6話
「今週中には提出するように。じゃあ、解散」
「きりーつ、れーい」
机の上にある紙から目を離さないまま立ち上がる。
「さよーならー」
そのまま私は立ち尽くした。
「由梨どした?」
「楓ちゃん……」
バッグを持ち、私の席へと近づいてくる。
「ごめんね、すぐ帰る準備するね」
「いや、別に焦らなくて大丈夫なんだけど……。それよりも!何にぼーっとしてたのさ」
「あ、いや……、えっと……」
サッと紙をノートの下に隠す。しかし、楓ちゃんは目を光らせ私の手を素早く掴み、ヒョイと、いとも簡単に紙を奪ってしまった。
「ああなんだ、これかあ〜。こんなの簡単よ、風紀委員会って書けばいいのよ」
ふふん、と得意げに話す。
「で、でも、私……」
「むーー、由梨は私と絶交したいんだ?」
ヒラヒラ紙を靡かせて、楓ちゃんは席から離れていく。
「ち、違うよ!」
「何も違くないわよ。だって入りたくないんでしょ」
拗ねた口ぶり。足音は止まらないままだ。
「……楓ちゃんは、さ、なんでそんなに」
なんでそんなに。
「私を風紀委員会に入れようとするの?」
すると楓ちゃんは足を止めて振り返った。瞳が少し鋭い。思わず身震いをする。
「ひ、と、ぎ、き、が、悪いですなあ〜〜!!」
大股でずんずんと近づき、私の顔の目の前に人差し指を突きつける。
「由梨が"私は風紀委員会に入るー!"って高らかに宣言したんじゃないかあ!」
「で、でも、それとこれとは状況が……!」
「事実を知っても、宮原先輩に対する想いは変わらないんでしょう?なら答えはひとつじゃない」
「…………」
「んんもぉーーー。由梨のなーんでもかんでもふっかーーく考えちゃうところ、いいところでもあるけど、悪いところでもあるよ。今は後者ね、わかってる?」
「………………」
黙り込む。
黙り込むのは好きだった。黙り込むとみんなが諦めてくれるから。簡単で、楽で、だから好きで、小さい頃からよくやっていた。
誰も責めなかった。
"ああ、貴方はそういう子なのね"
そういう視線を投げつけて、もう二度と私の元へは来なくなった。
「はあ……」
彼女のため息に首を締められる。
酸素が薄くて、薄くて、苦しかった。
「全く……、由梨は手がかかるなあ〜〜」
私の筆入れから鉛筆を取り、紙に文字を書いていく。
楓ちゃんは最初からこうだったなあ。
子供を見るような温かい眼差しに酷く安心する。
待ってくれるのも、怒ってくれるのも、手助けしてくれるのも、私の意見を尊重してくれるのも、たったひとり……、楓ちゃんだけだった。
「はい、これ!」
私の目の前に出された紙の第一希望の欄には、鉛筆で"風紀委員会"と書かれていた。
「これは私のありがたーーーい後押しね!ペンで清書するのは由梨、貴方がするのよ。……いい?」
「…………」
楓ちゃんから紙を受け取る。たった一枚の紙なのに、凄く重かった。
「嫌だったら消せばいいから」
「…………ない」
「………………え?」
「絶対、消さない」
「……!」
楓ちゃんは私の頬を両手でがっしり掴み、親指で強く私の目を擦った。
「なら早く笑顔の練習しな!そんな顔だと門前払いだぞ!」
私は急いで瞳に溜まった涙を拭うと、楓ちゃんが教科書を入れ終わった私のバッグを渡してきた。
「ゴー!!」
楓ちゃんの掛け声と共に走り出す。無我夢中だった。
なんでこんなに、私、必死なんだろう。
答えはわからない。だけど一一一一。
『私がレズビアンだと言ったら、どうする?』
『…………なにも、しないです』
『…………そう……』
あの時の、先輩の顔が頭から離れなくて。
「せんぱっ……!!」
「……えっ」
扉を開けると、風紀委員長の席に座って外を見ていた宮原先輩がいた。
「……新入生が入った活動は来週からよ」
「し、知ってます」
「じゃあ忘れ物かしら。生憎、そういうものは見当たらないけれど」
「違います。……先輩、こ、これ……、見てください」
「……え、貴方、これって……」
急いで筆箱からペンを取りだし、紙に書いていく。
風、紀ーーーー。
一画一画、丁寧に、楓ちゃんの文字の上に書いていく。少し小さい自分の字で。
「…………っ、はあっ」
書き終わると同時に息を吐いた。
目の前には、いつもより少し大きく書いた風紀委員会の文字。達成感があった。
楓ちゃん……。
「先輩!」
「!!」
宮原先輩の前へと駆け、両手で紙を持ち頭を下げ、宮原先輩へ差し出した。
床へと滴る液体が、汗なのか涙なのかもう分からなかった。
「私、私ーーーー」
それくらいこの出来事は私にとって重大事件で。
「私、風紀委員会に入りたいです」
私は人生で初めて、私のしたいことを、私自身で、最後までやり通したんだ。