未来は過去だった
.ユウさん、現わる 2.駿大野球部の若者たち 3.超新星爆発 ⒋.ズートニア 5.セント・エポカの祭り 6.メーロン教 7.ユウさんの脱出 8.未来学の久米教授 9.タイムトラベル10.これから起きる・・・・
2017.10.13 7.まで完 (前編おわり)
500年先からきた男
1.ユウさん、現わる
俺は数年前に女房の幸恵を病気で亡くして、今では山里のやもめ暮らしだ(正確には「やおも」というらしいが、どうでもいいことだ)。
年金と小さな野菜畑で生命をつないでいる。
10年前まではサラリーマンだったと言えば体裁は良いが、しがない製造現場の工員で、役付にもなれずにリタイアした。
息子が一人いるが、田舎暮らしを嫌って、都会で働いている。
俺に似てシャイだから、俺のようなつまらない人生を送らなければいいが・・・。
「夜になれば、蛙の声以外に物音一つしないようなところで、人生何が楽しみだね・・・・」
昔の同僚から、そんな風に小馬鹿にした質問を受けたこともあるが、「晴耕雨読を地で行っているのさ」と答えて、後は黙っていた。
現役の頃は、本屋が好きで、仕事帰りによく立ち読みをして、気に入ったものを買ってきた。
雨に降りこめられたりすると、その本を引っ張り出してきて読む。今では咎めるものもいないから、終日ページを繰っていることもある。
最近は電子辞書なんていうのが幅をきかせてきたようだが、俺のような石器時代人にはなじめない。
日焼けして背文字も消えたような紙の本にいそしんでいる。
それでもロマンは追い求められる───
昨日からの雨が、午後になっても止まない。
桜も散り始めている。これでは里芋を植える準備もできないので、仕事は先延ばしにし、そそくさと昼飯を食って、縁側で松井孝典を読み返している。
そう言えば、難しいタイトルの本を読んでいると、幸恵が「あんた、本当に分かるの」というような目で俺を見ることもあったな───
本の中で松井先生は、どこか外国の先生と、「あと20年で人間の文明社会が終わる」というようなことを話し合っている。
その「文明社会」の意味するものが何か、いまもって理解しがたい。特別な意味があるのか、俺の理解を超える。
それでも良い。追究しなくても読めるから・・・。
この本は、かなり昔に書かれたものだ。それからずいぶんと時間が経った。
でも、相変わらずのごたごたを引きずりながらも、「文明社会」は続いている。終わってはいない。
やっぱり、偉い先生の言わんとする真意は、凡人にはなかなか見えないものだ。たぶん言葉の定義が違うのだろう。
そう言えば、「富士山大爆発」というびっくりするようなタイトルの本もあった。何年何月何日に、五合目だか8合目だか忘れたが、そこから上が吹っ飛ぶぞ、というような内容だった。恐ろしいほど具体的だった。元・気象庁の相楽さんという技官が書いたもので、ベストセラーになった。
その本を読んだ数年後、仲間と富士山に登り、砂の斜面に寝て、流れ星を数えたけれど、その時もそれからも、富士山は貴婦人のように静かだった。
もはや、あの本を覚えている者はいないかもしれない。
あの「ほら吹き相楽さん」とおなじように、学者さんはとかくセンセーショナルな言い方をするものだ。
それで注目を引き寄せようとしている。本を売るためのパフォーマンスだったのか。そう思ってしまったよ、あの時も・・・。
これで本当に東大の先生なのかと、疑ってみたりもした。
この本を書いた後、松井先生はさらに出世したが、ここに書いていたことを、どう言い直されているのか、俺は知らない。
それでもいいのだ。これが読書だ。
おれは、そう独り合点した。
「文明社会が二十年で終わる」というハナシヲ始めて読んだ時も、さほど驚きもしなかった。偉い先生の言うことを、そのまま鵜呑みにするほどボンクラではなかった・・・・
そんな自己満足をしていたことを思い出した時、 ガタリ! と家の外で音がした。
人の呻くような声も聞こえた。
こんな雨の日に、俺を訪ねてくる物好きはいない。
それでも気になったので、本を閉じて、立ち上がった。
玄関を開けると、風に煽られて、桜の花びらがいくつか舞い込んだ。
傘を広げて、庭に出る。
庭先の山桜は、昔、何の記念だったか忘れてしまったが、実生の苗を植えたものだ。あれから四十年は経っている。
ソメイヨシノよりも1週間くらい遅く咲く。
ほかの桜が散ってから満開を迎えるので、後手後手暮らしの俺のようだと、幸恵と笑っていたものだ。
今では、散った花びらの処理、花柄の始末、初秋から始まる落葉と、厄介者だが、幸恵が好きな木だったので、伐らずにそのままにしてある。
俺のいる竜胆村は、休火山明日岳の麓にある。
1000年くらい前に噴火したことがあるらしいが、そんなことはどうでもいい。いつかふたたび火を吐くだろうが、俺の生きている間は大丈夫だとタカをくくっている。
少し離れたところを時ノ川が流れている。明日岳が水源だ。山の北側から流れ出している。水量は多くないが、時々カヌー遊びをする若者を見ることもある。
家の前には明日岳への登山道がある。これから人通りの多くなる季節だ。
俺の桜が入口の目印にされて、ガイドブックに載っているらしい。
だれか、そんな登山客が寄ってきたかと思って、庭を見た。
すると、桜の根元に、誰かが座っている。
気のせいか、直ぐには確認できなかったが、昔の映画「スター・ウォーズ」で誰かが着ていたガウンのような服を着ている。年寄りの男だ。
その身体が透けて見えるような気もする。
目をこすってみたが、変わらない。
白内障が進んでいるのだろうと自分に言い聞かせながら、その男に近づいて、声をかけた。
「どうかしましたか」
「え!」と、その男は初めて目が覚めたような顔で応えた。
あたりを見回しながら、
「ここはどこですか」と訊く。
「竜胆村だが・・・」と答えると、しばらく考えて、
「知らない名前だ」と、首を振りながら言う。
「あんたは、どこから来たんだね」と訊くと、それには応えず、
「ここはAJゾーンか」と、また訊く。
「何だね、それは」と言うと、
「あなたの使っている言葉は、俺とおんなじAJゾーンのものだ・・・・」
「そのAJゾーンというのはなんだ? ここは日本だ。AJゾーンなんていう呼び方はない」
「え! ニッポンだって? そういう名前のカントリーが、昔あったと聞いたことがある・・・・」
おいおい、何を言っているんだ。ここは紛れもなく日本だぜ。何か、変だよ。あんたの言っていることは・・・」
