第三十六幕 ~帝国三将会議~
──帝都オルステッド リステライン城 フェリックス執務室。
「閣下、今お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
紅茶を机に置きながら、テレーザ少尉が遠慮気味に声をかけてきた。フェリックスは走らせていたペンを止め顔を上げる。
「その顔はなにかよくない知らせですね」
「……はい」
テレーザが一枚の報告書を差し出す。フェリックスは無言で受け取ると、報告書に目を走らせる。内容はカスパー砦の失陥。そして、オスヴァンヌ大将以下、主だった諸将の戦死。さらには総勢四万五千人以上の兵士が死亡した記述も見受けられる。
これはベールクル会戦以来の大敗北と言っていい。帝国の重鎮たるオスヴァンヌを失った事実も加味すれば、それすらも軽く凌駕していた。
「──テレーザ少尉。やはりあの時、皇帝陛下に強くガリア要塞攻略を進言するべきだったのかもしれません。たとえ叱責を受けたとしても」
フェリックスがそう言うと、テレーザは何とも言えない表情を浮かべる。オスヴァンヌは絶好の機会を潰されたあげく、無用な時間を与えてしまった王国軍に敗北した。ある意味、帝国自らが王国軍の勝利に加担したようなものだ。
たらればの話をしても仕方がない。だが、皇帝陛下の許可が下りていれば、間違いなく勝利は南部方面軍のものとなっていただろう。それほどオスヴァンヌが提出した作戦立案書は、非の打ちどころがなかったのだから。
フェリックスは紅茶を一口すすると、軽く息をつきながら立ち上がる。十字剣が刻まれた蒼いマントを羽織りながらテレーザに声をかけた。
「宰相閣下にこの件を報告します。今後の対応も協議しなければなりませんので」
「すみません。その件に関して三将会議を開くとのことです」
テレーザが慌てた様子で口を開く。
「──三将会議ですか?」
「はい。二時間後に第二会議室に集まるよう、ダルメス宰相閣下から申し付かっております」
三将会議と訊いて、フェリックスは僅かに眉を顰める。三将会議と言うからには、残る二将がそろっていなければ意味がない。そんなフェリックスの疑問を察したのか、テレーザは言葉を続ける。
「グラーデン閣下とローゼンマリー閣下は、戦況報告のため昨日各戦線からお戻りになられたようです」
「そうですか……わかりました」
フェリックスは再び椅子に座り直すと、再度報告書に目を落とすのだった。
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──二時間後。
ダルメス宰相の招集に従い第二会議室に集められた三将は、三十人は楽に座れるであろう黒檀のテーブルに座った。
「なあ、オスヴァンヌ大将が死んだって話は本当なのか? あたいは未だに信じられねえんだけど?」
会議が始まって早々。ローゼンマリー大将が右手に持った報告書をテーブルに叩きつけた。それに対し、グラーデン元帥は鋭い視線をローゼンマリーに向ける。
「オスヴァンヌが死んだのは間違いない。キール要塞に落ち延びてきた兵士の証言からもそれは明らかだ」
「だからそれが間違いだって可能性はねえのかよ!」
ローゼンマリーは執拗にオスヴァンヌの死を否定する。その不遜な物言いが気に障ったのか、グラーデンは片眉を吊り上げる。
「少しは口を慎め。何人もの兵士が槍に突き刺されたオスヴァンヌの首を目撃している。これは疑いようのない事実だ」
グラーデンに言い含められたローゼンマリーは、頬を膨らませながら顔を背けた。ローゼンマリーはオスヴァンヌの元部下。認めたくないという思いが強いのだろう。
会議室に険悪な空気が流れる中、ローゼンマリーがぼそりと呟く。
「……あたいが南方戦線に出向く」
「──は? 失礼ですが、今何と言ったのですか?」
思わずフェリックスが訊き返すと、ローゼンマリーは歯をむき出しながら吠え立てた。
「あたいが南方戦線に出向くって言ったんだよッ! ガリア要塞軍だがなんだか知らねえが、あたいが率いる〝紅〟の騎士団で速攻踏み潰してやるよッ!」
「南方戦線に出向くと言われましても、北方戦線はどうするのですか? 総指揮官が不在ということになりますが?」
フェリックスは当たり前の疑問をぶつけた。そもそも、自分の持ち場を放り出して他の戦場に出向くなどありえない。だが、ローゼンマリーは予想斜め上をいく言葉を口にする。
「それはフェリックスが代わりにやればいいじゃないか。どうせやることもなくて帝都で暇しているんだろ?」
それで決まりとばかりに話を進めるローゼンマリーに、さすがのフェリックスも呆れていると、横合いからグラーデンの怒声が飛んできた。
「馬鹿者ッ! そんな勝手な言い分が本気で通ると思っているのか。だいたいフェリックスは帝都を守備するという大事な任がある。迂闊に動けるわけがないだろう」
