決意
「君の苗字を教えてくれ」
アキトがそう言うと、山菜のアク抜きをしていた椿はきょとんとした顔で振り返り、微笑んだ。
「そっか。まだ教えてなかったよね」
「うん。知りたい」
「春山よ。春山椿」
「君らしい名だ」
「苗字なんて、もう忘れかけてたけどね」
そう言って椿は照れ臭そうに笑う。
「住所は? どこに住んでる?」
アキトが聞くと、椿は怪訝そうな表情を浮かべた。
「なんでそんなこと聞くの?」
「俺がもし、ある日突然夢から覚めてしまったら、椿を探しに行かないと行けないだろ」
アキトは言った。半分嘘だった。
「そうだ。君の入院している病院も教えてくれ」
「アキト……。いなくなっちゃうの?」
「いなくならないよ。ずっと側にいる。もしもの時のためだ」
「ここにいてよ」
椿はすがるような目を潤ませた。
「いるつもりだけど、はぐれちゃうことだってあり得るだろ?」
アキトは安心させるように少女の両肩に手を置いた。
「だからそのために、君の居場所を知っておきたい」
「私……。ずっとここにいるよ」
「君がずっとここにいても」
アキトはしつこくならないよう気をつけながら、言った。
「僕がある日、目覚めたくないのに目覚めてしまうかもしれない。その時のためなんだ」
「外の私を知ったらアキト、がっかりするよ」
椿は自信なさそうに俯く。
「ならないよ」
アキトは笑う。
「椿は、椿だ。どんな姿をしていても」
椿は仕方なさそうに、病院の名前と所在地、そして自分の住所を口にした。
「近いな。俺の町から電車で2時間ぐらいだ……。ちょっと待って」
白鳥の使っていたカブラペンと紙を取ると、アキトはお願いする。
「ごめん。もう一度言って? メモするから」
アキトは椿の言う住所と病院名を紙に書き留めた。これを何度も暗唱し、自分の脳にメモするつもりだ。
「ありがとう」
アキトは満足そうに笑いながらそう言ったが、椿は後悔するように自分の人差し指を噛んでいる。
「じゃあ、もうひとつ……。知っていたら教えてくれ」
アキトはなるべく軽いノリで聞いた。
「ここからの出口って、どこかあるのかな」
「なんで!?」
椿は叫ぶと、手に持っていたゼンマイの束を投げつけて来た。
「怒らせてしまった……」
アキトは白鳥の仕事部屋の畳に仰向けで寝転がって天井を見つめた。
台所で激しい音を立てながら椿がひたすらゼンマイのアク抜きをしているのが聞こえる。
「わからなくなった……」
アキトは呟く。
「椿はやはり、ここにずっといるほうが幸せなのだろうか」
するとすぐ側で声がした。
「この世界からの出口ならあるぜ」
驚いて声のしたほうを見る。すると象牙色の毛並みをしたイタチが悪戯な笑いを浮かべながら、こちらをじっと見ていた。
「椿が知ってる」
なっくんは言った。
「僕は知らない。でも椿が前に言ってた」
「喋れたのか、なっくん!」
アキトはガバッと起き上がり、言った。
「出口、あるのかい? でも椿は教えてくれないだろうな。君、喋れるのなら、君が椿に詳しく聞いてくれないか?」
「いやだね」
なっくんはぷいっと横を向いた。
「そんなことしたら『このイタチかわいくない』って言われるかもしれないじゃないか」
「頼む! そこをなんとか」
「心配することはないぜ」
なっくんはニヤリと笑うと、言った。
「もうじきお前は嫌でもここにはいられなくなる」
「アキト……どうしよう」
夕食が終わると椿が食器を片付ける前に相談して来た。
『あ。なっくんが言ってたことかな』と、アキトには察しがついていたが、知らないフリをして聞いた。
「何? どうしたの」
「お米がもうそろそろ……なくなるの」
椿は困り顔で言った。
「町に行って貰って来ることが出来なくなったから。バスも来ないし……」
あれから二人は再確認のため赤い道を歩き、バス停まで行ってみていた。
時刻になってもバスはやって来ず、それから暫く待っていたが、魔物さえ通っては行かなかった。
「お味噌も、乾物も手に入らない。このまま塩も砂糖も切れてしまったら……」
「山菜だけじゃ生きて行けないね」
アキトは深刻な表情を作りながら言った。嬉しさを隠すのに骨が折れた。
「どうしよう……」
「よし」
アキトは任せろと言わんばかりに着物の袖を捲った。
「俺がなんとかするよ」
「なんとかって……どうするの?」
「やっぱり外の現実世界へ出て、君を迎えに行く」
椿が目を剥いた。
「だって、ここにいたら餓死してしまうだろう?」
アキトは言い聞かせる。
「それなら方法は一つしかない。戻るんだ、現実世界へ」
「いやだ!」
椿は顔をくしゃくしゃにして赤い髪を振り乱した。
「ここにいたい!」
「そんなに現実世界が嫌なんだね」
気持ちはわかるよ、と言いたげにアキトは少女をまっすぐ見つめる。
「でも大丈夫。僕が君を迎えに行く」
泣き出してしまった椿の身体を、アキトは優しく抱き締めた。
少女は嗚咽を漏らすばかりで言葉にならない。
「僕が君を幸せにするから。絶対」
少女のつむじをくりくりと指で撫でながら、アキトは言った。
「だから大丈夫。どんなに辛いことでも二人で乗り越えて行こう」




