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精霊のダンス

 アキトは夢の中でルパンになっていた。

 服は赤ではなく、緑色だ。

 白いウェディングドレスを着た少女の手を繋ぎ、スケベそうな顔をしたオッサンから逃げていた。

 屋根の上を逃げている時、連れている少女がぱんぱんと肩を叩いて来た。

 あまりにしつこく叩いて来るので、何だこいつと思いながら少女の顔を見た。

 少女は蛇のような目をした女子高生で、目が合うなり大きな口を開き、叫んだ。

「信じられないって言ったでしょう!」


 ハァハァと荒い息を吐きながら目を開けると、自分の肩に手をかけて、椿が覗き込んでいた。


「朝だよ、アキト。手伝って」


「あ……ああ……」


「怖い夢を見ていたの? 汗びっしょりだよ」


「いや……」

 アキトは笑い、2本の指でVサインを作りながら起き上がった。

「だいじょーぶい」



 外は明るかったが、太陽はまだ昇っていなかった。

 朝焼けなんてものを久しぶりに見た気がした。

 薄白く染まった赤い道の上を、椿が先頭に立って歩いた。

 空気は広々としていて、朝の静寂の中を二人の足音が幻のように響いた。


 草を掻き分け、春の丘に出る。人間は消えたが、ここは何も変わっていなかった。

 椿は草を掻き分けるのに使った枝を放り投げると振り向き、形のいい唇を笑わせた。


「もう、始まってるかも」

 そう言うと少女は老人の手を繋ぎ、駆け出した。


「ゆ……ゆっくり……!」

 アキトはバイクを追い越して行った椿の足の速さを思い出し、お願いした。


 丘を降りると、いつか見た幅の広い川があった。椿がタラの芽を取って来たあの場所のようだった。

 朝霧が薄く川面を包み、そよ風に向こう岸の森がサラサラと葉音を立てていた。


「まだ始まってないね」


 椿の言う通り、精霊の姿さえどこにも見えなかった。


「ここで見られるの?」


「うん。たぶん」


「精霊のダンスって、どんなの?」


「見てのお楽しみ」

 そう言うと椿は持って来た風呂敷を広げ、四隅に石を置いて固定する。

「とりあえず山菜、採ろっか」


 アキトは振り返った。つくしは皆なんだか黒っぽくなり、伸びすぎているように見えた。


「何を採るの?」


「こういうの」

 椿はしゃがみ込み、地面を指差す。

 拳を軽く握ったようなシダ植物がまっすぐに生えていた。


「これは何?」


「ワラビだよ」


「ああ……これが有名な」


「こうやって……」

 椿はワラビの茎を下から上にしごいた。

「ほら。こうやってプツンって抜けるところがあるから、そこから取るの。根は抜いちゃダメだよ?」


「わかった」


「アキトは採ったらこっちに置いて。違うのあったら私が仕分けるから」


 もう季節は初夏に差し掛かっていた。おそらく時間はまだ6時ぐらいだろう。辺りはだんだんと明るさを増している。川面の霧も明るくなりはじめた。

 二人は別のほうを向いてワラビ採りをしていたが、いつの間にか接近し合っていた。やがて並んでしゃがみ込むと、アキトが口を開いた。


椿(ちゅん)


