≪前編≫
夏のホラー2020 に参加してみました。
俺は今、とても混乱している。
朝、登校する途中。学校最寄りの駅で降りると、クラス一の美少女と名高い茅瀬梨香が、ホームで長い髪を振り乱し不思議な踊りを踊っていたのだ。
「……」
……何をしているんだろう茅瀬は。
それは授業でするヒップホップダンスとは違う。TVでダンスユニット等がしている踊りに似ていた。
いや、少し違うかも。ところどころで、指で自分を指したり真上を指したりしている。自己主張が激しいからアイドル系か。あれはたぶん、彼女オリジナルの創作ダンスなのだろう。朝っぱらから勇気ある行動だ。
しかし、おかしなことに誰も彼女に注目をせずに通り過ぎて行く。変だな。彼女は東京に行った際に、スカウトされたことがあると聞いたくらいの美少女なのだ。高校は東京に行って芸能学科に入るんじゃないかという噂さえある。あれだけの美少女が踊っていれば、足を止めて眺めずにはいられないと思うんだけど。
俺は周囲を再確認しようと見返したが、朝の駅ホームは混雑している。人の流れに押し流され、その場を離れてしまい彼女を見失った。流れに逆行するのは大変だし時間もない。仕方なく学校に向かったのだった。
――そして、教室に入った俺は、再び驚きで硬直している。
駅ホームで踊っていた筈の茅瀬が教室にいるのだ。いつの間に追い抜かれたのだろう。そして同じ様に踊っている。彼女は教壇ではなく、先生の机、教卓の上に乗って踊っていた。凄え。あんな狭いところで踊って危なくないのだろうか。
(いや、ちょっと待て!?)
俺は今更ながら肝心なことを思い出した。
彼女は今確か、病院に入院していた筈だ。
先週末、彼女は母親の運転する車で帰宅途中に交通事故に遭った。幸い二人共怪我は軽かったらしいが、助手席にいた彼女は頭を強く打ったとかで、ずっと意識が戻らず昏睡状態にあると先生が発表したのだ。
クラスは大騒ぎに。なにせ彼女は評判の美少女だ。男子達は大袈裟に騒ぎ立て、泣き出す女子もいたくらいだ。普通可愛い女子といえば、どこかで僻む女子に敵視されるものだが、彼女は珍しく女子達にも人気がある。さっぱりした性格なのと、母娘揃ってのジャ〇オタで追っかけをしており、学校の男子は眼中にないところが女子にも受けが良いのだろう。と神崎が話していた。
そう、彼女は未だ入院している筈なのだ。それなのに、なんであんなに元気に踊っているんだ。退院して少し頭が緩んじゃったのか。
(あれ?)
更におかしなことに気が付いた。
駅ホームの時と同じで、何故か誰も彼女に関心を向けていない。仲の良いグループの国枝達も、教卓に視線を向けず顔を寄せ合って話している。席に向かう途中で、教卓を通り過ぎた奴等もまったく気付いていない様子だ。一番前の席の吉田なんか、目の前の教卓で女子がスカートで踊っているのに見向きもしない。ありえない。奴なら屈みこんで、舐めるような視線をローアングルから向ける筈だ。一体どういうことだ。
「小藪くん、邪魔」
「あ、悪い」
後ろから登校してきた女子に言われて避ける。彼女はそのまま教卓の脇を抜けて、窓際の自席へ歩いて行った。茅瀬に気付いた様子はない。
(どうなってんだ?)
またおかしなことに気が付いた。踊っている筈の茅瀬のステップが聞こえない。教卓の上なんかで踊ったりすれば、かなり音がする筈なのにだ。
(まさか。いや、まさか)
嫌な汗が出て来た。教卓を遠巻きに避けながら、俺は自分の席に向かう。席について鞄を下げ、さりげなさを装いながら教卓に視線を戻す。
そこに茅瀬の姿はなかった。
(!っ……うそだ)
慌てて見渡すと、茅瀬は仲の良い国枝達の傍に立っていた。
ぞくりとした。
目を離したのはほんの数秒だった筈だ。教卓から降りて、あそこまで歩ける距離じゃない。しかも教卓を降りる時にはかなりの音がする筈だ。その音を俺は聞いていない。
彼女は笑顔で何かを話しかけている様だが、国枝達が気付いた様子はない。さびしそうに黙り込む茅瀬。突然顔を上げたので、俺は慌てて横の神崎に話しかけて気付いていない風を装う。理屈じゃない。本能的にやばいと思ったからだ。視線を戻すと姿が消えていた。
そっとクラス内を見回して発見。今度は俺の前方の女子、豊田達に話しかけている。そんな馬鹿な。こっちに歩いて来た様子なんかなかったぞ。
そこで俺はとんでもないものを見る。歩いてきた別の女子が、茅瀬の身体を通り抜けたのだ。
(っ!?)
