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転生

 夜になり、老人は1人あてがわれた部屋で、蒲団に仰向けになりながら思った。


 自分は夢を利用した新型のVRマシン『ドリームクエスト』の中にいるのではないのか?


 老人は長い人生で一度も『眠る夢』を見たことがなかった。

 寝ている時に夢の中で寝ることがあるなんて話は信じられなかった。

 ネットで見るとそういう夢を見る人が普通にいるらしかったが、自分は一生そういう夢を見ることはないと思っていた。


 だからもし今、眠って、次に起きた時に覚めていなければ、これは現実なのだ。

 自分は何かのトラブルであの『棺桶』と呼ぶべきVRマシンの中で死んだのだ。

 あのトロッコ事故は、眠っているためそれに気がつかなかった自分が死ぬ時に見た光景だったのだ。


 ここは死後の国なのだ。

 天国なのかはわからないが、そういう場所なのだ、と。


 しかしこんな何もないところで生きて行けるのだろうか?

 老人は続けて考える。

 死ぬということはこの世界において可能なことなのだろうか?


 老人は、死は救いであると考えるようになっていた。

 若い頃は望んでいた永遠の生命など、むしろ御免だと思うようになっていた。


 何もなかった人生など早くリセットしたい。早く違う自分に転生したい。そう考えるようになっていた。




 次の朝の食卓は蕗味噌ご飯とふきのとうの味噌汁だった。

 その湯気の香りを嗅ぎ、老人は確信した。

 ここは仮想現実の世界なんかじゃない。

 これほど実感のある世界が夢である(はず)がない。


「ごめん。僕のせいで、ふきのとう尽くしだ」


 老人が汁椀を手に二人に謝ると、椿が笑い飛ばした。


「でも美味しいでしょ?」


「気にするなよ、アキト」

 白鳥が老人に言った。

「俺ら食えれば何でもいいんだから」


「あら兄さま、そんな風に思ってらしたの?」

 椿がやたら丁寧な口調になり、少し怒ったように言う。

「そう言えば『()()()の料理はうまいなー』とか一回も聞いたことがありませんでしたわね?」


「何だ、そんなこと言われたかったのか?」

 白鳥が笑い、からかう。

「うまいなー。椿(ちゅん)の料理はいつもうまいなー。ありがとー。ありがとなー。感謝してますよー」


 椿が箸を投げる真似をした。白鳥が目に突き刺さったふりをして苦しがる。

 老人は笑い、椿をフォローする。


「いやでも、本当に椿(つばき)ちゃんの作るご飯は美味しいよ」

 心からの言葉だった。


「食材が美味しいだけよ」

 椿はそう言って頬を赤くする。

「山菜料理ばっかりだし」


「ところで『ちゅん』って? 愛称なの?」


「そうだよ」

 椿は微笑みながら、キスをするように口を丸くし、「ちゅん」と言った。

「ちゅんって呼んでね、アキトも。私のこと」


 その椿の唇の形がアキトの心に焼き付いた。


「じゃあアキト」

 白鳥が言った。

「俺のことは『お兄さん』って呼んでくれ」


 何と返したらいいのかわからずアキトが困っていると、椿が「そのまんまじゃん」と突っ込んだ。


「まぁ、『ハク』でも『はっくん』でも何でもいい。俺を愛称で呼ぶヤツなんかいないから」

 白鳥は寂しそうな顔をしながらフレンドリーに言った。

「俺、友達欲しかったんだ。馴れ馴れしく愛称で呼んでくれるヤツが」


 アキトは嬉しかった。40歳以上も上の自分を友達呼ばわりしてくれることが。


「じゃあ……はっくん」

 恋の告白をするような照れ臭さでそう口にした。


「なんだい? あっくん」


「よっ……呼んでみただけ!」




 その日も白鳥は赤い道に留まり、椿は別行動した。

 風呂敷と竹筒を持たされ、アキトは椿のあとをついて行った。


「タラの芽を探そう」と、アキトが言い出した。


「昨日の場所はもうダメだよ」

 椿は並んで歩きながら、叱るように言う。

「1番芽はほぼ摘んじゃったし、木も育ててあげないといけないから。来年の春に困ることになっちゃうよ」


「来年の春?」

 アキトは気になって、聞いた。

「ここは年中春ではないの?」


 椿は首を横に振った。


「そのうち夏が来て、秋になって、ちゃんと冬も来るよ」


「じゃあ、なんで春の国?」


「春が一番美しいところだからかな?」

 椿は自分もよくわからないという顔をしながら答えた。

「初夏の頃も私は好きだけど。……精霊のダンスが見られるのよ」


「ダンス?」


「うん。綺麗だよ。ちょっと哀しくて」


「悲しいの?」


「アキトもその時になればわかるよ。一緒に見ようね」


「う……。うん」


「とりあえず早く赤い道から逸れなきゃ」


 そう言うと椿は叢を抜ける道へと入って行った。




 昨日の丘へまた出ると、昨日とは違う方角へ向かって下りた。


 アキトは今日は縹色(はなだいろ)の浴衣を借り、足元には自分の運動靴を履いている。

 これなら負けることはないと思っていたが、椿はぐんぐんと前を滑るように駆け下りて行く。

 歳のせいにして心で負け惜しみを言う。

 赤い後ろ髪をなびかせて、椿はぐんぐんと前を行く。たまに振り向くと顔が悪戯(いたずら)っぽく笑っていた。



 今日の場所に川はなく、一面疎らに木の生えた林のようなところだった。

 そこから椿は1人で森へ入って行き、すぐに帰って来た。タラの木はあったらしいが、密集している上に育ちきっていてダメだということだった。


