第5話:戦争を止めろ!
数日の旅をする内に、港が見えてきた。
地中海と言えど、広いのだ。陸地は近くても、帆船では思うように速度など出ない。
まったりとした旅も悪くはない物だ。
俺はマギーとの模擬戦で、勝率は三割というところだった。
これは、彼女が手加減を止めたらしいことが大きい。
マギーは小柄な体格と、並外れた運動神経を利用し、縦横無尽に攻撃を仕掛けてくる。
全てが一撃必殺。
鎧を着ていない俺の体が受け止めれば、そのまま凍り付いて砕けてしまうだろう。
足元からと思えば、壁を蹴って真横から。
横からと思えば、マストを駆け上がって頭上から。
さらには、受ける為に繰り出した俺の剣を踏み台にし、俺の周囲をくるくると動き回る。
とても捉えられたものじゃない。
俺が勝てたのは、何十回かに一回、マギーが混ぜてくる本物の殺気に対応したからである。
俺は本番や、命の危険がかかっているとすこぶる強いらしい。
一度受け止めることが出来れば、そこから力と体格で押し切れる。
ってなわけで、なんどか彼女のささやかな胸を揉ませてもらった。
至福である。
「カイルっておっぱい好きよね」
「男であれば誰でも好きだと思うが……小さいのは小さいのでいいものだぜ」
「それはどうも」
まあ、なんだか揉んでいても彼女はさばさばしていて、雰囲気も何もあったものじゃない。
かくして、俺たちは特別な関係になる……なんてこともなく、ガルム帝国へ到着したのである。
俺たちは魔剣なんて物騒な代物を持っているのに、驚いたことにマギーは顔パスだった。
港で監査を担当する、えらそうな戦士がマギーの顔を知っていたらしい。
驚いた表情をして、そのままお通りください、と伝えてきた。
「なあ、マギー。君って一体何物なんだ?」
「ふふっ、それは秘密。でも、ヒントはたっぷりあげているから、そのうち分かる時が来ると思うわよ」
俺たちは、早速ガルム帝国に宿を取る事にした。
帝国という名前から、もっと文明的な国を想像していたんだが、ここはなんというか、自然に満ち溢れた国だった。
周囲は一面のジャングル。
木々を切り開いて作られた農園が点在していて、それでも大した面積がある。
プランテーションって言うのか。
どうやら国家が出資して、巨大国有農場を幾つも作っているのがガルム帝国というところらしい。
「帝国のご飯は絶品よ? 期待してていいと思うわ」
「おう。だけど、俺たちの目的はグルメ旅行じゃないだろ? ほら、本懐は戦争を止めることだって言ってたじゃないか」
「そうね。その件に関しては、私も部下に調べさせているわ。私が到着したことは、彼らも分かると思うから、明日にでも接触が来るわよ」
「部下なんていたのか。マギーってほんと、一体何物だよ?」
「うふふ」
なんて会話をしつつ、久々の揺れない地面の上で食事をすることになった。
この国の特徴は、原産地だからこそ出来る、豊富な香辛料を使った料理の数々。
勿論、素材だっていい。
農場が生み出す作物は、果実、野菜、穀物と多岐に渡る。
主食っぽいのは、長粒種の米だな。
パエリヤとかチャーハンみたいにして食うのだ。
食べられる葉っぱで、細かく刻んだおかずと一緒に巻いて食うのもいける。
「おおっ、美味いな……! イリアーノも飯が美味いと思ってたけど、陸の素材はこっちと勝負にならないなあ」
「大地の肥沃さが違うものね。ただ、豊か過ぎて、果実にまであまり甘みが回らないのが欠点かしら」
この国の果実は、野菜のようにして食う。
充分に熟させれば甘くなるのだが、未熟な果実を使ってサラダや炒め物にするのが一般的なようだ。
