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第7話:前門の魔物、後門の暗殺者

 とんだハンディキャップマッチだ。

 ティキは、俺の服の裾を掴んで離さない。

 頼りになるのは、俺が手にしているランタンの光のみ。

 片手が照明でふさがっている上に、背後には守らなければならない少女がいる。

 ランタンくらい持ってくれてもいいだろうに、とは思うが、ティキを狙われた場合、真っ先にランタンを失ってしまう可能性もある。

 難しいところだ。


 ……と思っていたら、早速おいでなすった。

 俺の首筋がヒヤリとする。

 俺は、殺気を向けられると、それを察知するセンスがあるらしい。それがいざ戦いになれば、どこを狙われているのかも寸前で分かる。

 相手の姿は見えないが、こうも露骨に殺気を感じるとは。

 狙ってきているのは暗殺者なのかもしれないが、お世辞にも凄腕とはいえない腕前のようだ。


 さて、狙われていることを、ティキに話した方が良いかどうか……。

 うん、黙っておこう。

 荒事に慣れていない素人に危機的状況だと知らせても、状況が悪化するビジョンしか見えない。


「カイルさん、だ、大丈夫でしょうか」


 あからさまに怯えて、ティキは俺にひっついてくる。


「あまりくっつかれると、何かあったときに動けないから。さっきは威勢のいい啖呵を切ってここに飛び込んできたけど……やっぱり怖い?」


 ティキは実に不安げな顔で頷く。

 褐色の濃い肌色だから、顔色が青ざめているのかどうかは、この光量ではよく分からない。

 だが表情から伺うに、きっと真っ青と言う奴だろう。

 この娘、後先考えずに行動するタイプと見た。

 鈴を持たずに砂漠に出たのも、きっと似たようないきさつからだろう。


 地下渓谷は、思っていた静寂とは程遠い。

 どこからか、風の吹く音が聞こえてくるし、風に乗って何者かの唸り声も聞こえる。

 唸りは風音が変化したものだとも思うが……魔物がいるというから、案外その魔物なのかもしれない。

 俺たちは歩みを進める。

 足元に注意しないと、さっきまで平坦な道だったのが、気が付くと断崖絶壁にかかる岩の橋になっていたりして、危ないことこの上ない。


 そしてまあ。

 こういう逃げ場のない場所で襲ってくるのが、連中のパターンと言う奴なんである。


 俺が背筋に感じた冷気は、やや遠いものだった。

 即座に連想する。

 危機が遠い? ならば先ほどの殺気はもっと遠く感じたはずだ。

 本気ではない? 本気であるにせよないにせよ関係ない。明確な危機があるから感じるのだ。

 ならばなんだ。背後には何がある。

 誰がいる。


「ティキ!」


 俺は彼女を抱き寄せた。かばうように腰を回転させ、冷気を覚えた場所目掛けて、軽く跳躍、左側の腰を突き出す。

 そこには、鞘に収まったアンティノラがある。

 次の瞬間、その場所で乾いた音が響いた。

 俺の動体視力が、それを短剣だと捉える。

 先端は何かで濡れている。十中八九毒だろう。


 俺は着地ざま、ティキを背中にかばいながらアンティノラを抜く。

 即座に詠唱。


氷乙女(フラウ)の吐息、停滞する水、穿て、”氷弾(アイスブリット)”!!」


 短剣の方向へ、氷の弾丸が飛来する。

 だが、相手も既に位置を変えているようだ。

