第3話:聖王女の休日? 或いは海賊襲撃
俺の全身の毛が逆立つ、と言うのだろうか。
師匠やマギーを相手にした時以上の危機感だった。
俺を睨む壮年の男。
引き締まった体躯に、全く隙の無い立ち振る舞い。おっさんなどとはとても呼べない、現役の戦士。
分かりやすく言うなら、この男、今の俺より遥かに強い。
恐らく当分、俺はこいつに勝てない。
「殿下から離れろ、と言っている」
「待ってください、アイオン」
俺を抱きしめていた彼女が、振り返って言った。
アイオンというのがこの男の名前なのか。どこかで聞いたような。
彼女は俺に振り返り、微笑んで見せた。涙をこぼしたせいか、ちょっと目元が赤い。
「ごめんなさい。昔の想い人によく似ておられたので、取り乱してしまいました。私はセシールと申します」
「あ、ああ。似てたのか、偶然だなあ」
「はい、偶然なのです」
セシールと名乗った彼女は、そこで話題を打ち切った。
これ以上は続けられまい。無理に話をして、彼女の機嫌を損ねたくない。
というか、今は彼女に嫌われるようなことは何もしたくなくなっている。
恥ずかしながら、俺はセシールに一目惚れしてしまったようなのだ。
恐らく、年の頃なら俺より少し上くらいだろう。
だが、そんな年齢差よりもよほど、セシールは大人びて見えた。
だからこそ、磯焼きに齧り付いた仕草や、俺に抱きついてきた姿にギャップを感じて、そういうところがとても愛おしく感じる。
「殿下、御身の両肩には国の未来が掛かっているのです。どうか、軽率な行動はご自重ください」
「分かっています。カイルさん、先ほどはありがとうございました。磯焼き、とっても美味しかったです」
「あ、ああ」
これが別れの言葉なのかと思い、俺はちょっと切なくなった。
恋に落ちた瞬間に別れるなんて、まるで戯曲の一編みたいじゃないか。
お? ってことは再会するのも運命なんじゃないか?
なんてちょっと気休めを考えたり。
殿下と呼ばれると言うことは、彼女は高い地位の人間であると言う事だろう。
セシールもきっと偽名だ。
ぜひ、お近づきになりたい……というか恋人になりたい。
「お代金は後ほど、宿に届けさせますから。どちらにお泊りになっているか教えていただけますか?」
「あ、まだ、どこに泊まるかは決めてないんだ。気にしないでくれていいよ。セシールが喜んでくれたなら、俺はそれで嬉しいし」
「そうですか?」
「男ってそういうもんだよ」
じっと俺を見据えているアイオン。
ふと、何かに気づいたように目が細められた。その直後、彼はその目に宿していた険のようなものを、解きほぐした。
口からこぼれる言葉は、存外にフレンドリーな声である。
「ふむ、よくある下心以外に他意は無いようだな。悪かったな。セシール殿下はさるやんごとなき貴族のご令嬢なのだ。故、近寄る良からぬ輩から守らねばならん」
あ、なんか見透かされたっぽいぞ。
こいつには、マギー同様の底知れなさを感じる。
だが、俺の警戒をよそに、この強面壮年剣士は主の空気を読んだようだった。
「殿下、私は所用でまた少し席を外します。日時計が五つを指す頃に、この広場で落ち合いましょう」
セシールが目を丸くする。
彼女が驚いているということは、この男の申し出は、普段ならとても有り得ない話だと言うことになる。
アイオンは俺とすれ違って去っていく時、
「手出しはするなよ? もっとも、お前程度では殿下に不埒なことなど働けまいが」
などと、恫喝なのか忠告なのか分からない言葉を残していった。
「許されたのかね……。保護者公認デートとか」
「デート、ですか?」
言葉の意味が分からず、セシールは首をかしげた。
この仕草もどうしようもなく可愛い。
逢い引きという意味だが、伝えなくていい気がする。
「殿下はどこに行きたいんですか? 俺、土地勘が無いですけど、なんでも案内しますよ」
「まあ。殿下なんて、他人行儀な呼び方はやめてください」
セシールがぷいっとそっぽを向いた。
俺、ちょっと慌てる。
「えっ、そ、それじゃあなんて呼べば」
「セシール、です。ちゃんと名前で呼んでください、カイル」
「は、はいっ……」
やべえ、俺、赤面。
かくして、俺はセシールと、この人工島を巡ることになった。
島の名所だと聞いてやってきたのは、小船で作られたドーナツ型の小島。
中央部に開いた穴から、時折噴水が吹き上げている。
この小船は、最初、珊瑚礁跡に乗り上げて放置されたものだったそうだ。
いつしか珊瑚礁は成長し、水面に突き出して白化した。
珊瑚礁の中身は何らかの理由で削れて無くなり、中空となった中央部へ、周囲から水が流れ込む。
それがうねり、ちょうど船の間から噴水のように噴き上がるということだ。
