【最終話】きらめき
白鳥はそれから3日後に逝った。
アキトは雅の家に泊めてもらい、最期を看取った。彼の葬式にも参列した。
1人娘の愛さんは49歳にして独身で、自宅に仕事場を構えてデザイナーをやっていた。椿の姪でありながら似たところがほとんどなく、外向的な性格で、アキトが少し怖がってしまうタイプのキャリアウーマンだった。
椿より6つ年上の姉である雅は物腰が柔らかく、アキトは彼女と一緒にいると落ち着いた。なんだかんだで5日間、二人にお世話になり、もうそろそろお暇しないとな、と腰を上げた。
「もっとごゆっくりして行かれればいいのに」
雅は残念そうに玄関口に立ってアキトを見送った。
「また遊びに伺いますよ」
そう言いながら、アキトはもう来ることはないのだろうなと思った。
椿も白鳥も遠いところへいってしまったからには、自分なんかがこんな立派な家に住む人と関わりになるのは分不相応だ。そう思いながらも、口では再会を約束した。
「はっくんにまた線香をあげに、来ます」
「楽しみに待っていますよ」
雅は明らかに社交辞令ではない笑顔でそう言うと、
「あなたはもう、私達と一緒に天国で暮らす約束をした家族なのですからね」
キツネ目を片方閉じて、ウィンクをした。
アキトは照れたように頭を掻きながらにっこりと笑ったが、彼らの天国での生活に加わる気はなかった。白鳥を見てうっとり微笑む椿を横から見ているしか出来ないのなら、それはアキトにとっては天国ではなく、むしろ地獄だと思えた。
「それでは……また」
そう言って深々と頭を下げ、背を向けようとしたアキトを最後に雅が呼び止め、言った。
「椿のことはもう心配しなくても大丈夫ですよ」
つい先日夫を亡くしたとはとても思えない、明るい笑顔だった。
「夫が……無敵のヒーロー白鳥さまが側にいますからね」
帰りの電車の中で、アキトは泣いた。
人目を憚らず、声を漏らして泣いた。
白鳥が死んだことが悲しかったのではない。結局、椿の大好きな白鳥があの世界に戻り、自分の居場所がなくなってしまったことが悲しかったのである。
『自分のことしか考えられない最低なヤツと思うなら、思え!』
アキトは誰に向かってともなく、心の中で喚いた。
『悲しいんだよぉ! 心に穴が空いたみたいだ!』
アキトは電車の座席で、向かいに座ったお兄ちゃんにドン引きされながら、声に出して泣いた。
「つばきぃぃ~ぃ~……!」
生まれて初めてのリアルな失恋だった。
自分の町に帰ると、あのVRマシン『ドリーム・クエスト』の会社へまっすぐ赴いた。
「ああ! 目覚められたんですか? よかった!」
あの頭の薄い職員が対応に出て来て、ばつが悪そうに笑いながら、言った。
「まぁ、と言っても、同意書も書いていただいていた上での事故でしたから、その。ハハハ!」
「ドリーム・クエストを売ってくれ」
アキトは言った。
「いくらで買える?」
「いえ……。そんなことを仰いましても、あれはプロトタイプですので、お売りすることは出来ません」
「100万までなら出す。それ以上するなら……無理してでも出す。いくらだ?」
「そんなご無理を申されても困ります」
職員は頑なだった。顔には『あんな目に遭ったくせに物好きだな』と書いてあった。
「そのうち商品化しましたらご購入ください。ね? それじゃ!」
アキトは諦めざるを得ず、会社のビルを出た。
ドリーム・クエストを買って、椿のいる天国へ行き、また一緒に暮らしたい……わけではなかった。
白鳥が本当に椿の元にいけたのか、椿が本当に餓死することなく元気でやっているのか、ただそれが心配なだけだった。
それさえ確かめたらまたあの船に乗って、扉を7回以上開け閉めして、大変だけど帰って来るつもりだった。自分の目でちゃんと椿の無事を草葉の陰からでも確認しないことには、気になって気になって仕方がなかった。
駅のバスターミナルに着き、気がつくと別のバスに乗り換えていた。
なんとなくアパートには帰りたくなかった。部屋で1人になりたくなかった。
温泉地へ行くバスだった。風呂に入りたかったわけではない。ただなんとなく自然の風景が見たかった。
バスに揺られながら、アキトは思った。
『死にたいなぁ……』
しかしまた思った。死んだら永遠の夢を見てしまうことになるのだと。
天国は、存在した。
それは空の上にではなく、死者の夢の中に。
人は死んだら、永遠の眠りの中で夢を見るのだ。
天国とは、そんな夢の世界のことを言うのだ。
現世で離れたくないと思った相手と一緒に、長閑な夢の世界の中で、ずっと楽しく暮らせるのだ。
椿は生きていた時、姉の婚約者に恋をしてしまったらしい。姉の雅もそのことに気づいていた。
その人と姉の未来を応援するふりをしているうちに、自分は病に冒された。急性リンパ白血病は現在では充分治る病気だ。しかし、当時は違った。
好きな人とは結ばれず、余命僅かを宣告され、好きな山菜採りにも行けなくなった。こんな現実世界にはもう、居たくないと思ってしまったかも知れない。
死ぬことで椿は幸せになったのだ、とアキトは考えた。
あの春の丘で、大好きな人と二人で暮らすようになり、椿は幸せになったのだ、と。
白鳥がいつからあの夢の中にいたのかはわからない。もしかしたら最初のうちは椿の妄想が作り出した姿だったのが、いつの間にか本物にすり替わっており、彼女はそのことに気づいていなかったのかもしれない。
あの世界に雅はいなかった。きっと邪魔なのではなかろうか。雅がもしこの先死んでも、あの食卓には着かせてはもらえないのではないだろうかという気がアキトにはした。
今、椿は白鳥と二人きりに戻れて幸せなのだ。その間に雅が入り込む隙間はないのだ。
言わずもがな、アキトが入り込む隙間などそれ以上に、ないのだ。
「死にたいなぁ~……」
アキトはまた今度は声に出して呟いた。
しかし、もしも今、あるいは明日、自分が死んで、椿や白鳥のように永遠の夢を見るなら……と、アキトは考えた。
あの春の丘で、自分は誰と一緒に暮らすことになるのだろう?
