第6話:砂塵の都アルジャス、渓谷の試練
俺たちはラクダに揺られて、一路アルジャスへ。
ティキは祖国へ帰ることを嫌がったが、何か事情があるようだった。
「力になれるかもしれない。良かったら話してくれないか?」
俺としては、彼女に警戒心を抱かれないよう、フレンドリーに語ったつもりなのだが、返ってきたのは猜疑心に満ちた眼差しだった。
「それでも……貴方がファルクの手の者で無いと言う証拠がありません」
ファルク、と言うのがティキを狙った手合いの元締めらしい。
奸臣とか言っていたが、彼女の王国……いや部族を補佐する、高い地位の者なのだろう。
「そうすると、こうして俺が君を国に帰そうとしているとも見えるわけだ」
「はい」
彼女はマギーにしっかり捕らえられて、ラクダにくくりつけるようにして載せられている。
こうでもしないと逃げてしまうし、着のみ着のまま生き抜けるほど、砂漠は甘くは無い。
俺としては、女の子が死地に向かうのを、黙ってみていることなんて出来ないのだ。
「うーん……なんとか信用してもらえないかね」
「そうは仰られても、信頼する材料がありませんから」
返答はあくまでツンツンしている。
参ったね、これは。
「流石の色男さんでも、命を狙われたお姫様から信頼を勝ち取るのは、骨が折れるようねえ?」
「茶化さないでくれよ。うーむむ、どうしたもんかな。あのさ、ティキ。俺たちは、アルジャスがガルム帝国を巻き込んで引き起こそうとしている、ディアスポラとの戦争を止めようとしてるんだよ」
「戦争を……? 私たちは、戦争など望んでいません……!」
おや。
ガルム帝国では、アルジャスこそがディアスポラと戦争をしようとしている国だと聞いたのだが。
アルジャスは、この辺りでは珍しい、スパイスを生産する国だ。
スパイスは、アルジャスを除けば、人も寄り付かない山奥にある小国くらいにしか生息しておらず、結果として、ガルム帝国がアルジャスからスパイスを輸入し、各国へと輸出する形になっている。
ガルム帝国でも、風土に合ったスパイスは作ることができるが、アルジャスが生産する種類と量、質には及ばないのだ。
アルジャスとガルム帝国の間には、俺たちが超えてきた魔物に満ちた砂漠がある。
だが、かの国には、魔物を退ける鈴を作る技術があった。
鈴は、アルジャスを治める者の血に反応して、魔物を退ける魔力を発揮する。
これがあるからこそ、アルジャスは自ら主導権を持って、大国たるガルム帝国と取引できたし、スパイスの利権を一手に握り、利益を上げ続けていたのだ。
だが、それは賢者セブンという男が作り出した、『セブンの街道』によって脆くも崩れ去った。
セブンの街道は山を切り開き、かの小国を世界の表舞台に導いたのだ。
そこは、岩石砂漠に囲まれたオアシスの国。
図らずもアルジャスに似た気候を有していた小国は、スパイスを輸出することが出来るようになり、世界におけるスパイスのシェアをアルジャスから奪う形になった。
街道の利用料はディアスポラが運営する、セブン財団とでも言うべき組織が担っている。
ディアスポラと、セブンと言う男が潤い、ガルムは割を食うことになった。
それ以上に、競合によって市場を奪われつつあるアルジャスは、大きな不満を抱いていると言うことだった。
なのに、そのトップの娘さんと思しき女性が、戦争を望んでいない?
