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第10話:岩石砂漠の悪魔

 仕事を請けてしまえば話は早い。

 雇い主である有翼の兎とは、このディアスポラを支配する四大傭兵ギルドの一つ。

 どうやら、セブンの街道の保守管理と利権を一手に握り、今ではギルドの中で頭一つ抜けた存在になっているらしい。

 向かった先、有翼の兎本部もまた、大きな建物だった。


「随分豪勢に金を使ってやがるな」


「セブンの街道から出る利益は相当な額だって言うそうや。運用しているだけで、莫大な金を生むってな」


 タミアが、うちもお金欲しい、と愚痴った。

 俺の肩に乗っているトカゲが、目をギョロつかせる。

 この建物に興味があるらしい。


「なんだお前、厄介ごとのにおいでも嗅ぎつけたか?」


「あ、なんやその肩の。かわええな」


 タミアが近寄ると、トカゲは逆側の肩に逃げた。


「ああ、逃げたー!」


「タミア、小動物は、ゆっくり近づく。怖がるから」


 アンは背伸びしてそっと指先を伸ばす。

 トカゲは差し出された指を、チロっと出した舌で舐めた。


「むふ」


 ドヤ顔のアン。

 タミアが悔しそうだ。


「いつまで遊んでいるんだ。さっさと行くぞ」


 呆れたのは、この場にいる唯一の二十代であるダレンである。

 こいつの好みはもっと熟れた女らしく、タミアとアンはケツの青い小娘としか見えないのだとか。

 人生の半分損してるんじゃねえのか。


 だが、さっさと行こうという提案には賛成だったので、俺たちは行動を始めた。



 今回、俺たちが標的とするのは、悪魔・ドッペルゲンガー。

 俺の前世の記憶によると、ドッペルゲンガーと言うのは自己像幻視とか言う現象で、間違っても悪魔か何かではない。

 だがドッペルゲンガーを目にした人間は、近々死ぬと言う伝承はあったな。

 ドッペルゲンガーが悪魔なら、確かに成り代わるためには人間を殺してしまう事もあるだろう。

 しかも敵は野生化したドッペルゲンガーだ。

 悪魔が野生化とか何事かと思うが、しているらしいのだから仕方ない。


 俺たちは幾つか、ドッペルゲンガー退治用のものを用意する。

 一つは特殊な塗料。

 これは畜光性の植物をすり潰したもので、普段は無色。

 昼間に充分光を当てておくと、夜になって一定時間ぼんやりと光る。

 俺たちは目に見えない部分にこれを塗りつける。

 ドッペルゲンガーが俺たちをコピーしたとしても、服の中まではできまいと言う計算。

 仮にコピーできたとしても、蓄光性を再現することはできないだろう。


 次に、符丁を定める。

 お互い砂漠散策中に再会したときに、自分である事を仲間に知らしめる言葉や動作だ。


 タミアが服を捲り上げて、その豊満な胸元に塗料を塗っている。


「おっぱい関連の符丁でどうだろう」


「やめえ」


 タミアに半眼で睨まれた。


「タミアは無駄に大きい、から」


 アンがこくこく頷く。

 彼女は直射日光に弱いので、その辺りの岩や地面に反射した光を塗料に当てている。

 彼女が塗ったのはおへそ周りだ。

 なんだなんだ。うちのパーティの女子は潜在的な露出嗜好があるのか?