「青パパイヤみたいなもんだな。俺はこれはこれで好きだぜ」
俺とマギーは、二人きりだがとてもよく食う。
二人で六人前くらいを平らげて、食後にぐっと、度の弱い発泡ワインで流し込んだ。
くちくなった腹を撫でながら、蒸し暑いこの国の日陰で風に当たっている。
こうしていると、まるで観光旅行に来たような気分になってくる。
王城という狭い世界しか知らなかった俺だったが、飛び出してきた外の世界は、前世の記憶が持っている光景ともまた違っていて、実に刺激的だ。
この国に到着した時間が早かったので、俺とマギーは二人で、本格的に物見遊山としゃれ込むことにした。
「この国、ちょっと変わった風習があるのよ。もう少ししたら、それを目の当たりに出来ると思うんだけど」
マギーがいたずらっぽく笑って見せた。
彼女がこういう顔をする時、大体ろくでもないことが待っている。
「ちょっと待ってもらおうか」
粗野な響きのガルム帝国語。
俺たちの背後で、俺よりも頭一つはでかいであろう、いかつい兄ちゃんが立っていた。
「その女をもらおうか」
「なんだ、お前」
俺は目を細めた。
いきなりと言えばいきなりである。
追いはぎや人攫いにしても、あまりにもストレートな物言いだろう。
「俺とお前が勝負をする。俺が強ければ、その女は俺がもらい受ける。ガルムの掟を知らんとは言わせんぞ」
知らねーよ。
マギーがくすくす笑っているから、つまりはこれが変わった風習とやららしい。
力ずくで女を奪うのが風習かよ!? 原始的にも程があるだろう。
「そうでもないのよ。人権って言うものは保障されているから、奪った相手に対して、持ち主は責任が生じるの。飢えさせないように、不自由させないように、世話をしなくてはいけないわ」
合法的略奪婚の国とでも言うのか。
女性の権利が低いというわけでは無さそうだが、なんとも物騒な国である。
「やらないなら、その女は俺のものだ」
男がずい、と迫ってくる。
なるほど、確かにマギーはいい女である。背丈と胸を除けば、非の打ち所のない美少女と言っていい。
「やらねえよ。お前とじゃ釣り合いが取れないだろ」
俺は半笑いで手のひらを上に向け、手招きした。
男の額に青筋が浮かぶ。
筋肉が盛り上がる。
肩を怒らせたその姿は、大した威圧感だ。並みの男なら、これだけで戦意喪失することだろう。
だが、アイオンや天使みたいな化け物を見た今となっては、この程度、笑い種だ。
「来いよ。遊んでやる」
「てめえっ!! どうなっても知らねえぞ!!」
怒り心頭。
男は俺に向かって突進してくる。
ちょうど、アメフトのタックルの要領だ。
まともにぶち当たれば、体重で劣る俺などひとたまりもないのだろう。
……普通は。
「よーっし!!」
俺はどっしり腰を下ろすと、真っ向から男の突進を受け止めた。
体重の差から、靴底がやや柔らかな地面を削り、跡を残す。
だが、それは途中でぴたりと止まった。
「なっ……!?」
男が驚愕の声を漏らす。
自分より一回りも小さな男に受け止められ、ピクリとも動けないのだから当然だ。
こちとら、実戦形式で鍛えまくっている。
それに、どうも、戦いを重ねるたび、俺の肉体の強度は跳ね上がっていっているように感じるのだ。
案の定、俺はこのデカブツに力負けしない程度には、パワーも上がっている。
「おら、行くぞ!! 歯ぁ食い縛れ!!」
俺は叫びながら、男の首に腕をかけた。
腕、肩、背中、腰、膝、満身に力を込める。
「う、うおぉぉぉぉぉ!?」
男の足が、ふわりと持ち上がった。
前世の俺が知る、プロレスってエンターテイメントの技だ。
その名は、ブレーンバスター!
