≪後編≫
授業が終わると俺は即座に学校を出た。
向かうは茅瀬の入院している大学病院だ。まず彼女の状態を確認したい。ああは言っていたが、実は本人が気付いていないだけで、死んでいる可能性だってあるのだ。そうなると大前提が変わってくる。
茅瀬には一応ノートに【病院に確認しに行こう】とだけ説明。俺は駅までダッシュで走る。歩け? いや怖いから全力で走っている。
何が怖いかというと、この幽霊茅瀬。歩いていると姿が見えないのに声だけが聞こえてくるのだ。
『どうして走るの?』
視界に姿が見えない状態で、耳元で囁かれると飛び上がるくらい驚いてしまう。歩きながら話すなんて、そんな悠長な気分にはなれない。怖いのだ。早歩きからつい走り出してしまった。
どうも彼女自身は、普通に歩きながら話しているつもりらしい。しかし実際は違う。歩いて付いてくる彼女の姿を、俺は一度も見れていない。立ち止まると何故か死角に立っている。顔色は悪いまま、口調は明るいのに感情の起伏が殆ど表情に出ていない。コロコロ表情が変わっていた以前の彼女とは大違いだ。その落差が怖い。
あの話の後も、彼女は頻繁に硬直したようになって、無表情で黙り込んだ。震える程怖かった。彼女に自覚はないようだ。もしかして本体との接続が度々途切れているんじゃないだろうか。早く戻らないと完全に繋がりが途切れて、一生元に戻れなくなるんじゃないだろうか。
そんな不安に駆られて駅まで走った。マラソン大会の時よりも必死になったかもしれない。
彼女は既に駅のホームに立っている。いつの間に追い越されたのだろう。
『ごめんね。迷惑かけて……』
すまなそうに彼女が謝ってきた。勝手な勘違いかもしれない理由で走っていた手前、なんとも返事に困る。
ふとホームを見て今朝のことを思い出して聞いてみた。
「そういえば、何で駅のホームで踊ってたの?」
『!?』
茅瀬は形相を変え、すっと一歩分後ろに下がった。足は動いてない。釣られて俺も一歩飛び退った。互いに引いた俺と幽霊。
茅瀬は両手を振って弁明を始めた。
『あ、あれは違うの!』
あ、凄い。焦っているのが分かる。表情が完全に人間の時に戻っている。よほど感情が大きく出ているのだろう。
で、なにが違うんだ。
『えっと…私のこと見える人を探そうとして、人の多い駅に来たのね。最初は普通に話しかけてたの。でも全然成果がなくって、誰もこっちを見てくれなくて。じゃあ、何か注目しそうなことすべきかなって……思って』
意味が分からない。普通、注目を浴びようとしたら、大きな声を上げるとかするんじゃないだろうか。なんで踊りだすんだ。しかも駅ホームで。普通恥ずかしくてやらないよな。
指摘したらなんか凄い目で睨まれた。ただ幽霊的な怖い睨みじゃなく。普通の少女の怒り顔だ。
『そういうこと聞く!?』
なぜだ。聞いちゃいけなかったのか。俺逆ギレされてる? 幽霊に。
『そりゃ最初は声をかけてたよ。でも誰も振り向いてくれないし、無視するのよ。なんとか振り向かせようって思うよね。なら自分の出来ることで一番気を引けそうなのって思うじゃない?』
それで踊るの? 駅ホームで? 正気?
