カゲロウ
洒落た蕎麦屋で2人は向かい合い、席に着いた。
「いつものを二つお願いします」と椿が席に着くなり注文をする。
そして持って来ていた風呂敷包みを手渡す。
店員のおばさんは「いつもありがとうね、椿ちゃん」と言うと、厨房に注文を伝えた。
お品書きを見ながらアキトは不満そうな顔をした。
鴨南蛮かカレー蕎麦がよかったな、自分で選びたかったな、と思っていたが、口には出さなかった。
「いつもここなの?」
アキトが聞くと、椿はメガネを外しながら「うん。ここだけよ」と言った。
やがて店員が蕎麦を二つ運んで来た。
山菜そばだった。
なるほど椿から山菜を貰う代わりに無料で蕎麦を食べさせてくれるのかな、とアキトは思う。
それにしても山菜そばしか選べないのかな、鴨南はダメなのかな。そう思いながらも文句は言わずに山菜そばを啜った。
「うん! うまい!」
心からそう言った。
「蕨、ぜんまい、コゴミ、蕗、ナメタケ。全部私が採ったやつだよ」
椿が自慢げに笑う。
蕎麦はいかにも手打ちといった感じの乱切りで、香りもたまらない。しかしそれでも山菜こそが主役だった。山菜をおかずに蕎麦という名の白飯を食っている気分だった。薄味の汁が素材の味を引き立てていた。
不思議だった。自分はこんなに山菜好きではなかった筈だ。
この世界に来てからほぼ山菜ばかり食べさせられていて、よく飽きないものだと思った。
肉が食べたい、ラーメンが食べたいとは思うのだが、いざ目の前に山菜を出され、食べはじめると、心からこんな美味いものはないと毎回思えるのだ。
「それにしてもアキトはゲームがうまいよね」
椿が箸に蕎麦を絡ませ、まっすぐこちらを見ながら言った。
「ゲームばっかりやって来たからだよ」
アキトは視線を逸らした。
「70にもなってむしろ恥ずかしいことだよ」
「何が恥ずかしいの?」
本気でわからないといった表情で椿が聞く。
「他には何にも出来ないんだよ。ほら、こっちに来ても椿に守られてばかりだろ?」
「知らないことばかりなんだもん、仕方ないでしょ」
「うん。世の中にまだこんなにも知らないことがあったなんて思わなかった」
そう言ってアキトは笑った。
「昇天拳が本当に使えてたら私よりアキトのほうが強いと思う」
「本当に使えればなぁ……」
「練習すればいいじゃん」
「ハハハ……」
自分がもし14歳なら、本気でそう思い、我流の練習をしたかもな、と老人は思う。
そう思う反面、明日からでもあの丘で特訓を開始してみようかなという子供じみた考えも浮かんだ。
アキトは汁まで全部飲み干すと、丼をテーブルに置き、手を合わせた。
「ご馳走さま。いやぁ美味しかった」
「このお店のおじさん、プロ中のプロだよね」
椿は蕎麦を噛みしめながらアキトのほうを見、泥棒のようにその目を厨房に移した。
「私、いつもこの味を盗もうと思ってるんだけど、なかなか難しいの」
「椿ちゃんの持って来てくれる山菜が美味しいのよ」
お茶を注ぎに来てくれたおばさんが言った。
アキトも無言で3回頷く。
「私が作った山菜じゃないし」
笑いながら言った椿の言葉にアキトは閃いた。
「あ! そうだ。俺、畑を耕して、野菜でも作るよ」
「はたけ?」
椿が目を丸くする。
「うん! 世話になってばかりで申し訳なく思ってたんだ。ジャガイモとか、えーと……何を作ろう」
「アキト、野菜を作った経験あるの?」
「……ないけど。でもネットで調べれば……!」
「ねっとって何?」
椿は本気でわからない顔をした。
「え。ネットだよ? ……ここにはないの?」
「なにそれ」
「じゃ、じゃあ本でも見て……!」
「大体、あの丘を耕すのなら兄さまがそんなの許さないわ」
「そうなの?」
「そんなことをするのはカンパニーと同じようなものだもん」
「それ」
アキトは気になっていたことを聞く。
「カンパニーって何なの?」
「私達の住むあの丘を破壊しようとしている人達よ」
椿は汁を飲み干すと、たんと快い音を立てて丼を置いた。
「とにかくアキトは何も知らなくていいし、何をする必要もないの。おばさん、ご馳走さまでした」
帰りのバスも2人きりだった。