その時、風が吹いてきて、桜の枝がしずくをバラバラと落とした。
「おい、ここは寒い。雨に濡れるのは身体に悪い。家の中に入ろう」
「え? 家? あなたの家かい? ここ」
男はまた不思議そうな顔をした。
「そうだが、それが不思議なことかい」
「ああ、俺のいたところには、こんな立派な家はない」
「また、何を言ってるんだ。周りを見てごらんよ。同じような家が並んでいるだろう。俺の家が特に立派だというわけはない。築40年のボロ屋だよ。お世辞はいいから、さあ、中に入んな」
男がふわっと立ち上がった。
俺が傘を差し向けると、
「これは、何というものですか」と、不思議そうに言う。
「え! 傘だが・・・。変なことを訊くな、あんたは」
「傘、というのか。それも聞いたことがある・・・」
まったく変なことを言う男だ。
男の正体が疑問だったが、それは置いといて、玄関に向かった。
男はついてきた。ふわっとした実体がない感じだ。
まさか幽霊ではなかろうと思いながら、足元を見た。
何も履いてない。その素足が濡れてもいない。
家に入れると、
「ほお、高師のパレスのようだ」と、驚いている。
男を居間に入れたが、着ているものも濡れていないし、板の間を歩いた後に足跡もない。
不思議な思いもしたが、安心もした。
「お茶でも飲むか」と訊くと、
「ああ」と生返事をしながら、家の中を見回している。
俺はヤカンに水を入れて、ガステーブルに火をつけた。
「それは、なにをしているんだ?」
背中から奇妙な質問が聞こえた。
「お湯を沸かしているんだ」
「便利なものがあるんだねえ、ここには」
「また・・・」
不思議なことを訊くんだな、と言おうとして振り返ると、男が見えない。
いや、見えなかったと言うべきか、うっすらと男の身体を透して、レースのカーテンが揺れている。
ゾクリ! とした。
やはり幽霊を家に入れてしまったのか・・・。
もう一度振り返って確認してみると、相変わらず家の中を観察している男が見えた。
「不思議なところだな、ここは。AJゾーンに、こんなところもあるんだ・・・」
お湯は、まだ湧かない。
俺は背中を通して、ふたたび男に訊いてみた。
「あんたはどこから来たんだい」
「俺か? トモロウマウンテンの北のヌエバ・レイクから、カヌーでタイムスリバーを下ってきた」
「トモロウマウンテン? 明日岳を英語で言っているのか。タイムスリバーは時ノ川のことかい」
「訊かれても分からん。どうも分からないことばかりだ。俺は、とんでもないところに迷いこんでしまったらしい」
「ん?」
振り向くと、男は頭を抱えている。
そして、影が薄れるようだ。
「分からん・・・。あの滝壺に落ちて、何かがチェンジしてしまった・・・」
「滝壺だって? 時ノ川には滝なんかないぞ」
「いや、ある。サーティイヤーズ・フォールが・・・。俺は、そこでドロップした・・・」
ヤカンの湯の沸く音が目の前でした。
「何ですか! それは・・・」と、男が身構えている。
俺はガスを止めて、ヤカンからポットに湯を移しながら、
「お湯が沸きました、という合図だよ。あんたは使ったことがないのかい」と訊いた。
「知らない。そんなもの初めて見るよ」
「へえ、そうなの」
俺は適当に言いながら、急須に湯を入れた。
湯飲みを男の前に差し出しながら、
「さあ、からっ茶だが、飲んでくれ。熱いから気をつけな。そして、もう少し分かるように話をしてくれ」
「サンキュウ・・・。ああ、久しぶりに、うまいものを飲んだ・・・」
男は、ゆっくりと茶を飲んで言った。
「な、あんた。俺には、あんたの話が分からない。川の名前や山の名前も、言い方が違う。どうして英語なんだ。
それに、そのガウンも五十年も前に寺の坊さんが来ていたようなものではないか」
「これはズートニアのプーマ高師の家からスチールしてきた」
「ズートニア? 何だい、それは」
「教会ともいう。坊さん達のいるところだ」
「そこで盗んだのか。教会というと、キリスト教か。そんな教会は、この近辺にはないはずだが・・・」
「キリスト教? 違う! メーロン教だ」
「メーロン教? はて、聞いたことがないな」
今度はおれが首をひねった。
どうでも良いことには執着しないで、俺は茶を飲んだ。
「ところで、あれは何だ」
男が指さしたのは、壁に掛けてあるカレンダーだ。
「カレンダーだが・・・」
「カレンダー、というのか」
さっぱり分からないという顔だな、これは。
「そうだよ。今日は何月何日で、何曜日か。それを知るためのものだ」
「へえ、そんな便利なものがあるのか、ここには」
「どこにでもあるよ」
「あの2012というのはなんだ?」
「今年が2012年だということではないか。西暦2012年・・・」
男は、俺の言葉を遮って、
「え! 待ってくれ。西暦? そんなカウントはしないぞ。ええと、たしか今年はエポカ352年のはずだ。そういえば、その昔は、あなたの言うようなカウントをしていたと聞いたことがあるな」
「その昔だって? おいおい、本当に、あんたはどこから来たんだ」
「俺にも分からない・・・・エクスキューズ・ミー」
俺は茶を飲んで、また、男を見た。
男も茶を飲んでいる。
この姿は普通だが、時々、身体が透明になる。
「まあ、いいや、少しずつ話を聞こう・・・」
「あのサーティイヤーズ・フォールに落ちて、時間を飛び越えてしまったらしい。たぶん500年くらい先の世界からフォールアウトしてきたんだ・・・」
「500年先からきたというのか」
「そんな気がする・・・」
「タイムトラベラーなのか、あんたは」
「いいや、ただの落ちこぼれだ」
(滝から落ちたから、落ちこぼれ、かい)
それだけではなさそうだ。寂しげな雰囲気に包まれている・・・。
俺は、この男に興味を持った。
───俺の人生は終わりに近いが、先ほど読んでいた本の影響で、やがて人間の文明が消えてしまう時代が来るというのは、本当かも知れないと思っていた。
あの先生の話は消化できないでいるが、社会は少しも良くならないし、経済も行き詰まっている。
昔、聞いたことがある「新しい貧乏」というのも、こんな感じなのだろうか。
国民年金の積み立てをズルしている国会議員がいたり、離合集散を繰り返している政党・・・。俺たちに明日はないのか・・・。
どうだか分からない三代目をドンに押し立てて、何が起こるか分からない国もある。ミサイルの発射ボタンが押されるかも知れない。
まず日本にあるアメリカの基地を潰せ、と短絡的な先制攻撃論が渦巻いてはいないだろうか・・・。