 氷弾は壁面を削るだけに留まった。

 それでも、向けられる殺気が薄くなる。

 まさか魔術を使ってくるとは思わなかったのだろう。敵の気が逸れた。

 俺はこの隙に、ティキを小脇に抱えて、岩の橋を走り抜ける。


「きゃ、あああ、ああっ」


 ティキはわけも分からず、目を白黒。

 必死になって俺にしがみつく。

 おお、いい匂いがする。

 彼女はマギーと違って、しっかり年齢なりに肉がついている。

 多分、俺と同い年か、少し年下。


 岩の橋を駆け抜ける直前、暗殺者は悔し紛れだろうか。

 もう一本の短剣を投げつけてきた。

 足音がしたから、距離は近いだろう。

 俺の腿の辺りがヒヤリとしたので、ちょっと冒険だ。

 ティキを抱きかかえたまま、思い切り飛び上がった。

 流石に重くて、普段よりも大した高さまで跳べない。

 だが、これで充分。

 飛来する短剣目掛けて、俺は下から蹴りを叩き付けた。

 短剣が跳ね上がり、元来た方向へと放物線上に飛んでいく。

 あちらで動揺する気配があった。

 さすがに当たりはしないか。


「ど、どうしたんですかっ」


「どうしたもこうしたも。今、二回狙われたぜ」


 駆け抜けて、大きな石筍の後ろで一休み。

 ティキは俺の言葉を聴いて、目を見開き、ガタガタ震えだした。

 おいおい。


「だだ、大丈夫、大丈夫ですから。すす、すぐに、すぐに直りますから、本当ですから」


 なんて言いながら、彼女の震えは止まる気配がない。

 命を狙われたと言う事実、そして、それが今も継続されていると言う現実。

 なるほど、考えてみればハードな状況だ。

 俺が存外、この状況で落ち着いているのは、こういうピンチを切り抜けるのが好きな性分もあるだろう。

 それに、俺には人間の暗殺者程度なら退けられる、自分の力への自信がある。

 だが、ティキは普通の女の子だからなあ。


 ティキは必死に震えを止めようとしていたが、そんなもの、精神力で何とかできる一般人などいるはずもない。

 とうとう泣き出した。


「ああっ……私情けないです……! あんなに張り切って飛び込んできたのに、命を狙われたくらいでこんなに震えて、止まらなくなって……! いっそ、私なんか殺されてしまえばいいのに……!」


「いやいや。ティキが死んだら困る人もたくさんいるからさ。俺が守るって。だからな、落ち着いて……」


「守られてばかりで、どうして私はこの国を救ったり出来ますか!? ううう、やっぱり無理だったんです。こんな心の弱い私じゃあ……」


 早速心が折れかかっている。

 砂虫に襲われた辺りから、色々積み重なっていたものが一気に来たのかもしれない。

 ここはどうする?

 どうするんだ、俺。

 俺の前世で読んだ創作物では、こんな時どうしていた……?


 よし、これだ。

 俺は一人頷くと、ティキを強く抱きしめた。


「大丈夫だ。俺がいる。俺を信じてくれ、ティキ」


「!」


 彼女は俺の腕の中でも、ぶるぶると震えていた。

 肉付きはいいが、やっぱり細い体つきだ。今にも折れてしまいそうに思えた。


「ティキ、怖いのは普通の感情だ。怖くても何も可笑しくない。だから、みんなその怖いって気持ちを抱えたまま、それでもなんとかして前に進んでるんだ。とりあえず、今の怖いって気持ちは、俺が全部受け止める。だから、俺を信じてくれ」