「ん?」


椿(ちゅん)のことも教えてよ」


「なんのこと?」


「ほら。昨夜(ゆうべ)、俺の話ばっかりしたろ? 君がどんな人なのかも、もっと知りたい」


「見たまんまだよ」

 椿はそっけなく、しかし少し恥ずかしそうに言った。

「山菜採りが大好きで、自然が大好きで……」


「元気がよくて」

 アキトが言葉を継いだ。

「活発で、生傷が絶えなくて……」


「それは違うの」

 椿はワラビを見つめながら、言った。

「本当の私は、そんな子じゃないんだよ」


「だからさ」

 アキトはそれをのがさなかった。

「本当の椿(ちゅん)のことを教えてよ」


「私、夢を見てるの」


「うん」


「ここはね、私の夢の世界なの」


「うん」


「現実の私は病弱で、ずっと病院のベッドに寝てるのよ」


「ええ!?」

 アキトは思わず声を上げた。


「こんなことしたくても、本当は出来ないの」

 そう言いながら、椿はワラビをプチッと抜いた。

「家族にお願いして、車で山に連れて行ってもらうことはあるの。でも一月に一回ぐらいだし、私は車椅子の上からみんなが山菜を採ってくれるのを見てるだけ」


「そうなのか……」


「月に一度の山菜採りだけが楽しかったの」

 椿の手が止まる。

「病室にいる時は、退屈なだけ。大人のする話は全部つまんない……。私がいつまでも子供すぎるからなんだけど……」


「いや」

 アキトは深く同意した。

「わかるよ」

 アニメやゲームの話にしか興味のない自分もそうだったので。


「でも……冬が来て、何も楽しいことがなくなってしまって……」

 椿は再び動き出した。

「私はここに生まれたの」


「生まれた?」


「うん」

 赤い髪が頷く。

「私がここに来る前の、現実の世界はぜんぶ、私が生まれる前の出来事になったんだよ」


 アキトはなんだか謎がひとつ解けたような気がした。

 そうか。『スト2』が自分の生まれる前のゲームというのはそういうことなのか?


「ここは楽しい?」

 アキトは聞いてみた。


 椿はこくりと頷き、笑顔をこちらに向けた。

「ここでは私は植物を自由に動かす魔法が使えるし、何よりこうやって元気に山菜採りが出来るでしょ?」


 アキトはその顔をまっすぐ見つめ、微笑んだ。


「それに……私、小説を書いてたの。ノートにびしびし書いてたのよ。恥ずかしい小説だけど」


 たぶん、あれだな──と、アキトは白鳥の書いていた小説を思い出した。


「五右衛門をもっとカッコよくした白鳥って名前の剣士が出てくるの。そのライバルに暗天魔ってヤツが出てくるんだけど、一度も白鳥に勝ったことがないのよ」


 いや、知ってるから──とアキトは思った。


「その登場人物が、ここには実在するのよ」

 そう言ってから、椿は寂しそうに笑った。

「実在した、って言ったほうが正しいよね」


「白鳥が椿(ちゅん)の夢なのなら……」

 アキトは強く言った。

椿(ちゅん)が強く願えばまた現れるんじゃないのか?」


「願ったよ」

 椿の目から涙が頬を伝って落ちた。

「願ってないわけないじゃん」


 その時、川の向こう岸で音がした。

 大きな音ではないのに、それらは空気をサラサラと揺らすように二人に届き、包んだ。

 見ると森の中から無数のカゲロウが現れており、緑色の(はね)をそれぞれにパタパタと動かしながら立っている。


「あ。始まるよ」

 椿が笑顔に戻り、言った。


 カゲロウ達は皆人間と同じ大きさで、人間のような頭部には毛がなく代わりに太い触覚がついている。細い身体に緑色の(はね)を纏い、それをパタつかせるたびに黒い胴体と白い腹が見えた。


「カゲロウか」

 アキトもワラビ採りをする手を止め、そちらに注目する。

「前に見た時より大きくなってるな」


 カゲロウ達は黒くて太い足を踏み鳴らし、これから生まれて初めて飛ぼうとしているようだった。

 よく見るとその顔は一匹ずつ違っていた。微妙にではなく、まったく違っている。


「あ」

 椿が声を上げた。

「兄様……!」


「え!?」

 アキトは思わずカゲロウの群れの中に白鳥の姿を探した。


 椿の指差すほうをよくよく見ると、それはいた。

 白鳥の顔をしたカゲロウが一匹、こちらを見ているのか見ていないのか、判然としない無表情で、黒くて太い足を踏み鳴らしていた。


「あ! あんてん……」

 今度はアキトが見つけた。白鳥のすぐ隣にはサングラスをかけた一際大きなカゲロウがいて、暗天魔の顔をしている。


 よくよく見ると、何人か知っている顔を見出だせた。バスの運転手、蕎麦屋のおばさん、カンパニーにいたヤクザ──


 次の瞬間、カゲロウ達は一斉に飛び立った。


 キラキラと緑色の(はね)を朝日に輝かせ、やがて太陽を覆い隠す。

 太陽を透かして緑色の光が降り注ぎ、二人の驚く瞳を染めた。

 もう白鳥も暗天魔もどこに行ったのかわからなくなり、これほどの数のカゲロウが飛んでいるというのに世界はまるで無音だった。

 椿の左手がいつの間にかアキトの左手を握っていた。

 アキトの右手は椿の肩を抱いていた。


 カゲロウ達は生まれて初めて空を舞う喜びを全身で表現し、ひとしきりそこに留まって踊るような円をいくつも描くと、やがて丘の上へと揃って飛び去って行った。



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