田舎のじいさんだって、そのくらいの心配はする。
「文明」は確かに発展はしていない。でも、消えてはいない。発展もないような文明は、もはや「文明」ではないと、あの先生達は言っているのか。
そんなもやもやがどこかにあるので、この男が未来から落ちてきたという話を信じたわけでもないが、突っ込んで話を聞きたくなった・・・。
さいわい、春の午後だ。
雨は降っているが、まだ時間は早い。
「あんた、名前はあるんだろう。おれは杉下一郎だ」
「名前? ネームか? あるよ。ユウ・サラマンダー・マーノだ。ユウと呼んでくれればいい」
「ユウさんか。良い名前だね。俺はスギでいいよ。ところで、酒は飲めるかい」
「酒?」
「え? 酒を知らないの?」
「スギさん、俺のいた世界は、おしまいの世界だ。ひどい世界だよ。
俺は、ヌエバ・レイクからカヌーに乗って逃げてきた。
タイムスリバーを下っていけば、別の世界にゆけるかもしれないというレジェンドにかけてみることにしたんだ・・・」
「レジェンド? ああ、伝説か。
ユウさん。一杯やりながら話をしよう。ビールがいいだろうな」
酒と聞いて不思議そうな顔をしたユウさんには、軽めのアルコールがいいだろうと思い、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、コップに注いだ。
俺はウイスキー。オールドパーをツーフィンガー。ストレートを舐める。
「どうぞ、ユウさん」
ユウさんは、おそるおそるコップを口にした。
飲んでる・・・。
「これがビールですか。いわゆる酒ですか。
俺のいた世界では、酒は特別な時にしか飲めない。ズートニアで従師がつくるのだけれど、庶人は普段は飲むことができない」
従師とか、庶人とか知らない言葉が出てくるが、気にしないことにした。
「ふーん、禁酒法か。でも、こっそり飲むこともあるだろう」
「いや、絶対にそれはない。できないんだ」
「へえ。それで、その味はどうだね」
ユウさんはちびっと飲んで、
「分からないよ。なにか血が騒ぐような気もするが・・・」と言った。
訊きたいことが山ほどあるような気がしてきた。
「なあ、ユウさんのいたのは、どんな所だったの? 何度もAJゾーンという言葉を聞いたけれど、それはどこだい?」
「俺には詳しいことは分からねえよ。俺の小屋のあるリバープレイスが、タイムスリバーの上の方だということぐらいしか分からねえ」
「国の名は日本ではないのか。俺の言葉がAJゾーンのものだと言っていたな、さっき」
「言ったよ、確かに。ニッポンという名も聞いたことがあるが、俺たちは自分のいる所をAJゾーンと言う。国というワードは使わないよ」
「え? 国という言葉を使わないだって? 世界はいろいろな国で構成されているはずだが、違うのか」
「おお、スギさんは物知りらしいな」
(そんなことで、物知りと言うのか)と思いながら、
「そういうことは学校で習って、たいていの人間は覚えているよ。どんなボケでも分かるはずだよ。テレビのニュースだって、頻繁にきかされるだろうが・・・」
「ん? 学校? テレビ? ニュース? さて、分からないワードばかりだな。そんなものは俺たちの世界にはない」
「え! それは驚いたね。ほんとかよ。嘘だろ。ユウさんは500年ぐらい先の時代から来たと言ったじゃないか。
500年も先の世界なら、科学も社会も、ものすごく発展しているんじゃあないのか」
俺がそう言うと、ユウさんが消え入るような声で、
「スギさん、俺はただの庶人だ。庶人は生きているだけだ。喰うことだけに関心がある。
だから、スギさんのクエスチョンにはのノーアンサーだよ。俺には分からないワードばかりだから、応えられない・・・」と言って、姿もうっすらとなった。
「どんな世界なんだろうな、500年先・・・」と言いながら、俺は忘れていたようにウイスキーを舐めた。良いフレーバーだ。
それで方向転換をしてみたつもりだ。
目をしばたたかせてユウさんを見たら、ビールを飲んでいる。
俺は缶ビールをグラスに注いでやったのだが、今度はその缶を不思議そうに眺めている。
「スギさん」
「どうかしたかい」
「なんか書いてあるらしいが、なんて書いてあるんだ」
「英語でMALT’ BEERと書いてあるんだが、読めないのかい」
「うん、字なんか必要のないワールドだ。字を教えてくれる所を学校と言うのか、スギさんは」
「え! びっくりするなあ。どうしてユウさんの時代には学校がないんだ?」
呟きながら、ユウさんの背中越しに外を見ると、いつの間にか雨が上がっている。
ユウさんにいろいろと質問しても、答えられるかどうかあやしいと思った。
別に学問をするわけではない。
不思議を体験しているだけなので、そこそこ分かれば良いと、のんびり構えることにした。
ユウさんも、俺の質問に苦慮しているようだ。
その困っているユウさんが、また消え入るように見えなくなった。
2.駿大野球部の若者たち
その時だ。
若い男たちの掛け声が聞こえてきた。
俺が、「おお、駿東大学の合宿が始まったな」と言ったら、またユウさんが見えてきた。
「若い男たちのようですね」と、ユウさんも外を見た。
その若い男たちが、ウチの庭への小さな坂道を登ってくる。
ここから1キロばかり登ったところに、駿東大学の合宿所がある。
俺が気安く声をかけるものだから、ジョッキングの途中で寄り道したりする。
ここの野球部は結構強い。何度も関東大学リーグで優勝している。
酒を飲ませたこともある。
無茶飲みして、ゲロを庭中にまき散らしたり、所構わず小便をして、俺にケツをど突かれた奴で、プロ球団の選手になったのも何人かいる。
「ああ、大学の野球部の連中だ。こっちに来る」
「そうみたいですね」
そうこう言っているうちに、玄関で、
「桜じいさん、失礼します!」
それは俺の通称だ。
正式な名前を言わないとは失敬だ、と腹を立てている風を装って、知らん顔をしていた。
「え~、駿東大学野球部キャプテン・佐藤雄三。新年度のご挨拶に参りました!」
下級生の頃から知っているやつだ。冗談も分かる。
いつものようにからかってやる。
「おい、佐藤。俺は杉下だ。ピッチャーをやっている者が、昔の大投手の名前を忘れたか! 桜なんていう、ヘボな苗字ではない。未熟者め! やり直せ!」
「これはまた、失礼いたしました。どうぞ、御慈悲をもってお許しいただきたく思います。杉下先輩!」
「まあ、良いってことよ。名前なんか通じれば良いんだ。
それにしても、今年は松岡が抜けたから、大変だなあ」と言いながら、玄関に出た。