「カイル……さん……!」


 少しずつだが、彼女の震えは収まってきた。

 よーしよし。役立ってるじゃないか、俺の前世の読書よ。


「……さい」


「え、なんだって?」


 ティキが発した声がごくごく小さいものだったので、俺は聞き逃した。

 だからなのか、ティキは一瞬だけ言い淀んで、すぐに決意を固めたようだ。

 ちょっと大きな声で、彼女は確かに言った。


「私に、勇気をください……! か、カイルさんが勇気をくれたら、私、頑張れますから……!」


 彼女の熱っぽい瞳は、まるで恋する乙女のよう。

 俺は恋する乙女と言うのを見たことは……いや、一度あるな。セシリアの瞳が俺の脳裏を過ぎる。

 勇気、か。

 一体何をすればいいんだ……。いや、何をするかなんて決まってる。

 前世の記憶だと、こういう場合、あれだよな。

 ぜ、全年齢向けで行こう。


 俺は、心の中だけで、セシリアに謝った。

 そして、ティキの背中に手を添えると、


「目を閉じて」


「はい」


 彼女の瞳が閉じた。

 俺は、小さく震える彼女の唇に、口付けた。

 ほんの僅かな時間だったが、無限にも感じる時間だった。

 次の瞬間には、ティキの目が据わっている。

 おお、別人みたいだ。


「もう、大丈夫です! ランタンは、私が持ちます……!」


 ティキは、何ができると言うわけじゃない。

 戦うなんて持っての外だし、魔術だって全く使えない。

 だが、せめて照明を持って俺の両手を自由にすることで、助けになろうとしているのだ。


「よろしく」


 俺が微笑みかけると、彼女はコクコクと頷き、うつむいた。

 これは俺にもわかる。

 きっと、今のティキは顔が真っ赤なんだろう。


 俺は王子という立場上、幸いなことにファーストキスではない。

 いや、幸いというか、そういうところ摺れてしまっているというか。

 だが、族長の娘と言う立場のティキが、唇を許したと言うことの重み。

 それは分かっているつもりだ。

 いや、でも人生の墓場に入るつもりはまだないぞ。


 再び動き出した俺たちだが、それは暗殺者にとっても、体勢を立て直す機会を与えたことになる。

 あちらさんとしては、また振り出しに戻った気分なんだろうが、こちらは違うぞ。

 少なくとも、ティキが変わった。

 それだけで、戦力は十二分。

 俺も、ひっきりなしの奴さんからの殺気にさらされ、どの殺気が本気か、どれが見せかけだけなのか、段々分かるようになってきた。

 多分、この理解と覚えが速いってのも俺の才能だと思う。

 こうなれば、見せかけだけの殺気の時は大胆に無視をし、本気になったら身構えると言う形で、相手に即応。

 ぎゃくに暗殺者の気力を削っていくこともできる。


 あちらさん、見せかけの殺気でこちらが気を抜いたと見て、いざ行動に移ろうとすれば、俺は即座に構える。

 何度も奴の意気を挫くのだ。

 そのうち痺れを切らすだろう。



 地下渓谷は天然の洞窟である。

 人工的な罠なんぞ仕掛けられてはいない。

 それでも、今にも崩れそうな足場や、天井、そして渓谷に棲む危険な生物に、途中から水没している通路など、危険は幾らでもある。


「っ!」


 ティキが慌てて身を屈めた。

 彼女目掛けて飛来した巨大な蝙蝠に、俺が剣を振るって軌道を逸らしたのである。

 奴はティキの頭より少し高いところを飛んでいく。

 その背後目掛けて、氷弾をぶつける。

 甲高い叫び声をあげて、地面に落ちた。

 人間一人を軽々持ち上げる巨大な蝙蝠だが、打たれ弱いようだ。

 俺はすかさず、そいつの首に剣を突き込んだ。

 切り傷が凍りつくので、血は飛び散らない。


「このクラスの動物は、もう魔物だな」


「はい。砂漠ではこれほどの大きさの蝙蝠が生きてはいけないはずなのですが……やっぱり、この渓谷はおかしいです」


 水没した通路には、胸鰭(むなびれ)を鉤爪に変えた人食い魚が存在した。

 崩れかけた通路の下には、恐竜かと思うような、巨大なヤモリ。鍾乳石で覆われた壁面に張り付き、こちらの隙を伺っているのだ。


 一度などは天井が崩れてきたが、落石に混じって襲い掛かってきたのは、岩のような装甲に覆われた人の頭ほどもある(ひる)だった。

 これは俺も慌てて、アンティノラで切り払った。