「いやん」


「あーっ! カイル、アンに手ぇ出したら犯罪やって!!」


「あほ! アンは俺より一個上だろうが!」


 見た目はローティーンなんだが。

 ちなみに俺は袖に隠れた二の腕。

 ダレンは手袋をしており、手の甲に塗っている。


 その他、必要と思われるものを買い込んで出発する。

 ロバを使って荷を運ばせる。

 川べりをのんびりのんびり歩いていくと、半日ほどで目的の砂漠の入り口である。

 ここには傭兵ギルド”鋼の熊”の駐屯地? そんな感じの恒常的に使われているキャンプがある。

 岩石砂漠からは、しょっちゅう野生の魔物が出てくるんだそうだ。

 そいつを掃討して市街地に入らないようにするのが、キャンプの目的の一つ。

 もう一つは、北東に住んでいる遊牧民に睨みを効かせるため。

 ダレンの地元のことである。

 そして最後の一つは、ここにいる限りはある意味常在戦場。

 新人傭兵なんかは実戦を経験させる良い場所になるのだという。


「おお、新しい奴か」


「どもども」


 見張りをしていた連中と挨拶を交わす。


「前の奴らは入って行ってもう八日ほどになるな。恐らくドッペルゲンガーにやられたな」


「へえ、結構やられるのか」


「そりゃあ、ドッペルゲンガーと言えば、名前が無い悪魔の中では強い方だからな。並みの兵士なら十人分の強さがある上に、仲間に化けてきやがる。不意打ちされたらあっという間さ」


 淡々と告げる傭兵の言葉に、タミアがごくりと喉を鳴らした。


「いやん、うちちょっと怖なってきたわ」


「タミア、あんた戦士だろうに」



 そんな訳で、キャンプから岩石砂漠へと入った俺たちなのであった。

 基本、明け方と夕方に探索を行う。昼間は岩陰で休憩だ。

 岩石砂漠は保水能力を持たない土地である。

 直射日光で地面が温められると、気化熱で冷ます機能がそんざいしない砂漠は、全体が灼熱の世界になる。


「ある程度の岩陰には、苔の類が生えている。こいつがある場所は、昼間でも直射日光が差さないところだ」


 ダレンの説明を受けて、俺たちはほほう、と感心する。

 確かに彼の話どおり、岩陰には青々とした苔がはりついている。表面はざらざらしているが、赤茶色一色の世界で、この緑色はなかなか鮮烈だ。

 俺たちは苔の近くをキャンプ地とする。

 少し離れたところにトイレを確保し、さらに、基本的にトイレに行く場合も、二人一組で行動するようにする。


「よし、じゃあ夕方までゆっくりしよう」


 天幕を張り終えると、俺は宣言した。

 トイレは壁となる布を張り、地面を掘っている。

 飯や水の問題もあるから、そう長い間は滞在できない。


 持ち込んだ水は四人で三日分。

 ダレンの話では、水を蓄えた芭蕉みたいな植物があるので、そいつを使って水分補給を行うのだそうだ。


「ううーっ、あっつぅー……」


「あつい……」


「こらこら君たち、ポンポン服を脱ぐな」


 タミアもアンも、さっさと薄物一枚の格好になってだらけている。


「そういうカイルだって下帯一丁やん」


「うむ、暑いからな」


 下帯ってのは、いわゆるパンツだ。

 構成としてはふんどしに近いな。洗濯やら手入れが簡単なのと、フリーサイズなのでこの世界では広く出回っている。

 俺たちは日陰でだらだらしつつ、ガムみたいなのを噛んでまったりする。

 こいつはディアスポラ近辺のゴムの木から採れる樹液を固めた奴だ。高熱で溶けるので、溶かしながら香料と蜂蜜なんか混ぜ込んで固める。花びらからとった着色料を混ぜ込むと、ちょっとしたお菓子になる。

 タバコを吸わない連中は、これで口寂しさを紛らわす。

 ダレンはまったり口から煙をくゆらせている。


 そんな感じで日がゆっくり傾いていく。

 随分暑さが落ち着いてきた。


「よし、そろそろ行くか」


「おう。じゃあ、組み合わせはどうするんだ?」


「俺とアンが一緒でいいだろう。対応力の問題だ。魔術が使えるアンと、感覚が鋭い俺が探索を行う。カイル、お前はタミアと囮だ」


「えーっ、うちは囮か!!」


 タミアはふくれっつらになった。紫の肌に血の気が差してピンク色になる。


「まあ、俺もタミアも細かい事は苦手だろ?」


「うんむ、うちは当たって砕け散れがモットーやからね」


「砕け散ったら駄目じゃねえか」


「器用なのは、任せて欲しいわ。タミア、囮でも、殺されても死なない」


「ひどお!!」


 ちょっとかしましいやり取りがあった後、ダレン・アン組は去っていった。

 俺たちは囮がてら、水探し開始である。


「すまんなあ。うち、腕力特化の半魔やから器用なことが全然だめなんよ」


「へえ、じゃあ腕力とかは凄いのか。とてもそうは見えないけど」


 女性としてはガッチリしたタミアをじろじろ見る。

 胸の圧倒的なボリュームが視界に入る。

 そこから目が動かない。むむむ。


「胸ばっかり見んといて! ダレンと同じやって。うちも変身して力を発揮するタイプなんよ。うちら半魔は、一人一人がオリジナルやからね。全く同じ能力を持っている奴は不思議な事に一人もいないんよ」