大男が大勢並んでいる。
俺が出ていくと、みんなでぺこりと頭を下げた。
「はい、でも、三浦崎の杉下君が入ってくれましたから、かなり良い線までいけると思いますよ」
「ほう、あの杉下が入ったのか」
「はいっ! おおい、杉下。ちょっと来いよ。それと、ゆっこも」
背の高い、まだ幼顔の残っている男と、小太りの女の子がそろって前に出てきた。
「自己紹介しろ。このじいさん、もとい! 先輩には今後とも世話になるから、しっかり覚えといてもらえ!」
「はい! 駿東大学野球部に入りました杉下です。よろしくお願いします」
「俺と同じ苗字だな。あの大杉下のひ孫かい?」
俺もそのくらいのことは知っている。
去年の甲子園で準優勝した三浦崎高校のエースだ。
苗字が同じというのは、親しみがわく。
「はい、その杉下です」
「そうか。俺の遠い親戚だな」
「え! そうなんですかァ」
杉下は怪訝な顔をした。
若者には、まだ冗談が通じない。
「おい、杉下。この先輩はな、誰でも彼でも親戚にしてしまうんだ。引っかかるなよ。嘘だよ、嘘!」
「佐藤! だからあんたはダメなんだよ。人間みな兄弟。さかのぼれば、みんなルーシーのおっぱいに縋った兄弟じゃあないか。
それはそうとして、杉下さん。手を見せな」
俺は、いつも手相見をする。
指の長い手のひらだ。
手相が分かるわけではないのだが、運命線を見ることにしている。杉下のは、はっきりとまっすぐに中指まで貫いている。
「うん、大エースになるな、あんたは」
そんなことを言われれば、誰だってうれしい。
そこで、もうひと言。
「佐藤は、そこそこしか投げられないだろう。秋リーグではあんたがエースだな、きっと。がんばれよ」
「はいっ!」
代わって横から、ゆっこと言われた娘がにこやかに、
「私はマネージャーの佐藤由希子といいます。よろしくお願いいたしまぁす」
おれはびっくりしたようなふりをして、
「佐藤だって? おい、佐藤。駿大も人材不足か。自分の妹をマネージャーに狩り出したのか」
「スギ先輩。違いますよ。こんなちびタンクの妹なんかゴメンです」
「キャプテン!」
娘がふくれっ面をする。
「ははは、悪い冗談を真に受けるなよ。ゆっこさん、だったな」
「はい!」
「この佐藤は、そこそこ良い球は投げるし、まあまあの稼ぎはするが、人のマネージメントはへたくそだ。あんたがしっかりと面倒を見なくちゃなるまいよ」
「覚悟しています。ところで、先輩と伺いましたが、本当に駿大の先輩ですか」
「ゆっこさん、人生の先輩というだけのことだよ。ただの田舎爺さ」
「なあんだ、そうだったんですか。私、この春キャンプのチーフマネージャーですので、よろしくおねがいしまぁ~す」
「ああ、分かった」
「あれ! お客さんだったんですか」
その娘が部屋を覗き込んでいった。
「ん?」
俺は生返事をして、ユウさんを見た。
さっきの所に座って、こっちを見ている。
困ったような表情が見える。
「あれ! 変だなあ。そんな気がしたんだけれど、誰もいない・・・」
ゆっこさんにはユウさんが見えないらしい。
「おい、ゆっこ。そろそろお暇するぞ!」
「は~い、キャプテン。杉下先輩! では失礼しまぁ~す」といって、にっこり笑った。
若い娘の健康な笑顔はいいなあ。
男たちと、数人の女子マネたちが走って消えていった。
掛け声が次第と小さくなっていく。
「スギさん、ずいぶんと田の粗相だったね」
振り向くと、ユウさんがはっきりと見える。
「ああ、若者が好きなんだよ。無限の可能性を秘めている彼らがどのように成長していくか、楽しみだからな。
昔、日本の夜明けの時代に、若者にいろいろと教えてくれたアメリカ人の先生の、boys,be ambitiousという有名な言葉がある。良い言葉だ。
あのクラーク先生も、若者に夢を託していたんだ・・・」
「おれの世界には、あんな若者が集団でいることはない。だいいち人間が、あまりいないからな」
ユウさんが寂しそうな声で、ポソッと言った。
「へえ、そうなのかい」
俺は質問を後回しにして、ウイスキーを注ぎ足して、少し舐めた。
「家族は?」という質問をしようとしたが、一人で逃げてきたように言っていたのを思い出した。
家族はたぶんいない。その質問をすると、また寂しい思いを深めさせるだけかもしれない。
それで、質問を変えることにした。
「ユウさん」
「え!」
「ビール、もっと飲むかい?」
「いいや、ノーサンキューだ」
「そうか、なあ、ユウさん。どうもさあ、時代は違うが、ユウさんがいた場所は、ここというか、この辺のような気がするんだ。
トモロウマウンテンというのは、あの明日岳で、タイムスリバーは時ノ川のことじゃあないかな。
山や川の名は、時代が変わっても、おおよそ同じだと思うんだ」
「ソウかも知れない・・・」
「ユウさんはカヌーで川を下って、滝に落ちたと言ったね。サーティイヤーズ・フォールとかいう」
「うん、言ったよ」
「おれも、若い頃、時ノ川の源流まで歩いたことがあるんだが、滝なんかないんだ。これから先、ユウさんの時代までにできるのかもしれないが・・・」
3.超新星爆発
しばらく経ってから、ユウさんが思い出したように言った。
「そういえば、うろ覚えだが、ずーっと昔のことを聞いたことがある。
プーマ高師の話だったと思うが、太陽が二つになったことがあるんだそうだ・・・」
俺は原爆がヒロシマに落とされた時の話かとおもったが、それは問わずに話の続きを聞くことにした。
それで、唾を飲んで待っていると、
「スギさんは、三つ星を知っているか」といった。
「三つ星? オリオン座のか? 知っているとも」
すると、「オリオン座?」と、ユウさんは不思議そうな顔をした。
「え? 星座の名前だよ」
「星座? 知らないな」
「本当かい。大昔から、空の星を線で結んで、神話に出てくる人とか、動物とか品物のイメージを描いたんだ。
俺も良く知っているわけでもないが、ほかにも乙女座とか天秤座とか白鳥座とか、いろいろあるんだけだなあ・・・」
「ふうん、知らないなあ」
「でも、三つ星は有名だから、だれでも知っているよ。オリオンという人物のベルトが三つ星だとおもうよ」
「へえ、そうなの。何百年か前、そのあたりに、今まで見たこともないような、ものすごい光が現れたことがあるそうだ。夜空を横切って光る帯が何年も消えなかったそうだ。昼間でも見えたそうだ。季節が変わると、その青白い光は、空全体を覆うようになったそうだ。
太陽みたいに強い光ではないが、恐ろしいことが起きる前触れだと、世の中が大騒ぎになったという・・・」