「よぉいっしょぉぉぉぉぉっ!!」
俺は男の体を持ち上げると、肩の上まで担ぎ上げ、そのまま俺ごと倒れ込んだ。
土の飛沫が派手に上がる。
周囲の連中が注目して、どよめいた。
地面がクッションになって、ダメージはさほどじゃないだろう。
だが、精神的ショックはでかいはずだ。
俺は先に立ち上がり、呆然と目を見開く男を見下ろした。
「どうだ、まだ来るか?」
男は唇を青ざめさせて、ふるふると首を横に振った。
「い、いや。いい。あんた、恐ろしく強いな……!」
「まあな、鍛えてるからな」
言いながら、見せ付けるようにマギーを抱き寄せた。
泥がつくので、マギーが実に嫌そうな顔をした。
宿に帰ると、水浴びをして飯を食ってさっさと寝る。
この世界は、とにかく夜の娯楽と言う奴がないのだ。
男女がどうたらこうたらする以外は、聖王国地方に存在する歓楽都市くらいしか、夜を楽しく過ごせる場所はない。
そして、今一番現実的な、男女の睦み合いみたいなものは、マギーが断固としてさせてくれないわけだ。
年頃の男にとって、実に殺生な展開である。
翌朝……と言っても明け方のこと。
俺は気配を感じて目を覚ます。
すると、マギーが窓越しに、のっぺりした顔の男と何か話しているではないか。
「裏で黒貴族が動いてはおりません。あくまで人間たちだけの判断であるかと」
「ご苦労様。そうだとは思っていたけれど、やっぱりね……。頭が痛いわ。私たちって、人魔大戦でも無い限りは直接的に人間に関与できないじゃない?」
「ご心労お察しします」
「はいはいどーも。……あら、目覚めてたの、カイル」
「ああ」
俺は起き上がると、窓の外ののっぺりした顔を見つめた。
男は軽く会釈してくる。
こいつがマギーの部下ってやつか。
それにしても、物騒な会話をしていた気がする。
黒貴族が関わってるとか、関わってないとか。
「何、今日から動くわけ?」
「そう言う事になるわね。これに付き合ってもらったら、私としてはカイルとはちょっとお別れになりそうなんだけど」
「え、どういうこと?」
突然彼女が告げたお別れ宣言。
寝起きの俺はぼーっとした頭のままで、目を白黒させる。
「しばらく休んでたから、そろそろ本来の仕事をしないとなのよ。とりあえず、今日は皇帝に会いに行くから」
どうでもいい事のようにサラッと言う。
相変わらず謎な女だ。
「そこで、私の正体も分かると思うわ。正直、引いちゃうと思うけれど」
「へえ、それはちょっと楽しみだな」
マギーの顔は、いつもどおりのいたずらっぽい笑みを浮かべたままである。
きっとその時、俺が驚く顔を想像しているのだろう。
簡単に驚いてやるものか。
ガルム帝国の城というのは、異様な姿をしていた。
生きている巨大な木をくりぬいて作られているのだ。
耳を済ませると、壁の中を水が通り抜けていく音がする。
城壁からは枝が突き出し、緑色に茂っている。
ここで、俺がイリアーノ王国の王子である事を明らかにしたら、大騒動になるのだろうな、などと考えてみる。
蒸し暑い気候に合わせた、最低限の守りしかない皮の鎧の兵士達。
彼らの間を抜けていくのだが、先導は帝国の重要な地位を占めるらしき戦士。
彼はひっきりなしに俺たちを気にしているのだ。
やはり、俺の顔を知っているのか。いや、マギーが有名人なのだろう、などと益体も無いことを考えていたらだ。
マギーは有名人どころではなかった。
ガルム帝国の皇帝というのは、今上帝は女帝なのだそうだ。
選帝侯制度を敷いている帝国であり、今上のディアナ女帝は卓越したカリスマと、権力を誇っているのだとか。
女だてらに、武芸の腕前も並み居る男たちをなぎ倒すほど。
生まれと武力、そして切れる頭で今上の地位をもぎ取ったのだ。
つい一昨年までは子宝に恵まれず、種無しと疑われた夫たちを処分していたらしい。
だが、これも、夫は他の選定候家からやってきた手合いである。
妬と称されることは、絶対権力者である皇帝にとって良いことであるはずがない。
夫に咎を課し、風聞では首を切ったと伝えられ、その実、国外追放を行っていたとのことだ。
妻に離縁を言い渡された男は、この略奪婚全盛のガルム帝国で真っ当に生きていくことなど叶わない。
だが、現在、皇帝が抱いているのは、自らの腹を痛めて生んだ嬰児であった。
皇帝は気の強そうな顔を緩めながら、わが子をあやしている。
臣下が、
「陛下、ロウラン殿下は乳母にお預けになられては……」
なんて進言している。
締まらないことこの上ない。
これが、明日にも戦争をしようという皇帝の顔だろうか。
彼女はちらりとマギーと俺を見やる。
そして、
「なんじゃ、黒貴族がわざわざ足を運ぶとは。何用じゃ、マゴト」
と、マギーを呼んだのだ。
マギーが黒貴族!?
