第1話:第三王子カイルの出立
じっくりとお話を展開します。
話の進みが遅いと思われる場合、一ヶ月くらい寝かせてから、話数が溜まったものをお読みになると良いかと思われます。
イリアーノ王国。
三方を海に囲まれた国土を持つ、北方諸国連合の一つ。
長靴に似た形状から、『アリトンの長靴下』と揶揄される王国である。
アリトンと言うのは、ついこの間まで王国を影から支配していた悪魔のこと。
取り立てて悪いことをするわけじゃ無かったが、それでも、悪魔と関わっている国と言うだけで、大変外聞がよろしくない。
おまけに、たちが悪いのは、アリトンは強大な悪魔だった。
世界には八柱の強大な悪魔がいて、『黒貴族』を名乗っている。
そんなアリトンのお膝元だということで、当国家は『アリトンの長靴下』と言うわけ。
歴史の講義の最中、俺はため息をついた。
「フォルネウス先生、なんだってそんな当たり前の内容を、いまさら勉強するんです?」
「良い質問です、カイル王子殿下」
少々魚類に似た顔立ちの、フォルネウス先生は、いつもの鼻メガネをクイクイと直した。
メガネってキャラ立ちしやすいよな。
それに、この世界はファンタジーだって言うのに、きちんと度を合わせたメガネがあって、なかなか文明が進んでいると思う。
「わがイリアーノ王国は、現在、『神聖プロイス帝国』を僭称する新興国家と戦端を交えております。これの切欠が、このアリトン討伐なのです」
「ああ。偶然国に立ち寄った勇者たちが、黒貴族アリトンを退治しました! ……っていう、あれですよね。本当なんですか? 噂に過ぎないということは無いんですか?」
「おや、疑問ですか殿下。ですが、疑う余地もなく、勇者の他にアリトンを滅ぼすことができる存在はいません!」
フォルネウス先生は鼻息も荒く答えた。
「ですけど先生。勇者の他にも、アリトンを滅ぼすことができる存在はいると俺は考えるんですがね」
「ほう、それはなんですか?」
フォルネウス先生の目がきらんと光る。
生意気なことを言う生徒だと思っているのだろう。
立場上、俺は第三王子だから、彼が叱り付けてくることはない。
だが、この先生、態度が丸分かりなのだ。
ちなみに、俺は勝算がない反論はしない。
「同じ黒貴族です。仲間割れかもしれないじゃないですか」
「むっ……それは、確かに。しかし、どうして王子は勇者を否定するのですかな?」
「だって、ただの人間が、強大な悪魔を倒すなんてことが可能だとは思えないからです」
悪魔には、名前があるものと無いものがいて、名前があるものは、一柱で一国の軍事力に匹敵する強さを持つと言われている。
個人でこんな化け物を倒すなんて、人間では無理にも程があるだろう。
そんな事をいつも考えるほど、俺は冷めたガキだった。
年齢は今年で十六歳。
栗色の髪と、深い青の瞳に、我ながら整っていると思う顔立ち。
背丈はそれなり。日々剣の稽古で鍛えた体は、しっかりと筋肉もついている。
学問にも明るい。
専任の教師を四人も抱え、歴史学、魔術学、帝王学、武芸を学ぶ。
この容姿と年齢だから、言い寄ってくる貴族の娘たちにも事欠かない。
王位継承権は第四位。
イリアーノ王国が第三王子、カイル。
それが俺の肩書きだ。
それで、ここからは誰にも話していない秘密。
俺には前世の記憶がある。
この世界からすると、まるで御伽噺のような世界だ。
やたらに人が多く、ガソリンで走る車や、飛行機があり、誰もが魔術を使う必要なく、遠く離れた人と会話したり、インターネットなるものですぐに情報を得ることができる。