ここに後ろ向きに銅貨を放り込むと、幸せになれるとか、ならないとか。
「言い伝えはなんとも胡散臭いね……」
「あら、メルヘンチックじゃないですか?」
セシールはウキウキだ。
今度はアイオンから細かいお金をもらったようで、さっそく小さい銅貨を取り出して、噴水に背を向けている。
「えいっ」
ぽいっと放り投げた。
残念、噴水から外れて、小船の上に載ってしまった。
小船のそこここに、噴水に入り損ねたらしい銅貨が散らばっている。
水底にも、無数の銅貨の姿。
小銭だが、これだけあれば結構な金額だよな。ここの金を浚わないのは、人工島暗黙の了解なんだそうだ。
「ぶう」
セシールがむくれた。
絶世の美少女がほっぺたを膨らませている光景は、なんともアンバランスだけど、もうどうしてやろうかというくらい可愛い。
「今のは練習! はい、セシール、もう一枚!」
俺が小銅貨を手渡すと、彼女はこくりと頷く。
「ええ、今度こそ成功させて見せます」
背中を向けて、深呼吸。そして。
「風の乙女よ導け、優しき一吹き、狙いを定め……”助けの風”」
途端に、セシールの前方から風が吹いた。
そよ風だ。
彼女が投じた小銅貨は、風にふわりと煽られて、今にも小船に落ちようとしていたのが舞い上がる。
そして不自然な軌道で噴水にぽちゃり。
「やりました」
ぐっと力瘤を作って見せる、お茶目なセシール。
今のは魔術だよね?
何も媒体も杖もパワーストーンも使わないで、しれっと魔術使ったよね?
「い、いいんです。魔術も私の力です。ずるではありません」
「そう言う事にしとく」
俺が偉そうに言うと、セシールはちょっと膨れた。
そして、むーっと二人でにらみ合って、すぐ、どちらとも無く笑い出した。
笑いが止まらなくなる。
「もうっ、なんであんなところで魔術を使うのさ……!」
「だっ、だって、悔しいじゃないですか」
ようやく笑い終えて、俺は彼女が負けず嫌いなのだと知った。
ちなみに俺は、一発でコインを投げ入れることに成功している。
「そんなに上手いなんて、カイルはずるいですよ!」
「なんで!?」
「そういうところが昔と変わらないのは、どうかと思います!」
「昔……?」
違和感を覚える単語の登場。
俺は少しだけ考え込む。
俺とセシールは、さっき出会ったばかりだろう。確かに一目見ただけで、背筋に電流が走るような、強烈な恋愛感情に襲われたが……。
「あ、いえ、なんでもないです。昔聞いた物語に登場する英雄も、同じような方だったのです」
「ああ、そういう……」
セシールは夢見がちな子なんだろうか。
それはそれで可愛いな。
俺は彼女に関することなら、大体好意的に受け止めることが出来る気がする。
「次はどこに行きましょう」
日傘の下、抑え切れずに零れるセシールの笑顔。
俺の頬も、知らず緩んでくる。
「そうだねえ。あっ、あそこにある案内図で確認してみようか」
人工島は、その特異な生まれから名所も多い。
幾つもの船をつなぎ合わせて、海上に固定しているのだから、地上ではお目にかかることが出来ない風景が頻出するわけだ。
中には、本来とは違う用途で有名になってしまったものもあって……。
「ここに突き出した艦首は竜の形をしていて、口に手を入れると、正直者なら福があり、嘘つきは腕を食いちぎられるとか……」
「まあ」
わざとらしくセシールは驚いて、くすくす笑った。
俺、なんかこういうシチュエーション、古い映画で見たことある気がするな。
その映画では、相手はこっそり街へ抜け出してきた王女様だった。
「それじゃあ、実際に手を入れてみようか」
「カイルがやるの?」
「セシールがやりたかった?」
「遠慮しておきます。だって私、うそつきですもの」
またまた、と俺は思う。
そして、彼女を驚かせてやろうと考える。
あの映画のように。
「じゃあ、入れるよ?」
「はい、どうぞ」
セシールの様子はつんと澄ましていたが、その実、ちょっと緊張しているようだ。
目がじっと、俺の手の先を見つめている。
俺は彼女のほほえましい姿に笑いながら、腕を竜の口に突っ込んで……。
「あうちっ!! うわあああ」
「きゃあ!?」
ちょっとわざとらしいかな? という演技と共に、腕を引き抜いた。
袖に手を隠して……。
「ああーっ、俺の手がー!!」
「カッ、カイルッ!? た、大変です!! 万物を司る原初の精霊、混沌より万能の力を汲み上げ、失われた肉体を取り戻したまえ……!! ”再構築”……」
慌てたセシール。
その反応は俺の想像以上で、しかも、彼女はどでかい魔術の詠唱を開始してしまった。
セシールの全身が白く輝き、周囲の空間が虹色に染まる。そこから魔力が抽出されて……って、やばいやばい!
