第十五幕 ~獣を狩る少女~
太陽が中天から僅かに西に傾き始めた頃。
オリビア特務小隊は比較的開けた場所を見つけると、休憩を取り始めた。これはオリビアの指示によるものではない。
無尽蔵なオリビアの体力に合わせていたら、砦に到着する前に皆潰れてしまう。そうアシュトンが進言した結果によるものだ。
新兵たちは、涙ながらに頭を下げて礼を言ってくる。ジャイルに至っては「お前は神なのか?」と、馬鹿なことを言ってくる始末。
その全ての反応に対し、アシュトンはただ黙って愛想笑いを浮かべるのみ。
本音を言えば、自分が誰よりも休みたかっただけ。などと、今さら口が裂けても言えない。軽い罪悪感を覚えつつも、適当な場所に腰を下ろす。
すると、さも当然のようにオリビアが隣に腰かけてきた。
「ごめんねー。私はちっとも疲れてないから、全然気がつかなかったよ。さすがアシュトンね」
「はは、オリビア准尉が疲れていないのは、さっき訊いたんで知っています」
オリビアの称賛に、アシュトンは自嘲気味に笑う。だが次の瞬間、オリビアは何かに気づいたかのようにハッと目を見開くと、徐々に唇を震わす。
「も、もしかして、さっき私に疲れていないかって訊いたのは……小隊長である私に休憩の必要があると気づかせるため? あえて自分から口にするように仕向けたってこと? でも私はその意図に気づかなかった。だから、アシュトンは仕方なく進言した。どう、違う?」
凄く違います──とは今さら言えない。真っ直ぐなオリビアの視線を受けて思わず目を逸らした先。食事を摂っている新兵たちが、こちらをジッと見つめていることに気がついた。
おそらく会話を盗み聞きでもしていたのだろう。余計なことを訊かれたと、心の中で舌打ちを打つ。ここで本心を明かせば、新兵たちから総スカンをくらうのは間違いない。だとしたら、ここでとる選択肢はただひとつ。
アシュトンはゴクリと唾を飲み込むと、ゆっくりと首を縦に振った。
「は、はは、ばれてしまいましたか。差し出がましいことをしてしまい、申し訳ありませんでした」
アシュトンが演技がかった口調で言うと、オリビアは「やっと私も人間の心理がわかってきた」と呟き、満足げに頷いている。
その言葉の意図するところは不明だが、本人が都合よく理解してくれたのなら問題ないだろう。そう思うことにした。
ホッと息をついていると、先程の新兵たちと視線が合う。すると、彼らは白い歯を見せながら敬礼してきた。
「さ、さてと。ちょうどお昼頃ですし、僕らも食事を摂りますか」
背中に嫌な汗を感じながら、アシュトンは鞄から食料を取り出す。黒パンに干し肉。そして、自家製のマスタードが入った瓶。
興味深そうに見つめてくるオリビアを横目に、ナイフを使い黒パンの中央にスッと切れ目を入れる。そこに干し肉をはさみ、さらにマスタードを流し込む。
そのまま一気にかぶりつくと、程よい辛さと酸味が口いっぱいに広がった。
「うん美味しい。やっぱり自家製マスタードを持ってきて正解だったな」
独りごちるアシュトンの横で、食い入るような視線を向けてくるオリビア。いつまでたっても鞄を開く様子がないことに、アシュトンは首を傾げる。
「オリビア准尉は食べないのですか?」
「うん。私はもう支給された食料は全部食べちゃったから。今から狩りに行って鳥でも捕まえようかなと思っているけど」
その言葉に、アシュトンは空いた口が塞がらなかった。五日分の食糧をすでに食べてしまったとか、のん気に鳥を捕まえに行くとか、つっこみどころは満載だ。
しかも、その割には一向に狩りに行く気配が感じられない。オリビアの視線は、常にアシュトンの手元を凝視している。
それは完食した後も変わらなかった。そんなオリビアに呆れながらも、先程と同じ手順で調理したパンを差し出した。
「えっ! いいの?」
「ダメだったら渡しませんよ。下手に狩りに出かけて、獰猛な獣に襲われたらどうするんですか」
「別に平気なんだけど……でもありがとう。やっぱりアシュトンはいい人間ね!」
そう言って、オリビアはパンにかぶりつく。直後、「美味しい!」との声を上げて目を蕩けさせていた。