俺はその世界で、高校生という学生をやっていた。
コンビニから出てきたとき、駐車していた車がいきなり車止めを越えて突っ込んできて、俺はひき潰されて死んだようだった。
そこが俺の記憶の最後のシーン。
びっくり顔の、運転席に座る爺さんの顔を今も思い出せる。
この記憶、小さいころからあったんだが、俺が成長するに従って開放されていった気がする。
今年十六歳になり、ついに前世の記憶は更新されなくなった。
まあ、最後に蘇ったのが死んだときの記憶だったのだから、ゾッとしない。
ひどい死に方だった。
だが、次の人生が王子様なら、まあ悪くないんじゃないだろうか。
だがまあ、王子と言っても第三王子。
しかも、王位継承権第四位。なかなか平和な時代では、この先を考えると絶望的な数字である。
上位の継承権所持者を暗殺でもすれば繰り上がり当選するかもしれないが、悲しいことに俺には人脈が無い。
第一位である第一王子フェリック、第二位である王弟ヴァーサス、第三位である第二王子アントニオ、それぞれを支持する宮廷内勢力はなかなか強大であり、それと比べると、俺に与えられた第四位の継承権はおまけ程度の代物なのだ。
ところが、ところがだ。
「一大事でございます!」
早馬が駆け込んできた。
事は謁見の間で明らかになる。
我が父にして、イリアーノ王国第三十七代国王、グレゴリオ七世が目を細めた。
「何事か」
「はっ」
早馬から伝えられたのだろう。謁見の間で、家臣たちが見守る中。
声を震わせるのは、わが国の騎士隊長が一人。
「シュヴェルト国境の都市、ルーガーが……陥落いたしました……!!」
「何っ!! まだ一月も経っておらぬのにか!!」
国王は目を見開き、驚きを露にする。
家臣連中も同様である。
前に言ったように、俺の国、イリアーノ王国は、神聖プロイス帝国という新興国家と目下戦争中だ。
プロイス帝国は瞬く間に勢力を広げた。
最初はただの都市国家に過ぎなかったものが、あっという間にイリアーノ北部にある『傭兵王国シュヴェルト』を併合し、戦力を拡大。
それまで、プロイス帝国があった場所は、プロイス連邦と呼ばれる小国の集まりだった。
それが、帝国の登場と同時に、急速に一つに固まっていったのである。
北方に強大な軍事国家ができつつある。
危機感を抱かない方がおかしい。
それに、イリアーノ王国は、かつて北部諸国連合を統一し、南方にある『聖王国地方』をも手中に収めかけていた歴史ある大国である。
今は凋落していても、大国のプライドは忘れていない。
イリアーノは、シュヴェルトにある王国、ルーガーへ兵を派遣し、それをすぐさま制圧した。
ルーガー制圧部隊の先頭に立ったのは、我が兄。
第二王子アントニオである。
……となれば、この先の展開はお約束だよな?
「アントニオ王子殿下……っ、勇者エドガーの手にかかり、戦死なされましたっ!!」
謁見の間を貫いたのは衝撃。
そして湧き上がるどよめき。
大臣が静まるように声を掛けても、なかなか納まらなかった。
その後、
「プロイスの王家は我らイリアーノの傍系に過ぎないのに、本家たるイリアーノに牙をむくとは何事か!」「訳も分からぬ新参者の外国人が宰相に納まってから帝国を名乗りだしたそうだぞ! 悪魔に支配されているんじゃないのか!?」「勇者を従えているという噂は真だったのか!」
などなど。
謁見の間に詰め掛けていた貴族たちの間から、様々な声が漏れ聞こえた。
ふむふむ、勇者って連中は実在してるのか?
それこそ、アントニオが雑兵に討たれたんじゃ格好がつかないから、話を盛ってるんじゃないだろうな?
