あれがカレの婚約者ね。
王子と二度目の船出。でもこの前みたいな、地方行幸の体をとってるけど実態はほぼ遊びっていうクルージングとは違う。
これは、決戦なの。正念場。
ていうのは私にとってだけだけど。なんて言っても、この旅のメインの寄港地は久留米里亜国。そう、最終打ち合わせみたいなもんなんだから、王子と皇女の婚約の。
今夜の船上での両国親睦パーティーに出るために、この船に乗ってくる予定なの、皇女が。そのお迎えの列を抜けてきた私は、甲板に立つ。
あれね……
王子と森で野鳥を見るために使ってた双眼鏡を、こんな用途で覗くことになるとはね。レンズの向こうに見える、笑みを浮かべた久留米里亜人の一団。皇女らしき人はすぐにわかった。
ふうん。双眼鏡を下ろす。なんか意外。姫のくせになんだかヘルシーだね。風にたなびくミディアムヘアに、艶のいい濃い目の肌色。リスみたいな口元に一瞬だけ愛嬌を感じちゃった自分に喝。どこのお人よしよって。
まあ、個人としてのあの女の人は、関係ないの、本当は。政治の問題だから。でも、やっぱ気になる。気になるね!そうだよ、当たり前だって、そりゃ。
双眼鏡を下ろしたら、目の前を人が横切ったのが見えた。
「森番じゃない」
声をかけられた彼は、彼らしくピチっした身振りで礼をした。
「あなたもパーティー出席なの」
「というか、苗の献上の時に末席に連なるだけですが」
「苗を献上って?」
「王家の森に美しいumeの木があるのですが、それを久留米里亜の王室に挿し木で分けてあげるのです」
「どんな木?花が咲くの?」
「節ばった直線的な枝ぶりで、そこに葉が出る前に白やピンクの花だけがびっしり付きます。春の訪れを告げる花です」
「へえー、見てみたいな。春でしょ、来年だなあ」
え?なんか変な感じがする。
「なんでしゃべれてるの私!」
確かに、確かだ。この耳は私自身の声を捉えてる。森番も不思議そうな顔をしてる。
まさか、と焦って自分の下半身を見た。ほっとした、ちゃんと脚ある。声と引き換えに手に入れた人間の脚、声が戻ったから人魚に戻されてるかと思ったら、そんなことなかった。ひとまず安心。
でも、どういうこと?もしかして、期限が切れた?ペナルティ期限みたいのがあって、その期間過ぎれば年季が明けたような具合に声が戻る、とか?
とにもかくにも、人間と話せるようになった!何はなくとも王子のもとへ!て、ダメ、今彼はあそこにいる。私はさっきまで双眼鏡で見ていた港を振り返る。ああ、すぐにも王子と話したいのに、話したいこと溢れてるのに。押さえろ自分、とりあえずは。
「出口はどちらでしょう」
私の中の、大波押し寄せるような感情の嵐も知らずに森番は冷静な声で尋ねてきた。あの港での歓迎の集いが終わるのを待機中、船のトイレに行ったら、帰り道で迷っていたのだという。ださいわね。
「出口はすぐそこ。だからそんな急がなくて平気ですよ。それより、いつも森にいるんだから、海は新鮮なんじゃないの?ここの入江はきれいでしょ、眺めて行けば」
「そうですね。仕事に戻ったら景色を楽しんだりできないから。今夜にはこの港を出てしまうし、今しか見られない眺めを楽しんでおきましょう」
堅物そうに見える森番だけど、意外にあっさりと仕事の合間の風景堪能案に乗った。その上、女王や王子には内緒にしといてくださいって付け加えて。私は、なんだかサボり仲間ができたような、連帯めいた気持ちを感じた。
「私は海育ちだから、こういう海風って落ち着くんだよね」
落ち着けなきゃならない乱れる心が、あるってことだ。よっぽど鈍くなきゃ分かるよね、森番。
「森番はやっぱり森生まれ森育ち、とか?」
冗談めいて聞いてみたら、森番は淡々と答える。
「はい」
「船酔いは平気?シケが来るよ」
私は潮の匂いを嗅ぎながら空を見た。
「でもこの感じなら大したシケにはならないでしょう」
森番にそう言われて私は改めて海に向かって鼻と耳を研ぎ澄ましてみた。そうだね、シケっていってもそこまでには……て、
「なんで森番そんなこと分かるの?こんなの、私でさえ掴みが微妙なところなのに……」
ホントに森っ子なの?プロ漁師並でしょ。いや、それ以上……
「あ、イレミ、いた!」
私の思考回路を遮ったのは王子の声だった。