「変わった種族だなあ」


「種族っていうかなぁ……。悪魔が戯れに生んだっていうのが世の中の定説やわ……とと、お出迎えみたいやね?」


 軽口を叩いていたタミアが押し黙った。

 俺も感じている。

 前方で、岩陰から俺たちを見ている奴がいる。

 強い意志を感じさせる視線。

 こいつがドッペルゲンガーか?


「違うな、こいつは野生動物のもんだ。魔物だな」


「せやね」


 タミアは背負っていた斧を引っつかむ。

 彼女の体格からすると、明らかに大きすぎる斧だ。

 俺は腰からアンティノラを抜き放つ。

 ひやりとした冷気が砂漠に漂う。


「なあカイル。あれ、なんや」


「ううむ……名づけるなら、巨大人食いアリクイだな」


「食いとクイが被ってるやん……」


 岩山と思ったのが、その魔物だった。

 アルマジロみたいな装甲を背中に貼り付けたそいつは、一気に立ち上がる。

 とらえどころの無い表情をした頭に、伸びた口吻、そして長い舌が飛び出しては引っ込む。先端が金属質に光っている。

 かなりの大きさだ。黄金の狐の建屋に匹敵する上背だろう。

 舌が口吻を出入りすると同時に、奴の甲高い鳴き声が混じる。

 俺たちを品定めしているようだ。

 久々のご馳走と言う事か。

 馬鹿を言うんじゃねえ。てめえが俺たちのご馳走になるのだ。


「よっしゃ、行くぞタミア」


「あ、ちょっとカイル!」


 俺はタミアの声を背後に駆け出した。

 マギーにあちこち連れまわされて、我ながらかなり強くなった気がしている。

 その証拠に、俺の走る速度がおかしい。

 多分前世の世界なら、百m走のオリンピックで世界新記録だろう。鎧をつけて、剣を抜いてこの速度だ。


 アリクイが叫び声をあげた。

 俺の剣ほどもある爪を振り下ろしてくる。


「っと!」


 俺はそいつをスピンして回避しながら、さらに地面を蹴って懐に飛び込んだ。


「おらあっ!!」


 奴の腹をアンティノラでぶった切る。

 アリクイの悲鳴が上がった。

 アンティノラは氷の魔剣。凍らせながら砕き切るから、どんな革が分厚かろうと意味は無い。


「まったくっ! ほな、うちも行くで、カイルー!! しっかり避けえや!!」


 タミアの大声が響いた。

 夕日に照らされた彼女のシルエットが、地面を強く一歩踏み込んだ瞬間、膨れ上がった。

 角が伸び、まるで鬼のような外見になったタミアが、巨大な斧を軽々振り回しながら咆哮をあげる。

 真っ向から、爪に斧をたたきつける。

 炸裂音がして、アリクイが吹っ飛ばされた。

 タミアの足が地面にめり込んでいる。どういう破壊力だこれ。


「ま、いいか! うし、でかしたタミア!」


 俺はぶっ倒れたアリクイ目掛けて跳躍する。

 奴の固い獣毛に覆われた胸板を踏み台にすると、アンティノラを振りかぶり……。

 俺の額の辺りがヒヤリとした。

 慌てて剣を顔の前に構える。

 そこに、アリクイの硬質化した舌がぶつかってきた。

 とんでもない衝撃だ。

 俺は逆方向に飛ばされる。


「あーっと、もう油断せんといてや!!」


 そいつをがっしりとキャッチするタミア。

 うおお、今俺よりもでけえんじゃねえかお前。

 ゆったりしていた変わった構造の革鎧だったが、今のタミアを見れば納得だ。

 伸縮部分が延びきった革鎧が、ぴったりと変身した彼女の肉体にフィットしている。

 紫鬼という外見になってなお、出るところは出て引っ込むところが引っ込んでいる。これはこれで色っぽいな。


「あんた、本当に物好きやねえ」


 呆れ声でタミアはいいつつ。後退した。

 さっきまでいたところを、アリクイの舌が穿つ。


「めんどい相手やなあ……。ちょっと無茶してぶちかまそか……」


「ああいや。俺に任せてくれ。魔術を使うしかないみたいだ」


「は!? あんた魔術が使えるの!?」


「魔剣の力を借りてだがな! そおらっ!」