 この間にも、暗殺者は俺たちに殺気を送ってくる。

 動物の襲撃に合わせて、馬鹿の一つ覚えの短剣を投げつけてくるのだ。

 正直これは大した問題ではない。

 困るのは、まあ出すものを出す時と、睡眠である。


 地下渓谷は広大だった。

 方向感覚だっておかしくなる。

 俺は壁面に傷をつけて目印とし、進んでいく。

 だが、一日やそこらで制覇できるような広さではないのだ。


 ティキには申し訳ないが、排泄時でも見張らせて貰う。

 何せ、敵の狙いは彼女なのだ。

 俺への危害は事前に察知できても、ティキへの殺気は遠く感じて、察知しきれない時もある。


「は、恥ずかしいです……!」


「悪い。でも、目を離したら危険なんだ」


「ううう~」


 ティキは涙目になって用を足す。


「こんな恥ずかしいところを見られて、もう貰ってもらうしかありません」


「えっ」


 恐ろしい発言を聞いた。

 睡眠時間は、細切れに取る。

 物陰で、ティキを寝かせて、俺はちょこちょこと寝るのだ。

 案外使えるのが、途中で仕留めた大ヤモリの皮だ。

 ぬるぬるのこいつは、暗幕の性質をもっていて、光を通さないのだ。

 物陰にヤモリの皮を張ると、暗殺者からはこちらを伺いづらくなる。

 それに、短剣程度では通らない。


 何度か近くまでやってきたようだったが、皮は近づいて剣でも振らねば破れないのと、俺がすぐに気づくので、慌てて遠ざかっていった。

 連中、どうやら複数人である。

 こんな物騒な地下渓谷まで出張っての暗殺任務、真にお疲れ様だ。


 飲み水問題。

 これはあちこちに溜まっている水を使わせてもらった。

 アンティノラで凍りつかせると、不純物は白くなって固まる。

 俺はこの要領を掴んできていて、不純物だけが凍る温度、不純物だけが凍らない温度を駆使し、上手い事飲み水を確保する。

 問題はゆっくり溶かさないと、凍った水は飲めないことと、体を拭く時に冷たい事だ。


 ティキはこれが終わると、基本的に俺にくっついてきた。


「ふ、服着て」


「肌の温かみが分かる方が、安心します。それに、この方が暖かいから」


 彼女の肌はしっとりとしていて、ムラッとこなかったと言うと嘘になる。

 だが自制である。

 例え、裸の少女に背中に抱きつかれて、自らも上半身裸でも、俺は暗殺者たちに対するアンテナを張り巡らせておかねばならないのだ。


 地下渓谷生活とでも呼ぼうか。

 この奇妙な日々が五日目に入った頃。

 俺は、暗殺者のプレッシャーで溜まるストレスを、この地下渓谷生活を快適にする工夫で発散していた。

 火が欲しいが、こればかりはすぐ用意することが出来ない。

 俺が持ってきたランタンは、燃え続けるのに油を必要とする。

 この油は意外なところから手に入った。

 装甲蛭が体内に油を溜めていたのである。

 こいつを継ぎ足して、ランタンを持たせる。

 同時に、フリーズドライにした蛭の身を薪にし、火を起こして肉を炙る。

 人食い魚がなかなか美味い。

 野菜が食いたい。


「生の肉を食べれば、野菜不足の病にかからないと言われていますが……お腹を壊す虫がいるそうなので」


「仕方ない、肉も凍らせるか……」


 かくして、肉を凍結させて寄生虫を殺し、それをちょこちょこ食べたりしながらティキと先に進む。

 ううむ、ひどい味だ。


 最近になって、暗殺者もかなり疲弊してきているようだった。

 殺気に気合が篭っていない。

 まあ、まさか俺たちが五日間も元気なままで持つとは思っていなかったのだろう。

 今は、お互いの下着を洗濯して、大ヤモリの尻尾で作った竿に通して乾かしている。

 ということで、俺たちはノーパンである。


「なんか……もう、ここで暮らしていけそうな気持ちになってきました。いっそ住んでしまっても……」


「ティキ、目的忘れてる!」


「はっ、そ、そうでした!」


 今では、ティキも短剣で、この渓谷の動物を捌くくらいはする。

 これは暗殺者が投げてきた短剣で、丹念に毒を洗い流した戦利品である。

 しゃがみこんだティキの服の裾から、色々と見えてしまいそうでムラッと来る。

 だがここで手を出したら暗殺者の思う壺であるし、何よりも人生の墓場一直線だ。せっかく城を逃げ出してきたと言うのに、ここですぐに落ち着いてしまっていいのか?

