カンパニー
「爺さんに何かさせる気はねーって言ったろ」
白鳥は文机に背中を凭れて呆れるように言った。
「爺さん呼ばわりしないでくれ」
アキトは怒ったようにそう言うと、再び頭を下げた。
「どうか……私に剣を教えてくれ!」
白鳥は溜め息を吐くと、顔を背けて言った。
「たまたま丘に迷い込んだ魔物と出会っただけだよ。言ったろ? 赤い道が魔物の通り道だ。俺がそこ守ってりゃそれで問題ない。あっくんは退屈な俺らの話し相手になってくれりゃ、それでいい」
「それじゃ嫌なんだ!」
アキトは食い下がる。
「退屈なんだろ? じゃあ僕に剣を教える暇はある筈だ! 頼む! 俺を男にしてくれ!」
「あっくんは充分男だよ」
白鳥は面倒臭そうに言った。
「チンポコついてんだろ」
「守られていて何が男か!」
アキトは昔読んだマンガの台詞を言った。
「女子供を守ってこそ男だ!」
「でもアキトは凄いよ」
敷居を挟んで隣の部屋から椿が言った。
「あの魔物を自分の目で見ておいてそんなこと言い出すなんて」
「椿の力を見たんだろ?」
白鳥はまた溜め息を吐き、アキトに言った。
「こいつの植物を使う術、凄いもんだろ? あっくんが何かしなくてもこいつが守ってくれるよ」
「俺の言葉を聞いてたのか、はっくん!?」
アキトは畳をドンと叩き、声を張り上げる。
「守られて何が男か!」
「めんどくせー……」
白鳥はそっぽを向いてしまった。
「でも兄さま」
椿が白鳥に聞く。
「本当に、魔物が丘に現れたのはたまたまでしょうか?」
「たまたまだよ。今までにもたまにあったろ」
「じゃあ」
急に椿の口調が年相応にあどけなくなる。
「明日、アキトと町にデートしに行ってもいい?」
「でっ……!」
アキトは顔を赤くし、言葉にならない声を上げた。
「ああ。デートでもデザートでも何でもして来い。ここは俺が守っとくから」
そう言うと白鳥は文机に向かい、書き物を始めた。
老人は夜、蒲団の中で、なかなか眠れなかった。
色んなことがあった。色んなことが出来なかった。
しかし今は頭の中のすべてを明日のデートのことが占めていた。
初めての町なのでエスコートは出来ないだろうが、優柔不断にならずに、レストランでは長年の知識を駆使して椿に凄いと思わせよう、車道側を歩き、椿を守ろう、ゲームの対戦ではもし自分のほうが強くても手を抜いたりしないようにしよう、椿は用事ついでの案内のような感じで、あるいは老人サービスのようなつもりでデートなんて言葉を使っているのだろうが、それを本当のデートにしてやろう、可愛い服があったら選んでやって……自分の運動靴もいいのがあったら新調して……そしてむにゃむにゃ……
「好きだ!」
寝言をむにゃむにゃと叫んで老人が起きると、朝だった。
既に台所のほうからトントンと包丁の音が聞こえる。
老人はドキドキしていた。
今までの丘でのこともデートと言えば言えた。
しかし今回は椿の口からはっきりと『デート』という言葉が出ている。
はっきりしているのだ。
この違いは大きかった。
「それでは兄さま、行って参ります」
椿が立ったまま、砕けた声音で丁寧な言葉遣いをした。
「気ぃつけてな」
白鳥は文机に向かったまま手を振り、言った。
家を出ると赤い道を右へ歩き出す。
「町まで遠いの?」
アキトが聞くと、椿は気づいたように歩調を緩め、手を繋いで来た。
ひんやりとした柔らかい掌でぎゅっと握りしめて来る。おそらく迷子にすまいと思ってのことだろう。
今日の椿は和服ではなく、チャイナドレスのような赤い上着に黒っぽいスカート姿だった。おめかししているという感じではないが、カジュアルな外行きの格好なのだろうと思えた。
アキトはこの世界に落ちて来た時の服を着ている。リチャード・ギアのカジュアルな私服といった感じだ。靴だけがボロボロの運動靴でチグハグではあった。
「このへんから乗り物に乗るよ」
家からそれほど歩かないうちにバス停があった。
猫バスでも来るのかと思っていたら普通にバスがやって来た。少々古めかしい型だが、外観は新しさを保たれ、内燃機関の元気さも上々だ。
中に入るとすぐにバスは動き出した。Uターンをし、やって来たほうへ戻って行く。
運転手を見ると50歳ぐらいの活力のありそうな男だ。
行き先も運賃表もなく、『次とまります』のボタンもなかった。
誰もいないバスの車内に2人は狭い席に並んで座り、会話をした。
聞きたいことが山ほどあるのに椿の話が止まらず、何も聞けなかった。
しかし小鹿が喋るような声で喋り続ける少女の隣にいるのは居心地の悪いものではなかった。
バスのことについては何も聞けなかったが、町のことについては椿が自動的に話して聞かせてくれた。
アキトには子供がいない。もちろん孫もいない。
孫娘がいればこんな感じなのだろうか、などとも思わない。
ただ、きゅんきゅんした。椿の足や腰が太股に触れているだけでもじもじしてしまう。
それに気づいて椿が言った。
「どうしたの? おしっこしたいの?」
「ああ……」
アキトは頷いた。
「でも……我慢、できるよ」
やがて景色が変わりはじめた。草木と土ばかりだったところに遠くに山が見えはじめ、木造や石造りの民家が現れはじめる。