これまで俺は、兄のフェリックとアントニオには、基本無視されていた。
王位継承権を争うライバルなのだ。当然だろう。
俺を担ぎ上げようとする連中もいたにはいたが、すぐに政争に敗れたり、暗殺されたりで散り散りになってしまった。
俺の現状である、孤立無援というのも、なかなか風通しがよいものである。
で、アントニオ派閥の連中が、じっと俺を見ている。
やばい雰囲気だ。
あいつら、俺を担ぎ上げる気なのだろう。
「国王陛下。これは由々しき問題ですよ。我がイリアーノの沽券に関わります」
声を上げた者がいる。
よりによって、うちの兄貴だ。
第一王子フェリック。俺よりも一回り年上で、妻帯者な兄貴は、じろりと弟を睨んだ。
「即座に増援を送るべきかと存じます。カイル、兄アントニオの無念を晴らしてくれぬか」
「私……ですか?」
冗談じゃねえ。
ルーガー近辺は、断片的に聞くだけでも負け戦じゃねえか。
なんだって、俺が行かなければならないのだ。
「う、うむ」
国王はいきなりの提案に戸惑っているようだ。
「陛下! カイル殿下はまだ若年、初陣も済んでおりませぬゆえ!」
「ならば、ちょうど良いではないか! 敵は寄せ集めの雑兵、帝国を僭称する成り上がり者ぞ!?」
アントニオ派閥の貴族が上げた声に、フェリックが一喝。
「カイルの初陣に、ルーガー奪還という栄誉を与えるのも良かろう」
良くねえよ。
普通、初陣って隣国フレートとの小競り合いがほとんどじゃないか。
フェリックもアントニオも、その小競り合いで初陣を済ませたはずだ。
なんで俺が戦争の最前線が初陣なんだよ。
「い、いや、私には少々、荷が勝ちすぎるかと……」
やばいぞやばいぞ。
アントニオが死んだ瞬間、政争の矛先が俺に来た。
俺は今、自動的に継承権が繰り上がり、王位継承権第三位である。
で、何かあって俺が死ねば、フェリックの他には、それなりに老けた王弟だけとなる。
継承権順位も上だし、派閥も大きく、しかも若いフェリックが、王弟に負ける要素は無い。
この野郎、ダイレクトに殺しにきやがったな。
「ヨアキム、勝てるのか?」
国王が、アントニオの死を知らせた騎士隊長に問う。
その聞き方よくないよ。気が小さかったら断れないだろ。
「は、ははっ! 此度は彼奴らの卑怯な不意討ちに遭いましてございます! ですが、数はこちらが優勢! 帝国めはシュヴェルトから徴収したたかだか一万の軍のみ! 正面からの戦いならば、必ずや……!!」
「うむ、そうか……!」
よくない雰囲気だ。
まず、この戦争が始まってまだ一ヶ月ほど。
俺たちは、神聖プロイス帝国とやらの実力を良く知らない。
プロイス帝国は、出来上がって半年ほどの、新参者なのだ。
一方、イリアーノとしても本格的に戦争をするのは百年ぶり。
つい最近まで、聖王国地方に戦争を吹っかけようという機運があったのだが、それもアリトンが死んで無くなったのだ。
戦ったことが無い軍隊が、どうやって相手の実力を測れるだろうか。
俺はヨアキム隊長に聞いてみることにした。
「ヨアキム、被害はどれほどなのだ?」
「ははっ! 兵の損耗は軽微! ですが、アントニオ殿下並びに、それぞれの隊を指揮する騎士が半数以上討たれております!」
「指揮官のみか……。彼らの家への見舞金を出さねばな。だが、兵が損耗していないのは幸いであった! 陛下! この戦、十分な勝算があると私は見ますぞ」
フェリックの言葉を聴いて、俺は耳を疑った。
そんなに都合よく、将軍や隊長だけを殺す軍隊があってたまるか!?
向こうは間違いなく、最小限の殺傷で事を収めたんだよ。
つまり、帝国とうちとでは、結構な実力差があるってこと。
イリアーノが経験した直近の実戦は、百年前の第十三次人魔大戦である。
その時代を知る将軍なんて生きてるわけが無い。
むしろ政争を盛んにし、身内同士で潰し合う事に特化したのが、イリアーノのここ百年だ。
いかん、これ、負けるわ。
「よかろう。では、第二陣を組織せよ! プロイス帝国を僭称する賊どもを討伐するのだ! 将はカイル王子、お前に預けよう! 見事、これを打ち破って参れ!」
ばかやろうっ!?
