過酷な選択肢。航海の涙
姉たちの『緊急だから』という呼び出しに応じて、私は看板に出た。
もう薄暗いし、海は荒れてる。人間の体にこの条件は厳しいけど、姉たちがどこかしらから持ってきた小舟に、促されるまま思い切ってダイブ。ちょっと震えた。
羽毛布団の上に飛び込んだような感触の後、私の乗るボートとそれを囲む姉たちのいる空間だけが柔らかい空気に包まれて、空気も海面も凪いだ。こういう力も、人魚が時として人間たちの間で魔物的な扱いされてしまう元なのかも?はた迷惑な誤解よね。でもいい今はそれどころじゃない。
風と荒波から逃れた私は安堵のため息をついた。そして薄暗がりに浮かぶ姉たちの輪郭を見て声を失った。
長姉の、私とお揃いのふんわり琥珀髪が。
二番目のツヤッツヤの真っ直ぐな黒髪が。
三番目の、ふあふあの金髪が。
「髪は?」
焦る私。だってショートヘアになってるんだもん、彼女たち。
人魚はみんなロングヘア。時々編んだり纏め髪にしたりもするけど、陸に上がったらそれを解き、日に当ててビタミンや栄養を合成する。メインの栄養源。生きる上で大事なもの。
それに、髪と鱗の美しさは人魚の美の二大条件。姉たちは暇さえあれば陸に上がってその自慢の髪を梳いていた。
今は私は人間だから髪を纏めないで泳ぐと絡まるけど、人魚の時は平気だった。海中で、陸で、麗らかになびいてた姉妹の髪。
「魔女っこめえ。あこぎな商売よね」
二番目がそう吐き捨てる。髪、魔女っ子に取られたの?
「なんか、新しく開発中の魔法に実験的に使いたかったらしいよ、人魚の髪を」
昼間、私が助かるように魔女っ子と交渉しに行く、て言ってた姉たち。その交渉で要求されたんだね。
そして、姉たちが髪と引き換えに手に入れてきたものは……
「特別に、王子が他の人に行ってもニェミが泡にならないですむようにしてもらったよ!」
「ホントに?」
よかった……
ありがとう。
「私たちの髪プラス、王子を生贄として海に捧げれば、泡免除で人魚に戻してくれるって!」
え?
姉たちは瞬間三人とも私から目を逸らした。そしてそれぞれが、眉を寄せる、俯く、唇を噛む。
長姉が意を決したように私を見て言った。
「ニェミの命と引き換えに」
王子の命をよこせってこと?
今度は二番目が口を開く。
「船の上の王子を、海から……」
突き落とせってこと?
信じられない。なんでそんなこと勝手に。
私は震えた。怒りを表しそうになった。でもすぐにそれはお門違いと気付いた。
「選ぶのはニェミだよ」
そう。強制はしてないもんね。
王子を死なせたくなければ、最初の契約通りに私が消えればいいだけ。
でも。それさ。
逆に、残酷。
だって、選択肢なく泡になる運命なら、どうにも諦めるしかないけど。自分の命か、王子の命か、どちらかを取れ、なんて。
これじゃ、本当の本当に、苦悩じゃないの!!
「そんなのやめて!決められない」
私は泣いた。
大人になって初めて、姉たちの前で泣いた。
溜まってた不安が、一気に臨界点を越えた。
三番目が小船に乗りかかって私の肩に手をかける。長姉と二番目も苦渋の顔で見守ってる。
しかし口は止まらない。
「分かってる。これは私たちの勝手な希望だから。ニェミに生きてほしいっていう」
「だからニェちゃんのためなんて恩着せるようなこと言わない。私たちのためなの」
「そう私たちの自己利益ってこと。ニェミを困らせるかなとは思ったけど、私たちはニェミに王子を犠牲にしても生きてって思ってる」
「ニェミの大事な人を生贄にするなんて嫌だけど、あえて、ニェミを死なせたくないっていうこっちの希望を優先させるわよ」
「以上、意思表明終わり!」
次々に飛んでくる、彗星みたいな言葉の群れ……
あんまり混乱させないで!
とは思いながらも、涙が引くとともに私は頭の中が整理されてくるのを感じた。
姉たちは私にとって残酷なのを承知の上であえて決断を突き付けてる。それだけ私に生きて欲しいと思ってる、ということなのか、と。
涙を乾かすだけで精一杯だった私は、何か言う気力もなくモヤモヤを抱えたままいつの間にか眠ってしまったみたいだ。気付くと豪華客船の甲板に戻っていた。