それは、個人レベルならあり得るかもしれないが……。
「むしろ、セブンの街道をアルジャスまで引いてもらいたいくらいです。この砂漠を、もっと平和に行き来することが出来るようになれば、スパイスに頼らなくてもアルジャスは繁栄するでしょうから」
ティキは不安げに周囲を見回す。
持つ物も持たずに国を飛び出してきたので、魔物を退ける鈴は無いのだそうだ。
だからあの砂虫に襲われたのだな。
結局、彼女が国に戻りたくないという意思は変わらなかった。
それはそうだろう。
自分を殺そうとする者がいて、それが実権を握っているらしい国なのだ。
誰がわざわざ、死地に飛び込むというのか。
「それじゃ、私の魔術で変装させるしかないわねえ」
マギーはやれやれといった様子。
出来うる限り、黒貴族としての自分の力を振るいたくないのだそうだ。
魔術を使えると言うだけで注目されるし、顔ばれしてしまっては地方を行脚する楽しみがなくなってしまうのだとか。
「惑いの精の嘲笑、月の齢、変われ、”偽の装い”」
彼女の魔術が発動すると、ティキの姿は見る間に変化した。
肌の色は白くなり、髪は栗色に。
一見すると俺と同じ色合いなので、見る人が見れば兄妹のようだ。
「そういうわけで、貴方たち二人は、これから兄妹。いいわね?」
「す、すごい! こんな完全な魔術を使える人がいたなんて。私よりも若いように見えるのに……!」
「あー、まあ、マギーの年齢の話は触れないでくれ」
かくして俺達は、砂塵の王国にお邪魔することとなったわけだ。
アルジャスは、一見すると土で作られた古めかしい都である。
蟻塚のように、赤茶色の塔があちらこちらに建てられており、それが一つ一つ、人間が住む家になっているのだ。
特に大きなものは集合住宅なのだそうで、見た目よりは文化的に進んでいる。
「土は空洞を含むから、熱を遮る効果があるんです。だから見た名以上に、中はとても涼しいんですよ」
ティキに説明を受けながら、俺とマギーはほうほう、ふんふんと頷いて街中を歩く。
深くフードを被ってさえいれば、外見はさほど目立たない。
昼間は灼熱、夜は極寒が砂漠の常だが、アルジャスはオアシスに存在する都だ。その温度変化も緩やからしく、昼間でもこうやって出歩くことが出来る。
だが、それでも全員がフードをして、目元だけを露出させている。
宗教的理由からではなく、この強烈な日差しから身を守る為なんだと。
道を行くと、これが結構人とすれ違う。
市が開かれていて、傍目にも暑さに強そうな食べ物が並べられている。
湿度が低いから、暑い気候でも食べ物が痛みづらいのかもしれない。
「結構人が多いんだな。それに、みんな活発に買い物をしてる。もっと落ち着いた感じかと思ってた」
「アルジャスは大きな都です。ガルム硬貨も流通していますし、多くは農業に携わる人々ですから、売り手でもあり買い手にもなるんです」
並べられている作物は、芋だ。
異様にひょろ長くて、途中で折って販売しているのだが、それでも長さが2mくらいある。
砂の中に長く根を張り、地下水を吸い上げるタイプの芋なのかもしれない。
もう一つは、どでんとでかい芋だ。
これは栄養素を中身に蓄えているのだろう。
先端からは枝分かれした根が生えており、これも恐らく長く長く続いているのだ。
「ヨミ芋とジロ芋です。これをすり潰し、パンにして食べるんです。アルジャスにしかいない酵母を使って発酵させるんですよ」
ちょっと興味が沸いたので、ティキに案内してもらい、飯を食えるところに行って見た。
この国は、誰もが生産者であり、消費者である。
商業だけを生業にしている人間は少ないので、自然とその辺の大きな農家の家で食べさせてもらうことになった。
金を払うと、自家製だというヨミ芋パンとジロ芋パンが出てきた。
ヨミ芋は灰色で、なんとも不景気な色合いだ。
ジロ芋は赤くて、なにやら辛そうである。
これに、通称ミルクアロエと呼ばれている多肉植物から取れた蜜を塗って食べる。
蜜は甘酸っぱく、とろりと濃厚だ。
パンはもっちりとしていて、焼かれているというのに粘る生地が糸を引く。
うむ、美味い。
ヨミ芋はあっさり味。やや硬く、もちもち、しゃきしゃきという歯ごたえが楽しい。
対して、ジロ芋はコクのある味わいだ。これはどこまでも、もちもち。パンと言うか、本当に餅を食っているようだ。