俺の死亡フラグが立った瞬間であった。
「は、ははっ! 謹んで下命、お受け致します」
この場で望まれている答えはそれしかない。
かくして、第三王子カイルの派閥は、生まれる前に頓挫したのであった。
俺を見て笑みを浮かべているフェリック。
この野郎、見ていやがれよ。
俺はこんな仕事、やらんからな!!
「どこに行かれるのです、王子? 出立までに、王子に御身に何かあっては大変です。どうぞ、部屋に戻られますよう」
俺はめでたく監禁されていた。
俺の部屋の出口を固めるのは、フェリックの派閥に属する騎士たちである。
先刻の謁見で、宮廷内での政争は決着を見た。
貴族たちは、フェリックを時期国王と判断したのである。
これに、ヴァーサスがどこまで切り込み、どれほど次世代の利権をもぎ取るか。きっと今頃はこの話題で持ちきりだろう。
俺?
俺はもう死んだ扱いなんじゃねえの?
「やあってられるか!!」
逃げ出すことも出来ず、俺は怒りに任せて部屋の中で暴れた。
自害を恐れてか、短剣の一振りも俺は手に出来ない。
だから、太い木造の柱を蹴り、ベッドの布団をひっくり返し、貴重な書籍をびりびりに破いた。
焼き物やら工芸品やらは、この部屋には置かれていない。
今朝方早々、侍女たちが回収して行った。
何もかも、俺が自害することを恐れて、破片でも凶器になりそうなものは排除されているのだ。
実に殺風景な部屋に、俺が散らかした紙切れや布が散らばった。
「うぐう」
俺は脚を抑えて寝転んだ。
柱を蹴った足が痛い。
俺は無力であった。
せっかく転生した記憶を、残らず思い出したというのに。
今の俺には、生前よりもかなり美形な顔と、芸能人顔負けのナイスプロポーション以外に能力が無い。
もっとチートな能力とか、普通はあるもんじゃないのか!?
戦闘力ならあるが、これは俺が日々の武芸の講義で身につけた自助努力の賜物だぞ!?
いかん……。
俺の第二の人生、詰んだ。
不貞寝しよう。
俺が王子らしくもなく、床の絨毯に寝転がった時だ。
「あら、ちょいと様子を見に来たのだけれど、随分と荒れているご様子ね?」
女の声がした。
俺は驚き、体を起こす。
この部屋には、俺以外いないはずだ。
扉は騎士によって封鎖されているから進入などできないし、窓ははめ殺しの構造で、開かない。
換気は天井近くに設置された天板をいじるのだが、これは三日に一度、専用の技師がやってきて行う。
殺風景な部屋には、人間が隠れられる空間も無い。
だから、俺以外の人間がいるはずが無いのだ。
なのに……。
「へえ、ちょっといい男じゃない。間違いなく、イリアーノの血を一番濃く受け継いでいるわね」
そいつは、黒髪の女だった。
いや、少女と言った方がいい。
腰まで伸ばした髪は、艶々と輝いている。
瞳も黒い。深淵の黒さではなく、夜の星空の黒さ。
瞬く星を散りばめた、美しい黒だ。
肌色は、抜けるように白かった。
体つきは細い。胸は薄く、むき出しになった手首と足も、ほっそりとしていて、握れば折れてしまいそうだ。
彼女は、この世界ではちょっと見かけない、いわゆるミニスカートを身に纏って立っていた。
良く似合っている。
一言で言えば、俺が生まれて初めて見るレベルの超美少女だった。
「き、君は一体、誰だ?」
「私は……そうね、私の名前はマギー。前任者の後始末をしに来たのよ。とりあえずの目的は、貴方ってわけ」
マギーと名乗った少女は、微笑んだ。
コケティッシュな笑顔というのは、こういう顔のことを言うんだろう。
俺はこの異様な状況も忘れて、彼女に見入った。
「後始末って……」
「詳しいことは知らなくていいのよ。ただ、貴方がいるととっても面倒なことになるのよ。だから私が直々に来たってわけ」
「俺を殺すのか?」
「うーん……」
彼女は顎に指を当てて、考え込む仕草をした。
俺は立ち上がった。
彼女が俺を見る目が、上目遣いになる。
頭一つ分は背丈が違った。
「最初はそのつもりだったのだけれど。会ってみたら、思ったよりもいい男なのだもの。やっぱり止めたわ」