マゴトと言えば、世界を管理する八柱の黒貴族の一柱。
マギーがドヤ顔で俺を見てくる。
なんだこのやろう。
びっくりしてなんていねえぞ。
「いえね。あなたの帝国と、ディアスポラが戦争をするなんて、小耳に挟んだのよ。どうやら私以外の黒貴族も絡んでいないみたいじゃない? 実情と言う奴を聞きたくて、わざわざ足を運んだのだわ」
わざわざ、という辺り、イントネーションを置いて皇帝の言葉を繰り返す。
謁見の間にあって、仁王立ちのマギー。
それはそうだろう。
代替わりする、定命の者に過ぎず、己の国だけを管理する皇帝と、永遠ともいえる年月を生き、世界を管理する黒貴族である。
「そうじゃな……事は、賢者セブンと言う輩が引き起こしておっての」
賢者セブン。
神聖プロイス帝国の宰相の名前が、なんでここで出てくるんだ? 同名の別人と言う奴だろうか。
「彼奴が開いた街道はすこぶる便利での。そのせいで、道の便の悪さを利用して利ざやを稼いでいた、我が属国が割りを食ってのう。しかも街道の利権はディアスポラにあると来たものだ」
セブンが街道を作り、この世界の物品の流通が良くなったと。
それで、道が不便で遠方から物を運べないから、質が悪くても、近い地域で物つくりをやっていた連中は利益を得られていたということだ。
だが、流通がよくなれば、高くて悪いものなんて駆逐されてしまう。
しかも、街道を所有するのはセブンで、彼が街道の管理を委任しているのは、傭兵王国ディアスポラ。
飯の種を奪われ、しかも別の国が街道の利権を独り占めってことで、帝国側は面白くないというわけだ。
だが、そんな話をするディアナ女帝の顔は嬉しそうだった。
「その割りに、セブンが憎くはなさそうじゃない?」
マギーがセブンを呼ぶ口調は、どこか苦々しいものだった。
対して、皇帝はあくまでも笑みを隠さない。
「あ奴はわが国に被害をもたらしたかもしれんが、同時に、余にはこのロウランをもたらしてくれたわ。余の腹に命が宿らぬのは、どこぞの黒貴族が邪魔をしていたせいだと聞いたが?」
ちらりと皇帝がマギーを見る。
彼女はそっぽを向いて、目を合わせない。
お前か。
「皇帝陛下、それでは戦争は止めようがないのではありませんか? まさか自国や属国の者達に、こらえよとは言えますまい」
俺が発言すると、場の視線が集まる。
ディアナ女帝の目が俺を見据えた。
「マゴトが連れているなら、どこぞの馬の骨というわけでも無さそうじゃな? まあ、ありていに言えばその通りじゃ。じゃが、誰も戦争なぞ、したいわけが無い。我が帝国は、別になんら痛手を被っておらんでな」
「あれっ、そうだったんですか」
ちょっと今の返答は不敬だったかもしれない。
だが、皇帝は笑って許してくれた。マギー効果である。
「そうじゃ。帝国は自国内だけで、全ての食を賄う事ができる。食べるものばかりではない。そこのマゴトが我らにもたらした織物は、人工島を経て北部諸国へ流すこともできよう。街道は便利じゃが、それが聖王国を抜けて、北部へ通じるわけでもない。我が帝国だけならどうとでもなる」
だが、属国がヘルプを懇願してきたら、面子としては助けねばならないと。
そういうわけだ。
「ならば話は簡単だわ。属国を滅ぼしてしまえばいいのじゃない?」
「やめてたもれ。あれはあれで有用なのだ。砂の海を治める技は、かの国にしか存在せぬからな」
「砂の海……砂漠か……!」
この世界にも、砂漠はあるのだ。
おお、ちょっとロマンが広がるじゃないか。
マギーは少し考えていたようだ。
そしてすぐに、俺に振り向いた。
