夢
アキトは椿と並び、焚き火の側に寝転んだ。
なっくんは少し離れたところに穴を掘り、その中で眠っている。
魔物は火を怖がるので近づいては来ない──その椿の言葉をなっくんが証明してくれていた。
夜は更けようとしていた。
2人は焚き火を足下に、それぞれに違う方向を向いて横になっていた。
背中から椿が話しかけて来る。
「私、ちょこちょこ起きて薪を足すから。アキトはずっと眠ってていいよ」
「いや、大丈夫だ。交替で起きて薪を足そう。2時間おきぐらいでいいのかな?」
「うん。2時間はもつ」
「じゃあ、お互い4時間ぐらいは連続で眠れるな」
「兄さま……」
椿が呟いた。
「ご無事かしら」
アキトは何も答えてやれなかった。
「兄さまは……」
椿はまた呟いた。今度はアキトへの告白だった。
「私のほんとうの兄じゃないんだよ」
「え、そうなの?」
「うん。だから結婚も出来るの」
「そ、そうなんだ?」
「私の理想の男性よ、兄さまは」
「ふ、ふぅん……」
アキトはそう答えながら、胸の中にもやもやと湧き起こる感情に苦しさを覚えていた。
「でも、私は兄さまとは結ばれないの」
「え」
アキトは少し嬉しそうな声を出してしまった。
「な、なぜ? 血は繋がってないんだろう?」
「だって兄さまは」
椿は向こうを向いたまま、言った。
「私の夢だもん」
「夢?」
アキトは思わず振り向いた。
椿は無言で頷いた。
いつも頼もしい少女の背中がとても寂しそうだった。
炎の色に染まった赤い髪が柔らかそうに揺れている。うなじの肌が綺麗だった。
「寒くはない?」
アキトは聞いた、寒いと返事が返って来たら抱き締めるつもりだった。
「ちょっと寒いね」
しめたとばかりにアキトは近づいた。躊躇はまったくなかった。
「僕が暖めてあげるよ」
すると椿は振り向き、彼女のほうからも近づいて来た。
アキトの襟元を掴むと、顔を胸に埋めて来た。
アキトは固まった。
考えたら自分の妄想通りにすることしか頭になかった。
常識も、椿の気持ちも、頭から吹っ飛んでいたので、予想外の展開に戸惑った。
「あったかい」
椿は柔らかい頬をアキトの胸に押しつけながら、目を閉じて呟いた。
「アキトってあったかいんだね」
「あ、あうあ……」
アキトは頷いた。
「私もあったかい?」
「あ、あったかい……」
アキトは必死で下半身を椿にくっつけないように体勢を工夫する。椿の太ももがアキトの上に重なった。
『こ、子供だ。子供!』
アキトに常識を守る心が戻って来た。
『ま、孫娘みたいなもんだ。おじいちゃんだと思われてるんだ。何もするな。これは現実だ。俺の妄想じゃないんだ!』
「ねぇ」
椿が聞いた。
「アキトはもしかして……ほんとうにいるひと?」
「えっ?」
意味がわからず、すっとんきょうな声を出してしまった。
「私はね」
椿は確かにそこにあるものなのかを確認するようにアキトの体を抱き締めながら、言った。
「夢を見ているのよ」
「ば……バカ。2人が同じ夢を見ているわけがあるか。これは現実だし、白鳥は……お兄さんは絶対に生きてる!」
アキトは椿を励ました。
「明日には帰り着ける。あいつは家にいる。あいつが死んでてたまるもんか!」
椿はもう眠っていた。
眠る少女を抱き締め、赤い髪をくんくんと嗅ぎながら、アキトも不覚にも眠たくなって来た。考えてみれば昨日、一睡もしていなかった。
しかし、とアキトは眠りに落ちながら考える。夢を見ているといえば、自分こそそうなのではなかったか。
自分が死んだのではなく、もしもまだあのVRマシーン──棺桶にそっくりな『ドリームクエスト』の中にまだいるのなら、自分はきっと目が覚めなくなってしまったのだ。夢が長過ぎる。
よく読んでいなかったので覚えてはいないが、あの同意書にはそんなことが書かれていた気がする。
意識が夢の中から帰って来られなくなるおそれがあること──自分はそれに同意し、兄を保証人にした。
もし、自分が今、眠っているのなら、きっと病院のベッドにいるのだろう。
兄はどんな顔をしているだろうか。
バカな弟に呆れ、腹を立てていることだろう。
兄は小さな会社だが社長をやっている。リア充の兄貴に俺の気持ちなどわかるまい。
もし覚醒の見込みがなかったら、弟の安楽死を願うだろうな。
それもいい。
それがいい。
是非、そうしてほしい。
もう、これ以上あんな世界には生きていたくはない。
このまま夢の中で、死なせてほしい。
椿と、一緒に。
「目覚める見込みはないんですか」
病院のベッドで眠り続ける老人を見下ろしながら、恰幅のいい老紳士が言った。歳の頃は70歳代半ばといったところだ。
「完全に昏睡状態です。このまま投薬を続けて様子を見ますが……」
医師は答えた。
「最悪、一生このままだという覚悟もされておいてください」
老紳士は無言で頷いた。
上品な出で立ちの妻がその背中を撫でる。40歳代の娘が3人、いずれも途方に暮れたように突っ立っている。
「すまんな……。陽翔がバカな真似を……」
「あなたの実の弟だもの」
妻は優しく言った。
「面倒見るのは当たり前でしょ」
「ありがとう」
老紳士は妻に頭を下げた。
「俺が悪かったんだ。俺が何でも陽翔の面倒を見すぎた。それでこの歳になっても子供のままのような大人になってしまった。すぐに辞めてしまったが、俺の会社に入れてやったこともあるが……」
「アキちゃん、逃げたかったんだね」
娘の一人が呟いた。
「この世から……。苦しんでたんだね」
「自分だけが苦しいとか思いやがって……」
老紳士は弟の白い頭を撫でながら、泣くような顔をした。
「俺だって逃げたいんだぞ。人生に辛い思いしてんのはお前だけじゃねーんだ。甘えんな」
陽翔はうっとりとした顔で眠っている。




