第4話:海賊の黒幕登場。英雄の片鱗覚醒
アイオン・ルドロスは、俺たち剣を志す人間にとって、生ける伝説である。
『ガルム帝国国境紛争』における、狭隘路での獅子奮迅の活躍……いわゆる『ライル河三角州の千人切り』が、彼の名を世界に知らしめたきっかけ。
その後も、悪魔に滅ぼされた村の探索において、村で待ち伏せていた悪魔兵士数十体を、部下を撤退させながら単身で凌ぎきる『ダーブリー撤退戦』、黒貴族アスタロトの計略で勇者ジャスティーンを封印された聖王国で、聖王女を狙って潜伏していた変身悪魔、ドッペルゲンガーを発見して斬り捨てるなど、彼の伝説は枚挙に暇がない。
ドッペルゲンガーの件に関しては、今は神聖プロイス帝国で、俺の祖国イリアーノと敵対する宰相、セブンの介在があったと言われている。
そんな男が目の前に立っている。
正直、こいつの実力を謳う伝聞は眉唾物だと思っていたのだが、とんでもない。
ただの剣で、太い獅子の首を刎ねるなんて、只人に出来ることじゃない。
しかもこいつ……俺がセルディ男爵の弟子だと見抜きやがった。
「ど、どうしてそれを!?」
「初めから分かっておったわ。お前の体の運びは、私がセルディに教えたものだからな。あやつの弟子といえば一人。イリアーノの第三王子が、一体ここに何用だ?」
口を動かしながら、アイオンは攻め寄せる海賊を斬り捨てる。
そいつはまるで抜刀術だ。
剣を鞘に収め、自らの攻撃範囲に敵が侵入した瞬間、抜き放ちざまに叩き斬る。
勢い余ってか、振り切った刃はついでとばかり、もう一人の海賊も上下に両断している。
そして、返す刃でもう一人が真っ二つ。
あまりの剣速に、血糊は切っ先から弾けて飛び、鞘に収める頃にはまっさらなものに変わっている。
「ちょっと事情があってね……! あの国に居られなくなった!」
俺も負けてはいられない。
海賊のサーベルを弾きながら、首筋をカイーナで撫で斬る。
噴き出す血潮。
だが、海賊の動きは鈍るが止まりはしない。
俺はサーベルをかわしながら、奴の胸板目掛けてアンティノラを突き込んだ。
乱戦で、捨て身技の突きは愚策。
だが、氷の魔剣アンティノラであれば問題ない。
「”凍て付かせろ、アンティノラ”!!」
俺の言葉とともに、氷の魔力が放たれ、海賊の上半身は凍結して砕け散る。
すると、そこから飛び出してくる影があるではないか。
「ギィッ!!」
小悪魔のような叫び声をあげるそれは、赤ん坊ほどの大きさ。
白い翼をはためかせ、異常に大きく見開かれた目から、青い輝きがほとばしる。
「こいつは……!」
それは天使だった。
海賊の脊椎のあたりに同化していたのだ。肌は真っ白で、青い血管が浮き出して見える。
手足は宿主と同化する為なのか、吸盤のような形に変化している。
天使は憎々しげに俺を見やると、その目を異常な輝きで満たした。
何か放つ気だ!