「ちょっと待った! セシール、冗談、冗談だってば! ほら、俺の手はあるから!!」
「はっ」
袖から突き出した手に、まさに魔術を発動しようとしていたセシールは呆然。
ぎらぎら虹色に輝く空間は、ゆっくりと落ち着きを取り戻していった。
もう、凄い形相をしたアイオンがセシールの背後まで迫っている。
マジごめん。
ってか、やっぱ遠目から護衛してるよな。うん、わかってた。
セシールが気づく前に、アイオンはスッと姿を消した。忍者か。
「もう……びっくりさせないでください」
彼女はちょっと涙目。
ウーン、やりすぎてしまった。泣かせるつもりは無かったんだが……。
「ごめん。それじゃあ、お詫びにさ……」
オーシャンビューのカフェで、ティータイムなんてどうだろう?
そこはちょっとお高いカフェ。
なんと魔術が経営していて、一日に個数限定で、氷菓子を注文することが出来る。
出来立てホヤホヤだ。冷たいんだけど。
甘いシロップがかかった氷菓子に、熱い茶を頼み、俺たちはちょっとゆったりする事にした。
店に来るまでは、ぺちゃくちゃとお喋りしていた俺たちも、今だけはちょっと静かに。
店の前に広がる、真っ白な砂浜。
元々は沈みかけた甲板だったのが、珊瑚の欠片や土砂が運ばれてきて、砂浜になっていたのだそうだ。
沖のほうで甲板が途切れるし、痛んだ足場が崩れるかもしれないので、進入は禁止されている。
だが、こうやって見る分には実にロマンチックなのだ。
「きれいですね……。ずっと家の中にばかり篭っているから、何もかも新鮮です。だけど、ここは格別」
「そうだね。俺も似たようなもんだったけど、今は家を飛び出して来て良かったって思ってるよ」
さて、ぼうっとしていては、氷菓子が溶けてしまう。
さくさくしている内にいただいてしまおう。
木で作られた匙で一掬いして、口に運ぶ。
広がる味わいは、チープだが懐かしい、かき氷のそれだ。
「冷たいっ……それに……甘い。これが、外の世界の味なのね」
「セレーネ、それも、外の世界の味だよ。世界にはまだまだ、色々なものがあって、みんな驚きに満ちている」
「本当。……カイルは、こういうことに詳しいのですね?」
「まあね」
言っては見たが、カイル王子としての俺だけなら、セシールとそう知見に差はあるまい。
前世の記憶も一緒に持っている俺だから、庶民の記憶って奴を生かすことができるのだ。
俺はセシールと至福の時間を過ごし、やがて時は夕刻へと移り変わっていく。
ふと、カフェから見える水平線の彼方に、ちかちかと瞬くものが見えた気がした。
蜃気楼か何かかと思い、その時は気にしなかったのだが……。
「それじゃあ、セシール」
「ええ。とっても楽しかった。カイル、またいつか、お会いしましょう」
俺たちの別れは呆気ないものだった。
昼に出会った、屋台の広場。
迎えに来た……というかずっと近くにいたのだが……アイオンに連れられて、彼女は去っていった。
またいつか、か。
そのいつかが、すぐに来てくれるよう、望む俺がいる。
これが運命の出会いであってくれればいいな。
「……見たわよ」
急に背後から声を掛けられ、俺は心臓が止まるかと思った。
直前まで何の気配も感じなかったのだ。
こういう出現の仕方が出来る奴は、俺が知る限りでは、アイオンともう一人。
「マギー……! いきなり後ろで声を出さないでくれよ……!」
「ふん、もてる男は辛いわねえ。あなた、一体どうやって彼女に取り入ったの?」
俺より頭一つ分は背の低い小柄な少女が、鋭い目線を向けてくる。
「は? 取り入ったって……。俺と彼女は偶然出会っただけで」
「偶然出会っただけの男と逢い引きするほど、あの女の尻は軽くないわ」
「……マギー、セシールのこと、何か知ってるのか?」
俺の言葉を聴いて、マギーは鼻で笑った。