「ほう、なんだろう、それは・・・」
俺は、(超新星爆発か)と、聞きかじりの話を頭の隅で思った。
「分からないよ。それは人間の世が終わっていくことを、神がお示しになったのだと、プーマ高師は言った。
天の神は、主祖セント・エポカに、人間が安らかに終わりの時を迎えるようにならなければならない。バラバラになっている、すべての宗教を一つに束ねるように、お命じになったのだと・・・」
前時代的な話のようだが、俺はますます興味をそそられた。
「それで、それからどうなったんだい」
「その時、人間は豊かに暮らしていた。世界中に溢れていた。たぶんスギさんのいる世界のように・・・」
「それが変わってしまうのか・・・」
俺はユウさんの話の先を読みすぎて、ため息をついた。
ユウさんは少しずつ思い出すように話し始めた。
「セント・エポカは、天の声をお聞きになると、町に出て説教をお始めになったという。
すべての宗教を一つにまとめるべきだという話は、他の全ての教団から、世の中を壊そうとするものだとして、生命まで狙われたそうだ。
役人に捕まって」、岩屋のようなところに閉じ込められた。ろくに食べ物も与えられず、暗い、じめじめしたところだった・・・」
「宗教の対立なのかねえ。信教の自由は保障されていないのか。
そう言えば、日本でも、そんな話があったな。700年以上も昔になろうが・・・。
それで、そのセント・エポカさんは、どうなった?」
「町で、セント・エポカのお話に感銘を受けていた人もたくさんいた。その人たちが、セント・エポカ7を救えという運動を起こした。
それで救い出されたけれど、身体は弱って、やっと生きているといった状態だったらしいが、また説教を始められた」
「それから・・・」
「ああ、メーロン教を興して間もなく、今AIゾーンといっているところで、亡くなられた。
セント・エポカを救い出した人たちは、メーロン教の本部をAIゾーンにつくった。
それでも、人間は相変わらず、したい放題のことを続けていた。
それから、いろんなことがあったそうだ。些細なことから戦争に鳴り、そこら中を一遍に溶かしてしまうような爆弾が使われたり、北の果ての氷が溶けて海が大きくなったり・・・
もっとも俺は、その海も知らないが・・・タイムスリバーの水も、その海に流れていくのだそうだが・・・」
そこまでいうと、ユウさんは話を止めて、消えかかった。
(そこら中を溶かしてしまう爆弾とは、核兵器か。北極の氷が溶けるのは、温暖化が進んでいくということか・・・)
───気がつくと、ユウさんが喋っていた。
「・・・トモロウマウンテンも爆発したそうだ。太陽が二つになって、その光が収まって、まもなくして・・・山から溶岩が流れてきて、タイムスリバーを堰き止め、ヌエバ・レイクができた・・・」
「そうなんか。湖なんか、今はないから、それも不思議だと思ったんだ。色んなことが起きるんだねえ」
俺はウイスキーを舐めながら、聞いている。
「たぶん、サーティイャーズフォールも、その頃にできたのだろうとプーマ高師は言っていた。30年ぐらい経つと突然崩れて、滝が上の方へ、20から30メーター動いていくらしい。
俺は、その崩れる滝に巻き込まれたのかもしれないが、分からん・・・」
ユウさんが震えているように見えた。姿も薄れた。
寒くなってきた───
部屋も暗くなってきたので、蛍光灯のひもを引っ張った。
「何をするんですか!」
ユウさんが気色ばんだ。
「ごめんよ。明かりをつけたんだ」
「え? 明かり? これが明かりなのか」
「そうだ。まだLEDにしていないが・・・」
「火を起こさなくても良いのか」
「火? 燃える火かい? 火を起こして明かりになんかしないな」
「どうやって光るんだ? この丸い棒は」
「電気だ。電気で光るんだ。電気で明かりをつける。いろんな機械も電気で動く。そのビールを冷たくしたのも電気のおかげだ」
「へえ、そうなのか。どうやって、その電気を手に入れるんだ」
「電力会社から電線で送られてくるから、それを買うんだ」
「俺の世界には、そんなものはない。明かりも、暖をとるのも、火を燃やすんだ」
驚いたよ、ほんとにその時は。
「え~っ! そうなの。500年も先なら、今よりもっともっと文明が進んでいると思ったが、それじゃあネアンデルタール人みたいじゃあないか」
「なんだい、スギさん。その、ネア何とかというのは・・・」
「大昔の人類だよ。俺たちの祖先だ」
「スギさんはいろんなことを良く知っているなあ」
(そんなに驚くこともなかろうに・・・)と思いながら、
「火はどうやって手に入れるんだい。プロメテウスのお世話になるのかい」と言ったら、ユウさんは知らん顔をしている。
(人間に火をもたらしてくれたプロメテウスも知らないのか・・・)
「普通は枯れ木を擦るんだ。力の要る仕事だ。従師が、下働きの平士や俺たち庶人にやらせる。火はいつも消えないようにしなければならない。風の来ないところで、種の火を絶やさないように、すこしずつ燃やしておかなければならない。
その種からとった火を必要なところに運んで、別の枯れ木に移して、明かりにする。長くゆっくり燃える枯れ木を使うんだ」
「うーん、ユウさんはそんな仕事をしていたのかい」
「それもやった。スギさん、従師というのは、ひどいやつさ。
種になる火が消えてしまったりすると、自分が蹴躓いて消してしまっても、俺たちの責任にしてしまうんだ。俺たち庶人はレジスタントしないから、ムチをならして責め立て、火を起こさせる。
その監視をしながら、自分たちは、普段は高師以上しか飲めない酒を、毒味だと言いながら、飲んでいるんだ」
「今でも、それに似たようなことがあるよ」
おれは、ユウさんに同情した。
(組織なんて、そんなものだ)
4.ズートニア
また、しばらくして、ユウさんが言った。
「俺たちのまわりには、スギさんの家にあるような道具が何もない。
だから、材料をツームシテイまで取りに行くんだ」
「ツームシテイ? どこにあるんだ」
「あちこちにある。昔、人間が住んでいたところだ。四角い建物が並んでいる。アーバンと言われていたところだと、プーマ高師は教えてくれた」
「東京か・・・」と、俺は呟いた。
ツームとは、たぶん墓のことだろうと見当をつけてみる。
そう言えば、人のいなくなった新宿のビル街なんか、墓石群に見えるかも知れない・・・。
「プーマ高師が指揮して、荷車を引いていくんだ、何日もかけて。たいていはロビン従師が、平士とか、庶人の俺たちを働かせる。