「”時を見せろ”!」
俺は時間の流れを操作する。
踏み込み、何かをするまえの天使を真っ二つにした。
「魔剣の力に頼りすぎるなよ。借り物の力に驕れば、いつしか身を滅ぼすぞ」
「分かってるよ!」
生憎俺は未熟なのだ。
視界の端で、アイオンが戦う動きを捉えつつ、押し寄せる海賊たちを斬る。
こいつらは寄り代に過ぎないのだろう。
本体は、脊椎に張り付いた天使だ。
「背中に海賊を操ってる奴がくっついてる! そいつを狙ってくれ!」
「ほう」
アイオンは愉快げに唇を歪めた。
彼の足取りが変わる。
人工島の甲板を滑るように、剣士の体が駆け抜ける。
まとわりつく海賊の顔面を殴り飛ばし、背中を見せた相手に、最小限の動きで刃を走らせる。
脊椎だけを切り裂く戦い方だ。
「ギィィッ!!」
「ギィーッ!」
天使たちがバラバラになりながら、ぼとぼとと落ちる。
そいつはさながら、作業だった。
アイオンは、単調な海賊たちの動きを完全に見切っている。
まるで無尽の野を往くかのごとく、海賊の海を一人、突っ切っていく。
彼が進んだ後には、倒れた海賊と天使の残骸があるだけだ。
「礼を言うぞ、第三王子。弱点が分かれば、面倒は無い」
「正気かよ!?」
正面を向いている相手の背後を攻撃するのだ。面倒が無いとかありえない。
だが、実際にあいつはやってのけているのだ。
俺もやってやれない訳が無い!
「ちっくしょ……化け物め!」
天使のことではない。師匠の師匠の話である。
俺は無理やり、わが身を動かす。
アイオンの動きをトレースだ。秘密はあの足取りだろう。動きを感じさせないほど自然な体重移動。
すり足に近い。
「こう……かっ!」
セルディから習い覚えた剣術の動き。それをさらに最適化する。
正しくは、聖王国正統戦闘術というらしい。剣のみならず、あらゆる武器を使った戦闘法である。
確かに、教えの中にこの動きの基礎はあったように思う。
俺はなんとか、アイオンに近い動きをする。
おお!? すげえ動きやすくなった!
己の挙動に神経を使い、甲板の傾き、凹凸を敏感に感じ取る。全ての地形に最適な体重移動を行い、相手の勢いすらも移動に利用する。
「……っとぉっ!!」
ぐるりと最小限の半径で身を翻し、海賊を受け流した。
あっという間にそいつの背中が目の前に現れる。
そこへ、カイーナを走らせるだけだ。
凍りついた天使が出現し、砕け散る。
こいつは捗る。
一瞬気を抜けば、元の動きに戻ってしまう。これを自然体でやれれば、俺は一段と強くなるだろう。
「ふむ、歩法を見よう見まねでやって見せるか? では、これはどうだ」
飛来してきた、白い翼を持つ大鴉。
アイオンはそいつ目掛けて歩みを進めた。
鴉は叫び声と同時に、翼から、まるで矢のように羽根を降らせる。
甲板に突き刺さるそれの合間を縫うように、アイオンは動いた。
ぬるぬる動きやがる。
そして遥か高みにいるはずの鴉が、気づくと両断されている。
アイオンの剣が、鞘に収まる音がした。
「剣閃を飛ばすのだ。魔力がある剣では、あたら力があるだけに、技を邪魔するぞ」
それは見よう見まねでもいきなり出来ねえよ!?
アイオンが目の前で、自前の対空砲火で次々と鴉を落としていく。
ホント化け物だな、あのおっさん。
そうこうやっているうちに、人工島側の防衛体制も整ったようだ。
支援の射撃が周囲から行われてくる。
アイオンは獅子や鴉の群れを相手取りながら、俺に目配せ。
「行け。船の中に本体がいるぞ」
「あんたが行けばいいだろ!?」
「お前ではここは支えられまい。何事にも適材適所というものがある。お前は……大物食いが得意そうだからな」
この鉄面皮のつらに、笑みが浮かぶとは。
「分かったよ! やってやるよ!」
俺は叫び、相当に数を減じている海賊たちの群れに飛び込んだ。
アイオンから盗んだ歩法で、隙間をするすると抜けていく。
振り返る暇はない。
そのまま船の渡りに到達すると、一息で駆け上がる。
頭上からは、弓矢が降って来るが知ったことではない。
「”瞬け、カイーナ”!!」
俺は一瞬で、弓矢が降り注ぐ場所を突破する。
到達したのは海賊船の甲板だ。
すぐ目の前に、船長らしき奴がいる。
この豪華な服装、間違いないだろう。
「もらうぜ!!」
俺は駆け寄りざま、アンティノラを一閃した。
船長の上半身が斜めに切り裂かれ、凍り付いて砕ける。
「よしっ、終わり!」
俺は油断無く他の海賊たちに目線を向けながら宣言した。
ところがだ。
嫌な予感がする。
船長は倒したっていうのに、海賊たちは動きを止めないのだ。
一体何だって言うんだ?