 答えは否だろう。


 チラチラとティキも俺を振り返る。

 こいつめ、わかって誘っているんじゃないだろうか。

 この渓谷で最大の敵は彼女の無意識な誘惑かもしれない。



 地下渓谷生活七日目。

 ついに暗殺者が痺れを切らした。

 痺れを切らしたと言うか、もう精神的にも限界だったのだろう。

 俺たちが何度目かの、水没した通路に辿り着いた時、その背後を突くように現れたのだ。

 今までは随分と慎重だった。

 あれは、俺が使うアンティノラの魔術を恐れていたのかもしれない。


「カイルさん……!」


 俺はティキを背後に庇う。

 目に付く範囲では、人数は三人。

 恐らくまだ隠れている奴がいるだろう。

 しかし、連中に飛び道具が潤沢にあるとは思えない。

 ここ七日間に何度も行われた襲撃だが、その度に投擲用と見られる短剣はあらかた回収するか、谷底に蹴り落としておいたし、連中が弓矢を使う様子もなかった。

 下手をすると、手持ちの毒薬の数も心もとないのかもしれない。


「ようやくおいでなすったな。さあ、どいつが先にかかってくる?」


 俺も、こいつらに焦らされる日々に散々苛々していたが、思えばティキの存在が、フラストレーションを和らげてくれていたように思う。

 彼女のあられもない姿を見て、己の性欲を落ち着かせようと必死に戦っている時、暗殺者のプレッシャーと言うストレスを俺は忘れることが出来た。

 故にこの場では、俺以上に暗殺者たちが疲弊しているように見える。


 だが、流石は職業暗殺者である。

 彼らは一声も発さず、一糸乱れぬ動きで、三人が別々の方向から俺に襲い掛かってくる。

 ま、三人程度ならまだ……と思った俺だったが、その瞬間、背後にひやりとした気配を感じた。

 このもどかしい感覚。

 ティキを狙っている奴がいる。

 なんとも嫌らしい。

 いや、実に暗殺者らしい。


 俺は、刃を寝かせて一人の短剣を弾き、もう一人の攻撃を腕で巻き込むようにしていなす。

 さらに、もう一人。これはマント代わりに纏っていた、大ヤモリの皮で受ける。

 ヤモリの皮は、なんとか貫かれずに持ってくれた。

 さらに投げつけられる短剣。

 野郎、まだ持っていやがったのか!

 標的は無論、ティキだ。


「きゃあっ!」


 慌ててティキが振り上げる短剣が、俺の背中を掠める。


「危ねえ!! ティキ、頼むから刃物は!」


 言いながら、俺は短剣を、腕で受け止めた。

 もうそれしか対抗手段がない。これで毒があったら、おしまいだ。

 だが、案の定、連中の毒は尽きていたようだ。


 俺は突き刺さった短剣を抜かず、いなした暗殺者の膝を思い切り蹴り飛ばす。

 ぎゃっという叫びが聞こえ、そいつの足が妙な方向に曲がった。

 そのまま、俺はアンティノラを構え、


「”時を見せろ、アンティノラ”!!」


 叫びと同時に、時間が凍りついた。

 俺は、以前よりも大分上手くこの効果を使いこなせる。

 この時間を遅らせる魔力は、魔術に対する抵抗力が強い相手を前にすると、大した効果を発揮しない。

 幸いにも暗殺者たちは、魔術への対抗手段などなかったようだ。


 ゆっくりと守りに動く短剣をかいくぐり、魔剣が暗殺者の一人、その首を刎ね飛ばした。

 返す刀で、暗殺者の一人の短剣を、腕ごと切断する。

 ここで、時間が元の流れに返った。

 一瞬で阿鼻叫喚の有様に陥った暗殺者目掛け、俺はアンティノラを振るう。

 足を折られた暗殺者、腕を断たれた暗殺者も、すぐに活動を停止することになった。


 全く、暗殺者と言う奴は、剣士と真っ向から戦うべきじゃないな。


「カイルさん、もう終わって……」


「うわ、まだ出てこないでくれ!」


 無防備に姿を晒そうとするティキに、俺は悲鳴をあげた。

 それを狙っていたかのように、闇から残った暗殺者と見られる男が出現する。

 奴は腰だめに短い槍を持っている。

 その先には濡れた形跡。

 最後の毒か!


