リスクを避けてちゃなんにも成せないのよ。
あなたが人魚だってことは知ってるよ。
見ちゃったんだ、あの時。岩場の影で。琥珀色の長い髪を編む横顔は忘れない。
貝ブラを直すしぐさにどきりとするおれをよそに、するりと海に飛び込んだ。そのとき確かにそこには、日射しを受けて虹色に光る尾びれがあった。
*
「あんた、自分を安売りしすぎ」
安いとか高いとか、物じゃないんだからあ!
「王子には政略結婚の候補いるんでしょ、もっと慎重に望みなよ」
そんなの、王室庁のごく一部の人たちが言ってるちっちゃい意見だってよ。
「このままじゃセフレになっちゃうわー」
王子がそんなセコい人なワケないでしょ!
姉たちの、あの陸で鳴いてるセミってものみたいな五月蝿い声に、私は耳を塞ぐ。右から左、右から左……自分に言い聞かせつつも、ああ、だめだ!
「やり方なんてその人次第なの、うるさいなあ!」
一瞬だけ止まる姉たちのさえずり。しかし一秒後にはまた口を開いて、まあ好き勝手ポンポンよく出てくるね。ああ、もう。
今度は私はそれを鎮めるために貝を叩き割った。
「うーるーさーいー。みんなマニュアルに染まりすぎ」
私は岩場の上で、海と、空に向かって歌うように声を張り上げた。
それからゆったりと、今割った二枚貝の身をつまんで口に入れ味わう。宮殿で出てくるいろんなソースのかかった魚介も美味しいけど、やっぱり天然の微かな塩味がシンプルで最高。
姉たちも、私の食べっぷりを見て唾を飲み、それぞれ貝に手を伸ばす。といっても人魚の手は柔肌、力づくで二枚貝を開いたりはしない。
「はーーい、パカ〜」
三番目の姉がふにゃりとした号令をかけると、固く閉じていた貝殻はゆるっと開いた。人魚の美声、貝たちはそれに逆らえない。
姉妹全員の目尻は今、美味にやられて垂れ下がってる。そして口は咀嚼と会話を同時にこなす。
「まさか王子の前で貝叩き割ってむさぼり食ったりしてないでしょ」
いたずらっぽく問いかけてくるのは、今日の貝への号令役だった三番目だ。
「まさか。今は、人間の前と違って声出して喋れてるからちょっとテンション上がっちゃってるだけ!」
でも、王子だったらそんなことしても引くどころか面白がってくれそう。なーんてのろけは、また五月蝿くなるから言わないけどね。
「それより王子とのクルージングはどうだったのよ?海の上なのに海で泳げないなんて禁断症状出ちゃうかも〜って騒いでたけどさ」
姉からの問い。それに答える私の声は自然に弾んじゃう。
「楽しかったよー!船の上のプールで泳げたしさ」
そうそう、私は姉たちに人間ならではの『海に船を浮かべて乗る』という不思議な行いに参加した感想を語りたかったの。陸の上の生き物ならではの行為だからね。
「あたしたち人魚なら、泳いで何処の国でもパーッと行っちゃうのに。人間って大変ね」
一番上はそう言う。私も前はそう思ってた。
「ううん、ああいうのは、あえて海を楽しむ、て感じなの。実用性重視なら飛行機で移動するし。でも……」
私は、話を続けながら水着の上に羽織っていた薄いワンピースをするっと脱いで岩の上に置く。そして、
「船のプールは、ちっちゃかったあ!」
叫ぶやいなや海に飛び込んだ。
ああ、伸びるような、心地よい推進力。優しい浮力。うーん、おお、うな、ばら!