咄嗟に悲鳴が漏れそうになって口元を押さえてしまった。前に座ってこちらを向いていた大薮が、心配して声をかけてくれた。引き攣りながら誤魔化すが、俺の視線は茅瀬に向いたままだ。大薮が不審がって振り返るが、茅瀬に気付いた様子はない。やはりこいつにも見えていないのだ。
茅瀬は自分を通り抜けた女子をさびしそうに見送っている。その身体をまた新たな男子が通り過ぎる。
薄々気付いていた事実を認めなくちゃならない。
幽霊だ。
茅瀬が幽霊になって、クラスに戻ってきているのだ。
◇
朝のホームルーム。国枝が担任に茅瀬の容体を聞くが、答えは昨日と変わらず未だ目覚めていないとのことだった。
一様に気落ちするクラスメイト達。しかし俺が、俺だけが気付いている。茅瀬が教卓の窓際に立って、さびしそうに微笑んでることに。これは一体どういうことなんだろう。
どうやら彼女は、自分を認識できる人を見つけようとしているようだった。ずっと色んな人達に話しかけては無視されている。その度にさびしそうな表情をするので、釣られて切なくなる。美人が泣きそうな顔をしていると、男はすぐ引きずられるっていうしな。恐ろしい罠だ。
俺はずっと目を伏せ、先程から気付かない振りをしている。なぜか。彼女の目的が分からないからだ。細かく言えば、彼女が探してるらしい「自分を認識できる人間」つまり俺を見つけて、何をするつもりなのか分からないからだ。
まず、あの茅瀬は死者の霊なのか、生霊なのか。どっちなんだ。
先生は朝連絡を受けたが未だ目を覚まさない。と言っていた。そのまま信じれば彼女は生霊になるんだが、もし親御さんが何らかの理由で嘘をつき、死を伏せていた場合、彼女は死者の霊ということになる。俺はその「死者の霊に何かを要求される」のが怖くて顔を伏せている。自分が死者の国に引きずり込まれる可能性にびびっているのだ。そんなのありえない。ろくに親しくない只のクラスメイトが、自分を見えた人間を死者の国に引きずり込むのか。一笑に付すべき話だとは分かっている。でも俺以外誰も見えない。何かあっても助けてもらえないという状況に俺は怯えている。へたれだと自分でも思う。でも未だ中学生で死にたくない。受験だってあるのに。
一見すると、彼女は普通の生きている人間にしか見えない。しかし、よく見るとやっぱり違う。まず顔色が青白くて生気がない。足はあるのに足音がしない。歩いていないのに見ると移動している。気配が全くない。そして時折、無表情になって宙を見たまま固まる。それが作り物の人形みたいで、やばい程気味が悪い。あってはいけないもの、存在しないものを見ている様な恐怖を感じる。実際さっきから冷や汗が止まらない。握りしめたハンカチは、既に掌でぐっしょり濡れている。
(どうする。どうするよ)
自問してみるが、積極的こちらから行動する度胸は沸いてこなかった。意気地がないと笑ってくれ。
一時間目が始まった。 国語だ。
茅瀬は順に皆の机を回りだした。女子には一人一人話しかけている。男子も親しい奴には一声かけるが、あまり親しくない連中には声をかけずにちょっかいを仕掛けるだけだ。俺の横も通り過ぎた。こちらの視界を塞ぐ様に、ひらひらと掌を振って反応を確認してきた。前方から順にやって来たので、心の準備ができていたから上手くやり過ごせた。突然やられたらひっくり返って醜態を晒したのは間違いない。
ここで俺は、彼女が声を出していることを知る。
『〇〇ちゃん見える? 梨香だよ。ここにいるよ』
普通に話しかけていた。
どういうことだろう。足音は聞こえないのに、話しかけている声は聞こえているのだ。ノイズが掛かったりとかいうようなおかしな聞こえ方ではなく、普通に肉声で聞こえている。ただ、聞こえてくる方向がおかしい。立っている場所から一メートルぐらい左右にずれている。何故だろう。いや、それでも声が聞こえる以上、誰かしら反応する筈だ。皆が無反応なのはおかしい。なんで俺だけが声も聞こえるんだ。見えるからなのか。俺は特別霊感が強い訳じゃない。そりゃ小さい時は、誰もいない方を向いて話しかけてたことがあって、見てて怖かったと親に言われたことがある。でもそれくらいだ。今は見えない。見えなかった。今朝までは。
二時間目 音楽。
茅瀬は音楽室に普通に付いてきた。一緒に授業を受ける気らしい。
授業は合唱。来月文化祭の出し物で合唱祭があるので、最近はずっと課題曲の練習だ。茅瀬も整列している女子達の一番端に立って歌いだした。