『不浄なる大地の異端者よ! 大人しく裁きを受け入れよ!』
突如、声が響いた。
俺は胸板にひやりとした気配を感じ、慌ててアンティノラを突き立てる。
そこに、空中から出現した槍が突きこまれた。
「うおおおっ!!」
とんでもない馬鹿力だ。
攻撃は防いだものの、勢いを殺すことが出来ず、甲板の上を吹き飛ばされた。
背後にあった樽に踵をたたきつけて、無理やり停止する。
すると、目の前には槍の穂先が迫っていた。
「ちいっ!!」
カイーナを穂先に這わせながら、攻撃を受け流す。
長大な槍を握り締める、そいつと目が合う。
おお……。天使だ。
槍と盾を持ち、四枚の翼を生やした甲冑姿の天使がそこにはいた。
青く輝く目が俺を睨みつけている。
『何故抗うのだ、異端者よ!!』
「うるせえ!! 黙って殺される馬鹿がいるかよ!」
力任せに槍を引き戻す天使。
付き合っていられない。
俺は地面を転がるようにして、そいつの前から離れた。
直後、俺が居た場所に突き込まれる強烈な一撃。
「”凍て付かせろ、アンティノラ”!!」
氷の魔力を全開に、俺は魔剣を天使に叩きつける。
だが、そいつは盾によって阻まれた。
『下等な魔力など通じぬぞ!!』
盾が凍りつく気配は無い。
こいつ、剣の魔力が通じないのか!
さっき放たれた、アイオンの言葉を思い出す。借り物の力に驕れば身を滅ぼす、だったか。
全くその通り。
だが、やってみる価値はあるじゃん?
「”時を見せろ”!」
『通じぬと言っている!! ”反魔”!』
うおお、アンティノラの魔力が発動しない!
だが焦る余裕などない。
天使が俺目掛けて、鎧に覆われた蹴り足を突き出してくる。
俺はそいつを受け止めることなく、甲板を蹴って後退した。
背後から襲いかかろうとして海賊を、振り向きざまのアンティノラの一閃で切り倒す。
天使の足が、甲板を叩き割る音がした。
やべえ。
受け止めたら骨が折れるぞ、あれ。
『貴様らっ! 悪魔に従うっ! 異端者はっ! 全てっ! 滅さねばっ! ならないのだっ!!』
天使は暑苦しく叫びながら、槍を振り回し、盾を叩きつけ、突進してくる。
俺がそいつを避けるたびに、海賊たちが巻き込まれ、大変グロな有様と化す。
「なんでそうまでして、俺たちを敵視するんだよ!? 悪魔に従うとか……あー……まあ、そうねー」
天使が俺たちを敵視する理由が分かる気がする。
俺が生まれた国、イリアーノは、悪魔アリトンに庇護されていたような国である。
世界の様々なシステムに悪魔は食い込んでいるし、イリアーノから北方諸国の国教である『暁の星教』は、『明けの明星ルシフェル』を現しているそうな。ルシフェルってルシファーだろ? サタンだろ? 悪魔じゃん!
で、この世界の人間は、何故だか天使という概念を知らないのだ。
なんか俺、この天使の話を聞いて、断片的に分かっちゃったなー。
『否定せぬのがその証拠よ!! さあ、悔い改めて死ねい!! そして地獄へ落ちよ!!』
「殺された上に地獄に落ちるのかよ!?」
振り回された槍が、俺の真横の甲板を叩き割った。
鈍らで受けたら確実に折れるし、持ち手ごと持っていかれる攻撃だ。
俺は奴の攻撃に合わせて、反撃を行う。
だが、こいつは守りにも長けている。
盾を巧みに動かして、俺の剣を防ぐのだ。
決め手が無い!
