泡になるのはいやだよ!
「ニェミ、人間にしてもらう時に魔女っ子が出してきた条件ちゃんと覚えてるの?」
私は姉の剣幕に押されながら答える。
「人間の前では声が出なくなる、てことだよね?」
「ああ。やっぱちゃんと交換条件聞いてなかったでしょ!契約書も読んでないね?どうりでやけに脳天気だなって思ってたのよ」
頭の中の記憶装置をフル回転で稼働させる私。でもその脳内検索の終わる前に姉が答えを言う。
「もう一つ条件あったでしょ、王子と破局したら、つまり他の女の方に行ったら、あんたは海のもくずになる、ていう!」
私も姉2も3も絶句した。湿った風が雲を連れてきた。シケの準備は万端。
思い出した、そんなようなこと言われたっけ。
でもその時の私は……人間になるのを諦める……つまり王子を諦めるなんて選択肢にないから答えは決まってる、だから迷う必要もない、て思ってて、だから覚えてる必要もないって脳が判断した……のかな、そこも覚えてないや。
「もう。うちのニェミが使ってた鏡の横にへんな筒があるから、何これって蓋開けたら、魔女っ子との契約書が入ってて、私それ読んだの。そこに書いてあったよ!」
長姉はそう言った。私はそれいつ頃?と聞く。
「けっこう前よ。それ読んで、知ってたらもっと引き止めたのに、て後悔したよ。でももう人間になっちゃったもんはしようがないから、応援しよう!て思ってた。そしたら、呑気に人魚に戻る話なんか始めるからさ」
てことはさ、じゃあ……
「人魚には戻れないってこと?」
私の代わりに問いを発したのは二番目だ。真っ黒な黒目がいつもより濃いような気がする。
「戻れないどころじゃないの。泡になって消えちゃうの。存在そのものが!」
私は……私だけじゃない、二番目も三番目も、海面を見下ろして黙りこくっている。海の浮力がなくなって、代わりに特濃のGが発生してる感じ。吸い込まれそうだ。
突然長姉が身を翻した。
「魔女っ子に交渉してくる!」
そしてそのまま海に潜っていった。
「ちょっと待って!」
三番目も海に向かう。
「なんかよく分かんないけど、そうね交渉って手があるね!また来るねニェミ!」
二番目はそう言う。二人は姉を追って海に消えた。
取り残された私は……もちろん姉たちは私を助けるための策を講じるために消えたんだ、でも。一人ぽつねんと置いて行かれた感覚になり心許ない気分になってしまう。勝手な心だね。
そうそれ不安っていうのかね。
その不安らしいものを抱えた私は船に戻って、廊下を歩く。どこに向かおう、自分の部屋に帰っても気が塞ぎそう。
でも。王子に会う気にもならなかった。会いたいけど会いたくない。王子の婚約のことも自分が泡になることも考えたくない。焦る王子、言い訳する王子、追い詰められてる王子も見たくなかった。
現実から逃げたい。
船内を彷徨ううちオープンテラスに出た。こんな風の強まりつつある曇り空の下でお茶を飲もうなんて人誰もいないよね、と思ったら人影が一つ。ほおー、気持ちのアップダウンに影響しない丁度いい話し相手ね。
「も〜りばんっ」
はっ。なにこれ、また声が出た。
自分の声に動揺する私をよそに、平常通りに立ち上がって一礼する森番。
「いいよそんなの、私はもう王子と関係ないただのヒトになるんだから。座ろう」
ちょっと不貞腐れながらも森番に座ることを促して、自分も隣に掛けた。そして聞く。
「この前もそうだったけど声の出ないはずの私が声出てるよ。リアクションないの?」
森番は波の高まりゆく海を見ながら答えた。
「いえ。出てるんだなあ、と思って」
私は笑ってしまった。森番のこの、冷静すぎるっていうか無関心すぎる感じがなんか可笑しく思えて。
なんだろうこれ、海の上で笑うっていうこの寛ぎ感。そう、姉たちといる時と似た感じだ。