彼女は特徴のある声なので、歌っているとまず分かる。でも誰も気付かない。いや、下手に気付いたら怪奇現象だ何だと大騒ぎになるな。録音とかして再生したら聞こえてくるという展開だってありえる。嫌だ。怖いぞ。俺はただの合唱なのに色々想像して背中に汗をかく羽目になった。
茅瀬は自分の歌が周囲に聞こえてないことに気付いたようだ。飽きたのか途中で音楽室から出ていってしまった。ちょっと安心して気が緩む。俺の隣の大薮が絶妙な音痴を披露し、周囲から集中砲火を浴びて凹んでいた。
三時間目 英語
茅瀬は教室に戻ってこなかった。彼女はクラス内で皆が知っている程英語を苦手としている。誰もが吹き出す発音。混ざるブロック体と筆記体。必ずミステリーな文章になる日本語訳。他の教科は成績が良いのに英語だけを天敵としている。それ故か教室に戻って来なかった。幽霊になっても苦手意識は残っているらしい。
四時間目 数学。茅瀬はまだ教室に戻ってこない。ふとグラウンドを見るとそこにいた。体育で休んでいる女子達の廻りをうろついて話しかけているようだ。時々一緒にいたところを見た記憶があるので、親しい別クラスの友人なのだろう。どうも彼女は、あれから校内をうろついて声をかけて回っているようだな。
しかし結局、友人をはじめ彼女を認識できる人は一人もいなかったようだ。授業の後半では隅っこでぽつんと立ち尽くしていた。
俺だけだ。俺だけが彼女を認識できて。声を聴くこともできる。おそらく話すことも出来るだろう。さびしそうにしている彼女は喜ぶに違いない。しかし俺は怖くて黙っている。なにか悪いことをしている様な、罪悪感が沸いてきた。まずいな。どうしよう。
昼休みになった。茅瀬は教室に戻ってきた。かといって何をするでもなく国枝達の脇で無表情に立っている。さっきは可哀そうとか思ったが撤回する。あの様子は本当に見たまま幽霊で、恐怖しか沸いてこない。まったく生気を感じない姿だ。あれに話し掛けるなんて冗談じゃない。見た瞬間、飛び上がって逃げそうになった。可哀そうだと思った気持ちは完全に吹っ飛んだ。
彼女の目的は一体何だ。自分が見える人を探しているのは分かるが、それで見つかったらその人に何をしたいんだ。そこが分からないから、俺は声を掛ける勇気が沸いてこない。
一緒に昼食を食べている友人達に聞いてみる。
「なあ、もし茅瀬が幽霊になって学校に来たとして、何していると思う?」
「「は?」」
二人に怪訝な顔を向けられた。さもありなん。
「何、いきなりどした?」
「いや、ちょっと……」
「そりゃ、学校の友達に会いに来たんじゃね。または好きな奴に会いに来たとかさー」
「……なるほど」
「そうかあ? それで、わざわざ学校になんて来るか?」
俺が見ていた限りでは、茅瀬は特定の男子に固執してるようには見えなかった。となると特別好きな男子はいないか、それとも別のクラスにいるか、なのだろう。
「男だったら好きな女子の家に行って、着替え覗いたり、一緒に風呂とか入っちゃったりするんだろうけどな。ひひっ」
「止めろ馬鹿」
調子の良い神崎は、すぐエロい方向に話を持っていく。
「つうかさ、茅瀬ってまだ意識不明で寝込んでるんだろ。さすがに不謹慎じゃね」
「……そだな」
大薮は去年親父さんを亡くしている。こういう話を振られるのは面白くないようだ。失敗した。聞く相手を間違えたか。
茅瀬は女子達に話しかけるのに飽きたようで、ドアの脇で廊下を通り過ぎる通行人達を無表情に眺めている。俺は一度だけ歩いて近づいてみたが、結局声を掛けることはできなかった。
五時間目 社会だ。
やばいことが起きた。担当は鈴木先生。この人は結構な年配で、個性が強く授業の内容が聞き取りにくい。教科書を順に読んでいくのだが、同時に書いている板書の内容が、教科書と半分は違うという恐ろしい先生だ。
しかもこの先生、喋り方に特徴があって、「〇〇なのも~」が「〇〇なにょも~」と時々訛るので、陰で「にょも先生」と呼ばれている。
それで何がやばいかというと。
「南ゲルマンが侵攻したのも~……」
『南ゲルマンが侵攻したにょも~』
茅瀬が教壇の横で先生の物まねを始めたのだ。彼女が物まねをするところを初めて見た。
「……っ!」
やばい。めっちゃ似てない。その似てなさが逆に笑えて、吹き出しそうになる。
物まねをする幽霊。クラス一の美少女。超レアな光景。なのに欠片も似ていない。
「くっ……!」
耐えきれずに思わず小さく吹き出してしまった。
(……っ!)