「スパイスはよく食べるんですが、主食にはわざわざ使わないですね。飽きてしまいますから」
「おや、お嬢さん、アルジャスの食べ物に詳しいんだね」
農家のおっかさんらしき人が、微笑み混じりに言う。
確かに、特殊な食文化だ。この地方じゃなければ、この食べ物を口にすることは出来ないだろう。
イリアーノでは、普通にイタリア料理っぽい食事をしていたからな。
それから、この家は辺りでも先進的な農家らしい。
若者を雇い、農地を貸して芋を育てているのだ。企業式の農業の走りかもしれない。
製品をガルムに売り込むこともしているようで、外人に対しても偏見が無い。
ってことで、俺たちはフードを外して食事しているわけだ。
「うん、美味いですねこれ。ガルムやイリアーノじゃ食べたことがない味と食感だ。でも、幾ら食べても飽きが来ない」
「おや、坊ちゃんはイリアーノから来たのかい? こんな辺境まではるばるよく来たもんだよ」
「一応、観光旅行中でして。金と力はあるんで、砂漠だって渡ってこれますよ」
「はぁ、鈴も無しで砂漠をかい? 物好きだねえ……幾ら腕が立つと言っても」
俺の言葉をその通りに受け取ってはいないようだが、鈴無しで砂漠を渡ってくる腕前は理解してくれたようだ。
マリーはと言うと、実に美味そうに、たっぷりと蜜を塗ったジロ芋パンを、もっちもちと食べている。
甘い物大好きらしい。
この他、サボテンを使った料理や、芭蕉の幹の皮を剥いて、刻んだ奴なんかが出てきた。
実に瑞々しい……というか水っぽいサラダだ。
これに、スパイスを振って食う。
蜜に塩とスパイスを混ぜた奴は、上等なドレッシングだった。
とりあえず、癖はあるがどれも美味い。
飛び切りの変り種料理には、砂漠の魔物を使ったものもあるらしいが、保存食化した魔物で、その味に飽き飽きしていた俺としては、丁重にお断りしておいた。
食事も終わって人心地。
ここで、俺は本題を切り出すことにした。
「それで、最近この国が景気がよろしくない、とかそういう噂を聞いてたんですけど……全然そんなことないですよね?」
「スパイスを作ってる連中は不景気だろうさ。でも、あたしら農家としては、今までと変わらないねえ? 何せ、お客様は国の中にいるんだもの」
ほう、スパイス作りを請け負う連中と、この奥さんを初めとした農家の人々は、折り合いが悪いんだろうか。
ティキを見ると、小さく頷いて見せた。
あまり深く突っ込んでも怪しまれるかもしれないと思い、質問はここで切り上げようとした。
だが、奥さんはどうも、俺がただの観光客ではないと睨んだらしい。
まあ、そりゃそうだろう。
こんな危険な砂漠を越えて観光に来る物好きなんて、悪魔だとしてもいるわけが無い。
「あんた、あれだろう? 帝国の肝いりで来た調査官とかなんだろ?」
「え、いやー、それはー」
はぐらかそうとすると、奥さんはがっはっは、と笑った。
「大丈夫さ! あたしらは、例の街道の事なんか気にしちゃいないよ! それよりも、街道が砂漠を越えてアルジャスまで延びれば、このパンを外に出すことも出来るってもんさ。貿易に行く連中は、みんな、単価が高いスパイスばかりでねえ。スパイスを食って腹が膨れるかって言うんだい」
味方宣言である。
これはちょっとありがたいかもしれない。
「あー、ご慧眼です。まあ、似たような者でして。アルジャスが某国と戦争をしようとしている騒動を、皇帝陛下が憂えておられまして」
「だろうねえ。噂じゃ、皇帝の御懐妊には、かの街道を作ったセブンっていう賢者が関わっているって噂さ。つまり、それが本当だったんだろう? だから皇帝はセブンの息がかかったディアスポラと戦争したくないんだ」
「そのようなもんですかね」
驚いた。
結構正確に、状況を把握しているものなんだな。
後でティキに聞いてみると、この国を訪れる商人たちがおり、彼らの商品は物ばかりではなく、世界情勢などの情報などもあるのだという。
元から、アルジャスは砂漠に閉ざされた国だ。
人々はゴシップに飢えている。
だから、商人が持ってくる情報に飛びつき、様々な外の世界の事件を取り入れる。
商人が去った後は、大切な情報を、ああでもない、こうでもないとこね回し、お茶の席で考察しあったりするのが娯楽なんだそうだ。
