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出口あり

「そうね」

 椿はアキトの腕の中で力なくすがりつきながら、ようやく言葉を唇に乗せた。

「このままじゃアキトが餓死しちゃう」


「俺のことはいいんだ」

 アキトは椿を強く抱き締める。

「お前を救いたい」


 椿は何も言わず、アキトに身を任せていた。


「出口を知ってるんだろう?」


 アキトがそう言うと、椿はびくりと小さな肩を震わせた。


「なんで……そう思うの?」


 なっくんから聞いたとは言わなかった。男と男の約束だった。


「寝言で言ってたよ。『そんなに出たいなら出て行けばいいじゃない』って。俺が『出口を知ってるのか?』って聞いたら、むにゃむにゃ言いながら『知ってる』って」


「そんなの……」


「頼む! 知っているのなら教えてくれ! このままだと二人で餓死してしまう!」


 椿は暫く黙り込み、悩んでいるようだったが、やがて口を開いた。


「赤い道を、逆に行くの」


「町とは反対の方向か」

 アキトは頭に景色を思い描き、行った。

「そういえば反対方向は一度も行ったことがなかったな」




 椿は食器を片付けると卓袱台で向かい合い、アキトに説明をし始めた。


「反対側にずっと行くと、川があるの。大きな川よ」


「川……ね」

 アキトはカブラペンをインクに浸し、紙にメモをする。


「どこかに一艘、小舟があるから、それを探して」


「っていうか椿。一緒に行かないか?」

 アキトは顔を上げ、提案した。

「俺も君が側にいてくれたほうが心強い」


「私はここにいるわ」

 椿は笑いも浮かべずに(かぶり)を振った。

「なっくんを一人にできない」


 側に寝転んでいたなっくんがニヤリと笑った。


「それに危険な場所なの。私にはムリ」


「そうなのか……」

 アキトは危険と聞いて、それなら一層椿がいたほうが安心なんだが、と思う。

 しかし危険なところへ一緒に行ってもらうのもどうかという思いもあり、それ以上は誘わなかった。


「小舟を漕いで、川をずっと行くの」


「あ。川を、渡るんじゃなくて?」

 アキトは意表をつかれた。

「川をずっと行くの? 急流下りみたいな感じ?」


「穏やかな川だよ。でも、白くてでかいのがいっぱいいるから、それにぶつからないように」


「白くて、でかいの?」


「何て言ったらいいかわからない。名前もわからない生き物よ。あっちから襲っては来ないから、ぶつからないようにだけ気をつけて」


 なんだ、それなら簡単そうだなと思い、アキトは頷いた。


「それで川を進んで行ったら、林の中に教会があるよ。見落とさないで」


「目立つ教会かい?」


「大きくないし、地味だけど、気をつけてれば見落とす筈ないわ。でもアキト、ボケだし……」


「気をつけるよ」

 アキトは少し傷ついたが、笑った。


「教会に入ると、人がいっぱいいる」


「人が?」


「うん。でも、本当はそれ、人間じゃないから気をつけて」


「人間じゃないなら何なの?」


「わからない」

 椿はずっと俯き加減で、暗い顔をして話していた。

「でも、捕まったらアキト、戻って来ることも、外に出ることも出来なくなるわ」


「そんなのがいっぱいいるなら、捕まらないわけないんじゃない?」

 アキトはごくりと生唾を飲み込みながら、言った。


「音を立てなければいいの」

 椿はずっと同じ表情で話す。

「彼らにアキトは見えてないから」


「なるほど……」

 よくわからなかったが、そいつらに捕まらない方法だけはわかった。


「教会を入ったまっすぐ先に扉があるの。一つしかないからすぐわかるわ。音を立てずにそこを目指して」


「……うん」


「その扉を開けて、向こうに行くの。素早く開けて入り込まないとダメよ? 開ける音で彼らに気づかれるから」


 まるでゲームだな、と思いながらもアキトは楽しい気分にはならない。むしろやっぱりやめようかなという不安な気持ちになりかけていた。


「その扉を開いたら……」


「外の世界なのか」


「そうね」

 椿はつまらなそうに言った。


「なぜ君はそんなことを知っている?」


「だってここは私が作った世界だから」

 椿は言った。

「入院中に書いた小説と同じ風景なの。赤い道に、この家に……」


「君の小説ではその扉を開けると、どこに出るんだ?」


「現代の町よ」

 椿は懐かしい思い出を語るように言った。

「主人公は長閑(のどか)でつまらないと彼が思っている過去の世界にいるの。閉ざされた村から新しい世界への出口があると人から聞き知って、そこを目指すの」


「なるほど」

 アキトは納得した。

「その小説で描いた世界とここがそっくりだから、出口の場所も同じだろうってことだね?」


「うん」

 椿は頷いた。

「でも見たわけじゃないから、もしいくら歩いても川がなかったら、帰って来てね?」


「あると信じよう」


 アキトがそう言うと、椿は項垂れた。


「それで」

 アキトが聞いた。

「君のその主人公はこの世界を抜け出して、外に出られたのかい?」


「出たわ」


「出て、どうなった?」


「絶望した」


「絶望した……?」


「うん」

 髪で目が隠れている椿の口が笑った。

「彼に思い知らせてやりたかったから書いた小説なのよ。あなたはあなたのいる場所を退屈でつまらないと思ってるけど、外にはもっとつまらない世界が広がってるって、主人公に思い知らせたかったの」


「でも、その主人公は絶望の底から新たな希望を見出だしたんじゃないのか?」

 アキトは反発するように言った。

「きっと、そうだ。そこからきっと、また新しい出口を見つけたんだ」


「現実の世界に出口はないわ」

 椿は憎むように言った。

「あるとしたら……」


「しかし!」

 アキトは言葉を遮り、話を変えた。椿が不吉な言葉を口にしそうな気がした。

「しかし、船を漕ぐのか。そんなもの漕いだことがないぞ。くそぅ。ネットがあれば調べられるんだが……」


「だから『ねっと』って何よ? 前にも言ったけど」

 椿は本当にわからないように、怒り顔で言った。


「いや、本当に? ネット知らないの? ネットだよ?」


「意味はわかるよ。(あみ)のことでしょ? 網で何を調べられるの?」


「ネットだよ? インターネット」


「ああ」

 椿はようやく理解した。

「その言葉は知ってる。でも『ネット』って略すの初めて聞いた」


「まじで?」


「悪い?」

 バカにされたと思ったのか、椿がキッと睨む。


「いや……」

 アキトはもごもごと言った。

「そういうことも……あるのか……な?」

 糸口はすぐそこにあった。だが、老人は掴み損ねてしまった。


「いつ……行くの?」

 椿は聞いた。


「すぐだ」

 アキトは答えた。

「早めに食いぶちを減らしたほうがいいしな。そのぶん君が長くしのげる」



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