背中で指先を組んで、胸をそらしてマギー。
きらきら輝く瞳で俺を見上げる様子は、彼女が口にする恐ろしい内容と、あまりにも違っていた。
「ねえ、逃がしてあげようか?」
マギーの瞳が、いたずらの色を帯びた。
「いいのか!? いや、出来るのか……!?」
「容易いわ。ちょちょいのちょい、で貴方を国外へ逃がすことだって出来る。だけど……ウーン、どうしようかな」
彼女は可愛らしく首をかしげた。
マギーは恐らく、人間ではない。悪魔の類だ。
だが、なんたる反則級の可愛さだろう。
俺の胸がドキドキする。俺に言い寄ってきた貴族の娘たちとは違う。
化粧で作られた美しさでもなく、香水で作られた匂いでもなく、虚飾に塗れた物言いでもない。
貴族の娘たちはメッキだった。
マギーは黄金だった。
それくらい、価値が違う。
俺は生まれて始めて、この女を俺のものにしたい、と思った。
「ねえ、聞いてる? 貴方って、結構私の好みなのよね。顔だけじゃない。才能とか、魂の在り方とか。鍛えようによっては、勇者に匹敵できると思うわ」
マギーはそう言うと、手のひらを天に掲げた。
「だから、私は貴方を逃がすけれど、同時に貴方を鍛えるわね。自らの力で、切り開いて見せて。えーと……」
彼女が言い淀んだ。
俺の名前を知らないのだと気づき、
「俺はカイルだ。よろしく、マギー」
「カイル……! へえ、伝説の勇者の名前ね。ぴったりだわ。私、貴方が始める勇者の物語を見たい。カイル」
マギーが、最高の笑顔を見せた。
そして、彼女が伸ばした手のひらが、何も無い空中で、確かに何かを掴む。
「貸してあげる。『魔剣アンティノラ』。これだけを手に、私を守りきって見せて」
蒼い輝きを放つ、一振りのロングソードがそこにはあった。
刃は青と白に分かれており、柄頭は黒曜石の色をしている。
剣は俺の手の中に、すっぽりと納まった。
その途端、俺の体に凄まじい何かが流れ込んでくる。
熱いエネルギーの塊。俺にはそう思えた。
これが、魔力か……!?
「まだまだひよっこの貴方。アンティノラが魔力を貸してくれるわ。初歩的な氷の魔術なら使えるようになっているはずよ。だけど技は、貴方自身が示すしかない」
「ああ、これがあれば充分だ……!」
魔剣から溢れ出る力を感じ、俺は確信した。
これが、俺を自由にしてくれる力だ。
俺は魔剣を振りかぶり、堅く閉ざされた扉に突き立てた。
「”凍て付かせろ、アンティノラ”!!」
脳裏に浮かんだ言葉を叫ぶ。
魔剣は、俺の言葉に応えて吼えた。
瞬く間に、扉が凍り付いていく。
扉の向こうで狼狽する声がする。
俺は構わず、凍りついた扉を蹴り飛ばした。
扉は粉々に砕け散る。
「で、殿下……!!」
「悪いが、押し通る!」
「なりません! 出陣の時までこちらに留まっていてもらわねば……! さもなければ……」
「さもなければなんだ? 俺は出陣などする気はない!」
「本気ですか!? 王の勅命なのですよ! それに、後ろの女は……!」
「勅命だろうと知ったことか! 俺はむざむざ死地に向かう気は無い!」
「くっ……仕方有りますまい!! カイル殿下ご乱心!! 一命を持って、殿下を誅させていただきますぞ!」
そういう段取りだったのだろう。
俺が何らかの手段で外に出ても、騎士は俺の罪をでっちあげて暗殺する。
騎士は仲間を呼び集める、魔術道具でも持っていたようだ。あちこちから足音が聞こえ始める。
猶予はない。
「悪いな……!!」
俺は踏み込んだ。
俺の武芸の腕はそれなり。第一線級の騎士とやりあうなら、少々分が悪い。
だが、今の俺の手には、魔剣アンティノラがある。
「”時を見せろ、アンティノラ”!」
俺の叫びに応えて、アンティノラが吼えた。
僅かに、時間の流れがゆっくりしたように感じる。
迎撃しようと振るわれた騎士の剣。
真っ直ぐに俺の腕を狙っている。剣を持つ手を切り落とそうと言うのだ。
剣道なら小手。効果的に相手の戦闘力を奪えるし、俺が死ななければ戦場にも送り出せるというわけか。
胸糞が悪い!