(僕たちは、後何回食事を摂ることができるのか……)
幸せそうなオリビアの横顔を眺めながら、アシュトンは内心で呟く。その時、アシュトンたちの背後から、悲鳴を上げる声が響いてきた。
「な、なんだ!?」
慌てて振り返ったアシュトンが目にしたもの。金色の毛に覆われ、額に白い角を生やす巨大な四足獣──一角獣である。
「──ッ!?」
アシュトンは全身の毛が逆立った。一角獣は非常に獰猛な獣としてあまりにも有名だ。巨大な角を上手く利用し、獲物を仕留めることを得意としている。
また、雑食性のため何でもよく食べる。それがたとえ人間であっても例外はない。
一角獣は一番の武器である角を振り回しながら、近くにいた新兵たちに襲いかかっていた。新兵たちは、地面を転がりながら逃げ惑う。
「オ、オ、オリビア准尉! 一角獣がッ! 一角獣がッ!」
「──ん? あーホントだねー。多分人間と遊びたいんじゃないのかなぁ」
未だ目を蕩けさせながら呑気な言葉を吐くオリビアに、傍にいた新兵が目を見開きながら叫ぶ。
「はあ!? 何寝ぼけたこと言っているんですかッ! ちゃんと状況を見てくださいッ! 俺たちを襲っているんですよッ!」
怒鳴られたことでようやく事態の深刻さに気付いたらしい。オリビアはスッと目を細め、一角獣を見据えた。
一瞬、一角獣よりもオリビアのほうが怖いと感じたのは気のせいだろうか。
「あぁ、あいつね。あれって食べてもあんまり美味しくないからなー」
「はああっ!? 美味しくないって!? はあああああっ!? そうじゃないでしょう! 早くこの場から逃げないと!」
アシュトンは、オリビアの腕を強引に掴み逃げようとした。が、予想だにしなかった事態に陥る。足はカタカタと小刻みに震えるばかりで、一歩たりとも前に進んでくれない。まるで足の裏が地面に縫いつけられたように固まっていた。
(おいおい、嘘だろ!)
心の中で必死に動けと命じるが、自身の足がそれに応えることはなかった。そんなアシュトンに気づいたのか、一角獣は鋭い角をこちらに向ける。
涎を垂らしながら大きな咆哮を上げると、地面を蹴り上げながら猛然と近づいてきた。
(──終わった。まさか戦死じゃなくて、一角獣に食い殺されるとか。こんなの笑い話にもならない)
そう思いながらも、震える手を押さえ込むように槍を握りしめる。そして、水平に構えると一角獣の前に突きつけた。こんなことをしても無駄なことは十分理解している。最早目の前を覆う絶対な〝死〟に抗う術はない。これは最後の悪足掻きというやつだ。
アシュトンが絶望に身をゆだねていると、信じられない光景が目に映る。恐怖のあまり気でも触れたのか、隣にいたオリビアが一角獣に向かって悠然と歩き始めた。
「──ッ!? 早くここから逃げろッ! オリビアも食い殺されるぞッ!」
「あはは、アシュトンも面白いこと言うね。全然大丈夫だよ」
オリビアは笑いながら腰の剣を引き抜くと、その場から姿を消した。正確に言うなら、一角獣に向かって駆けただけ。
だが、少なくともアシュトンの目には、消えたように見えたのだ。
一瞬で距離を詰めたオリビアに対し、一角獣は鋭利な歯をむき出しながら角を突きだす。オリビアは剣の腹で角をいなすと、そのまま返す刃で顎から脳天にかけて突き刺した。
「ガアアアッ……!?」
一角獣は悲痛な声を上げながら、重々しい地響きと共に倒れ伏す。このあっという間の出来事に、誰も声を発することができない。
ただ茫然と、目の前の光景を眺めていた。
そんな中、オリビアは踵を返すと小走りでアシュトンに近づいてくる。右手に握られている漆黒の剣から、黒い靄のようなものがたゆっている。
気がつくと、アシュトンはその場に尻餅をついていた。
オリビアはアシュトンの目の前に立つと、笑みを浮かべながらこう言った。
「ね、だから獣くらい平気だって言ったでしょう」
「ひぃっ! そ、そうですね。オリビア准尉のおっしゃる通りです……」
それ以上、アシュトンは言葉を続けることができなかった。
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