 タミアから離れた俺は、襲い掛かる鋭い舌を切っ先で弾き返す。

 既にアリクイは立ち上がり、こちらににじり寄ってきている。

 動きは遅いが、舌だけはとんでもない速さで動きやがる。

 だが、さすがにアンティノラで弾かれると、冷たさで一瞬動きが鈍るようだ。


氷乙女(フラウ)の吐息、停滞する水、穿て”氷弾(アイスブリット)”!!」


 アンティノラから、数発の氷の弾丸が走る。

 こいつは当たった場所を凍りつかせる力を持っている。

 標的は馬鹿でかいアリクイ。外しはしない。

 見事に氷の弾丸を炸裂させ、アリクイは絶叫を上げて仰け反った。


「いかすやない! ほんじゃ、うちの番っだあああああーっ!!」


 タミアは気合とともに、体ごと回転して斧を振りかぶり……投げた!

 そいつが空を切る音がしたと思ったら、狙いは過たず。

 見事に凍りついたアリクイの頭部を、投擲された斧が粉々に砕いたのである。

 どう、と音を立てて倒れ付す魔物。


 これでしばらくは飯に困るまい。

 俺とがっしり腕を組み合わせて健闘をたたえるタミアが、見る見るうちにしぼんでいった。

 元の大きさに戻る。


「いやあ、凄いもんだなあ」


「凄いんやって。でもって、凄すぎてみんなに引かれるねん」


「ああ、分かるわ」


「ええーっ!? そこは『そんなことないで』って慰めるところと違うのん!?」


 例によってぎゃいぎゃい騒ぎながら、俺たちはアリクイを簡単に解体する。

 抵抗しないなら、アンティノラで面白いようにスパスパさばける。

 こういうでかい魔物の肉ってのは、大味である。

 筋繊維から刺しの入った脂肪まででかいので、滑らかな舌触りとはいかない。

 どんな調理をしても大した味にはならないので、いわゆるマニア向けの食材だ。

 だが、たった一つだけ、それなりにマシな味になるやり方がある。

 それが干し肉だ。

 ジャーキー状に加工しちまえば、大味だろうが繊細な味だろうが、……まあちょっとは味わいに差があるんだが、そう変わらなくなる。


「それはカイルが味音痴なだけやね」


 ずばっとタミアが俺の感想を切り捨てた。


「え、そうなのか?」


「間違いないて。うち、大きな魔物の肉と豚肉のジャーキー食べ比べたことあるんやけど、天と地ほども違ったわ。豚肉はかみ締めるたびに、肉の間に挟まった脂肪が溶けてきて旨みがでるやん? 魔物はあれや。全部脂肪か全部靴底みたいな肉の二択や。これ、大味なんていう言葉で片付けたらあかんて」


 そうか……。

 俺が大雑把過ぎたのか……。


 おおよそ、すぐに捌ける加食部分を切り分け終わり、アリクイの舌や爪は道具として加工できるので、後々切り離しておく。

 すっかり俺たちは最初の目的を忘れ、アリクイ解体に勤しんでいた。

 だから、気づかなかったのだろう。


「あれ? アン、どないしたん?」


 タミアがアリクイから駆け下りていくところだった。

 そこには、アンがいつものつかみどころが無い表情をして、ぼーっと突っ立っている。


 なんだ、アンか……。

 俺は一瞬気を緩めてアリクイに向かい、すぐに振り返った。

 いやいやいや。もろにパターンじゃねえか。


「おい、タミ……」


 声をかけようとしたところで、タミアの奴、思いっきりアンの姿をしたそいつをぶん殴った。

 言うなれば、タイヤを殴ったような音がした。

 アンらしきやつは、その小柄な体からは想像もつかないほどの重さがあるようで、ちょっとだけ後ろに下がっただけだった。


「カイル!! ドッペルゲンガーだよ!!」


 俺はタミアの声と同時に、アリクイの巨体を飛び降りる。

 アンもどきのローブが翻り、俺に向かって黒い触手が飛んでくる。


「らあっ!!」


 俺は即座にアンティノラを抜刀する。

 切り裂かれた触手は凍りつきながら崩れていく。

 だが、こいつはなかなか厄介だ。

 しなやかなくせに、鉄みたいに硬いぞこれ!