『おおおおおおっ!!』
天使が雄叫びと共に、甲板を強く踏みしめた。
そこから魔力のようなものが発現したのだろう。
突如、海賊船全体が大きく揺らいだ。
人工島との渡しを吹き飛ばす勢いで揺れたのである。
俺も一瞬、体勢を崩す。
「やべっ……!!」
天使と目が合った。
あいつは槍を引き戻しながら、傍目にも分かるほど、魔力を発し始める。
何があからさまかって、天使の四枚の翼がギラギラ輝き始めたのだ。
俺が体勢を立て直す直前、
『悔いッ!! 改めよッ!!』
叫びとともに、奴の前方に向けて放射線状に、衝撃波が放たれた。
「ぐうっ……!!」
全身の骨がみしみしと軋む。
俺は辛うじて、カイーナを甲板に突き立てて、吹き飛ばされまいと抵抗する。
だが、こうしている間にも、カイーナは甲板を凍りつかせていくのだ。
衝撃波の終わり際、ぴしり、と嫌な音がして、甲板は砕け散った。
「うおああああっ!?」
俺は舳先目掛けて転がっていく。
落ち際で、なんとかアンティノラで船べりを斬りつけ、踏み止まった。
耳がキーンと鳴り、他に何も聞こえてこない。
手のひらがぬるりとする。
物理的な威力すら伴う衝撃波だ。
俺の体は、あちこちボロボロに傷ついているのではないだろうか。
霞みかける視界の中、確かに分かる歩みの振動と共に、天使が迫ってくる。
吹き飛ばされた時に、カイーナは手放してしまったようだ。
手にするのはアンティノラ一振り。
なかなか素敵な状況だった。
俺は笑えてしまうほど厳しい現状を認識しつつ、剣を腰に収める。
そこには、アンティノラの鞘がある。
天使の唇が動いた。
恐らく、俺の往生際の悪さを罵っているのだろう。
知るか、バーカ。
誰が黙って死んでやるかよ。
俺は、ここで死ぬ訳には行かないのだ。
なぜなら。
浮かぶのは二人の少女の顔。
マギーと、セシリア。
俺は少なくとも、マギーに、俺が紡ぐ英雄の物語を見せてやりたい。救い出された恩返しだってまだだしな。
セシリアが信じた英雄と、同じ名前の俺は、かの英雄の名に恥じぬ戦いをしなければならない。もう一度彼女にも会いたいし。
体が取った動作は、アイオンの動きのトレースだった。
こいつは、抜刀術。
本来なら、鞘から抜き放つまでに加速を終えた剣で、軌道を読ませぬまま相手を斬る技。
だが、アイオンのこれは違う。
抜き放たれた瞬間が見えなかった。
つまりは……。
鞘に漲る魔力。
アンティノラから借りたものばかりではない。
俺の中にも、魔力が眠っていたようだ。
体内から湧き上がる力を感じながら、それを鞘に注ぎ込む。
氷の魔剣だというのに、熱を持つアンティノラ。
僅かに聴力が戻ってきた。
捉えたのは、天使の声。
『逝くがいい、異端者よ!!』
「逝くのはてめえ……だッ……!!」
突き出された穂先を見ながら、俺の手は、体は、全身で刃を鞘走らせる。
漲った魔力が、抜き放たれる剣を加速させる。
こいつはつまり、魔力を使って加速したレールガン風抜刀術。
生前にあっちで遊んだアドベンチャーゲームにも、そういう技が出てきたはずだ。
まさか、実用できるものだとは……!!
