ファースト・キス
遠くへ飛び去って行くカゲロウ達を見送りながら、アキトと椿は手を繋いだまま、暫く川原の上に立っていた。
「はっくんが……いたな」
アキトは椿に聞こえるように呟いた。
「精霊よ」
椿は冷静な声を返す。
「兄さまの顔をした、ただの精霊だから」
「カゲロウって……1日しか生きられないんだっけ」
アキトが遠くを見つめたまま、言った。
「わからない」
隣で椿が微笑むのがわかった。
「カゲロウさんにもいろいろ種類があるから。でも、短い命なのは確かよ」
「精一杯、生きてるんだな」
アキトは尊敬を込めて、言った。
「短い命を。全力で羽ばたいて」
「そうだね」
椿がアキトの腕にもたれかかる。
「私達、長くつまらなく生きすぎよね」
「それも人による」
アキトは苦笑する。
「人間にもいろいろ種類がある。俺みたいなのは確かにその通りだが」
「アキトはつまらなくないよ」
椿がアキトの腕を軽く掴み、揺する。
「私、好きだよ。アキトのこと」
「俺も好きだ」
力を込めてアキトはそう言った。
「君のことが好きだ」
「ありがと」
椿は軽い調子で笑う。
「君を救いたい」
自然にそんな言葉が口をついた。
「車椅子を押して、山でも海でも、どこでも好きなところへ僕が連れて行ってあげる……だから!」
アキトは振り向き、椿の肩を両手で掴むと、言った。
「現実の君に会いたい! どうにか出来ないか?」
真剣なアキトの顔を見て、椿は困ったように笑う。
肩を掴まれるままに目をそらし、にははと声を出して、言った。
「救うって……。私、ここで幸せだよ? 毎日山菜採りして、料理や洗濯して……」
「しかし俺が君から白鳥を奪ってしまった」
「アキトのせいじゃないよ……」
「いや、俺のせいだ。俺が君の夢の中に迷い込み、きっとVR装置の電源を切られてしまったから、君の夢の登場人物まで消えてしまったんだ」
「意味がわかんないよ……」
「責任を取るなんてつもりはない。俺は、椿が好きなんだ。だから助けたいんだ」
「私を助けてくれるつもりなら……」
椿はそう言って、アキトの顔を見た。
「ここにずっといてよ。私を一人にしないで」
その顔は笑っていたが、アキトには泣いているように見えた。
「椿」
アキトは彼女を愛称で呼び、その顔をじっと見つめた。
「キスしてもいい?」
相手が14歳の少女なら口に出せない台詞だった。少女の見た目をしていても、本当は70歳の女性だとわかったから口に出せた。
椿はおどけた顔になり、答えた。
「私、ファースト・キスになっちゃうよ?」
「まじか」
「うん」
笑う椿の顔が真っ赤になる。
病弱でずっと病院のベッドにいたら、そういうことになっちゃうのか、とアキトは妙に納得する。70歳のファースト・キス、か。なかなか貴重なものだ、そう思うとアキトはますます椿のことが可愛くなった。
「白鳥はしてくれなかったの?」
「まさか。だって兄妹よ?」
そういう設定にしてしまったから果たせていないのか、とアキトは同情するような、安心したような気持ちになる。あの小説の中ではエロエロな関係だったが、現実には……というか、この仮想現実の中では二人は清く正しい兄妹だったのだな、と。
アキトは椿の肩から背中に手を回し、真剣な顔で言った。
「じゃあ、俺が貰う。椿のファースト・キス」
あ……。と椿の口から声が漏れる。
一般女性とは遂に経験することがなかったが、そういう店でたくさん経験は積んで来ていた。アキトは初めて椿より上に立ったような気になり、調子に乗った。
椿の顎を指でつまみ、くいと上を向けさせる。
まるで女性向けラノベの王子様になった気分だった。
少女の唇がこちらを向いた。形のいい桃色の唇が、初めて自分の愛称を口にした時のように、「ちゅ」の形にすぼむ。
タコみたいなその顔を見て、アキトは思わず噴き出しそうになった。
しかし愛しそうに赤い髪を撫でると、自分も唇を尖らせて、そこにちゅん、とキスをした。
老人と14歳の少女が向かい合って唇を重ねる中、一羽のカゲロウがこちらへ戻って来かけていたが、ぷいと方向を変えると、丘の向こうへ飛び去って行った。