「んのやろぉっ!!」


 タミアの腕に触手が絡み付いていて、彼女が罵声をあげた。

 力比べとなると、通常モードのタミアに勝ち目は無い。

 なので、自然とタミアは戦闘モードになるわけで。紫の体が膨れ上がっていく。

 鉄にも匹敵するであろう、アン……もういいや。ドッペルゲンガーの触手は、音を立てて千切れた。

 おうおう、どんだけ強靭な肉体してんだタミア。


 タミアはそのまま無造作に距離をつめると、恐らくは思い切り力を込めた拳骨をドッペルゲンガーに叩き込む。

 無表情だったアンの顔が一瞬まっ平らに変わり、すぐに黒いのっぺらぼうになった。

 小柄な体が巨大化し、纏っていたローブが幻となって消える。

 現れたのはでかくなったタミアよりもなお大きな巨体。

 こいつが俺たちの標的、野良ドッペルゲンガーだ。


「よし、このまま二人がかりで仕留めるぞ!」


「承知!!」


 さっきのアリクイで、俺はタミアのリズムがよく分かっている。

 息を合わせる事なんて容易い。

 俺が速度で悪魔を攻め、生まれた隙に、タミアがありったけの破壊力を込めた一撃を叩き込む。

 ドッペルゲンガーに高速で肉薄した俺は、まさに魔剣を振り下ろす瞬間だった。

 突如、切っ先が空を切った。


「カイル、下! 下!!」


 目線を落とすと、体勢の低いトカゲみたいになったドッペルゲンガーが、地べたを這いずりながら後退していく。

 物凄い速度だ。


「やべえ、逃げる!」


「ちょっと待って!? うちこの体だと早く走れないんやって!!」


 俺たちが慌ててちょっともたつくうちに、一瞬強い風が吹いた。

 舞い上がる砂塵に目を閉じて、はっと気づくと……。

 ドッペルゲンガーはどこにもいなくなっていたのだった。




「……ということがあってな」


「なるほどな」


 ダレンは半笑いで、芭蕉から取り出した水を呷った。

 少々生臭いが、まあ飲めるレベルのようだ。


「ツーマンセルで正解だったというわけだな。念には念を入れすぎたかもしれんが」


「私に化けた、ドッペルゲンガー、許すまじ」


 アンが静かに怒りを燃やしている。

 タミアはと言うと、彼女の隣で不味そうに焼いたアリクイ肉を食べている。

 だが、あの変身は非常にエネルギーを使うようで、食べないと体が持たないのだ。

 既にタミアの横には、人食いアリクイの骨がうずたかく積まれている。


「ほんま、勘弁やわ……。あそこで仕留めるならまだしも、逃げるとか……! 暴走してるんとちゃうんか、と問い詰めたい!」


「普通の傭兵なら、あれでやられるんだろうな。さすがはドッペルゲンガー、強さは並じゃないぜ」


 俺は取り逃がしたはぐれ悪魔のことを賞賛した。

 まさしく、一般の傭兵であれば歯が立たないレベルの相手だ。

 あの鋼のような触手一つで完封される連中も多いことだろう。

 だが、ここの面子はモノが違う。

 半悪魔が二人に、魔力の塊みたいなアルビノが一人。俺が一番一般人である。


「はぁ!? カイルが一般人? ないわー。ないない」


「全くだ。お前が一番化け物だよ。仕合ってる最中に強くなる奴なんて初めてだぜ」


「人聞きが悪いなお前ら……」


「まあ、明日はコンビを交換しよう。俺とタミア。カイル、お前はアンと一緒に行動するんだ」


「おっ、ついに魔術師と一緒か。俺、魔術師と一緒に行動した事ないんだよな」


「よろしく」


 真っ白な長いまつげの下から、アンのつぶらな赤い瞳が見つめてくる。

 その視線がちらりと俺の肩に移る。

 そこには、またトカゲの奴が出てきていた。

 こいつはどうやら動物ではなく、半分実体が無い使い魔のような存在らしい。ちょこちょこ姿を出しては消してを繰り返している。