監督する高師の姿が見えなくなると、羽根を伸ばして、また威張り腐るんだ・・・」
「下っ端は、いつの時代も同じだな・・・」
「スギさん、俺たちの苦労を分かってくれるのか」
「よく分かるよ、わかるよ」
「ありがとう。俺たちは、自分がそんな思いをしていることを誰にも言えないんだ。仲間どうしでも・・・」
「そうかい、そうかい」
「うん・・・。アーバンはぼろぼろに壊れている。倒れてグシャグシャになっている。そのガラクタの中に使えるものもある。それを探し出して、持って帰って、ズートニアで使うものや、パレスを作る材料にするんだ。
昔から同じようにツームシテイに、物を取りに行っていたから、もうほとんど何も残っていないんだ。それでも、そこここの瓦礫をひっくり返して探すんだ。何かを持って帰えらなくては叱られる・・・。
平士が、その拾ってきた金属の板を叩いて、必要なものを作る。それはズートニアで使うものだ」
拾ってきたものが金属なら、溶鉱炉で溶かして、新しい素材に生まれ変わらせるのではないのか・・・
ユウさんの時代は、どうも違うようだ。
工場のようなものはないのか。
「───使い古して、ひしゃげちゃったりすると、塀の外へ放り出される。
庶人の俺たちは、それを拾ってくる。
食い物の煮炊きなどは許されていないが、こっそり使うこともある・・・」
「その食い物は、どうしている?」
「ズートニアには、豆とか麦とかコーンを作る畑がある。それを粉にし、ブレッドにする。この仕事は、平士がやる。
出来上がったのを何日かに1回、従師がズートニアの外にいる庶人に配って回る」
「ブレッドって、パンだよな。それだけが食糧かい」
「いいや、ヌエバ・レイクで魚を捕る庶人もいる。小さな魚しか捕れないが、捕った魚は干し魚にして、ズートニアに持っていく。少しだけ分からないように隠しておく。煮たり焼いたりすると匂いでバレてしまうから、これも粉にして、みんなでこっそり分け合って喰うんだ」
「そんな食い物じゃあ、若いものは不満だろう?」
「若いもの? さっき来たような若いのは、ほとんどいないんだ。俺の周りには誰もいなかった。俺と同じくらいの年寄りの連中ばかりだ。あっちこっちの小屋や、ケイブでひっそり暮らしている」
「ケイブ?」
「洞窟だよ」
「仕事はないのか? そのズート何とかから配られる食い物をまっているだけなのか?」
「いいや、ノテスがあるんだ。ノテスがあると、仕事ができそうな者は出てくる・・・」
「ノテス?」
「ああ、お触れだ。鐘が鳴るんだ。音色と数で、どんな仕事があるか、どのくらい人が必要なのかを知らせてくる。ツームシテイに行ったのも、そのノテスがあったんだ。
ズートニアの仕事をすれば、着るものとか、ブレッドと魚の干したものを余計にくれるから、争って出ていくんだ・・・。選ばれるとラッキーだが・・・」
「野菜なんかも作っているのか」
「ズートニアには畑もある。平士が作っているが、ズートニアの外で暮らしている俺たちには回ってこないから、野草を探すんだ。
いつもハングリーだよ・・・」
「他にはどんな食い物があるんだい」
「ズートニアには、結構いろんな食い物があるらしい」
「へえ・・・」
「タイムスリバーの先にある海でとれた魚を、マリン・ズートニアにいる従師が運んでくるらしい。ほかにニワトリも飼っている。ズートニアの中にいる者は、その卵や肉も食うという話だ」
「そこそこ食い物はあるようだね」
「坊さんたちは、平士でもそこそこ太っている。俺たち庶人は痩せている」
「ユウさんたちは、そういうもんを食えないのか」
「うん、ほとんど・・・」
5.セント・エポカの祭り
俺はユウさんに同情した。
「そうなのか。ところで、ユウさんには家族がいるか」
「ファミリーのことか? いないよ。俺たちの世界では、ファミリ―がない。
桜の花が散る頃、セント・エポカの祭りがある。
あちこちから、男たちがヌエバ・レイクのズートニアに集まってくる。年寄りも来る。若いのも、どこからか来る。
この日は、エポカ様の誕生日の特別な祭りだから、このビールのようなものが飲める。鳥の肉や、海の魚の肉で作った団子のようなものも食える。
それにつられて集まってくるんだ。
女もズートニアから出てくる。
そこで高師が呪文を唱えながら、変な臭いのする草を燃やす。その臭いはいやったらしいんだ。
それを嗅いで、変な気持ちにさせられて、男と女が連れ立って、闇に消えていくんだ。それで子供ができるという話だ」
「なんだい、それは? どこかで聞いたような話だ・・・」
いつかビデオで見たアマゾンの原住民の話を思い出した。
「・・・ずいぶんと原始的だな。生まれた子供は、どうするんだ? どこで育てるんだ」
「知らない。女はいつもズートニアの中にいる。子供は、たぶんズートニアの中で生まれ、育てられるンだろう・・・」
また、しばらくして、ユウさんが言った。
「・・・俺も若いときに、祭りの夜、何回か女を抱いた。あの幻のような記憶は、遙かな過去だ。それで、それからどうなったのか知らない・・・。
そう言えば、スギさん。男なんて要らないという考え方があるのかい?」
急に話が変わった。
「え! 急になんだね。ユウさん。社会を動かしているのは、たいてい男だが、女を排除するわけではないし、女も男以上に頑張っているんだ。男は要らないとか、女は要らないとか、そういう考え方はないよ」
「そうか・・・・」
また、ユウさんの姿が霞んできた。
ユウさんは意識が消沈すると、姿が薄れるようだ。
500年も先は、どうやら社会構造も想像出来ないくらい変化してしまっているようだ───
チャイムが鳴った。
俺の庭先に設置されている村の広報スピーカーから、大音量の「夕焼け小焼け」のメロディが流れてきた。
俺は慣れているが、ユウさんは怯えた。
「また、何かがあるのか、スギさん」
「今のか、夕方になったから、子どもたちはおうちに帰りましょうという合図だ。村役場で流している定時のアナウンスだ。
怖がることはないよ」
「おうちに帰りましょうか・・・」
ユウさんが、また消えかかった。
深いため息をついて、
「おうちって、ファミリーのいるところだ、よな」と言った。
「ああ、そうだよ。お母さんのところへ、早く帰れと言ってるんだ」
「お母さん・・・そんなものはどこにいるんだろう・・・ 俺は、捨てられたから・・・」
「・・・」
俺は黙っているしかない。
ユウさんが次の話を始めるまで、長いこと待たざるをえなかった。
しばらくして、ポソッと言った。