音は遅れてやってきた。
振りぬかれた俺の剣は空を裂き、その途上にあった天使の槍を、盾を、鎧に包まれたその肉体を、深く切り裂いている。
巻き起こったのは衝撃波。
『おおおおあああああああッ!!』
叫びながら、天使は切り裂かれた傷から、激しい光を発する。
衝撃波に全身を打たれ、光を瞬かせながら、奴はまるで傷口に吸い込まれるように、消滅していく。
俺のように衝撃波だけを食らったのではない。
レールガンの要領で加速された斬撃の追い討ちとして、衝撃波にやられたのだ。
天使は消え、残ったのは手のひらに収まる程度の輝く石だった。
これが、世間に出回っている魔力石、パワーストーンなのだろうか。
もしかして、パワーストーンって天使原産なのか。
俺は甲板の上、ボロボロになった体で座り込んだ。
もう動きたくない。
城から脱出した時よりも、よっぽどつらいじゃないか。
それに、アイオンの技を見ていなかったら、俺は死んでいた。
どうやら我が身は、一度見た技を再現する才能があるようだ。だがまあ、抜刀を放った腕は感覚が無いし、鞘に集めた魔力は根こそぎ持っていかれ、腹のそこから少しも魔力が湧き上がってこない。
加減というものが出来てないんだな。
しばらくして、海賊船の下辺りから歓声が聞こえてきた。
どうやら勝ったようだ。
「やれやれ、全く世話の焼ける英雄様ね」
迎えにやってきたらしい、黒いミニスカートの、小生意気な少女の声。
心地よいその響きを聞きながら、俺は意識を手放した。
目覚めると英雄扱いだった。
包帯でぐるぐるに巻かれた俺は身動きもままならなかった。
マギーが手当てしてくれたようだが、なんてへたくそな手当てなのだ。
そんな俺の手を取って、人工島の代表だという老人がにこやかに笑う。
「このような若さで、海賊どもを退治するとは……! カイル殿は英雄となられる方なのかもしれませんな」
曖昧に笑っておいた。
それなりにいい金額の報奨金が出たので、俺たちが今後旅をする上で、助けになることだろう。
俺が倒したのは、厳密には海賊じゃない。
天使に操られた海賊だったが、それは今話すことでもない気がする。
天使っていう概念が無い連中が、あれを説明されて理解できるとは思えない。
「ま、まあ、今後はああいうのがあるかもしれないんで、島でも気をつけたほうがいいですよ」
「はい。ディアスポラから傭兵を雇い入れるとしましょう。今あの国では、勇者エドガーが戻ってきたと沸きかえっておりますからな。直接、かの勇者から教えを受けた傭兵たちも誕生しているはずです」
「は、はあ。頑張ってください」
俺は投げやりに会話を終えた。
自分の父親よりも年上の人間から敬語を使われると、どうしていいか分からなくなる。
マギーはそんな俺の姿を見て、声を殺して笑っていた。
聖王女一行は旅立ってしまった後らしい。
きっと聖王国へ戻るのだろう。
「言伝はもらってないわ。もらう気がないもの」
さらっとマギーがそんな事を言うので、俺はひどく嘆いた。
あんまりだ。
セシリアから一言くらいもらってもいいではないか。
「それよりカイル。あなたカイーナを放り出したでしょ。困るのよ。四本しかない魔剣の一つなんだから。探すのに、昨日一日かかったわよ!」
今度はぷりぷりと怒り出すマギー。
俺たちの痴話喧嘩めいたやり取りを見て、人工島の代表は笑いながら去っていった。
「いや、それはさ。仕方なかったんだよ。まさか相手があんな……あんなとんでもないのだとは思わないじゃないか」
天使という言葉を出すのはやめておく。
マギーだってこの世界の人間だ。人間じゃないかもしれないけど。
天使を知らない可能性だって高い。相手は羽が生えた悪魔みたいな奴ということにしておく。
「悪魔だったの? おかしいわね。この辺りを管轄する悪魔は今はいないはずだけれど……。フォルネウスも地上勤務になっているし」
「フォルネウス?」
城で教えを受けた先生の名前が飛び出してきて、俺はびっくり。