 アンはトカゲをじいっと見つめると、不意に指を伸ばしてつんつんと突いた。

 トカゲはビクッとして逃げようとするが、アンにはトカゲが逃げようとする先が読めるらしい。

 先回りした指先がまたつんつんする。


「ふふ、ふふふふ」


「お、おいあんまりいじめるな」


「これ、見たままのものじゃない、よね」


「分かるのか」


「私は生まれつき、魔力の流れに敏感」


 こくりと頷くアルビノの女。

 彼女の赤い瞳には、俺には見えないものが見えているのかもしれない。

 トカゲが動こうとすると、魔力の流れが生まれるとでもいうのだろうか。

 確かにこいつは、地下にいた化物ガエルの眷属みたいなもんだ。非実体になろうとする時に、魔力が何らかの動きを見せてもおかしくない。


 俺たちはぶらぶらとその辺りをほっつき歩いた。

 その間、アンはずっとトカゲと戯れている。

 最初のうちは迷惑そうだったトカゲだが、段々諦めがついてきたのか、されるがままになっている。

 アンはそいつと戯れつつも、仕事をしていた。

 どうやら、俺達の周囲数メートルに、何か結界のようなものを張っているらしいのだ。

 アンから距離を離そうとすると、ちょっとビリっとくる。


「これは、トラップ。ドッペルゲンガーに反応する。悪魔は、やりあったことあるから、対処の仕方は分かる」


 自信有りげな発言である。


「それに、気づいてる? ドッペルゲンガーは、大して脅威じゃない」


「そうなのか」


「そう」


 アンは頷いた。

 彼女曰く、ドッペルゲンガーはせいぜい兵士十人分ほどの強さ。

 半悪魔であるタミアやダレン、魔術師であるアンにかかれば、一対一でも倒せる強さだという。

 俺に言及しないのは、俺の強さが未知数だからだと。


「ドッペルゲンガーは、見つける。見つけて退治する。でも、大事なのはその先。ドッペルゲンガーは知性がある悪魔。動物みたいにならない。なったとしたら、何かに操られてる」


「その操ってるやつが黒幕だと?」


「そう」


 アンはそこまで考えていたのか。

 聞けば、ダレンもそのへんまで頭が回っていたようだ。

 あわよくば、名前のある悪魔なら仕留めて報酬が大きくアップ! なんてのも望めるらしい。


「ただ、名前のある悪魔だと、四人がかりでも勝てる保証ない」


「だよなー」


 悪魔にはランクがあって、低級なのは小悪魔(インプ)悪魔兵士デーモンソルジャー。ドッペルゲンガーはそこに毛が生えたくらいのランクになって、その上が名前のある悪魔。

 呼び名通り、一体一体が固有の名前を持つ唯一無二の個体で、その強さは一刻の軍隊に匹敵するとか言われているとんでもないレベルだ。

 で、そいつらを統括するのが8柱の黒貴族。

 どれだけ強いのか想像も出来ない連中だ。

 マギーもその一人なんだが、あんまりそこまでとんでもない奴には見えなかったなあ。思ったよりも普通の女の子をしていた気がする。


「ただ……なんだか、変なのが引っかかってる」


 アンがぼそりと呟いた。


「変なの?」


 時刻は昼間。

 俺達は岩場の影で穴を掘り、そこに収まっている。

 半地下はひんやりして気持ちいい。


「使い魔を走らせてる。使い魔が、おかしな人間を感知してる。一見人間。でも、おかしい。この魔力が本当なら、この人間は名前のある悪魔と同じくらい強い人間」


「そんな馬鹿な」


 俺は笑い飛ばそうとした。

 そして、そういうとんでもない人間に心当たりがあることに気づく。

 アイオンとか。


「これは、多分。ううん、間違いない」


 アンが確信を持って呟いた。


「砂漠に勇者がやってきてる」

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