「でもね、スパイスの元締めはボナケラって言って、今の族長に取り入ったいけ好かない奴さ。こいつの連れてる、東方の戦士が強くて、誰もボナケラに口出しできないでいるのさ」
「奥さんはよくご無事ですね」
「ま、あたしや旦那を殺したら、農家全部が敵になるさね。芋を食わないで、どうやってこの国で生きていくって言うんだい」
農家とスパイス農家の勢力は、今は拮抗しているらしい。
農家はまさしく、アルジャスのライフラインを握っている。
スパイス農家は、有り余る財力で国外から招いた戦力で、権力を握っている。
このままの状態が続いていれば、戦争なんて起きようはずが無いとは思うんだが……。
「ボナケラが焦ってね。何かとんでもない事をやって、あたしらの力関係をひっくり返そうとしているらしいんだけど……」
奥さんから聞き出せた情報はそこまでだった。
俺たちは彼女の家に泊めてもらえることになり、僅かに取れるという、陸稲を使ったおじやをご馳走になった。
「明日、父に会ってみようと思います」
宣言したのはティキだった。
恐らく、ティキを殺そうとしたのはあのボナケラという男だったのだろう。
「危険なんだろう? それに、どうして殺されそうになっていたんだ? この国の様子を見ていると、戦争に反対する人たちばかりじゃないか」
「はい。ですが、族長が判断してしまえば、戦争をせざるを得ないのです。この国は田畑を耕すのに牛を使いますが、その田畑と牛は全て、族長の持ち物なのです。田畑や牛を貸さないといわれれば、農家は干上がるほかありません。私は、父の元でこの牛の数を管理する仕事をしていました。逃げてくる時に帳簿は焼いてしまいましたが、記録はこの頭の中に入っています」
「ふむふむ」
マギーはと言うと、相変わらず美味しそうにおじやを食べている。
こいつ、今回も傍観者を決め込むつもりだな。
「私から、何らかの手段でこの記録を引き出して、あとは父を篭絡。一度に戦争へ国を焚き付けるつもりなのでしょう。正確に牛の数が分かってしまえば、たとえ牛を隠したとしても、追及して没収することができますから」
牛が重要な役割を果たしてるのか。
あれか。
牛の数が財産なのか。
田畑が無くとも、牛がいれば開墾できるとか?
「死者の首を喋らせて情報を得る魔術も存在するわよ。きっとそれじゃない?」
マギーがぼそり。
「それは許せんな」
「やる気になった?」
「俄然やる気になったよ。企みを暴かないとな」
「貴方と言う人間がよく分からないんですけど」
ティキはまだ、訝しそうに俺を見る。
「まあ、ただの物好きさ。見る物、触れる物、何もかもが新鮮でね。それに、可愛い女の子を放っておけるほど冷酷じゃない」
そう言うと、ティキは絶句した。
「な、何をいきなり口説いてるんですか……!?」
おお、この世界の女性って、こういう歯の浮くセリフには耐性が無いのかも知れないな。
さて、夜。
襲撃なんかがありそうなものだが、無かった。
というのも、夜はしっかり眠りたいというマギーが、これまたどでかい魔術を使ったのだ。
この家の周囲に、不可視の壁を張ったらしい。
朝になると、壁に引っかかったらしい男たちがいて驚いた。
「蜘蛛の巣みたいになってるのか? それに、変装したっていうのに……」
「敵意を持って触れると絡め取られるのよ。それに、変装って言っても相手に魔術師がいたら、簡単に見破られる程度のものだわ」
剣の腹でほっぺたを叩きながら、男たちを尋問したら、どうやら彼らには何か仕込んであったらしい。
俺は額の辺りに、ひやりとした気配を感じて身をのけぞらせた。
すぐ上を、赤い槍のようなものが通過していく。
男の顔は破裂していた。
舌に魔術か何かが仕込まれていたようだ。裏切ろうとすると発動して、本人と相手を殺すんだな。
俺はどうやら、この危険を察知する才能が特別優れているようで、お陰でマギーとの模擬戦でも生き残っている。
まあ、この程度の奇襲ならどうってことはない。
他の男たちにも尋問したが、結果は同じだった。
これは、本人に直接聞かないといかんな。
ティキは変装の魔術を解いてもらうと、堂々と城への道を歩き始めた。
いや、あれは城と言えるのだろうか。
他の家と変わらない、土で作られた館だ。
そのサイズだけがべらぼうにでかい。
権威付けのためか、あちこちに、石積みの塔がくっついている。塔はさぞかし暑かろう。