「死ね、王女!!」


「きゃっ!?」


 ティキが尻餅をつく。

 アンティノラを発動させる余裕は無い。詠唱の暇が無い!

 俺は魔剣を、暗殺者目掛けて投げつけた。

 ギョッとした暗殺者。慌てて剣を、槍で払う。

 ここで大きな隙が出来た。


 俺は暗殺者とティキの間に飛び込む。

 丸腰だが、仕方ない。


「小癪な! 外国人が、死ね!!」


 随分排他的な叫びだ。

 突き出される槍。その一撃には、必殺の気合が篭っている。

 うし、じゃあ、俺も全力だ。

 俺が習い覚えた剣技は、剣だけによるものじゃない。

 正しい名を、エルベリア正統流戦闘術。

 手にする武器を選ばない武技の体系だ。

 これは、その一つ。

 得物で敵の武器を絡め落とし、そのまま敵の小手を裂く技、巻き打ち。


「らあっ!!」


 俺は拳を、槍の動きに合わせた。

 濡れた穂先を避け、刃の付け根に腕が沿う。

 そのまま手首と手のひらで柄を絡め、力を加えた。


「ぬっ!?」


 一瞬、俺の握りを振りほどこうと、暗殺者が槍に力を込めて……そこに合わせて、全く逆の方向に捻りを加える。

 みしりと音を立て、槍の柄がへし折れた。


「なんっ!」


 判断の暇など与えない。

 槍をへし折った俺の腕が、巻きつくように奴の手に到達すると、その甲を強く打つ。


「がっ!?」


 腕が痺れたのだろう。武器を取り落とす暗殺者。

 俺はそのまま奴に密着しながら、顔面目掛けて肘を振り上げた。

 互いの勢いを利用した、エルボースマッシュだ。

 この一撃は、鼻を砕き、顔面の中心を陥没させながら、暗殺者を吹っ飛ばした。


「っし!」


 上手くいった。

 内心冷や汗物だった。

 暗殺者が槍を捻っていたら、毒の付いた穂先で俺の腕は切り裂かれていたかもしれない。

 ちょっとでも傷が付いたら、毒消しなど無い環境で大変な有様だった。

 拾ってきたアンティノラで止めを刺す。

 これで全部だろう。

 もう、全く殺気を感じない。


「カッ、カイルさんっ!!」


 不意に、後ろから全力で抱きつかれた。

 ティキの手がぶるぶる震えている。


「わわわ、私大変なことを! カイルさんを大変な危機に!」


「ま、まあそれなら大丈夫だ。大丈夫だからティキ、離れるんだ」


「ああ、も、申し訳ありません! はっ、カイルさん傷を! どうしましょう、ここには薬なんて無いのに!」


「大丈夫、大丈夫だから」


 俺は、暗殺者たちの衣装で比較的綺麗な布を裂いて、腕に巻いた。

 うわ、しかし臭うな……。

 こいつら、一週間風呂に入ってないんだろう。

 一応、戦利品もいくらか貰っていくことにする。

 流石に身元が分かる者は持っていない。


 俺はティキに距離を離させると、ちょっと深呼吸。

 さっきの戦闘と同じくらい、ティキの抱きつきがドキドキした。

 溜まってる。物凄く溜まってる。

 さっさとこんな渓谷、抜けちまおう。


「よ、よしっ、行くぞ!」


「はいっ!」


 そんな俺の気持ちなど知らないのだろう。

 もう、完全に俺を信頼した目をして、ティキが頷いた。


 暗殺者のプレッシャーが無くなってしまえば、状況は簡単だ。

 いや、むしろこの渓谷に棲む動物たちは、暗殺者よりもよほど危険なのだ。

 殺気など見せず、呼吸するように俺たちを捕食しようとしてくる。

 小さな通路かと思ったら、丸ごと巨大なヤツメウナギの口だったり、地面を高速で這い進んでくる、無数の虫たちもいた。

 これは、俺は全身に嫌な気配を感じて、慌ててティキを抱いたまま水に飛び込んだ。

 人食い魚が一瞬驚いたようで、俺とお見合い状態になったが、さっさとアンティノラで周囲の水ごと凍らせてやった。

