狐の弐
けものノおんがえし 狐の弐
ボクの住んでいる里は、深い森に囲まれた山奥にある。
この里にある学校に、髭爺に言われてボクは通っている。
今日は学校が早く終わった。
理由はお爺ちゃんの先生の具合が、あまりよくなかったから―― そんな日が、最近は多くなってきた気がする。
数日前にお爺ちゃんの先生が、帰りがけのボク達に話をした。
『わたしの代わりに、先生が来られます』
クラスの他の子も、話していたのだけど、人の先生がお爺ちゃんになったから、新しい先生が都会からやってくるらしい。
他の子達は、それを聞いて喜んでいたり、嬉しそうに噂をしてたのだけど……
ボクは、少し嫌だった。
「新しい先生がきたら、お爺ちゃんの先生はどこへいくのかな?」
他の子にそう聞くと『代わりってことは、学校を辞めるじゃない?』と答えた。
お爺ちゃんの先生は、やさしくて、それによくボクと遊んでくれた。そんなお爺ちゃんの先生が、ボクは好きだったから……
ボクは、嫌だった。
今日、この里にお爺ちゃんの先生が言っていた、新しい先生がくるらしい。
都会からこの里にくるには、山の向こう側にある道路までバスで来て、さらにそのバス停から、山道を抜けなければならない。
その山道を抜けると、ボクの目の前に続く、この真っ直ぐなあぜ道に出る。この道を通ってやっと、里の入り口の目印になっている、この「大桜」のたどり着ける。
つまり、このボクの立ってる桜の木の下を通らないと、里へは入れないのだ。
だからこうして、新しい先生がくるのを、ボクはここで待っているのだ。
「……あ!」
道の向こうから、誰かが歩いてくるのが見えた。
(あの人…… なのかな?)
手にカバンと服を持った男の人が、ふらふらとこちらに歩いてきた。
「やっと人に会えた…… そこの君! すまないが、この村の学校はどこにあるか、教えてくれないか?」
(うう……)
ボクは急に話しかけてきた、この大人が怖くて、桜の木陰に慌てて隠れた。髭爺も知らない『人』から逃げろと言っていたし……
そんな怖がってるボクに、男の人は近付いてきた。
「ああ、済まない…… 突然、話しかけてしまったから、驚かしてしまったね。」
「俺は、『紅月 セナ』この里の小学校に赴任…… いや、先生をやりにきたんだよ」
そう言って、ボクに微笑んだ。
(やっぱり、先生だった!)
先生はすごく優しそうな顔をしていた。
(この人なら…… 大丈夫だよね?)
ボクは何回か、チラチラと先生の顔を見てから、木陰を出た。
「コン」
(先生初めまして!)
先生が不思議そうにボクを見ている。
「コン?」
(あれ?) 「コン!」
(先生!)
先生は、首を傾げるだけで答えてくれない。
(あ…… 姿がそのままだった)
『これを』隠していると、人の言葉を喋れない。
髭爺の話だと『あちらを立てれば、こちらが立たず』両方同時には無理らしい。
(えいっと!)
ボクは隠していた『これを』外へ出した。
「〜♪」
(これで先生の話せるね♪) ボクは嬉しくなって、先生の側へ行き、回りを飛び跳ねた。
「おいおい…… 人なのだから、コンだけじゃ会話にな……」
(ん?)
先生がすごく驚いた顔で固まっていた。
(何か、ボク変なのかな? ……もしかして先生は『これ』初めてみたのかな?)
「さ、最近のコスチュームは、よくできていますね…… 特に毛艶が良いその尻尾は、とても良いモノですね」
そう言って先生は微笑んでくれた。
麓の町の大人だったなら、もう逃げ出したかもしれない。
でも、先生は驚いただけで逃げずに、しかもボクの尻尾を褒めてくれた。
飛び跳ねるのを止めて、ボクは先生の顔を見た。
「へへ♪ 褒められた ……でもね、ボクのこれ、生まれつきなんだよ?」
ボクは自分の尻尾を頬ずりした。
「そ、そうなんだ…… すまないが、学校を知っていたら、いますぐ! に、連れて行ってはくれないだろうか……」
先生が何故か慌てている。
「うん! いいよ〜! ……でもね」
「ボクと遊んでくれた後で ……いい?」
ボクは先生と遊んでみたくなった―― なんでかな?
慌てた先生を見て、少し楽しくて……
お爺ちゃんの先生と同じく、ボクを嫌わずに話しかけてくれる――
「遊ぶ? 君と遊ぶ約束は、そもそも、まだしていないしだね、俺は疲れてい……」
(うう…… やっぱり)
他の大人と同じで、ボクのことが嫌いなのかな……すごく悲しくなってきた。
「わかった、わかった! 学校まで案内してくれれば、少し休んだ後に一緒に遊んであげるから…… ね?」
泣きそうになっていたボクに、先生は困った顔をしながらそう言った。
「ほ、本当?! 山神様に誓って?!」
ボクは嬉しくて、尻尾と耳をパタパタと動かした。
「ああ…… 誓う! 誓う……」
「やった〜! じゃあ、こっち! こっちだよ! 早く〜〜!」
ボクは早く先生と遊びたくて、学校へ向かい走った。
でも、先生はゆっくりと歩いている。
(早く! 早く!)
ボクは後ろを時々振り返りながら、先生を連れて学校へと急いだ。
「ここが学校だよ!」
ボクは先生の背中を押して、最後の坂を上りきって言った。
「そ、そうか…… あ、ありがとう」
先生はかなり疲れた顔をしていた。
「先生、大丈夫? それでね、この校庭を抜けて、あの奥にあるのが校舎! 中に、お爺ちゃんの先生がいるはずだよ!」
「じゃあ、俺は挨拶にいってくるから」
先生は手に持っていた上着を着て、ネクタイを直した。
「帰ってきたら…… 遊んでくれるよね?」
「ああ、遊ぼう! それは君との約束だし、ここまで連れてきてくれた、御礼でもあるしね」
そう言って先生は、ボクの頭を撫でてくれた。
ボクは先生の顔を見上げた。「約束だよ!」
「ああ、約束は守るよ! ……行ってくるね」
先生は、校庭の奥にある校舎へ歩いていった。
「じゃあ、ここで待ってるね!」
ボクは大きな声で、そう先生に叫んだ。
「ああ」
そう返事をし手を挙げて、先生は校舎へと入っていった。
「待ってる…… からね」
校舎へ消えていった先生の背中に手を振って見送った後――
ボクは夕日に染まった校庭で一人、先生が戻ってくるのを待っている。