隣で舟を漕ぎはじめた椿にアキトはオロオロした。
肩でも貸してやろうかと妄想していると頭がかくんと前に倒れそうになり、椿は目を覚ました。
「疲れてるんじゃない?」
アキトが聞くと、椿は答えた。
「兄さまほどじゃないわ」
バスを降り、帰りに薬の材料を取って帰ると言うのでついて行った。
昨日の場所だった。
息絶えた魔物の背中から生えている黒い木のようなものは天に届くような高さまで伸びていた。
「うわぁ……」
椿が途方に暮れたような声を出す。
「こんなに大きくなってるなんて……」
「この木を切りたいの?」
「木っていうかキノコなんだけどね。冬虫夏草って言って、これを干して薬にすれば町で売れるんだけど……」
「お金になるのか」
「兄さまには内緒だけどね」
アキトは寄生されて根になっている魔物の死骸を間近で見た。あの時は巨体と白い目に恐怖を覚えたが、今こうして見るとただの大きな犬かオオカミのように見える。
なぜかその動物の死骸に自分の死体のイメージが重なった。背中から黒い木を生やして自分が死んでいる。
椿は冬虫夏草に向かって手をかざし、何かやっていたが、諦めたようにその手を下ろした。
「だめ。ちっちゃくなってくれないわ」
「この大きさだとまずいの? いい薬にならないとか?」
「大きいのはいいことよ。ただ切り倒しようがないだけ」
「家に斧とかないの?」
「鉈があるわ。仕方ないなぁ、明日持って来よう。今日はあっちのほうでセリかウルイを探そう」
また山菜か……と思ったが、アキトは黙ってついて行った。
川辺だった。前の場所とは違い、アキトでも歩いて渡れるほど浅かった。
「アキトは座ってて」
椿にそう言われたが、老人はやる気満々の腕捲りをする。
「僕も採るよ。教えて」
「どっちもよく似た毒草があるの。任せられない」
「見分け方を教えてくれれば覚えるよ」
「それにこの辺は滑るから。頭打って死んじゃったら兄さまを呼んで来ないといけなくなるわ」
結局座って見ているしかなかった。
ブスッとしながら眺めていると、だんだんと機嫌も落ち着いて来る。
椿はスカートを結び、健康的な足を陽光にさらしていた。小鹿のように上体を綺麗に曲げて、目当ての山菜を探して歩く。
採るたびに左手に持つ数が増えていく。
そうだあれを受け取って風呂敷の上へ持って行ってやろうと思いつき、アキトはよっこいしょと立ち上がる。
立ち上がると、それが見えた。
心臓が止まるかと思うほどの驚きにアキトの動きが固まる。
川向こうの森の暗がりを背に、緑色の人間がこちらを見ていた。
薄緑のローブのようなものを細い身に纏い、頭には毛がない。その代わりのように太く短い触覚のようなものが突き出ている。
大きな真っ黒な目で、アキトのほうを少し遠くのほうからじっと見つめているのだった。
アキトは声も出せず椿に身振りでそれを示す。
山菜採りに夢中になっている椿は暫くアキトの様子に気づかなかった。
緑色の人物から目を離さないようにしながら、ぶさいくな歩き方で近づいて行くと、ようやくアキトに気づいてくれた。
どうしたの? と目で聞いて来る。
あ……あれ……! と目で知らせると、椿はそちらのほうを向いた。
緑色の人間は怖い顔をしてそこに立ち、やはりアキトのほうを見つめていた。
椿がこちょこちょと手を振ると、ようやくその目を逸らす。
椿はにっこりと笑い、手つきでそいつと話をしているようだった。
大丈夫
このおじいさんは仲間
安心して
そんな感じだった。
そして椿が手を動かすと、示したほうへ緑色のそいつは太い足で歩き出した。
細い上半身とはあまりに不釣り合いな太い、黒い足をしていた。
薄緑のローブが一瞬、空へ飛ぶかと思うような動きで揺れた。
そいつの姿が見えなくなると、アキトはようやく止めていた息をするように声を出した。
「なっ……、何なの? アレ?」
「カゲロウさんよ」
「カゲロウさん?」
「うん。子供から大人になる間の姿なの。初めて見た?」
「あ、当ったり前だの……もちろん」
「そっか。もうそんな季節なんだ」
そう言うと椿は空を見上げた。
「春が終わりに近づいているわ」




