出口への旅立ち
アキトはここへ来た時の格好に着替えると、玄関を出たところで立ち止まり、椿を振り返った。
「それじゃ、行って来るよ」
微笑みかけるが、椿は立ち尽くしたまま、何かを言いたそうに下を向いていた。
「絶対に君に会いに行く」
安心させようと、椿のつむじに声を掛けた。
「君の入院している病院も、住所もしっかり覚えた。ボケのことは心配しないでいい」
椿は顔を上げた。大きな瞳が潤んでいた。不安そうにアキトの顔を見ると、すがりついて来た。
「やっぱり……行かないで」
少女は目に涙を浮かべ、アキトのシャツの胸を細い指でつまんで引き止めた。
「一緒にここで飢え死にしよう」
「馬鹿を言うんじゃないよ」
アキトは微笑んで見せる。
「現実世界で生きることに僕は決めたんだ。あそこは辛いけど、君と一緒なら生きて行ける」
「ここにいることは」
椿は少し反抗を込めた目になり、言った。
「不幸なの?」
「不幸だ」
アキトは言った。
「何もかもが本当じゃない。本当に生きたいんだ。僕は、決めたんだ」
椿はまた下を向き、黙り込んでしまった。
「でも、ここに来てよかったとは思っているよ」
アキトは笑う。
「君に会えた。現実世界で君に会っていたとしても、こんな風にはきっと、なれなかった」
そう言うと椿の頭を撫でた。
赤い髪の毛の下にある形のいい丸い頭を撫でていると、優しい気持ちになり、同時に勇気が心の奥から沸き起こって来た。
「君の髪の色、本当はこんな花のように赤くはないんだろうね」
「真っ黒よ」
椿は涙声で言った。
「つまらないくらい、真っ黒」
本当は真っ白だったりするかもしれないな、と思いながらアキトは言った。
「つまらなくはないよ。本当の君を、僕は見てみたい」
椿の体をぎゅっと抱き締めた。か弱い少女の細い体がそこに生きていることを確かめた。
椿もアキトの背中に腕を回し、弱々しい力で抱き返して来た。
「あっちで君に会えたら、周りに人がいたら額か頬にキスをするよ。二人きりならこうやって……」
アキトはそう言いながら彼女の頬を両手で挟む。顔を上げた椿の唇に、尖らせた唇で、ちゅん、とキスをした。
「本物の君の唇にキスしよう」
『早く行け』と言いたげに、なっくんが椿の足下から見上げている。
「じゃあ、行って来るよ」
最後に見た椿は俯いていた。
赤い着物に身を包み、古い写真のように木造家屋の戸口に立ち尽くしていた。
アキトは前を向くと、赤い道を左方向へ、真っ直ぐ前だけを見つめ、歩き出した。




