ずっと、ここで……
その夜、椿は二組の蒲団を敷いた。
夜風は心地よく、障子を開け放した窓から入って来て二人を撫でた。
暑くはなかった。しかし熱い汗が肌に滲み、蒲団を濡らす。
アキトは微笑みながら、椿と鼻をくっつけて、言った。
「明日も晴れだったらいいなぁ」
もうすぐ梅雨がやって来る。
椿はアキトの胸を両手でポカポカ叩いて笑うと、後は言葉を失った。
次の夜、椿は一組だけ蒲団を敷いた。
アキトは優しく赤い髪に指を入れ、撫でた。
椿は子供ではないように、老人の胸をいとおしむように撫で、唇で触れた。
窓を開け放っていても何の心配も要らなかった。世界には二人だけだ。
空気は少し湿気を多く含みはじめ、夏の訪れを感じさせる中に、精霊達が舞う音と、微かな煌めきが空に向けて昇っていった。
なっくんが蒲団に潜り込んで来ると、うるさそうな目をしてすぐに出て行った。
毎日山菜を採りに出掛けた。
手を繋いで、並んで丘を歩いた。
手を放すと椿は駆け出し、広い丘の斜面を駆け降りた。
振り返り、笑顔でアキトの名前を呼ぶ。
誰にも遠慮はいらなかった。アキトも彼女の名前を呼び返した。
「つばき!」
からかうように少女ははしゃぎ、小鹿のように躍り、花を踏み散らして先を駆けて行った。
老人はヨタヨタと走りながら、丘の上に取り残された。
光を纏った蝶の群れが、二人の間を舞って行った。
「ずっとここにいてよ、アキト」
椿は言ったのだった。
「私を一人にしないで」
アキトはそうお願いされるたびに頷いた。
幸せだった。彼の現実の青春時代には何もなかった。
今こそが自分の青春なのだと思えた。
アキトは椿に優しく微笑みかけながら、安心させるように頷いた。
自分を納得させるようにも頷いた。
しかし、心の中では声を上げていた。
『これでいいのか?』
『ずっとこのままで……いいのだろうか?』
『何か間違っている』
現実世界で病床に伏し、ずっとつまらなそうな顔をしている70歳の椿の姿が浮かぶ。
彼女は心から不幸せそうで、現実の世から逃げていた。
助けを求めるように窓の外を眺め、その実、何も見ていないような呆けた顔をしていた。
『あのひとをこそ、俺は幸せにしなければいけないのではないのか?』
アキトは心の中で、強く叫んだ。
『この世界は……偽物だ!』