椿は自分とは一緒になってはくれない。
と、するならば、答えは簡単だった。
1人ぼっちだ。
それを『天国』とは言わないだろう、とアキトは思った。
あんななんにもないところで永遠の1人ぼっちになるのは、やはりそれも『地獄』なんじゃないだろうかと。
そんなことを考えながら窓の外をぼんやり見つめていると、急にバスの中が騒がしくなった。
「わぁ、凄いね」と、前に乗っていたカップルの女性が言った。
「こんなの初めて見たわ」
「ひやあ~、キモい!」
「幻想的だねえ」
何事かと運転席のガラスを通じて前を見ると、バスが橋の上に差し掛かるところだった。橋の上は一面の緑色だった。
「ウスバカゲロウですね」と、運転士が言った。
太陽に透けて、霊気のようなものを纏いながら、ライムグリーンの煙のように、無数のカゲロウ達が、短い命をそこに踊らせていた。
アキトはその躍りの中に、眩しいほどのきらめきのようなものを見た。
アキトの中に、あの数日のことが、甦った。
あの夜、椿と布団の中で、顔をくっつけ合う勢いで、自分の好きなものの話を椿にし、彼女は心から楽しそうに、アキトの人生を受け止めてくれた。
精霊のダンスを見送った後、あの川辺で、彼女は初めての口づけをアキトにくれた。
あの丘で、椿はアキトのために笑い、アキトの手を繋ぎ、アキトにとても遅い青春をくれた。
それは一瞬のきらめきのようなものだった。それはいつまでもアキトの胸に輝き続けていた。
アキトは死にたいと思いながら、このきらめきさえあれば生きて行ける、と、まったく正反対のことを思う自分に気づくと、思わず笑ってしまった。
カゲロウの群れの中に、椿の顔をしたカゲロウもいる気がした。
バスはそのまま橋の上に差し掛かり、虫達を踏み、カーテンを掻き分けるように、越えて行った。
アキトは結局、温泉地でバスを降りると、そこで一泊した。
山奥の静かな温泉で、風呂を浴び、部屋で寛いでいると、彼には珍しく人寂しくなった。
時代遅れのスマートフォンを取り出すと、メッセージアプリを開く。
仕事関係の名前が並ぶ中に、新しく追加していた女性の名前を探す。
春野雅に、メッセージを書き、少しもじもじしてから、それを送った。
── 山田陽翔です。この前は、どうもでした。お世話になりっぱなしですみません。(恐縮する顔文字を添えた)
メッセージはすぐに既読になり、嬉しそうな返事がすぐに返って来た。
── アキトさん、ご連絡ありがとうございます。大したお構いも出来ませんで、こちらこそ恐縮しておりますのよ。
言葉は彼女らしくとても丁寧だったが、文の最後にはまるで女の子のように顔文字が添えられていた。
喪中にこんなお誘いをしていいのかどうか、予めネットで調べておいたので、アキトは続けてメッセージを書き、緊張しながら雅に送信する。
── 喪中でお疲れではないかと心配しております。もし、よかったらですが……その……。今度、一緒に温泉でも行きませんか?
メッセージは本当にすぐに、飛び上がるような顔文字とともに、弾むように返って来た。
── 是非
── よかった。いい温泉を知っているんです。
── 楽しみ!
その短い返信の文字が、スマートフォンの液晶画面の上で、キラキラときらめいているようにアキトには見えた。
どうもありがとうございました。
この作品は作者が今までに実際に見た夢を繋ぎ合わせて書きました。春の丘、精霊のダンス、翠の川と白い首長竜、林の中の教会と西洋人の酒盛り、トロッコの転落、他。二人の女子高生の夢は書いたその日の朝に見たもので、あまりに印象的だったので本筋とはまったく関係ないのに早速取り入れてみました。
あくまで個人的な考え方としてですが、この作品の結末は不自然だと思っています。意図的に不自然にしたつもりです。
正反対の不自然な結末も書きたかったので「失恋したらしばらくは、失恋相手のことしか考えられない」というタイトルの短編も投稿しましたので、よろしければそちらもご覧ください。
ちなみにここだけの話ですが、椿のモデルにはセクシー女優の唯井まひろさんをイメージして書いてました。