「行くわよ、カイル。これは、それぞれの国を見て回らないと始まらないみたい。場合によってはディアスポラも……ああー。私、アスタロト嫌いなのよね」
「面白そうだな。どうせ俺は暇なんだし、とことん付き合うぜ」
俺もまた立ち上がり、マギーに賛同した。
……と、俺の腰で音を立てた魔剣を見て、女帝がほう、と息を漏らした。
「その魔剣、もしや人工島で海賊ども相手に立ち回りをやらかしたのは、うぬか」
「はい。俺です」
女帝の目が、愉しげに細められる。
「名もカイルか。面白い。余は今、英雄の誕生に立ち会っているのかもしれんな」
マギーのようなことを言う。
マギーも女帝の言葉に、まんざらでもない様子だ。
買いかぶりすぎではないのか。
「そんなことはない。うぬには力を感じる。勇者マリーに感じたものと同じ、人を導く力じゃ」
背中がむずがゆくなってくる。
俺は願い、先に退出させてもらった。
なんだって、みんなで俺を持ち上げるのか。
少ししてから出てきたマギー。
「モテモテじゃない、カイル」
半笑いである。
冗談ではない。人妻である女帝にもてても嬉しくはないのだ。
むしろマギーによろしくお願いしたい。
「私が黒貴族だって分かっても態度を変えないのね?」
「その黒貴族が、俺の世話を色々焼いてくれてるからな。恩義には感じても、いまさら恐れ敬うなんて出来るかよ」
「いいじゃない。そういうところ、結構好きよ」
かくして、俺たちはガルム帝国滞在もそこそこに、ディアスポラと戦端を開こうとする国のひとつ、砂の海のオアシスに存在する、砂塵国家アルジャスへ向かった。
砂の海、と言ったが、言いえて妙である。
アルジャスへ向かう道は、ひたすら灼熱の地獄だった。
肌を露出しない衣装に身を包み、俺は生まれて初めてラクダに乗った。
こいつ、馬より揺れるのな。
「なあマギー」
「なあに?」
「黒貴族なんだから、瞬間移動なんかでぱぱっと行けないのかよ?」
「行ける手段はあるわね。”ゲート”の事でしょう? だけどあれって、案外使い勝手悪いのよ。一度行ったことがある場所じゃないと行けないのだもの」
「つまり、黒貴族であるマギーも行ったことが無いと?」
「そう。そんな辺鄙な国ってわけね」
昼は砂丘の陰で凌ぎつつ、夜はラクダで移動する。
夜には、砂漠を住処とする魔物も出現するが、逆を言えば、そいつらを狩ることで砂漠の恵みを得ることができるのだ。
人食いサボテンは、腹の中に水気たっぷりの果肉を蓄えていた。
大さそりは、海老のような味がしてなかなか美味い。
でかいから大味かと思ったら、そんな事は無いのだ。
苛酷な環境だからこそ、連中は栄養を必死に肉体に溜め込むのだな。
「そっちに行ったわ、カイル!」
「おうよ!!」
俺はアンティノラの力を使うまでも無い。
砂丘を貫いて躍り上がる、巨大な砂虫の動きを見切って回避する。
蠢く腹に、刃を走らせる。
刃を突き立てるのではなく、鋭さだけで切り裂くのだ。
するりと砂虫の分厚い甲殻が剥け、奴は内臓をばら撒きながら悶える。
「よっと……行くぜっ」
俺は波打つ巨大な砂虫の腹を踏み台にして跳躍した。
暴れまわる砂虫は、足場とするにはあまりにも不安定だ。
だがまあ、波の上で慣らしたし、いけるだろう。
俺は着地するところを大体で見繕い、砂虫の動きを読んで、真下にやってきた奴の頭に着地する。
正しくは、砂虫が俺を食い殺そうと大顎を開いて襲い掛かったのだが、俺はその顎に着地して、先端に何本も長い毛を生やした、感覚器らしき部分を切断する。
虫の汁がしぶいた。
砂漠の夜は冷たい。
