危機
「俺に任せろ!」
夢の中でアキトはそう言うと、椿を背中に守った。
緑色の身体に黒く大きな目を持った怪物が、背中の翅をパタつかせて襲いかかって来る。
「奥義……。天昇拳!」
技の名前を叫びながら老人は拳を天に突き上げた。
怪物は顎を砕かれながら30m空を飛び、地面に落ちると粉々に砕ける。
「カゲロウさん!」
椿が悲しそうな声を出す。
「カゲロウさんはいい人なのに!」
椿に責めるように睨まれてアキトは目を覚ました。
隣の部屋でトントントンという包丁の音が聞こえる。
湯気の香りが鼻腔をくすぐった。
今朝のご飯も美味かった。さっぱりしていながらヌルヌルとしたウルイの湯通ししたものに酢味噌がかけてあるだけだが、アキトはご飯をおかわりした。
椿の料理は山菜ばかりだが、様々なものが出て来るので不思議と飽きない。
ただ、食べ終わるたびに思うようになっていた。
『そろそろ肉が食べたいなぁ……』
朝飯が済んで暫くすると、白鳥が剣を持って立ち上がった。
「さて……。そんじゃ行くか、アキト」
「おうっ!」
老人も張り切って立ち上がる。
「お願いね。アキト、兄さま」
椿が申し訳なさそうに姿勢よく言った。
白鳥について丘を降りると、昨日の場所だ。
黒い魔物はさらに萎れており、その背中から生えている黒い冬虫夏草はまた少し高く伸びているようだった。
「こりゃー……やり過ぎだ」
白鳥が呆れた声を漏らす。
「大木だね」
アキトはわくわくしているような声を出す。
「まぁ、でも薬は凄ェ量が作れるな」
「高く売れるの?」
そう言ってしまってからアキトは心の中で自分の口を押さえた。
「いや、町へ持ってって、物と交換するのさ」
白鳥はアキトの言葉には殊更反応せず、聳え立つ冬虫夏草を眺めたまま、言った。
「椿の新しい着物には充分なるな。3着は可愛いのが手に入る。あぁ、あっくんもゲームが欲しいなら交換して来てもいいんだぜ?」
そう言っておいて笑いながら付け加えた。
「まぁ、家にはテレビもねーし、何より電気通ってねーけどな」
アキトは気になっていたことを聞いてみる。
「はっくんは、欲しいものとかないの?」
「俺は着るものと紙とインクさえありゃ何もいらねーからな。あと食べもんだけありゃ……」
思い返すとその通りだった。白鳥は大抵の時間を文机に向かって過ごしていた。
歯磨きの時、椿は普通に歯ブラシを使うが、白鳥は先を刷毛のように細かく刻んだ竹で歯を磨く。
大抵のことはそうやって自然のものを自分で加工してこなしていた。
「あっ。あともちろん友達は欲しいよ!」
そう言ってアキトの肩を愛おしげに抱くと、白鳥は刀をキンと鳴らした。
いつの間に斬ったのかわからなかった。
気がつくと目の前の黒い大木が横向きにぐらりと倒れてはじめていた。
「あっくん、危ないよ」
そう言って白鳥は老人を背中に守る。
巨大な冬虫夏草はバキバキと音を立てて倒れ、地響きを上げた。
その傍らに立つと、剣の鞘で黒く固い表面をつつく。
「輪切りにして少しずつ持って帰るしかねーだろうな……」
「重い?」
「そこそこね。見た目よりは軽いと思うけど……。持てる? 腰、大丈夫?」
「フッ」
アキトは人生で初めての言葉を口にした。
「老人じゃと思って舐めるでない」
アキトには一生口にしないと決めている言葉と、一生口にすることはないだろうなと思っている言葉があった。
前者が「今時の若いモンは」、後者が今言った言葉である。
冗談のつもりで言ったのだが、あまりにも違和感がなさすぎて項垂れた。
白鳥がハハハハハと甲高い笑い声を空に響かせる。
「じゃあ、あっくんのは大きめに斬っとくな。俺は見ての通りひ弱だから」
そう言って白鳥がその場に止まったまま3回剣を振るうと、黒い大木が8つの輪切りになる。
川の向こうから薄緑のローブのようなものを身に纏ったカゲロウが2体、不安そうにこちらを見ていた。
白鳥は「わりぃ、わりぃ」というように手を振って見せると、アキトに言った。
「2つずつ、2回に分けて運ぼう。あ、着物の上をはだけてね」
丸太ん棒のようなそれを担いでみると、意外なほどに軽い。とは言え大きさの割りに軽いというだけで、しっかり身の詰まった段ボール箱ぐらいの重さはあった。
担いだところの肌に黒いものが付く。なるほど上をはだけていなかったら洗濯をする椿が大変だ。
白鳥は刀を背中に紐でくくりつけ、2人は輪切りにした冬虫夏草を2本ずつ肩や脇に抱え、丘を上がって行った。
「ふんっ! はぁっ!」
丘を上がり切る頃にはアキトが声を上げはじめていた。息も上がりそうだ。
「大丈夫? 休憩する?」
後をついて歩く白鳥は余裕そうだ。
「だっ……だいじょ……っ、ぶっ! はぁっ! こ、根性ーーっ!」
「無理すんなって。休もうぜ」
そう言うと白鳥は冬虫夏草を下ろし、草の上に腰を下ろした。
「ぶはーっ! ぶはーっ!」
アキトは目を閉じて寝転び、だらしない腹を上下させる。
「水持って来りゃよかったな」
白鳥が持っていた手拭いで汗を拭いてくれる。そして優しい声音で言った。
