4話:さくら視点
辞書を開くと、そこには"普通"の世界が広がっている。
私はその世界を見る度思うのだ。
『自分が普通ではないと気づいたのは、いつからだろう』
きっと、薄々気づいていたのだと思う。でも、信じたくなかった。
「わたし、さくらちゃんのことすき!」
私は普通。だからこの感情も普通。みんなも普通。だから私とみんなは一緒。この気持ちも一緒。だからこの"好き"は、きっと、きっときっときっと……!!
「ほんとう……?」
「ほんとう!わたし、すきよ!だーいすき!」
「……わたしも
わたしも、____ちゃんすき!!」
もう名前すらも思い出せない。
思い出したくない。
私の初恋。
『自分が普通ではないと気づいたのは、いつからだろう』
……生まれたときからよ。
そのことを認めるきっかけとなったのが、ただ、初恋となっただけ。
名前も思い出せない彼女のことを庇うかのように言い聞かせる。私は、元から人種が違ったのだと。決してあの子のせいではない、と。
思い出したくないのに思い出すのは、悪い思い出だから?
…………違うでしょ。そうじゃないでしょう。
そう、思いたくて。
涙が零れた。
小学三年生の頃だった。
「わたしも、____ちゃんすき!!」
幼稚園から一緒の彼女に対して、そういう感情を抱くのに、時間はかからなかったと思う。私の唯一無二の味方だった。
"彼女はどんなわたしも受け入れてくれる"
そんな根拠の無い自信さえあった。
「あのね、わたしね、____ちゃんにね、……こい 、してるの。そういういみですきなの」
でも、そんな関係も、たった一言で崩れ去ってしまった。
「…………さくらちゃん……それ、ほんきでいってるの?」
彼女の怯えた顔を思い出す。焦点の定まらない目。小刻みに震える口。離れていく彼女の身体。
「さくらちゃん、それ、おかしい……おかしいよ……」
「……なんで?なんで、なんで?だって、わたし、ただ ちゃんがすきなだけで……!」
「ふつうじゃないよ!!」
「………………」
「ふつうじゃ、ないよ……」
「____ちゃ」
「きもちわるい」
彼女はそれから、私を無視するようになった。一度も会話をすることは無く、私はただ、彼女が活躍している姿を横目で見ながら日々を過ごした。
レズビアンという言葉を知ったのは、小学四年生の頃だった。"性同一性障害"障害という言葉で自分が異常者であることが分かった。
"ふつうじゃないよ!!"
"きもちわるい"
彼女の言葉が、あの時からずっと頭の中で響いている。そして、涙が零れる。何に泣いてるんだろう。彼女から嫌われたこと?自分が普通じゃないって分かったこと?彼女を怯えさせてしまった後悔?ちゃんと彼女を愛していたっていう安堵?
……それとも、もう恋なんてできないっていう悲しみ?
楽しかった。片想いだったけれど、まだ小学三年生だったけれど、そんなの関係ないやってくらいに楽しかった。彼女のひとつひとつにいちいち反応して、一喜一憂して、楽しかった。……だからだろう、だからこそ、怖かった。また、人が離れていくのが怖かった。人を信じるのが怖い。裏切られるのが怖い。
私は、レズビアンというレッテルを自分に貼った。
一人でいる理由を作ったら、幾分か楽になった。
「悲しいものね……」
私の噂はすぐに広がった。
中学生になり、通学路にある書店へと立ち寄った。本棚の隅に置いてある本を見て息を呑んだ。"百合""レズ""GL"そんな言葉で済まされてしまうのか、と。違う、違うでしょう?両片思いで、絶対に恋が実って、周りの人も理解があって、認められて、公共の場で手なんか繋げて、最高の環境で愛を育んで……。そんな甘いストーリーなんかじゃない。私はレズビアンだ。百合でもレズでもGLでもない、レズビアン。そんなこと許してもらえない。許してもらえない、はずなのに……。
「ねえ、本当に風紀委員会に入るの?」
廊下を歩いていると、話し声が聞こえた。
「風紀、委員……」
一年生だろう。一体どんな物好きが――――
「………………」
世界に色がついた。そんな気がした。
この子を見ると何かを感じる。きっと、私と同じ。同じ、レズビアンだ。
だけど今の私ではない。……小学三年生の頃の私と同じ。
呼吸が早くなる。
どうしよう。同じ人、初めて見た、初めて会った。けど、この子は理解してない、分かってない。なのにこっちの世界に引きずり込むなんて、そんなこと、していいのだろうか。
"ふつうじゃないよ!!"
「…………いいわけ、ないわよね」
足いっぱいに使って歩いた。歩いて、歩いて、人気のない教室に入る。勢いよく扉を閉め、鍵をかけ、扉に寄りかかる。天井を見た。数回、瞬きをする。
口の中がしょっぱくなった。
「私だって、人間なのに……」
――――チャンスをください。
誰に願ったのだろう。私は、誰から喉を絞められているんだろう。どうして、涙が止まらないんだろう。
分からない。多分、誰も私のことを追い詰めていないのかもしれない。でも、寂しい。何をしても、この孤独感からは逃れられない。
"さくらちゃん!"
楽しかったな。何も考えないで、ただ目の前のことに全力で楽しんで、……全力で恋をして。
また笑いたい。あの頃のように、顔いっぱい使って笑いたい。
あの子と一緒に……。
そんな希望を抱く。
もしあの子が、私がレズビアンだと知って引かなかったら。
そしたら――――。
「……何をしよう」
一緒に遊園地に行ったり、映画館もいいな。お家でゴロゴロするのもいいかもしれない。
ぐしゃぐしゃな顔を無理に笑顔にし、顔を拭った。
やっぱり、今日は委員会をやろう。きっと今日あの子は来る。
大きく深呼吸をする。
大丈夫。いつもの私を演じられる。
「12時30分……」
放課後まで、後4時間30分。教室を出た。