
部屋に帰るといつもの恐怖が襲ってきた。
布団に寝転ぶと不安に心がはち切れそうになる。
もう、すべて終わっているのではないのか。
これ以上、何か不安に思うことがあるのか。
自分は70歳になってもまだ、人生に何か期待をしているのか。
若い頃から女性にはモテなかった。
モテないからと諦め、まんがの中に恋人を求めて生きた。
しかし若さがあったので、もしかしたら自分にもそのうちいいことが起きるかもしれないと淡い期待を抱くことが出来た。
今はそれも、ない。
コンビニのレジに可愛い女の子がいて、スマイルを貰ったら、以前は「自分に気があるのではないのか」とあらぬ妄想を繰り広げることがたびたびあった。
今は、なくなってしまった。
わかりきっている。
彼女にとって自分は、恋愛対象外の『おじいちゃん』だということを。
もっと早く。
少なくとも身体が元気に動けた頃ならば、何とかしようがあった。
何か事業を成して、お金があり、自信にも満ち溢れていれば、50歳代でも彼女を作ることは出来たかもしれない。
しかし自分はそれをやらなかった。
やる気もなかった。
人生はどうせ無意味だと達観していたのかもしれない。
今、若い頃に戻れたとしても、どうせ同じだ。
それならば美しい夢の中に逃避したい。
そんな願いを叶えてくれる機械が今、老人の簡単に手の届くところにあった。
自分には遂になかった美少女との恋愛を、現実のことのように体験させてくれ、あまつさえそれを自分好みに思い通りに実現してくれるその機械は、何もない人生を実のあるものに変えてくれるように、老人を夢中にさせていた。