「はっ! 帝都を守備する? 今の王国軍に帝都に進撃するほどの力があると? この包囲網のなかで? そんなことが本気で可能と思っているなら、グラーデン元帥閣下も大分老いたのではないですかね」
「き、貴様ッ?! 言うに事欠いてッ!」
殴りかからんばかりの二人を必死に宥めながらも、ローゼンマリーの言い分に内心で苦笑する。確かに今の王国に帝都に進攻するだけの力はない。蒼の騎士団が北方戦線に赴いたとしても、然したる影響はないだろう。
ローゼンマリーの言っていることはある意味正しく、同時に間違っているとも言える。
皇帝陛下の住まう帝都に最精鋭である蒼の騎士団が守備している。この事自体が民衆に安心感を与え、他国に対して強力な抑止力となっているのだ。皇帝陛下の命令がない限り、動くことなどできようはずもない。
「ローゼンマリーのお話は別にしても、カスパー砦が落とされた今、王国南部は完全に支配権を失いました。早急に対処する必要があると思います」
「──そのことですが、少々よろしいですかな?」
今まで会話に入ることなく沈黙を守ってきたダルメスが口を開くと、三人は一斉に視線を向けた。
「もちろん構いません。宰相殿にはすでに腹案がおありでしょうか?」
三人を代表するような形でグラーデンが尋ねる。すると、ダルメスは意外な言葉を口にした。
「いえ、とくにそのようなものはありません。ただ、王国南部に関してはこのまま放っておいても問題ないだろうと私は思っています」
「……それはどういう意味でしょうか?」
明らかに困惑を示すグラーデン。良くも悪くもダルメスは感情の起伏が乏しく、何を考えているかわからない不気味さがある。フェリックスもローゼンマリーも同様で、その言葉の意図するところを計りかねていた。
「そのままの意味です。南方戦線は元々小康状態でした。これ以上王国南部に固執しても仕方ないと思いましてね。いくらカスパー砦を奪われたとはいえ、キール要塞が手中にある以上、王国軍もおいそれと攻めることはできないでしょう」
「まぁ……確かにそうですな」
不承不承と言った感じでグラーデンが相槌を打つ。
「それに、報告によると四万五千人以上の帝国兵士が死んだと言うではありませんか。実に悲しむべきことです。今は哀悼の意を捧げましょう」
悲しむべきことと言いながらも、ダルメスの口の端は僅かに上がっている。それを不審に思いつつ、ダルメスに尋ねてみた。
「皇帝陛下はカスパー砦失陥をご存じなのでしょうか?」
「はい。すでに私がお伝えしていますので。ちなみに皇帝陛下も私と同様、王国南部からは手を引くべきだとお考えのようです」
その言葉を訊いて、敏感に反応したのはローゼンマリーだった。
「そ、そんな! じゃああたいはどうやってオスヴァンヌ大将の敵を討てばいいんだよッ!」
「ローゼンマリー! 今はそんな低次元の話をしているときじゃないはずだ!」
「──ッ!? オスヴァンヌ大将の敵を討つ話のどこが低次元だっていうのさッ!」
燃えるような赤い髪を振り乱しながら、ローゼンマリーはグラーデンに噛みつく。確かにグラーデンの言葉は非情に聞こえるが、その意見にフェリックスも賛成だ。 今は今後の対応を考えることが最優先なのだから。
再び会議室が険悪な空気に包まれる中、意外なことにダルメスがローゼンマリーに向かって話しかけた。
「ローゼンマリーさん。オスヴァンヌさんの敵をとるのは案外近い未来かもしれませんよ」
「そ、それはどういうことでしょうか?」
僅かに動揺を見せるローゼンマリーに対し、ダルメスは痩せこけた顔に笑みを浮かべながら答える。
「カスパー砦を奪取した王国軍は、おそらく今までのようにガリア要塞に執着しないでしょう。カスパー砦を中心に堅固な防御ラインを引くことが可能ですからね」
「それがオスヴァンヌ大将の敵を討つことと、どう関係があるのですか?」
ダルメスの遠回しな物言いを受け、小首を傾げるローゼンマリー。そんな二人の会話を聞いていたフェリックスは、ダルメスの意図することに気づき内心で嘆息した。
「これは単なる私の予想ですが、彼らは王国南部の防御を固め次第、中央戦線か北方戦線に進出してくるのではないでしょうか? 今の王国軍に遊ばせておくだけの兵力があるとはとても思いませんからね」
ダルメスの言葉を反芻しているのか。ローゼンマリーはしばらく両腕を組み微動だにしなかったが、徐々に口の端を吊り上げていく。
「ダルメス宰相。話はよくわかりました。要するに否が応でも奴らを北方戦線に引きずり込めばいいのですね」
「さすがローゼンマリーさん。お話が早くて助かります」
この会議から三日後。
皇帝ラムザの命により僅かの監視兵を残し、王国南部からの全面撤退が通達された。
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