「ここで休んでな。俺、4往復するから」
「だいじょーっぶ!」
アキトは笑いながら飛び起きた。腰が少しだけグキッといったが無視する。
「まかせなさーい! 俺に任せろ!」
「無理すんなよ?」
白鳥は心配そうに言った。
叢の中の道をノロノロと抜けた。
久しぶりの重労働に身体が悲鳴を上げる。
負けるか! と根性だけでアキトは休まずに歩き続けた。
一応VRゲーム機で日頃から運動はしているという自負もあった。
家が見えて来た頃にはもう昼になっていた。
おそらく白鳥の予定では昼までに2往復するつもりだったのだろう。
太陽の位置を確認すると、白鳥は気遣うように言った。
「とりあえず昼飯にしよう。残りは午後からでいいや」
汗だくで家に入ると椿の姿がなかった。
白鳥の代わりに赤い道を警備しているのだ。
それゆえに昼ご飯は何も準備されていないようだった。
「あっくん、ご飯作れる?」
白鳥が聞いた。
「任せろ」
アキトは答えた。
「たまごと鰹節があれば何とかなる」
得意のたまごかけご飯を作るつもりだったのだが、たまごも鰹節もないと言われて途方に暮れる。
「椿を呼んで来るわ。近くにはいる筈だ」
白鳥は立ち上がり、食卓の上にあるものに気づき、目を止めた。
その顔色が変わる。
何事かと思い、アキトも床にへばりついていたのを立ち上がり、それを見た。
食卓の上に置き手紙のようなものがあった。それを読む。
── 妹は預かった。返して欲しければ町の事務所まで来い。
「え……。何これ?」
アキトは驚いて白鳥の顔を見る。
「愚かなヤツラめ」
白鳥は疲れたような顔をして目を閉じた。
「何? 誘拐? え、え?」
アキトはうろたえまくった。
「椿が? 拐われたのか!? もしかしてカンパニーってヤツラにか!?」
「カンパニーはこの土地を欲しがってるんだ」
白鳥はぬるいお茶を一杯飲むと、言った。
「自然のテーマパークを作りたいんだとさ。ふざけやがって」
「ちゅ……椿は!? 取り戻しに行くんだろ!?」
「俺はここを動けねーんだよ」
白鳥はお手上げというようなポーズをする。
「なに。殺されることはない。何も反応せずにおけばそのうち何とかなるだろ」
「おい!?」
アキトは声を張り上げた。
「妹を見捨てるのか!?」
「見捨てるんじゃねーってば。放っておくしか出来ねーんだ。知ってるだろ? 椿だって強い。自分で何とかする。大体、連れて行かれたのはアイツの不覚だ」
「見損なったぞ! はっくん!」
アキトは涙と鼻水をいきなり流した。
「そう言われてもな」
「あの子は14歳の女の子なんだぞ!」
「うん。でも一人前だぜ」
「わかってないな!」
アキトは食卓を拳でドンと叩いた。
「もう子供じゃないんだ! 女性としての魅力が花開いてるんだ! 殺されはしないかもしれないが、酷い目に遭うことは充分あり得るだろ!」
「え。そうなの?」
「そうだよ!」
アキトは両拳を振り上げ、叫んだ。
「そっかー。じゃ、警察に知らせるか」
白鳥はバリボリと白い髪の頭を掻いた。
「それだ!」
アキトは言われてようやくその考えに辿り着く。
「でも、ここ電話ないよな……?」
「あっくんにお願いしてもいいだろうか」
白鳥はすまなさそうに言った。
「町まで行って、警察に届け出てくんねーかな。カンパニーの事務所の住所書いた紙、渡すから」
「もちろんだ!」
アキトはどんと自分の胸を叩き、少しむせた。
嬉しかった。ようやく2人の役に立てると思った。
椿がメモしているバスの時刻表を確認すると、白鳥は言った。
「たぶん今から行けば少し待つだけでバスが来る。バス停の場所は……まぁ、道は一本だからわかるか」
「任せろ!」
アキトは洋服に着替えると、玄関へ向かって勇ましく歩き出す。
「必ず椿を取り戻して来る!」
不安になったのか、その背中に白鳥は声を掛ける。
「言っとくけど、自分で奪い返そうとか思うなよ? カンパニーには手強い殺し屋もいるからな」
「ああ、わかってるさ!」
アキトは鼻息荒く言った。
「任してくれ!」
「あと。まぁ、ないとは思うけど、椿が拐われてる間にここを魔物が通り、町に向かったかもしれん」
「そ、そうなのか?」
「ないとは思うよ。最近全然出てないから。もし通ったのなら町が大騒ぎになってるからすぐわかる筈だ」
「なるほど。もしそうなってたらどうすればいい?」
「何もするな。逃げることだけ考えろ。狭い所へ逃げ込めば魔物は体が大きいから追って来れない。あとは椿……がもし無理な状態なら警察に任せろ」
「ら、ラジャー!」
「それじゃあっくん、頼んだよ」
白鳥が頭を下げた。アキトはそれを慌てて上げさせる。
「君達兄妹には多大な恩を受けた。今こそ恩を返す時だ。礼など要らん!」
「あっ。おにぎり持ってく?」
笹の葉に包んだおにぎりを白鳥は差し出した。
椿が2つ用意してくれていたものを見つけていたのだ。
「あ、うん」
アキトは遠足に行く子供のようにそれを受け取ると、言った。
「それじゃ、行ってきます」