昼間の灼熱が嘘のように、冷え込むわけだが……こうして運動していると、実に健康的に肉体は火照ってくるな。
俺は砂虫の背脈管にそって刃を走らせつつ、奴の巨体を駆けていく。
勢いよく、砂虫の体液がばらまかれた。
あんなでかいなりをして、砂虫のからだの中には血管が一本しか通っていない。
こいつが体内に染み出して行って、細胞に酸素を届けるってわけだ。
なので、血がなくなっちまえば一巻の終わり。
砂虫は金切り声をあげたかと思うと、どう、と倒れた。
こいつはよく干すと、旨みが出る干物になり、出汁にも使えるらしい。
マギーと二人、いそいそと解体を始める。
「しかし、マギーも物好きだよな。黒貴族なら、もっとどえらい魔術やらで、こんな魔物をぶっ殺せそうなのに」
「あら、言っていなかったかしら。私たち黒貴族は、能力の大半を封印しているのよ。それぞれこちらの世界に現しているのは、疑似餌みたいなものなの」
アンコウの頭についてる提灯のことか。
「万一、本体が倒されたら滅んでしまうものね。悪魔も大概そうよ。疑似餌……正しくは義体が倒されても、別の世界に隠れた肉体が無事なら滅ばないわ。ただ、義体の能力はその悪魔の趣味によって違うみたいだけれど」
マギーは、義体にあまり能力を割り振っていないと言うことらしい。
強さよりは、外見やコミュニケーション能力、便利な魔術を使えるようにしているのだ。
「ふーむ、そうなのか……」
俺は砂虫の美味そうなところを輪切りにしながら、ふとこいつが来た場所を見つめる。
「すると、流石のマギーも、こいつが何をしていたのかまでは見えなかったんだな」
「どういうこと?」
首をかしげるマギーに、俺は首で指し示して見せた。
そこには、散らばる人間の手足と、まだ無事らしい布で覆われた御輿のようなものがある。
人間の手が握っているのは、無骨な形の短剣。
先端は黒く濡れていて、毒らしいことが分かる。
何か厄介ごとが起こってる真っ最中を、この砂虫が有耶無耶にしたんじゃないだろうか。
「なーるほどねえ……。カイル。あなたって、やっぱり才能があるのかも。事件を引き寄せる才能」
「やめてくれ、ゾッとしない」
俺は御輿に近寄って行った。
それは、内側に誰かがいるらしい。
ふるふると揺れている。
「ちょっと失礼しますよっと……!」
布をめくった瞬間、短剣を握り締めた人物が、体ごとぶつかってきた。
俺としては、素人丸出しの動きなど、たとえ不意討ちであってもどうと言うことは無い。
「おっと」
短剣を小脇に挟み込み、剣を握る相手の腕を叩いて離させる。
「うあっ……!」
彼女は……そう、女だ。
質素ながら、作りのいい麻の衣装を纏った彼女は、腕を押さえてうずくまる。
黒い肌をした女だった。
顔を上げると、俺とそう違わない年頃なのが分かる。
彼女は目に涙をたたえて、
「こっ、殺しなさい! アルジャスが族長の娘、ティキは、奸臣の言うことになど従いません!!」
訛りはあるが、流暢なガルム帝国語だった。
おお、本当に厄介ごとを呼び込んだ気がする。
「いや、安心して欲しい。俺はその奸臣とやらとは無関係で、ガルム帝国の方から来ました」
〇〇の方から来ました。
便利なワードである。
ティキと名乗った彼女は、俺の肌の色を見て、同族ではないことを悟ったらしい。
「悪いことは言いません、旅のお方。アルジャスは今や魔窟でございます! 命が惜しくば、立ち去られますよう!」
なんて言ってくるのだ。
一体、アルジャスはどういう事になっているのか。
不謹慎ながら、俺の血はこういう事を言われると沸き立ってしまう。
なんだか楽しそうな事になってきたじゃないか!