「知ってるなどという次元ではないわ。貴方に名を偽ったあの女は、実質の権威なら教皇など比べ物にもならない人間よ。この世界……ガーデンで最も貴い存在とされる女。貴方も知っているでしょう?」
「まさか」
そこまで言われれば、誰だってわかる。
いや、この世界に生きる者で、彼女の名を知らない者など存在しないだろう。
世界の中心にある国、聖王国エルベリアで、数百年に一度生まれる、聖なる乙女。
ガーデンという名のこの世界で、全ての人間たちの頂点に位置する女。
聖王女セシリア。
宿を取り、今夜のねぐらにやって来た時には、とっぷりと日が暮れていた。
さっきまで、生まれてこの方最高に高ぶっていた俺の心臓は、今はお通夜じみて調子が悪い。
一目惚れしてしまった謎の美少女セシールが、よりによって聖王女だったのだ。
聖王女セシリアがこの世界で貴ばれる理由はこうだ。
数百年前、同じ聖王女を名乗る存在が、勇者カイルと共に世界を巡った。
二人は、人間を苦しめる悪魔たちと戦い、数々の悪魔を打ち破り、世界中に伝説を残した。
彼らが築き上げた国が聖王国であり、彼らが世界に伝えた伝承や技、魔術が今も世界に残っている。
それらは、人間が、悪魔や魔物といった外敵と戦う為の武器となっているそうだ。
当の初代聖王女は、黒貴族ベルゼブブに殺されている。
聖王女と旅を共にした、最初の勇者カイル。
彼はベルゼブブと戦い、一度は黒貴族を倒すものの、滅ぼすことは出来ず、その身を因果地平の彼方に封印されたと言われている。
これがただの伝説ではないことは、ガーデンに住まう民なら誰でも知っている。
何せ、実際に悪魔はいるし、魔術は存在し、勇者と呼ばれる、悪魔を凌駕する能力を持った超人がごく稀に誕生する。
ゆえに、聖王国に登場する聖王女を名乗る存在は、ガーデンにとっての、絶対不可侵とも言える生ける権威なのだ。
勇者の存在を証明し、人が強大な悪魔に抗った歴史の象徴そのものなのだから。
そんな彼女と俺はデートしたのだ。
もう混乱して当たり前であろう。
「なにやら悲劇の主人公のような顔をしているわね。そこまでショックだったかしら?」
マギーはひとっ風呂浴びて、すっかりくつろぎモードである。
彼女は宿の外で自前の風呂を作っていた。
魔術を行使して、汲み上げられた海水を真水に変えるのみならず、それをあっという間に適温に沸かしてしまったのだから、宿の主人は顎が外れんばかりに驚愕していた。
今は、だぶっとしたパジャマを身につけて、二段ベッドの上に腰掛けながら、足をぶらぶらさせている。
こうして見ると、可愛らしくも、幼さを残した飛び切りの美少女なのだが。
「気にしないことね。むしろ、一生に一度も無いことよ? 幸運だったと思って、思い出に変えてしまうのが良いわ」
「案外優しいんだな? マギーのことだから、気づかなかった俺の間抜けっぷりを言ってくるものだと思ってた」
「あら、私はそこまで性格が悪くはないわよ? むしろ聖王女がああまで心を開く、貴方という人間に、俄然興味が沸いて来たわ。助けておいてよかった……!」
「俺はマギーのおもちゃかよ!?」
「似たようなものではないの?」
悪びれずに言われてしまっては、なんとも言い返しづらい。
そして、俺は思い出す。
うそつきの手を食いちぎるという竜の口で、セシール……いや、セシリアが言った言葉だ。
彼女は、「だって私、うそつきですもの」と言った。
少なくとも、俺に対して名前や立場を隠していたことを、彼女は後ろめたく思っていたんじゃないだろうか。
うーん。
「青いわねえ」
「マギーだって俺と変わらないようなもんだろ?」
「私は見た目以上に年を重ねているもの」
そうだった。
こいつは前世の言葉で、ロリババァという奴なのだ、多分。
「今、失礼なことを考えたでしょ」
「俺の思考を読んだ!?」
アイオンに続き二度目である。
ちくしょう、この世界は人の考えを読み取るような、恐ろしい奴ばかりがいる!