『だって、誰も気づかないんだもん。じゃあこの際だからって、一番目立つようなことをやってみようって思うじゃない』
いや、思わないけど……『この際』っていうことは、前からやってみたいっていう願望があったってことなのか。茅瀬が。やっぱお前、芸能界志望って本当なの。
『違うわよ! いいじゃない、どうだって! 声を出すよりもダンスの方が自信があったの!』
それで踊るのか。教室でも踊ってたよな。しかも教壇じゃなく教卓で。
でもなんでその二択なんだ。注目を得ようとするだけなら他の選択肢はなかったのか。
『もう、いいでしょう別に! ホラ、電車来たよ! 乗るよ!』
怒りの茅瀬に怒鳴られ、俺達はホームに入って来た電車に乗り込んだ。
あれ、でも大学病院って……。
『……ごめん……間違えた。これ逆方向』
「……」
俺は動揺した幽霊に、逆方向行きの電車に乗せられていた。
◇
やっと病院に着いた。
まず状態確認だ。普通に行くと面会謝絶なので会うことはできない。なので本人に場所を教えてもらって直接病室に向かう。
面会謝絶の札のある病室前で、綺麗なおばさんが悄然とした表情で長椅子に座っていた。
『お母さん』
若っ。というかヤバイ。どうする。こんな事態は想定してなかった。
仕方なく近寄って挨拶する。お母さんは不思議そうに首をかしげて。
「お見舞いありがとうね。でも、学校には病室のことまでは話していないのよ。よくここまで来れたわね……」
まさか本人に案内してもらったとは言えない。本人が横にいますとも言えない。
こう話しているうちにも、本人が母親に話しかけて気付いてもらえず落ち込んでいる。それを見てちょっと考えた。ここは全部バラして相談すべきじゃないか。お母さんに協力してもらう方がいいんじゃないかと。
ただ、お母さんは本当に深刻そうな表情をして落ち込んでいて、とても軽々しく言い出せる雰囲気じゃなかった。
まさか、あなたの娘さんが駅ホームで奇行に走っていたので付いて来ましたとは言える雰囲気じゃない。馬鹿にしてと半狂乱で殴られたら目も当てられない。
「来てくれてありがとうね。でも、ごめんなさい。今は未だ誰とも会うことは出来ないのよ」
「あ、そ、そうですか。分かりました。お忙しいところ、すいませんでした! えっと、じゃあ失礼します!」
慌てて適当な返事をしたまま、その場を離れ病棟の待合所まで逃げた。逃げてから見舞いに来たというのに手ブラだった自分に気付いて恥ずかしくなる。
『そんなに慌てて逃げることないのに……』
茅瀬が不思議そうに言う。なんか病院に着いてから彼女の声には元気がある。違う。表情が豊かになっているんだ。本体が近い所為だろうか。
「そうはいかないって」
あのお母さん、一度も面識のない俺を凄く怪しがってた。今迄まったく接点が無かった男子が、知らせてもいない病室前まで突然やってきたのだから当然だ。
「!!」
『どうしたの?』
男子がこんなところまで会いに来るなんて、俺はよっぽど茅瀬が好きなストーカー男子だとお母さんに思われたんじゃないだろうか。
その可能性に思い至って、俺は待合所の椅子でのたうち回った。
『なに喜んでるの』
喜んでねえ!
……いや、落ち着け。落ち着け。
とりあえずあの返事から茅瀬が生きているのは間違いない。そこは一安心だ。どうするか。
まず一度本人に身体を確認してもらう。
すぐに帰ってきた。自分の肉体は以前と同じ様にベッドで眠ったままらしい。
『身体に管がいっぱい通ってて怖い……』
幽霊が自分見て怖がるなとツッこみたい。点滴とかだろう。
となると次はどうやって肉体に戻るかだ。彼女は一応一通り戻れないか試しはしたそうだ。俺も詳しい訳ではないから、そう簡単に対策案が思いつかない。
スマホで検索してみた。
【幽体離脱 戻る方法】
驚いたことに、いっぱい出てきた。
……なんでこんなに出てくるんだろう。やってみるものだ。もしかして幽体離脱して戻れないのって、一般的な事例なんだろうか。
ひとつずつ茅瀬に伝えて試してもらう。
「身体に重なって、ゆっくり動いてみるんだって」
既にやったと言うが、もう一度頼む。……やっぱり駄目だったと云われた。
「目を閉じて体の感触を思い出すように念じてだって」
駄目。
「身体の足に入り口があるので、そこをめがけてダイビングしろってさ」
『……通り抜けちゃうんだけど』
駄目か。
『床に当たって怖かった』
怖いのか。幽霊が。
「逆に頭の先にも通り道があるらしいから、今度はそこから滑り込むように……」
『だから、床に当たっちゃうんだってば』
これも駄目。
「目が覚めるシーンを思い出して、一緒に浮き上がるように…」
『同じじゃない。駄目だったって言ってるでしょ!』
かなり焦ってきているようだ。俺はただ言うだけだけど、彼女は実際に失敗を繰り返してるんだからな。
『ごめん……せっかく……』
「いや、俺の方こそ役立たずでごめん」
二人向き合ってため息をつく。
『はあ……』
「……」
目ぼしい案が尽きた。
行き詰まったので、ちょっと一息つこう。ジュースでも飲むか。自販機に向かうと茅瀬が当然のように付いてきた。
『あたし、ドク〇ーペッパー!』
「いや、幽霊じゃ飲めないだろ」
『やだもーっ!』
茅瀬がぷんすこと怒りのリアクションをする。まんまいつもの茅瀬だ。あざといくらい可愛い動きだったので急いで顔を背ける。意識してしまっているのを気付かれるのは恥ずかしい。
……というか茅瀬、随分と個性的な好みしてるんだな。
とりあえず、ド〇ペを買ってみた。茅瀬が俺の背後で左右に揺れながら文句を垂れる。
『いいな。いいな! 小藪くん、ずるいな!』
別にずるくはない。そんなこと言われても困る。
「早く戻れば良いじゃん」
『戻れないから困っているんでしょ! もーっ!』
何年ぶりかに飲むなコレ。うーん……なつかしいというか、相変わらず個性が強い味だ。
『むーっ。むーっ! いいなー。いいなー。あー、早く身体に戻って、あたしも飲みたー……っ』
二口目を飲む。もう十分だ。ゲップと共に振り返ると、そこにいた筈の茅瀬がいない。
「…………?」
周囲を見回した。
「……茅瀬?」
やっぱり何処にもいない。気配もない。なんだ。どうしたんだ。
遠くから喧騒が聞こえてきた。
それも聞こえてくるのは、茅瀬の病室あたりからだ。
(まさか……)
おそるおそる近づくと、茅瀬の病室内からお母さんらしき声が聞こえてくる。声を荒げている。
(…かち、梨香ち! 分かるかい!? 梨香ち!)