「スギさん。ズートニアで生まれた子供はどうなると思う?」
「さあ」
「おっぱいを飲まなくてもいいというまでは、ズートニアで育てられる。
そこで、振り分けられるんだと、プーマ高師が言っていたのを聞いてしまったんだ」
「・・・」
「俺は誰かにヒルプレイスの果樹園まで連れて来られ、ピーチの木の下で落ちているピーチを囓っている間に、一人にされたらしい・・・・」
「他には誰もいなかったのか」
「人間なんて、ほとんどいないんだよ。昔から。
そのまま、そこで死んでしまう子どももいる。
おれは、たまたま優しい人が通りかかって拾ってくれたから、生きてこられた。リバープレイスの自分の小屋に連れていって育ててくれたんだ・・・」
「その人はどうした?」
「死んだよ、病気で。俺がズートニアの仕事に行けるようになるまで育ててくれて、まもなく・・・。ああいう人をオヤジというのか」
「そうだな・・・」
「オヤジは果樹園で働いていた庶人だった。俺は、そのオヤジに名前をつけて貰った。
それが、ユウ・サラマンダー・マーノだ。サンショウウオだよ。いかにも長生き死そうな感じがしないか。長生きしそうな名前が普通だった」
「・・・」
「・・・丈夫そうな男の子は、俺のように誰かに拾われるチャンスを与えてくれるらしい。ズートニアに残されて、坊さんになる者もあるが、ほとんどはどこかに捨ててしまうらしい・・・」
「捨てる!」
俺は息を飲んだ。
(未来は原始時代に逆戻りかよ・・・)
「そうだ。噂では、顔の良い女は坊さんに抱かれるらしい。坊さんに抱かれた女が産んだ男の子は坊さんになるらしい。少なくとも平士として育てられる。庶人にはならない。
セント・エポカの祭りの日に出てくるのは、坊さんと関わりのない女たちだという。
産まれた女の子は生かされるけど、男の子は捨てられるんだ。
ズートニアには、女の仕事もある。着るものを作ったり、ブレッドを焼いたり・・・」
「ふうん、そうなの。さっきから聞こうと思っていたんだが、ユウさん、庶人というのはなんだい」
「ズートニアの外にいる、坊さんでない男のことだ。捨てられたおとこのことだよ・・・」
そう言ったユウさんが、また見えなくなった」
俺はまた独り言を言った。
「坊さんだけが良い思いをしているみたいだな・・・」
6.メーロン教
───坊さんというのは、俺たち庶民の指導的な位置にいる。今だって、そのはずだが、不信心な俺には、その偉さが分からないでいる。
しばらくして、ユウさんに聞いてみた。
「それで、何てたっけ? メーロン教の教えは、どんなことを言っているんだ?」
「教え? ドグマのことか?」
「それが教えということなら、それでいいよ。どうせ、俺にはちんぷんかんぷんだから」
「スギさん、俺はただの庶人だ。ドグマのことを良く分かっているわけじゃあない。
祭りの日に、プーマ高師がウートピアの話をする・・・」
「ウートピア? ああ、ゆーとぴあか。天国・地獄の話だな」
「この世の始まりから、これからどうなっていくか、今、自分たちはどうしなければならないか、そんなことも聞かされる。聞いても分からないけれど・・・」
「それで、この世の始まりは、どんな話だい?」
「なんでもかんでもが、ごちゃごちゃに混ざり合って固まっていたんだとさ。
それが、時間が経つにつれて、少しずつ分かれてきて、陸になり海になり、空になった。
人間もいろいろな動物も、木や草も、だんだんと細かく分かれて産まれてきたんだと・・」
松井孝典の「分化」理論みたいだなと思いながら、どこかで、そんな創世記の話が頭をかすめた。
うっすらとした記憶だが、キリスト教では、神様が「空よ、現れよ。血、現れよ」というと、天地が出現したし、日本では、神様が海をかき混ぜて鉾を引き上げると、その滴がしたたり落ちて固まり、大地ができたという。
似たような話だと思ったものである・・・
ユウさんは、まだ喋っている・・・・。
「そのうち、生き物の対立がふかまり、せめぎ合いが始まった。本来、仲良く生きていくべきなのに、激しい争いが続いてきたのだと・・・」
「それは戦争のことか・・・」
「いや、違う。戦争は、人間だけの愚かな行為だ。
ほかの生き物たちは、良いものも悪いものもいるが、うまく棲み分けをしている。相手を抹殺してしまうようなことはしない。エサになるもの、それを喰うものもそれなりの本分を全うしていきているんだと・・・。プーマ高師は言ってたよ。
争いというのは生存競争が激しくなったと言うことだ。生きる領域が重なり合ったり、気候の変化に対応出来ないものが」滅びていった・・・」
「ふーん、なるほど・・・」
「後から出てきた人間が、うまく立ち回って、この星を支配し始めた。やがて、人間同士で争いを始めた。
強い者が支配を広めようと、弱い者を攻めて、相手の住んでいる土地や財産を奪った。抵抗する者は容赦なく殺した。
そういう戦争は人間だけがやることだ。やられた者は、どこかに潜んでいて、隙を狙って敵を倒そうとする。馬鹿な殺しあいが、いつまでも続いた・・・」
「なるほど。それは俺も知っている。歴史はそんなことの繰り返しだからな」
ゆうさんは、ゴクンとビールを飲んで、
「だから、天の神が三つ星から警告の光を投げ、メーロン教の主祖セント・エポカに啓示を下されたのだと、プーマ高師は言っていた・・・」
「お告げというやつだな・・・」
「この世は、ごちゃごちゃなものから生まれてきた。それからいろいろなものが分かれ、それぞれ育ってきたが、またごちゃごちゃな世界に戻っていくんだとさ。それを何度も繰り返しているんだと。
プーマ高師は、今はふたたびカオスの世界に向かっていると言うんだ。カオスって、ごちゃごちゃのことだろ? スギさん」
「たぶん、そうだろうが、俺には分からないよ」
「まあ、いいよ。俺にとっても、どうでもいいことだから・・・。
プーマ高師は、こんなことも言っていた。
主祖セント・エポカがメーロン教を興した後も、人間はエネルギーの元を奪い合った。強い者が勝ったが、直ぐにエネルギーの源は底をついた。
代わりのエネルギーも奪い合いになったが、それも底をついた。それで世の中が動かなくなってきた。
そのことで苛立って、馬鹿な奴が大地の溶ける爆弾を発射して、その応酬で人間の多くが死んだ。
けっきょく人間はセント・エポカの教えを無視して殺し合い、ほかの生き物もメチャクチャに殺してしまった。
数え切れないほど多くの人間が死んでしまっtが、かろうじて生き残った者は、やっとセント・エポカの教えに気がついた・・・」