茅瀬がこちらを見た。
(やばい! 気付かれた?)
恐ろしい程狡猾で、くだらない罠に引っ掛かってしまった。
うつむいたまま俺は平静を装う。しかし視線を感じる。見てる。茅瀬がこっちを見ている。
どうするか。どう誤魔化すか。
まばたきをした次の瞬間、真横に茅瀬が立っていた。
(……っ!?)
息が止まり、全身が粟立った。一瞬で血の気が引いたのが分かる。
まったく歩いてきた様子はなかった。瞬間移動したというのか。
『………』
机の横に茅瀬が立っている。横顔に視線を感じる。じっと見ている。俺は気付かない風を装って、黒板を何度も見返しながら文字をノートに書き込みだす。しかし指が震えている。緊張で字は酷いものだ。
茅瀬がぽそりと呟いた。
『……ねえ。私のこと見えてるんでしょ』
ぞくぞくと背筋を怖気が走る。やばい。やばい。疑われている。
『誤魔化したって遅いよ。分かるよ』
どうする。どうすりゃいいんだ。今更周囲に助けを求めることもできない。前の席の大薮なんか、こっくり居眠りしてやがる。この野郎、蹴とばしてやろうか。
すると――机の下から、ぬっと顔が浮かび上がってきた。
「!っ」
悲鳴を押し殺すのが精一杯だった。俺は咄嗟に両手をバンザイして固まってしまう。茅瀬が机の下から通り抜けて現れたのだ。幽霊ならではの荒技だった。
『……ほら、やっぱり』
知られた。俺が彼女を見えていることを、声が聞こえていることを知られてしまった。
『やっと、見つけたぁ……』
にんまりと微笑む茅瀬に俺は答えられない。いくら美少女でも、青白い顔だけが机の上に浮いている姿は異様な光景だったからだ。
『ねえ、なんで気付かない振りしてたの?』
何度も何度も問い詰められ、俺は仕方なくノートの余白に返事を書いた。周囲に気付かれるから、小声でも喋る訳にはいかないのだ。
【怖かったから】
『……? なにか怖いの。わたしが? なんで』
どうやら彼女は幽霊という自覚が薄いらしい。口調も普通だ。なら話しても大丈夫だろうか。
【俺が見えると知られたら、何されるか分からなくて怖かった】
『えー…ひどおぃ ……えー……』
急に黙ったので、不審に思って顔を上げる。茅瀬は青白い顔の無表情に戻って、宙を見上げていた。
「……ひぃっ!」
心臓が止まるかと思った。
『……なにそれ、ひどくない?』
【ひどくない! 全然ひどくない。今めっちゃ怖かった!】
しばらくして続けて聞こえてきた声に、俺は慌てて返事を書く。手が震えてる。震えが止まらない。
『……なにが』
【お前今、完全に止まってた。完全に幽霊だった。気付いてないの?】
『……止まってた?』
自覚がないらしい。
【突然動きが止まって、しばらく動かなくなるんだ。まんまTVの幽霊に見える。それより怖い!】
『……そうなんだ』
こっちはびっしょり冷や汗をかいてるってのに、本人の反応は鈍い。この恐怖は、どう言えば伝わるんだ。いや違う。そんなことを話している場合じゃない。真意を確かめなくちゃ。
【それで、何が目的?】
ズバリと書き込んだノートの文字を読んで、茅瀬はうつむいて話し始める。
『ん……実はね。少し前に病院で目が覚めたんだ』
目が覚めた。じゃあ、やっぱり学校に連絡が来てないってのは嘘だったのか。
『そしたらなんか病室で浮いてて、なのに自分がベッドで寝てるの……』
違う……これは幽体離脱か。じゃあ彼女は生霊なのか。事故で意識不明になってる最中に、幽体離脱して学校に来たということか。
『お母さんとか先生に話しかけたんだけど、誰も私のこと見えないみたいなんだよね……』
幽体なら当然だろう。
『仕方なく病院出てうろついたり、街を回ったり、家に帰ったりしてるうちにさ……』
話の途中で黙ってしまった。また停止して無表情になっているのだろうか。
びくびくしながら顔をあげて表情を確認する。幸い茅瀬は正気のままだった。気まずそうに、長い髪を指先で弄りながら彼女は告白した。
『身体に戻れなくなっちゃったみたい……』
「……」
思っていたより、やばい状況にあるみたいだ。