俺は緩やかな時の流れの中で、騎士の剣を魔剣の腹で打ち払った。
そして、打ち払いから流れるように、切っ先は騎士へと吸い込まれる。
応用のカウンター動作の一つ、巻き打ちである。
インパクトの瞬間、俺は剣を寝かせて、広く騎士の腹を切り裂いた。
「がはっ!!」
鎧が砕け、腹の皮が破れ、内臓がこぼれる。
だが、内臓を傷つけてはいない。
血止めが間に合えば死なないだろう。
騎士は膝をついた。
その横を、俺とマギーが駆け抜ける。
「殺さないのね?」
「あいつは兄貴の手駒だが、真面目なやつだ。初手は俺の手を狙ってきたし、なるべく殺さないようにしてきたからな」
「ふうん、優等生ね。そういうところ、可愛くて好きだわ」
「言ってろ!」
俺は駆けつけて来る騎士や兵士たちを、なるべく殺さないように無力化する。
狙うのは、近い腕や足。
多分、死なないはずだ。多分。
まだ殺すのには抵抗がある。
幸い、アンティノラが切り付けた傷口は、意識すると凍りつかせることができる。
血止めもこちらで出来るわけだ。
下り階段で、下からくる兵士たちに、展示されていた馬鹿でかい壷を蹴り込んでやる。
悲鳴があがる。
俺はマギーを抱き上げると、壷につぶされかけている兵士の体を踏み台に、彼らの頭上に駆け上がった。
「失礼!!」
不安定なところを走り抜けていく。
嘘のように体が軽い。
これが魔力の効果か!
「どこまでもスマートね? だけど、そろそろ、そうは言っていられなくなるわ」
マギーの言葉は予言めいている。
そして間を置かず、現実となった。
外へ通じる門の前、立っているのは俺にとって、武芸の教師。
金髪の見目麗しい青年、セルディ男爵だった。
「カイル様。お戻りください……!」
「悪いが、それは出来ない!」
「ご心中、お察しします。ですが、仕方ないのです! 国とは、このようなものなのです……!」
こいつは、元々俺を祭り上げる派閥だった。
だが、派閥のほとんどを殺され、セルディも身内を人質に取られ、フェリックの派閥に寝返ったのだ。
それでも、俺に剣を教授してくれたのは、奴なりのけじめだったのだろう。
そんな剣の師が、俺の前に敵として立ち塞がる。
すとん、とマギーが俺の傍らに降り立った。
「後ろは抑えておいてあげる。ご存分にどうぞ、カイル」
世話をかける。
俺はアンティノラを構え、セルディと向かい合った。
俺の目から、本気の度合いを伺ったらしい。セルディはあきらめたように首を振った。
「残念です。あなたはいつか、勇者にも届く才能をお持ちの方。わが師アイオンにも見せたかった……!」
セルディも剣を抜く。
彼の得物は、炎を発する魔剣である。
「行くぞ、セルディ!」
「致し方ありますまい……! 弟子の不始末は、師の不始末。この私が止めて差し上げます!」
止めますじゃねえ。
これで止められたら、どっちにしろ俺は死ぬんだよ。
こちとら必死である。
「”時を見せろ、アンティノラ”!」
こいつは、わずかばかり、時間を凍りつかせるアンティノラの魔力。
俺は時の流れを操り、セルディに切り付けた。
……おい、待て。
なんでそこに剣があるんだ!?