 無数の虫たちは、俺たちを恨めしげに水際で見ているようだったが、すぐに踵を返して去って行った。


 あれは、俺が思うに軍隊アリとかそういう生き物の仲間なんじゃないだろうか。

 遭遇する全ての生き物を食い尽くして進む、死の絨毯って奴だ。

 アレに比べれば、人食い魚なんて生易しい。


 そして、自ら上がった直後に陥った危機は、濡れて布が体に張り付いたティキ。

 彼女の服を乾かす時だった。

 互いに着る物がずぶぬれの状態である。

 常にやや涼しい地下渓谷。このままでは風邪を引いてしまうと言うことで、さっさと服を脱いで乾かす。

 装甲蛭の居場所が分かってきた俺は、素っ裸で壁を登り、そこにいた蛭を一匹ゲット。

 油と薪を手に入れる。


「…………」


「……あったかいですね」


 裸でぴったり身を寄せ合う、俺とティキ。

 なんというか……どうして、俺のムラムラが高まるほどに、こういうイベントが起こるんだろう。

 このままでは、間違いが起こってしまう!

 しかも、なんとなくだが、俺がカッとなって襲い掛かっても、ティキは拒まない気がする。

 それは駄目だ。

 それはよろしくない。


「さっさと服を乾かして、先に行こう。恐らく……もうすぐ抜けられそうな気がする」


「はい! でも……無理をしないでくださいね」


「いや、全然、全然余裕だし」


「いえ、その、無理って言うのは……」


 ティキの視線が、我が腰の下の方を見ていたので、俺はキャッと言って跳び上がった。


「きっ、気にしないように!」


「あ、はい……」


 恐ろしい恐ろしい。


 かくして、地下渓谷生活十日目。

 ついに俺たちは、アルジャスが魔神と呼ぶ存在の前にいた。


 そいつは……なんというか馬鹿でかいガマガエルだった。



 ジロリ。

 片方だけ開かれた大きな目玉が、俺たちを捉える。

 目玉だけで、俺たちの頭よりも大きい。

 大きさは、家くらいあるのではないか。

 前世で俺が遊んだ、モンスターをハントするゲームに、このサイズのカエルがいた気がする。


『うぬらは何ぞ』


 呼びかけは脳内に直接やってきた。

 テレパシーって奴だ。


「試練を受けに参りました!」


 先に立ち、朗々と声をあげるのはティキ。

 俺は、限界が来る前に到達して、良かったよかったと胸を撫で下ろしている。


『試練か。我が戯れにヒトどもと交わした約定よな』


「ええ、ですから試練で、あなたを倒しに」


『我としては構わんが、うぬらに我は倒せまい。どうだ。我にアッといわせることが出来れば、試練突破としてやろうではないか』


 なんだそれは。

 俺は、切った張ったでも一向に構わないつもりだったが、目の前のガマガエルはそんなつもりが無いらしい。

 いや、確かにこれとやり合って、絶対に勝てるなんて自信は無いんだが。

 多分、これは強い。

 外見こそガマガエルだが、人間のような知性があり、明らかに数百年生きている生命力があり、そして今、俺の全身はヒンヤリとした空気に包まれている。

 このガマガエルの攻撃全てが致命的である事を伝えているのだ。


「なるほど」


 俺は、ちょっと乾いた声で言った。


「つまり、あんたの暇つぶしに付き合えば、試練突破にさせてくれる、と」


『その通り。我の無聊を慰める材料となれば幸いよ。まだしばしの間、我はここを守らねばならんでな』


「よし、分かった。作戦を立てる。時間をくれ」


『構わぬぞ』


 ってなことになって、俺はティキを呼び寄せた。

 さて、こいつをアッと言わせるって、どうする? 何をやればいい……?

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