「昨日はあんなに怖がっていたのに、心境の変化かい?」
「貴方が守ってくれるのでしょう? 魔術を避けるほどの腕を持つ戦士がいてくれるなら、心強いわ」
「これは全幅の信頼だな……! ちょっとプレッシャーだ」
例によってマギーは姿が無い。
どこか遠くで俺たちを観察しているのだろう。
これは、あの黒貴族の趣味なのだ。余程危なくなったら助けにくる……かもしれない。
道を往くティキ。
人々は驚いた目で彼女を見る。
「ティキ様、も、もういいのかね!? ボナケラの奴があんたを探していたっていうのに」
「ええ、ありがとう。正面対決することにしましたから」
そう言って、ティキは俺にちらりと流し目を投げかける。
うっ、この熱視線。
すると、道行く人々も俺を注目するわけで。
「異国の戦士かい……! まだ若いようだけど……」
「彼は、この砂漠を鈴無しで渡ってきた戦士です。腕の程は確かですよ」
「なんと……そいつは凄い……!!」
俺を見る目が、外人に対する奇異の視線から、尊敬や畏怖をはらんだものに変わった。
確かに、あの砂漠を魔物避けの鈴とやら無しで渡るのは、相当な決意が必要だろう。
ティキはそれをやろうとしていた訳だから、実際、かなり追い詰められていたのだと思う。
しかし、俺一人がいるだけで、こうも態度が変わるかね。
館の入り口に立つ兵士は、ティキの顔を見ると驚いた様子で、慌てて扉を開けた。
ティキはゆっくりと、わざと威厳を示すようにして館の中を行く。
やがて通されたのは、アルジャスの謁見の間というところだろう。
それなりに大きな広間と言った印象だ。
地面には、ガルム帝国から輸入した高級な絨毯が敷かれ、砂漠に生える植物で編まれたクッションのようなものに、男たちが座っている。
一際豪華なクッションに腰掛けるのが、この国の王……ティキの言葉では族長なのだろう。
彼はティキを見ると、目を見開いた。
「生きておったのか、ティキ! よくぞ、あの砂漠から生きて戻った……!」
「はい、お父様」
二人はどういう関係なのだろうか。
黒い肌に白髪の族長は、顔が髭に覆われていて、表情がよく分からない。
彼の横には、でっぷりと太ったやはり黒い肌の男がいる。
こいつがボナケラかもしれない。
「お前がディアスポラに停戦を要求すると、飛び出していったときは生きた心地がしなかったぞ。だが、お前の決意を無碍にするようではあるのだが、わが国はかの傭兵王国と戦うほか無いのだ。スパイスの貿易を止められては、我が国は干上がってしまう」
「本当に、スパイス無しではアルジャスは立ち行かないのですか?」
「分かっておろう。わが国が外貨を得る手段は、スパイスしかない。誰が田舎臭い芋など仕入れるものか」
「全くでございます。アルジャスを支えるスパイス産業、これを揺るがさんとするセブンの街道とディアスポラ。なんたる悪逆な振る舞いでございましょうか!」
ボナケラの声は甲高く、耳障りだった。だが、よく通る。
「して、姫様、その男は一体? 畏れ多くも族長の前に、まさかどこの馬の骨とも知れぬ外国人を入れるとは? 事と次第によっては姫様でも……」
「この方は、砂漠で私を守ってくれた方です!」
その場の注目が俺に集まる。
そのほとんどは、猜疑に満ちた視線だ。
ま、この手の連中にどれだけ睨まれたって、大したことはない。俺は権謀術策渦巻くイリアーノ出身なんだからな。
「族長におかれましては、ご機嫌麗しく。カイルと申します。ガルムとの貿易を持つ、イリアーノから参った旅人にございます」
「イリアーノからわざわざ……。一体、何用だというのだ?」
族長は俺を射竦めるような目で見る。
だが、目に強さが無い。
これならまだ、俺の糞兄貴であるフェリックの方が、悪い意味で目力が強い。
「ま、観光で来たつもりだったんですが、砂漠があんなに危険だとは思ってもいなかったですよ」
「観光客がわざわざ、下調べもせずに砂漠を渡ると? 嘘も大概にせよ! 狙いは何なのだ? ディアスポラの密偵か!」
ボナケラが声を張り上げた。
「ご存知のように、イリアーノは聖王国側とは敵対していまして。この肌色、髪色は聖王国にはいないでしょう?」
イリアーノが掲げる宗教は、暁の星教。
聖王国は、ルシフェル教。