「カイルは顔に、考えていることが出すぎなのよ」
「あっ、そ、そうでしたか」
落ち着け、俺の表情筋。感情に素直すぎるのも考え物だな。
ぐだぐだと喋る時間は終わり。
気分が沈んで、夕食の味も分からないくらいだったが、マギーと喋ったおかげで少し気が晴れた気がする。
今日はもう寝よう。
なんとも、波乱に満ちた一日であった。
そう思って、下着姿で床に潜り込んだのだが……。
どっこい、一日はまだ終わってなどいなかったのである。
突如、激しく鐘を打ち鳴らす音。
「なっ、なんだ!?」
俺が慌てて跳ね起きると、上のベッドからマギーが転げ落ちてきた。
「ふぎゃっ」
「うげっ」
彼女は俺と追突して、互いに潰れた蛙や猫みたいな声をあげた。
マギーは俺を覗き込んでいたらしい。趣味の悪い奴だ。
それが、ガンガン鐘を鳴らされて、驚いて落ちてきたのだ。
「一体、なんなんだ!? こんな真夜中に非常識な!」
俺が腹を立てていると、マギーは頭に出来たたんこぶをさすりながら、涙目で言った。
「おお、いた……。 その、非常識が起こったんでしょ? さしずめ怪物が襲ってきたか、海賊が襲ってきたか……そんなところじゃない?」
確かにそうか。
非常識な行動の裏には、非常識な真実がある。
俺はとりあえず上着の上下を羽織ると、外に出た。
まだパジャマ姿のマギーが背中にぶら下がっている。
「おい、自分で歩いてくれよ!」
「いやよ。この服、裾が長くて、地面に擦れてしまうんだもの」
おかげで、実に間抜けな姿になる。
腰に剣、背中に女の子を装備である。
周囲は明々と照らし出されている。
聞こえるのは、鐘の音と、そして叫び声。鬨の声。何か、人間ではないものが吼える声。
「カイル、あれ、あれよ」
俺の肩越しに、マギーが指差した。
その方向に、巨大な船がある。ガレー船だ。
あんな船は、夕方まで、人工島には無かったはずだ。
だが、現実に存在している。
ということは、夜間にやってきたということだろうか。
船は直接人工島に乗り付けてきている。
ルール違反だ。
あんなことをしては、人工島の甲板が傷んでしまう。
「けしからん違法行為だな。ああいうマナーがなってない奴がいるから駄目なんだ」
「何を暢気なことを言っているの? あれ、海賊よ?」
「えっ!?」
ガレー船の見張り台に翻る、巨大な旗。
それは、俺が知る世界のものと、微妙には違えと確かに海賊旗。
更に、海賊船からは武装をしていると思しき男たちが降りてくる。中には人間ではないものまでいる。あれはなんだ。
「人間と魔物の混成部隊ね。でもおかしいわ。あんな魔物、見たことも無い」
一見すると、でかい獅子。だが、四肢からそれぞれ翼を生やし、尾の戦端が刃になっている魔物。
一見すると、でかい鴉。だが、黒い翼の他に、白い翼を四枚も持つ魔物。
一見すると、でかい馬。だが、背中から巨大な一対の翼を生やした魔物。いや、これはペガサスなんじゃないか。
特徴は、どの魔物も、複数の翼を体のどこからか生やしている事である。
更に、海賊たちの様子もおかしい。
何かを要求するでもなく、ただただ剣を振り上げ、集まってきた人工島の兵士たちに切りかかっていく。