俺の動きを読んだように、セルディの剣が、俺の斬撃の前に滑り込む。
炎の魔剣とアンティノラがぶつかり合い、凄まじい蒸気が噴出した。
これはひどい!
視界が通らない。
とりあえず、このアンティノラの魔力は、実力差が大きいと当てにならないということは分かった。
よし、次だ。
「行きますよ、カイル様!!」
水蒸気の幕を突っ切って、セルディが飛び込んでくる。
「氷乙女の吐息、停滞する水、穿て、”氷弾”!!」
魔剣から譲り受けた魔力を用い、セルディ目掛け氷の魔術を放つ。
「なんと!?」
セルディも面食らったらしい。
慌てて氷の弾を剣で打ち払う。だが、完全には払い落としきれず、氷の塊が、彼の体を打つ。
「いつの間に、魔術を……!?」
「悪いな、隙有りだ!」
俺の剣が、氷の弾を弾いて流れたセルディの体を捉えた。
手加減などする余裕は無い。
ざっくり、深く肉を裂く手ごたえ。
「お、王子……!!」
セルディは膝を突き、倒れこむ。
血は流れ出ない。アンティノラが凍らせているからだ。
命に別状は無い……と思いたい。
だが、今は何よりも自分の命が大事だ。
「マギー!!」
少女の名を叫ぶ。
答えはすぐにやってきた。
「はぁい、今行くわ!」
馬のいななきが聞こえた。
水蒸気を打ち破って登場したのは、裸の軍馬に跨ったマギー。
スカートで馬を御すものだから、色々むき出しになって大変だ。
「じっと見てもいいけれど、その時間は無いのじゃない? せっかくお師匠様まで倒して道を切り開いたのでしょう?」
「そうだった……!」
俺は、マギーが伸ばした手を取る。
彼女は意外な力強さで、俺を馬上へと引き上げた。
「行くわよ。私の腰を抱きしめていて」
「えっ、抱くのか!?」
「えっちな気分になってもいいから、今はとりあえず抱いて! 馬から落ちて死にたくないでしょう?」
言われるまま、俺は彼女の華奢な腰を抱いた。
馬には乗れないわけではなかったが、前には彼女が乗っていたし、何より、マギーの腰を抱くという誘惑に抗えなかったのである。
彼女は見事な手綱捌きで馬を御すと、城の門を潜り抜けた。
凄まじい速度で城下町を疾駆する。
「マギー! 何か、あては……!」
「任せて。ちょうど船が出るところよ」
港に近づくにつれて、ぷんと悪臭が鼻を襲う。
あらゆる生活排水が、海へと垂れ流しになっているのだ。
下水が完備されていないこの国は、たとえ城下町であってもこの悪臭から逃れることは出来ない。
城内は香水でごまかされているが、屋外を香りで覆うことなどできはしないのだ。
海が無い場所はもっと悲惨で、道にぶちまけて捨てるところもあるらしい。
正直、この世界は衛生的にいい住環境ではない。
そして、平民のこの状況を放置して、政争に明け暮れているのがイリアーノだ。
現代人の記憶を持つ俺としては、なんともやりきれない。
閑話休題。
港で待機していたのは帆船だった。
この世界には、手漕ぎか、帆船か、ほぼ二種類の船しかない。
幸い、船は海を隔てた国、ガルム帝国の帆船だった。
「乗せてくれ! 金は弾む!」
俺が大きめな金貨を投げつけると、そいつを受け取った船頭はびっくりした顔をし、すぐに通してくれた。
馬は置いていく。
すぐさま船は陸地を離れ、恐らくは大混乱に陥っている城を尻目に、俺はこれから向かう未知の世界に思いを馳せる。
かくして。
俺は、自らの死亡フラグを折るため、生れ落ちた国を捨てて旅立ったのである。