でも多分、俺の名前と同様、悪魔と同じ名前をしてるだけだろう。
「確かに悪魔だったの? だとしたら、誰の部下なのかしら」
マギーは、むむむ、と考え込んでしまう。
「四枚の白い羽根があって、鎧を着てたよ。槍と盾を持って……魔剣が通じないんだもんな」
「そりゃそうよ。名前のある悪魔に、あの程度の魔剣が通用するはずがないわ」
「ええっ!?」
今になってひどい事を言う。
あれが名前のある悪魔だったらどうするつもりだったのだろうか。
「魔剣に頼って死ぬようなら、それまでの男ってことだもの。でも今度もカイルは戻ってきたじゃない? あの剣士に助けられたとしても、上出来上出来」
彼女は、ベッドに横たわった俺の頭を、ぽんぽん、と叩いた。
そんな事をしていると、また眠くなってくる。
「寝る前に、水を飲んで、せめてスープくらい口にしなさいな。血が足りてないわよ」
そう言われて、やたら癖のある味のどろりとしたスープを食わされた。
なんでも、血を作るのに必要な栄養が含まれたスープらしい。
水差しから直接水を飲むと、落ち着いた。
「悪い、じゃあまた一眠りするわ」
「おやすみ、カイル。次に目覚めた時は、人工島を発つ時よ。……それにしても、白い翼に鎧なんて、まるで天使じゃない……」
マギーの声を聞きながら、俺は眠りに落ちていった。
翌日、俺とマギーは船の上。
目指すのは一路、南方にある大国、ガルム帝国。
地形的にはエジプトだな。
だが、この世界にはサハラって感じの砂漠は無いらしい。緑に溢れた、むしろ聞く限りではジャングルのような国だという。
「今、ガルム帝国はきな臭くなっているわ。北にある傭兵王国、ディアスポラと一戦構えようとしているの。途中に聖王国があるから、そこを迂回する形で両軍がぶつかるでしょうね」
「うわ、戦争かあ」
「何を嫌そうな顔しているのよ。イリアーノだって現在進行形で戦争しているじゃない。しかも負け戦」
「まだ負けると分かったわけじゃ……」
「あら、貴方から見てもまずい戦略を立ててるイリアーノが勝つっていうの? どれだけ神聖プロイス帝国はお間抜けなのかしら」
ポンポンと言われて、俺は黙ってしまった。
まあ、そうだよな。
イリアーノが勝てるわけ無いよな。
勇者が存在しないとしても、プロイス帝国は強い気がする。何より、勢力を拡大している最中だ。勢いがある。
「まだ未練とかあるわけ?」
「生まれた国だしなあ……。フェリックは嫌いだし、親父は優柔不断だけど、国自体は嫌いじゃないんだよな……」
「それじゃ、自分がもっと大きな英雄にでもなって、助けに戻るしかないわね」
そいつはなんともロマンのあるお話で。
やる気が無さそうな俺の顔を、マギーは楽しそうに見上げている。
「でさ。マギーはその戦争中なガルムに行って、何をしようって言うんだ?」
「色々よ。私も無駄な戦争なんて起こされたら迷惑する立場なの。とりあえず、戦争を止めなくちゃいけないわ」
「それはまた……大きく出たね」
「他に言いようがないのだもの。とにかく、人間って本当に戦争が大好きなのよ。同胞同士で争ってる場合じゃないって分かっているはずなのに、どうしていつもいつも、面倒ごとばかり引き起こすのかしらねえ……」
俺たちが海に向いて喋っていると、どうやら水夫たちが集まってきたようである。
「おうい、お二人さん、すっかり英雄になっちまったじゃないか。そこでどうだい。また俺たちに娯楽を提供してもらうって訳にはいかんかね?」
何たることだろう。
この病み上がりに、マギーと模擬戦をやれと言うのか。
「いいわよ。船賃代わりに見せてあげる。その代わり、今夜の食事をサービスなさいよ?」
「もちろんだ! いっちょ派手なのをたのむぜ!」
俺は嘆きに天を仰いだ。
せめてゆっくり寝かせてくれ。全身がまだ痛いのだ。
そんな俺の傍らにやってきたマギーが、囁いた。
「それではこうしない? 私から一本取れたなら、おっぱい触らせてあげる」
「やろう」
俺はこれまでに無いくらいりりしい顔をして剣を取ったのである。