まるで人間としての意思が無く、何かに操られているようだ。
ここで、マギーが俺の背中から飛び降りた。
「さあカイル、出番よ。これって本来、起きえない異常事態。だからこそ紡がれるのよ、貴方の物語が。勇者の物語!」
満面の笑顔である。
彼女は中空に手を伸ばす。
取り出したのは、俺と打ち合いをした時に使った、魔剣カイーナ。
「アンティノラとカイーナ。二振りあれば、よっぽどのこと無ければ怖いものは無いわ。さあ、行ってらっしゃい」
「はいはい」
無責任に俺の背中を押すマギー。
だが、悪い気はしない。
彼女には彼女の意図があるのだろうが、俺を信頼して剣を預けてくれる。
なら、信頼には応えて行こうじゃないか。
ただ、今回もなるべく殺さないようにしないとな。
殺人に対する抵抗は、まだ強い。
抜き放つ、右手にアンティノラ。左手にカイーナ。
その瞬間、カイーナから俺に向かって、魔力が流れ込んできた。
新たな魔剣が持つ能力が、俺の中に刻まれる。
よし、二刀流と行こう。
セルディ男爵からは、このような構えは習っていない。
だが、俺の異世界の記憶は、二刀流で戦う戦士のモーションを教えてくれる。
……いやいや、いきなりあのアクションは無理だろう。
ド派手な動きを思い出し、首を振る。まずは手堅く行こう。
師匠から教わった型の応用だ。
俺は駆け出した。
港に近づくにつれて、悲鳴が聞こえてくるようになる。
そこでは、非人間的な目をした海賊たちと、兵士が激戦を繰り広げていた。
力任せに振り下ろされるサーベル。これを兵士は盾で受け止める。
木製の盾にガッチリと刃を食い込ませ、兵士は幅広の短剣で海賊の胴を払う。
船上で戦うことを意識してか、海賊は軽装である。鎧など着ていないから、ちょっとした一撃が致命傷になる。
腹から臓物を溢れ出させながら……しかし、海賊は止まらなかった。
無言でサーベルを押し込む。
なんと、力ずくで盾を押し割ってしまった。
兵士が悲鳴を上げる。
叩き込まれるサーベル。
これはいかん。
あの海賊は、痛みを感じていないようだ。それどころか、何の感情も持っていない、まるで機械や働きアリといった姿である。
あんなものと戦って、普通の人間が無事でいられるはずはない。
兵士たちも、何か戦う術を学んだ人間というのではない。あくまで基礎的な、武器の振り方を覚えただけの一般人である。
人の姿をした怪物と戦えるようには出来ていない。
そう、あの海賊たちは怪物だ。
相手を殺す為だけに動いている。
……非殺?
無理でしょう。
「おおおおっ!!」
海賊の注目を集めるように、俺は叫んだ。
幾つものガラス玉のような瞳が俺に注目する。
うわあ、こいつは怖い。
だが怯んでいる暇など無いのだ。
俺は手近な海賊に向かって斬り付ける。
海賊は、体で受け止めて、その隙に致命的な一撃を浴びせてくるスタイルだ。
だったら、受け止めた瞬間に終わらせてやろう。
「”凍て付かせろ、アンティノラ”!!」
力を行使しながら、刃を振るう。
アンティノラは海賊の胸板に向かい、斜めに入り、そこから胸部全体を凍結させた。
俺は力任せに、刃を振りぬく。
すると、海賊は凍りついた上半身を粉々に粉砕され、その場に崩折れた。
よし、いける!