「何もない世界になっちまったのか、それで・・・」
「セント・エポカの教えは簡単だ。生きている者は支え合え! 強い者は弱い者を庇え! 生きとし生けるものは、すべからく平等であるというのだが、そんなことは、生きるだけで精一杯の俺たちには、何の得にもならない。
高師の話を聞くには聞いているが、何の力も出てこない・・・」
「核戦争があったというのか・・・」
ユウさんの長い話ノアとで、俺はゾッとしてつぶやいた。
大地の溶ける爆弾とは、核兵器のことだと思った。
自分の力を誇示するために、ミサイル発射ボタンを押してしまうこともあるだろうか。むかっ腹をたてて、核攻撃をするだろうか。
核攻撃を受けたら、自動報復するシステムがあるような話を、小松左京のSFで読んだことがあるが、実際に存在するのだろうか。
そういうポカを防ぐシステムも備わっていなそうな貧弱な国が、核兵器の完成を目指して蠢動しているからなあ・・・。
全面的な核兵器の応酬ともなれば、生き物全てが死滅してしまうはずだが、生き残った世界もあるらしい・・・。
7.ユウさんの脱出
「スギさん。俺は、この間のセント・エポカの祭りの日に・・・」
「え!」
俺はボーッとしていて、よく聞いていなかった。
「どうしたんだ? そのなんとかの日に、何かあったのか」
「そうだ。プーマ高師の話が終わると、ゾーロ高師が、あの儀式を始めた。この儀式は、高師が交代でやることになっている。
俺はその臭いが厭になって逃げ出した。若い女も出てきたが、年寄りはその気になれそうもないので、逃げ出して、ズートニアをさまよった。
その日はズートニアのどこに行っても良いことになっている。レッドゲートの中以外は、自由に動き回れるんだ」
「東大かい? そこは」
ユウさんは赤門の東大にも反応しない。もっとも500年も経てば、東大もどうなっているのか・・・
「高師以上の偉い坊さんのパレスがあるからだ。そこで、俺は見たんだ」
「何を?」
「さっきまで偉そうな説教をしていたプーマ高師のパレスに迷い込んだ。
そこで柔らかそうな敷物のうえで、素っ裸になったプーマ高師が、何人か若い裸の女に囲まれて何かをやっていた。
そのうち、あのいやらしい臭いが漂ってきた。するとプーマ高師と女らが絡み合ったり、取っ組み合ったりして大騒ぎを始めた・・・」
「乱痴気パーティか。ふふ、坊さんだけが良い思いをしているということだな」
「見ているうちに、股間がうずうずしてきたが、騙されているンじゃあないかと感じた。
なぜか一人になりたいと思った・・・」
「それで、どうしたんだ」
「何かが、俺の内側から盛り上がってきた。逃げだそうと思った。
その時、あのレジェンドを思い出した。今、逃げ出せば、どこかの自由な世界に行けるような気がしてきた。
それで、手を伸ばしてプーマ高師の法衣を盗んだ。寒くても、これがあれば凌げると思ったからだ。
見つかれば、百叩きだが、その時はその時のことだと腹をくくった。
裏のゲートを出れば、すぐにヌエバ・レイクだ。
そこにカヌーが繋いであった。俺は構わず、それに乗り、暗いレイクにこぎ出した。
カヌーは水がタイムスリバーとなって流れ出しているほうに、ゆっくりと動き出した。
誰にも気づかれなかった。カヌーは次第と速く流れ始めた。
怖くなって俺は不しがみついた。流れはますます速くなった。
ズートニアの明かりも闇の中に隠れて分からなくなった。
レイクから流れでたタイムスリバーをどんどん流されていった。
やがて滝の音が聞こえてきた。もの凄い大きな音に聞こえた。
俺は流されるまま、地獄に落ちるように、滝に落ちた。
それで、気を失ったらしい・・・
気がついたときは、そこの木の下に座っていて、スギさんの声で、我に返ったんだ・・・」
ゆうさんが大きなため息をついた・・・。
───ふと、寒気を覚えて、目が覚めた。
いつの間にか、朝になっている。
見回してみたが、ユウさんの姿が見えない。
テーブルの上に、空き缶が一つ転がっている。コップの底に1センチくらいビールが残っている。
俺のウイスキーのグラスは空になっている。さて、夕べはどのくらい飲んだのだろうか。
また飲みながら寝てしまったらしい。弱くなったものだ。
幸恵が生きていたら、大目玉を食らったことだろう。
外は良い天気だ。桜が散り急いでいる。
花びらが」大量に落ちてくる。この掃除が大変なんだ。花びらの後は、花柄が落ちる。
幸恵は文句も言わず、日に何回も掃き寄せていた。
秋は落ち葉で・・・。それで、俺は「桜三苦」と銘をつけている。
夕べは何も食わなかったので、腹が減っている。
朝飯を作ることにした。面倒なので、おかずは鰯の缶詰とインスタント味噌汁でいい。メシは昨日の朝炊いて、冷凍保存してある。チンするだけで良い。便利になったものだ。
今日は里芋を植えてしまおうと、仕事の計画を立てて、、起き上がった。
その時───
「桜じいさん、おはようございます」
駿東大の佐藤の声だ。
「開いとるぞ」と言うと、
「はいっ! 駿東大野球部。キャプテン佐藤、新年度の挨拶に参りました」
ジャージー姿の選手が、ズラリと玄関先に揃うと、圧倒される。
朝食前のジョキングの途中か。
「なんだい! 昨日も来じゃあないか」
「いいえ、先輩。昨日は来ていませんよ」と真顔で言う。
「おかしいな。嘘は、良くないぞ!キャプテン!」
「嘘じゃあありません。夕べ遅く、新人を伴って合宿所に到着したばかりです」
「何! 本当か? それは」
俺は、目を剥いた。
ほかの連中がうなづいているので、
「はて、惚けてしまったか」と、とぼけた。
「杉下先輩! まだ惚けないでくださいよ!」
「だが・・・」
俺ははっきりと記憶している。昨日揃ってきた連中だ。
自転車に乗ったゆっこと言う女子マネもいる。三浦崎の杉下も見える・・・
「あんたは佐藤ゆっこさんだね。このキャンプのチーフマネージャーをやるんだろう? そして、そこのデカいのは三浦崎から入った大杉下のひ孫だろう・」と言ったら、
「え? 初対面なのに、そんなことまで知っているんですか?」
「ああ、俺は千里眼だ。何でも知っているんだ」
不思議な顔をしている佐藤が面白い。
(あの時、俺はタイムスリップしていたということになるのか)
説明しても、誰も信じそうもないから、それ以上は話さないことにした。
「佐藤、ジョキングの途中だろ。挨拶はもういい。
今年も優勝を狙うんだったら、練習、練習! 早く行け!」
連中が、不思議そうな顔をしたままで、時ノ川の方に走っていく。(以下、2部へ)