沖に出てから、仰向けで水面に浮かび上がると、左右に姉たちの姿が見えた。彼女らはそれぞれの華を見せつけるように尾びれを翻す。
コバルトブルーの長姉
赤や金の錦みたいな二番目
シルバーがかった純白の三番目
そしてかつて虹色の鱗を持ってた私は、代わりに手に入れた二本の脚を伸びやかにヒラヒラとしならせる。
太陽が反射してキラキラする波。
そこに見え隠れする色とりどりの錦たち。
息を飲むくらいキレイ。
私たちはひとしきり水中を味わったあと、岩場に引き返した。呼吸を整え……てるのは、私だけだ。みんな涼しい顔で乱れた髪をまとめたり、貝のブラジャーを直したりしてる。すごいね。人魚ってすごい。いや、私もこの間までこうだったのね、なんか不思議な感覚。
「人魚ってすごいね」
「え、なにが?」目を丸くする3番目。
「ふふっ」くにゃっと笑う一番上。
「あたりまえよ」小気味よい2番目。
カモメが空を斜めに横切っていく。
肺が楽になった私は鼻歌を歌いだした。姉1、2、3がメロディを重ねていく。もうハミングなんてやめて思いっ切り声帯を開放しちゃおう。
古来から海に伝わる歌。神秘的で、とっても心地よいハーモニー。
みんなの歌。
人魚の歌。
姿を見せない人魚の合唱は、人間たちの間では伝説になっている。「聞いた」とか「そんなのガセだ」とか。
この間王子一家との食事の時も話題に上って、その時はヒヤッとしながらも、すごくワクワクしたな。
「ああ、久しぶりに思い切り声出した。すっきりしたあ」
自慢の歌を、王子にも聴かせたいな。
なんてそんな事ムリ!人間にしてもらう時に魔女っこが出してきた『人間の前では声が出なくなる』っていう交換条件を、私は飲んでしまったのだから。
でも、声がどれだけ出たって、王子と付き合えない人魚の身でいたんじゃしょうがない!
リスクを避けてちゃなんにも成せないのよって。
二番目の姉がツヤツヤの黒髪を広げ、岩に海藻を敷いてうつ伏せになった。他二人も同じように寝そべる。
人魚はこうやって髪に日光を浴びて生命維持に必要な栄養分を合成する。貝や海藻も食べるけど、こっちも大事なのよ。
「にしても」
二番目は、一部の地域の人間が着るharegiみたいな、姉妹の中でも一番派手な鱗を持っている。彼女は、不敵な笑みで言った。
「ずいぶんリスク取ったね、ニェミ」
ニェミ?あ、私か!
姉ちゃんにそう呼ばれて一瞬呆けちゃった。
「そうか、そうだった。人間界ではイレミ(仮)だから」
ホントの名前呼ばれるの久し振り。なんか笑っちゃう。なにそれ?と姉たちに問われても、いろいろあってね、と曖昧に答えた。話が長くなりそうだから。
「王子にニェミって名前教えたいけど、なかなか伝わんないんだよねー。王子の国の字、難しくて」
私の言葉に、長姉はあっけにとられた顔で答える。
「三文字くらい覚えなよね!」
私とそっくりの淡い琥珀色の髪を持つ長姉。でも顎だけ細くて縦の詰まった私の顔とは違って、面長。
「だから、字も書けないのに声も出せなくなってどーすんのって、言ったでしょー」
二番目が言葉を重ねる。彼女の切れ長の猫目は、私と似てる。でも、なんか鋭さが違う。二番目はくっきりくっきりしてんの。薄茶の瞳に睫毛も茶っぽい私。対して真っ黒い瞳に、真っ白な白目の姉。
まあまあ、ね。そんな姉たちに何言われたって、私は冷静。
「王子とは身振り手振りでけっこうやりとりできてるよ」
まあ、たまにはこうやって人魚と声出してしゃべんないとストレス溜まるけどさ。
て言いかけたけど、やめた。またなんやかんや言われるだけだ。かわりに視線を反らし遥か水平線を見やる。
「なあんか、ミステリアスになったね、ニェちゃん。人間男子と深い仲になると、やっぱ違うのかな」
ふわふわした金髪を持つ三番目の姉は海藻の上に頬杖をつき、やっぱりふわふわした声を出す。そのすごく大きい碧の目は男子人魚をトリコにしてるのよ。
「そろそろ行こっと。ダーリンとこ」
ワンピースを羽織る私の顔を一番上が心配そうに覗き込む。
「あんた唇紫よ。ごめん、人間なの忘れてて長居させちゃったね」
わかった?今風向き変わって実はちょっとブルっときてたの。
なんかいたわり……里心つかせないでよ。
「うん!ちょっと調子のった!貝も食べすぎたかも?」
私はワンピースの上からお腹をさすりながら笑った。