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椿を探して

 椿から聞いていた住所に辿り着き、その家の表札を見てアキトは途方に暮れた。

 それは『春山』ではなく、『劉』になっていた。


 近くにあった公園でベンチに座り込み、アキトは持参していたケーキを食べながら、頭の中で考えた。


『どういうことだ……』


 ケーキの味などわからなかった。


『死者も夢を見るとでもいうのか……』


 最近読んだライトノベルで、死も眠りも同じようなものなので、死者だって夢を見るという内容のものを読んだ。

《永遠の眠り》というくらいなのだから、そういうこともあるのかもしれない。


『俺は死者の夢の中に入り込んでしまっていたのか?』


 椿の生き生きとした笑顔が浮かんだ。その顎には山菜採りでついたおてんばな傷のかさぶたがあった。


『椿は、俺のことをわかってくれた……』

 アキトは手で顔を覆い、項垂れた。

『俺みたいな人が好きだと言ってくれた……!』


 あの春の丘で、食糧がなくなり、力を失って畳に倒れ、なっくんに食べられている椿の姿が頭に浮かぶ。


『助けなきゃいけないんだ!』

 涙が手の中に溢れ、首を横に振る。

『俺は……! 椿を助けるために! あの夢の中から出て来たんだぞ!』


 せめて椿のことを知る誰かに会いたい、どうすることも出来ないのならせめて椿がどんな子だったのかを知りたい。そんな思いが先程見た表札の、劉さんの家のインターフォンをアキトに押させていた。


 どんな中国人が出て来るのかと、インターフォンを押したことを後悔していると、住人は姿を現さずに中から中年女性らしき声がした。

「はい」


「あっ……あのっ……あのっ……!」

 アキトはしどろもどろになりながら、何が聞きたかったのかもわからなくなりかけながらも、聞いた。

「ここに前、春山さんという方が住んでいたと思うんですが……」


 すると声の主は快い声で言った。

「ああ。はい、母の旧姓が春山ですよ」


 それから暫くして扉が開き、中から声の主らしき40歳代ぐらいの人懐っこそうな丸顔の女性が姿を現した。そして柔らかな声で聞く。


「母に御用でしょうか?」


 アキトは答えた。

「いえ。あの……。春山椿さんのことは、ご存じですか?」


「私の叔母の名前です。母の妹です」

 女性は目を丸くした。

「50年以上も前に死んだ、と聞いていますが……」


「会ったんです」

 アキトは頭のおかしなジジイだと思われることを覚悟で言った。

「私は椿さんに会って、仲良くなりました」


 女性の顔が(いぶかし)む表情に変わり、ドアが閉められかけた。『しまった、椿さんについての話を聞きたくて、とでも言えばよかった!』とアキトは後悔しかけた。するとその後ろに気配がし、年老いた女性の声がした。

「椿に……お会いになったんですの?」


 玄関を上がってすぐ横の部屋からゆっくりゆっくりと老女が現れた。

「あ」と、その女性を見たアキトの口から声が漏れる。

 椿の面影があった。髪は真っ白で、顔には皺が寄っているが、彼女の悪戯っぽいキツネ目がアキトを見つめた時、思い描いていた通りの現実世界の椿の姿がそこに現れた。

 いやよく見れば想像より多少歳を取りすぎているようではあったが、松葉色の着物を着たその立ち姿は、初めて見るようには思えなかった。


「椿……!」アキトは思わずそう口にした。


 すると老女は名乗ったのだった。

「椿の姉の、(みやび)と申します」




 アキトは立派な応接室に通され、大理石のテーブルに置かれた紅茶とお菓子を前にドキドキしていた。持参した花束は一応娘さんに渡しておいた。


 雅さんが部屋に戻って来た。手には平べったい箱と、古いアルバムを持っている。

 それをテーブルに置いて対面に腰掛けると、彼女はにっこりと笑い、聞いた。


「椿は元気でしたか?」


「ええ」

 アキトは畏まって答えた。

「元気で野原を駆け回って、好きな山菜採りを毎日していますよ」


「それはよかったわ」

 姉は嬉しそうに体を揺らした。

「あの子は山菜採りが大好きでしたから」


「おかしなヤツだと思わないのですか? 私のこと……」

 アキトは落ち着かなかったので、聞いた。

「56年も前に死んだ妹さんに会ったなんて……おかしな話でしょう?」


「妹が生きているなんて嬉しい話を持って来てくださった方のことを、どうしておかしいだなどと思いましょうか」

 彼女は微笑み続けた。

「嬉しいとしか思いませんよ。大切な、大切な妹でしたもの」


 そう言いながら、古いアルバムを開いて見せる。

 黒いおかっぱ頭の、よく見知っている女の子の顔がアキトの目に飛び込んで来た。


 赤い髪ではなく、不健康そうな顔色をして、笑顔にも力はないが、それは確かにあの椿の顔だった。


「ちゅん!」

 アキトは身を乗り出し、彼女の愛称を口にした。


「そう。ちゅんですよ」

 雅はそれを聞いてとても嬉しそうに笑った。

「やっぱりあなたは妹に会ったのね。椿という漢字の音読みが『ちゅん』だなんて、知る人はそうそういませんもの。私はその頃もう現在の主人の劉と交際していて、中国人の彼が妹をそう呼んだことで初めて知ったのよ」


 雅はゆっくりとアルバムを手繰った。

 二十歳ぐらいの雅と14歳の椿が並んで写り、椿がこちらに手を広げて向けている写真を見て、アキトは自分の手を繋いだひんやりとしたその掌の感触を思い出した。


 ページを繰るたびに椿は痩せ、表情に生気がなくなって行く。


 アキトは気が焦り始めた。


 雅にそのことを話そうか、どうか、迷った。

 彼女にそんなことを話したところでどうにかなるとは思えなかった。

 しかしその時、兄によく言われた言葉が頭に浮かんだ。


 ── お前はなんでもかんでも1人で背負おうとしすぎる、もっと誰かに相談しろ!


「雅さん」

 アキトは口を開いた。

「椿は今、彼女の夢の中にいます」


 雅は顔を上げ、何も言わずに頷いた。

 アキトは続けた。


「そこで今、危機を迎えているんです。夢の中から人が消えて、町から食べ物を調達することが出来なくなってしまった。山菜だけはあるけど、それだけじゃいずれ餓死してしまう。どうにかならないでしょうか?」


 言い終えて、馬鹿なこと言ってるな、自分、と思った。

 死んでいる妹が餓死しそうになっているのをお姉さんにどうしようがあるというのか。


 姉は真剣な顔になると、言った。

「どうにか出来ると思いますよ」




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