道が舗装路に変わると前方にビルが見えて来た。普通に自分が元いた世界の町のようだ。
江戸のような町を予想していたアキトは少し拍子抜けしたが、椿の足や腰が当たっているので変わらず夢の中のような表情をしていた。
「本当におしっこ大丈夫? 運転手さんに言えば止めてくれるよ?」
「大丈夫だよ」
自分がもう少し若ければキモがられ、距離を置かれていたのだろうな、とアキトは思う。
老人だからこそ尿意だとしか思われないのだろう。それがラッキーでもあり、寂しくもあった。
椿は運賃を払わずにバスを降りた。
「あれ? お金は?」
アキトが聞くと当然のように答える。
「私達、1文無しなの」
「ええ?」
アキトは驚いて、言った。
「じゃあ町に来ても何も出来ないじゃん」
「町を魔物から守ってもらってるから、いいんですよ」
運転手が後ろから言った。
「いつもありがとう、椿ちゃん。白鳥さまにもよろしく」
椿が軽く手を振り微笑むと、扉が閉まり、運転手が嬉しそうな顔でバスを発進させるのがガラス越しに見えた。
町は本当に普通の町だった。
ただし50年以上前の、という感じであるが。
アキトが10歳代の頃、1990年代の日本の地方都市の風景だ。
自動車が走っていた。
アキトが30歳の頃にボロボロの中古で乗っていた2代目K-11型日産マーチがピカピカの姿で走っている。
「バブルはもう崩壊したの?」
アキトが聞くと、椿は意味がわからないという顔をした。
宝石屋のショーウィンドウの中に豚の頭が飾られていた。賑やかなCDショップの店頭では武蔵坊弁慶のような態をした男が客引きをしている。
懐かしいような風景だが、どこかがずれていた。
ふと見ると椿が黒縁のメガネをかけている。
「い、いつの間にメガネをかけたの?」
「変装よ。春の丘の椿だとバレないように」
「バレたらまずいの?」
「アキト、あっちに行こう」
椿が手を引いて小走りに駆け出す。
懐かしい感じのファミコンショップだった。看板には『バカボンショップ』と聞き慣れない店名が書いてある。
店内に入ると椿は伊達メガネをポケットに仕舞い、アキトの手を引いて奥へ向かう。3段ほどの階段を下りると、そこにスト2の筐体が置いてあった。
「わあ! 懐かしいなあ」
「私が産まれる前のゲームだもんね」
「えっ? そうなの?」
この町の雰囲気からすると『最新作』でもおかしくなかった。
「さあ、いじめてあげよう」
椿が舌をペロッと出しながらいじめっ子の顔つきで椅子に座る。
「これ、タダでやっていいの?」
アキトも向かいに座りながら、聞いた。
「さーて、人とやるのは初めてだぞ」
「そうなの?」
「でもCPU相手ならもう無敵だからね。最後の赤いおじさんにも10回に1回は勝てるようになったもん」
「10回に1回かぁ……」
アキトは思わず鼻で笑ってしまった。
「よし来い、アキト!」
そう言いながら椿が白い道着に頭に鉢巻をした主人公キャラを選ぶ。
「じゃ、同キャラだ」
アキトが同じキャラを選択すると、道着が黒くなった。
開始20秒足らずでアキトのジャンプ大キック大パンチ昇天拳の連続技で椿のキャラは断末魔を上げて倒れた。
「何ソレ!?」
椿がびっくりした顔を向こう側から覗かせた。
「ももももう1回!」
アキトが手足の伸びるアジア人キャラに替えると、椿のニンマリした顔がまた覗いた。
「知ってるよー。このひと動きが鈍いから楽勝だって」
アキトに完全勝利を食らい、次に覗いた椿の顔は泣きそうになっていた。
「諦めたんじゃないからね」
椿はメガネをかけて外を歩きながら、口を尖らせて言った。
「今度来た時、今度はボコボコにしてあげるんだから」
「ゲーム機買って、練習すればいいのに」
スッキリした顔でアキトが言った。
「そうすれば少なくとも20連敗はしなくなるかもよ」
「ダメダメ。兄さまがそんな物を持つことは許さないもん」
椿は厳しい顔つきで言った。
「そんな物を持てば、カンパニーのヤツらと一緒」
「カンパニー?」
「うん。あ、アキト、車道側を歩くと危ないよ」
そう言って椿は手を引っ張り、自分が車道側を歩き出す。
丘を駆け下りる時は労る気も見せなかったくせに、何なんだとアキトは思わず不貞腐れる。
「これからお米を貰って、兄さまの原稿用紙とインクを貰って帰る予定だけどアキト、お腹空いた?」
「うん。ペコペコだ」
「じゃ、食べに行こう」
そう言ってスタスタ歩き出すと、忘れてたというように椿はアキトの手を繋いだ。
「えっと……」
アキトが少し気圧されたように聞く。
「何が食べたい?」
「行くところはもう決まってるの。1文無しだから、タダで食べられるとこ」
「そ、そうなんだ?」
「伏せて!」
いきなり椿が飛びついて来て、アキトの頭を抱えて歩道に伏せた。
「ぐわ!?」
アキトは少し顎を打ち、それでも後頭部に感じる柔らかい感触に嬉しそうな顔をした。
「なっ……なんなの!?」
「……ごめんなさい。違ったみたいだわ」
椿は申し訳なさそうにアキトの薄い頭を撫でた。
「カンパニーの殺し屋かと思ったの」
「こ、殺し屋!?」
アキトが思わず辺りを見回すと、黒いスーツに身を固めた3人の男がすれ違って行き、角を曲がって消えた。