崇める対象は同じでも、現実世界の基督教などのように、そのあり方が違う。
これを巡って、イリアーノから北の国家郡と、聖王国から南の国家郡は争っていた。
さらに南方のガルム帝国は、また別の信教を有しており、ここも聖王国とは貿易以外の交流は無い。
俺の肌の色は白が基本だが、聖王国側はもう少し肌色が濃い。
そういう細かいところまで見ていけば、俺があの地方の人間ではないと分かるはずだ。
「ええい、御託を並べおって! 長よ! 私はこやつめを、試練にかけることを提案しますぞ!」
「試練とな!?」
ボナケラの発言に、場がにわかに騒がしくなった。
「試練だなんて……どうしてそこまでしなければならないのですか!」
ティキが焦りをあらわにする。
俺は小声でティキに聞いてみた。
「試練ってなに?」
「アルジャスはご覧の通り、排他的なところがある国です。この国では外国から来た人間や、組織から外れた人間を受け入れる際、試練を課して、その人間が信用できるかどうかを試すのです」
「つまり、何か試験を出されるってこと?」
「はい。文官ならば、故事にまつわる難題を。武官であれば……武技を調べられます。逆に言えば、それがどんな手合いであっても、試練を乗り越えてしまえば信用されるようになるのです。我らの神、レヴィアタンが加護を与えたと、そう判断されます」
レヴィアタンと来たもんだ。
別名、リヴァイアサン。前の世界じゃ、ゲームによく出てきた奴だな。実在するのかね。
試練と聞いても、どこ吹く風の俺。
並の相手には負ける気がしないし、一対一なら魔物だって、よほどとんでもない奴じゃなきゃ余裕だ。
ボナケラは、俺の余裕が気に入らなかったらしい。
「こやつには、地下渓谷の魔神と戦ってもらいましょうぞ!」
「おおおおお!!」
場が驚愕に包まれる。
え、魔神ってなんだ、それ。
「父上! それはあまりにも無体な……!!」
「ティキ、ボナケラはわが国の事を思ってしておるのだぞ? それに、砂漠を乗り越えるほどの勇士なら、この試練とて乗り越えるのではないか?」
「野に住まう魔物と、地下のあれとでは比較になりません! どうかお考え直しを!!」
喧々諤々あって、結局のところ……ティキの願いは届かなかった。
俺たちは地下渓谷とやら言うところの、入り口に立っている。
背後には多数の兵士。
「ならば……私も行きます」
ティキが宣言したところ、ついてきていた族長は目を見開いた。
「正気か! 命を捨てに行くようなものぞ!?」
「命を捨てるような試練を、この方に与えるのですか! 生きて戻れぬと分かっていながら? そのようなもの試練ではないでしょう!!」
なんだろう。ティキが物凄く俺をかばってくれる。
「私が生き残ればこそ、レヴィアタンの加護があったものとお考えください。そうなれば、私の願いも聞き届けてもらいます」
「あ、ああ」
「それはもちろんですとも」
ボナケラは、無表情だった。だが、内心では笑いたいくらいかもしれない。
ティキが死んでも、彼女の首だけ残っていれば幾らでも牛の数を調べることができる。
恐らく、この後にはボナケラの手勢が追ってくるだろう。
前門の魔神、後門の暗殺者。
そして、俺はティキを守りながらそれら全てを退けて、この渓谷を突破しなければならない、と。
ティキを外においておいても、暗殺される可能性があるしな。
まあ、正直きついがやらねばなるまい。
「じゃあ、ちょっと行ってきますよ。魔神とやらもちょいと撫でてやりましょう」
俺がちょっと余裕な風に言ってやると、ボナケラの額に青筋が立った。
逆に族長は、面白そうな者を見る目を俺に向ける。
「豪胆だな。その大口の通り、試練を越えたならば、お前は本当に勇士と言えるのかもしれぬな」
娘の身の安全も守れないボンクラ親父だが、まあ一応族長だ。
こいつに認められるように頑張るとしよう。
「行きましょう、カイル! だ、大丈夫。私だって、少しくらい心得が……」
「無理すんな。こいつはちょっとしたデスゲームなんだから、慎重すぎるくらいでちょうどいい」
「デス……?」
「なんでもない。まあ、俺、ノーセーブでラストダンジョンクリアとか、燃える性質なんだよね」
俺の腰で、アンティノラが唸った気がした。
心強い相棒だ。
背後で、渓谷と外をつなぐ扉が閉ざされた。
さあ、ダンジョンハックの始まりだ。