1キルだ。
嫌悪感を感じるのは後回し。斬り応えが肉のそれではないから、まだ気持ちをごまかせる。
背後からサーベルが振り下ろされた。
「ふんっ!」
俺は逆腕に握ったカイーナを跳ね上げて、サーベルを受け流す。
がら空きになった海賊目掛け、再びのアンティノラ。
「”凍て付かせろ”!!」
砕け散る海賊。
一瞬だが、襲いかかろうとしていた海賊たちの動きが、躊躇するものに変わった。
この隙に俺は叫ぶ。
「守りを固めてくれ! 海賊を押し返すのは、俺がやる!」
俺の戦いぶりを見ていたのだろう。
あちこちで、兵士達が声をあげた。
「おお、魔剣使いか!」
「頼む! こいつら、切っても刺しても、襲い掛かってくるんだ!」
「任されたっ!」
群がる海賊たちへ、俺は単身踊りこむ。
奴らの攻撃は、単調な力任せ。見切るのは難しくない。
あとは、いかにしてこちらの一撃を、致命の斬撃へと変えていくか。
アンティノラの魔力も無限ではないし、何よりいちいち発声しなければならない。
この数相手では、その隙など無いだろう。
俺の頭脳が冷静に鎮まっていく。
まるで、長い戦いの経験を積んだ、歴戦の戦士のようだ。
この肉体が刻んだ武芸の技前と、前世の記憶が学んだ漫画の動き、そしてどこからか生えてきた経験。
三位一体である。
「ジャアッ!!」
獣のような叫び声をあげて、一度に海賊が飛び掛ってきた。
俺は奴らの動きに即応して、剣の竜巻となる。
最寄の海賊の腕を、得物ごと切断し、その勢いのまま、背面の海賊目掛けてカイーナを突き出し、サーベルを握った指の全てを切り落とす。
足元はステップを踏むように回りつつ、アンティノラが近づいていた海賊の腕の筋を断ち、カイーナで避けきれない攻撃を受け止める。
受け止めた勢いで体を沈め、海賊一人の足首を切断する。
そのまま身を投げ出すように甲板を転がり、頭上に来た海賊の股間をなで斬りにしてから、別の海賊を巻き込みながら押し倒した。
倒した海賊の首をカイーナで掻き切りつつ立ち上がり、体勢を立て直さずに前方へ駆け出す。
追いかける海賊を従えて、駆ける目の前に迫ったのは海賊船。
その舳先を蹴りながら飛び上がり、押し寄せる海賊どもの頭上で宙返り。
回転しながらの二刀で、海賊一人の頭に叩き込み「”凍て付かせろ、アンティノラ”!!」砕け散った海賊の頭を背後に、続けて「”瞬け、カイーナ”!!」高速移動。
一旦距離を取り、俺は汗を拭った。
「これは、きついわ……!」
一人や二人が相手ではない。最低でも数百。
海賊団という規模ではないわな。
さっき、魔剣で斬ると人を斬った感覚が無いようなことを考えていたが、訂正。
能力を発動する余裕が無い以上、肉や骨を刃が引き裂く感覚は伝わってくる。
すげえ気持ち悪い。
だが、剣に付着した血のりは、魔剣が放つ冷気で凍りつき、勝手に剥がれ落ちていく。
血しぶきすら凍るから、俺の衣装は綺麗なもんだ。
さて、立ち上がった俺目掛けて、恐れを知らない海賊たちは再び襲い掛かってこようとしている。
だが、俺が稼いだ時間には価値があったらしい。
「おーい! どいてくれ!」
兵士たちから声がかかったので、俺はすぐさま、彼らの元へ走った。
入れ違いで放たれるのは、大量の矢である。
人工島は商業の地。
ゆえに、商品として持ち込まれていた大量のクロスボウがあったようだ。
機械仕掛けの弓が、海賊へ無数の矢を射掛ける。
何人もの海賊が、ハリネズミのようになって倒れた。
「わはは、圧倒的じゃないか、我が軍は」
調子に乗って俺がそんなセリフを吐いたのが不味かったのか。
海賊船近くから、とうとう厄介な連中が飛び出してきた。
魔物たちである。
こいつらには、生半可な矢では傷もつけられない。
さては、また俺の出番か。
勘弁だぞ、明らかに数が凄いことになっている。
俺はちょっと冷や汗をかきつつ、兵士たちの間から進み出る。
「アイオン、やってしまいなさい」
涼やかな声が聞こえた。
それは、今も俺の心の奥底を、しっかりと捉えて離さない、とある少女の声。
「承知致しました」
男の声が、応える。
瞬間、激しい風が吹いた。
視界の端で、金属質の輝きが奔る。
魔物が叫びを上げた。
その咆哮が、ぶつりと途切れる。
太い獅子の首が宙を舞っていた。
群がる海賊。
群がる魔物。
その全てを、たった一人で威圧するようにして、大柄な男が立っている。
「案外だらしが無いのだな。それでもセルディの弟子か?」
それは、セシリアを守る壮年の剣士。
思い出した。
俺の師匠、セルディ男爵に剣技を授けた、さらなる師匠の名を。
アイオン・ルドロス。
勇者に比肩するとまで言われる、当代最強の剣士の名だ。