なんで名前が二文字なのに、三文字で呼んでいるんだろう。不思議な親御さんだ。
そうこうしているうちに、看護師さんと遅れてお医者さんがやって来たので脇に避けた。
再びそっと近づいてドアの横に立ち、ド〇ペを飲みながら聞き耳を立てる。
漏れてくる話し声から推察するに、彼女が目を覚ましたのは間違いない様だった。
散々肉体に戻ろうとしても戻れなかったくせに、ド〇ペを飲みたくて復活するとは。所詮女子中学生、最後は食い気の勝利か。
とりあえずド〇ペを一本追加で買って、扉の横に置いておく。その後は、とぼとぼ歩いてエレベーターへ。
「これで、一件落着かあ……」
散々怖がらせて付き合わせた挙句、缶ジュース飲んでたら自分で解決しちゃったよ。なんて迷惑な話だ。吉田じゃないが、パンチラの一回でも見せて貰わないと割に合わないぞ。
でも思ったより早く解決して助かった。
ここで戻れなくて何日も掛かったら、結構大変なことになっただろうから、これで良かったのだろう。
考えてみれば、あのまま戻れなくて夜迄ずっと病院で付き添わされたり、帰ろうとした俺の家に付いて来る可能性もあったのだ。男子中学生としてはそれなりに見られるとヤバイ物はあるから、部屋に入ってこられたら困るところだった。
「……帰ろ」
さっきまで面会謝絶だったのだから、俺なんかが顔を出しても会わせてくれないだろう。会っても母親がいる前で何を言えばいいのか分からないし。
少しばかり安心しながら、とぼとぼと俺は自宅に帰った。
◇
翌週、彼女は元気に登校してきた。
怪我も大したことはなかったようで、外傷は見られない。
クラスの花が復活し、女子達は一様に囲んで喜びの声を掛けている。男子達も遠巻き眺めてはいるが、顔には笑みが溢れて浮かれている。
聞き耳を立てていた俺は、予想通りというか、嫌な想像が当たっていたことを知る。
どうやら彼女は、意識不明で眠っていた間のことを、全く覚えていないようだった。
つまり、幽体離脱したのを幸い、遊び歩いていたら戻れなくなってしまい。誰にも視認してもらえず、ヤケを起こして駅ホームで踊り、俺を見つけ病院に行って、ド〇ペを飲みたくなったら肉体に戻った一連のことを全て忘れているらしい。
……こう言うと黒歴史だな。忘れたことにしてしまいたかったとか。じゃあアレは演技。俺に気付かれたくなくって、忘れたふりをしているとか……。
いや、それはないだろう。
茅瀬は何度かこちらにも顔を向けたが、まったく俺とは目を合わせなかった。意図的に無視している風でもない。あれは以前と同じだ。こちらをまったく意識していない。ろくに話したことがないクラスメイト達に向ける反応だ。
(なんだよ)
思い切り肩透かしをくらった気分だ。
(少しは苦労したのにな)
ちょっと残念。
……ごめん嘘。凄く残念。
正直期待してた。クラス一の美少女が困っているところを、少しとはいえ二人っきりで助けたのだ。ドラマみたいだろ。もしかしてこれから、嬉し恥ずかしのラブコメ展開が始まるんじゃ、とか思ったりしたのさ。週末なんてベッドで想像して身悶えしちゃったりしたのさ。当然だろ。
……でも現実はご覧の通り。
しょせん凡人の俺では、こんなもんだったという訳だ。
まあ、仮に茅瀬が覚えてて漫画みたいな展開が始まったとしてもだ。あっちはクラス一人気の美少女。こっちは平民なんだから吊り合いが取れない。他の男子達がやっかめば、俺は面倒な目に会うに決まっている。だから、実際にはこれで良かったのだろう。
とりあえず、体育で男女に別れてバレーをしている時だ。彼女の視界に入るだろう位置で、彼女が駅ホームで踊っていた不思議な踊りを踊ってみた。
神崎と大薮にはかなり受けた。
友人達と話し込んでいた茅瀬は、ふと目に入った俺の踊りを唖然とした表情で見入った後、突然顔を真っ赤にしてこっちに走って来る。
俺は慌てて全力で逃げ出した。
おわり