 そこら中にぜんまいが生えていると言うのでそれを採ることになった。


「これだよね?」

 老人はぜんまいだと思ったものを指差す。


「それはただのシダ」

 椿が笑う。


「見分けがつかないよ」


「じゃあアキトは座ってて」


「ぐぅ……」


 老人は悔しかった。何かの役に立ちたかった。

 しかし下手に出しゃばると昨日のように失敗するだろうのでただ座っているしかなかった。



 ぜんまいはすぐに集まり、椿は持って来た風呂敷包みを開いた。

「さあ、お昼ご飯にしましょう」


 笹の葉で作った入れ物を開けると少し茶色の混ざったおにぎりが出て来る。

 竹筒の栓を取り、竹の湯呑みに椿がお茶を注ぐ。

 おにぎりを噛ると中から蕗味噌が現れた。


「おいしいね」

 アキトがモゴモゴと顎を動かしながら笑う。


「ぜんまいは甘辛く煮て食べようっと」

 椿は向かい合って座り、おにぎりをチョコチョコと食べながら自分の世界に入っている。


「このお米はどうしてるの?」

 自分で作っているのかと思い、聞いてみた。


「山菜を町に持って行って交換してもらうの。なかなか白米とは換わらないから麦が多いけど」


「町ってどんなとこ?」


「賑やかだよ。人がいっぱいいて、アキトの好きなゲームもあるよ」


 老人はいまひとつイメージが出来なかった。

 この兄妹はまるで江戸時代のような暮らしをしているのに、町には現代的なものがあると言う。

 一体この世界はどんなところなのか、よくわからなかった。


「今度、町に連れて行ってくれる?」


「うん、いいよ」

 椿は老人の言葉を聞くと嬉しそうに笑い、言った。

「デートだね」


「いや、そんな……」

 老人はしどろもどろになった。

「僕は……。そんな……」


 どっちかと言うと祖父と孫娘のデートだろう、と思った。孫娘に連れられて新しい世界を見に行くのだ。新しい世界だから孫娘のほうがよく知っている。おじいちゃんはお金を出すだけで、孫娘が遊ぶのを見るだけだ。そしてもう1、2年もしたら孫娘はおじいちゃんよりも友達のほうが完全によくなり、自分とはまったく遊んでくれなくなる。いや、もう14歳にもなっておじいちゃんと一緒に遊んでくれる椿は珍しい子の部類ではな。


「何考えてるの?」


 気がつくと椿が不思議そうにじっと顔を覗き込んでいた。


「いや。そのね。そう言えば。お兄……はっくんは昼ご飯どうしてるかと思ってね」


「兄さまにもおにぎり、置いて来たから大丈夫」


「そ、そうか」

 老人はなんとか会話を続ける。

「なんでお兄さんのこと『兄さま』って呼ぶの?」


「尊敬してるもの」

 椿は足をぴんと伸ばすと、空を仰ぎ、うっとりと笑った。

「1人で春の国を守ってらっしゃるのよ」


「1人で?」

 

「そうよ。普段はあんなだから私も親密にしてるけど、お強いんだから。剣を振るう時の兄さまは尊い方よ」


「あの剣を抜くことがあるの?」


「急に最近ぴたりと収まったけど、それまでは魔物が頻繁にあの赤い道を通ったのよ。すべて兄さまが斬り捨てて」


「へえ」

 老人はあの白い髪の剣士が踊るように剣を振るうところを想像した。

「あの細い身体で……。そんなに強くは見えないけどなあ」


 老人がハハハと笑うと、椿の顔色が変わった。険しい目になり睨んで来る。


「あ、ごめん。尊敬するお兄さんのこと……」


 椿が急に飛びかかって来た。怒りに燃えるように目ん玉が赤くなっている。


「ごめんて……!」


 身構えたアキトを横に突き飛ばし、椿はその背後へ突進した。

 いつの間にか森から現れていた真っ黒な犬のような動物が足音を押し殺していたのをやめ、椿めがけて飛びかかった。

 椿はひらりと飛んで攻撃をかわすと、動物の背中に一瞬乗るように手を着いた。


「冬虫夏草……ついた」


 着地した椿がそう口にし、両手を高く掲げると、動物の背中からめきめきと音を立てて黒い木の枝のようなものが伸びる。


 動物は真っ黒な身体に真っ白な目をしていた。その目がたちまち生気を吸われるように灰色に変わって行く。


 椿はなぜか残念そうな顔をして戻って来ると、再びおにぎりを食べはじめる。


「なっ……。なっ……?」

 老人は動転して言葉がうまく出て来なかった。

「なんなの? 何が起きたの?」


「まぁ、薬にはなるけど……」

 椿はおにぎりをパクパクと食べながら呟いた。

「でもなんで、ここに魔物が?」


「魔物なの、これ!?」


「帰ろう、アキト」

 椿は風呂敷を畳むと、スタスタと歩き出した。

「帰って兄さまに聞いてみる」


 振り返ると魔物は背中から黒い木のようなものを生やし、どんどんと弱っていた。木に養分を吸われているように見える。


椿(ちゅん)は──」

 アキトは遠くなる背中に聞いた。

「魔法使いなの?」


 椿は答えずにどんどん前を歩いて行く。振り返ると「早く来い」というように手を振った。


「俺……ただのお荷物じゃねぇか……」

 アキトは駆け出しながら呟いた。

「屋根貸してもらって、食わしてもらって、守られるだけのお荷物じゃねえか……」


 ここが異世界なのなら自分は何のために呼ばれたのだろう?

 大体、なぜ老人のままなのだろう?


 若い身体を得て、椿を守れるほどの力も得て、この世界に名を轟かせるような活躍がしたい。

 元の世界では何にもなれなかった自分を、この世界で花開かせたい。


 しかしアキトは何も出来ない老人のままだった。





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