終:ただいま地上
月の光が淡く部屋に射し込まれた。職人は思わずそこへと視線をずらす。
窓のない部屋だと思ったのは間違いだった。単に窓が視えていなかっただけのこと。
光がオルゴールを照らし、天球儀がまばゆく煌めく。
風が吹き抜けて、アウレリアの髪を優しく揺らした。
優しい音色が部屋に響く。
ゆったりとしたメロディーが、悲しげで懐かしさを帯びたメロディーが、部屋を泳いで漂って、最後は窓の外へ飛び出していく。
その一つ一つのメロディーが今の季節、今の瞬間を綺麗に重なり、より一層今が夏の夜なのだと思わせてくれる。
風の音、土の匂い、月の光に音が乗っている。
夏特有の湿った匂いが、部屋に満ちる。
少女はオルゴールを眺めていたが、部屋中に広がる光の粒や風の流れに目を泳がせている。
その紫紺の瞳がいっそう物珍しさに輝き、笑顔を作り上げる。
ずっと静かに立っていたヘリヤでさえ、顔を少し傾けてじっと耳を澄ましている。
口元がわずかに緩んでいるのを見ると、ヘリヤにも多少は気に入ってもらえたらしい。それがわかると、職人は妙に気恥ずかしくなった。
音楽が終わりに近づいていく。
最後は消え入る様に、だんだんと、ゆっくりと、眠るように最後の音を奏でて、夏の夜を終わらせた。
すべてを聞き終えたアウレリアが、ほーっと満足そうに顔を緩めている。
ヘリヤが灯りをつけた。「お」と職人はまたも抜けた声を出す。
しばしの余韻に浸っていたアウレリアが、すっと目を開いて、容赦なく職人の懐に飛び込んでくる。
「とっても素敵だったわ!」
「ぐふぅっ……、お、お気に召したようで光栄です……」
腹から込み上げてくるものを飲み込んで、職人は無理やり笑顔を作る。
「地上のオルゴールは、こんなに素敵な音色を奏でるのね……」
「外を出たことがないんですね」
「うん。出られないから、鳥たちやヘリヤに頼んで、外のことを見て来てもらうの。そしてわたしにお話してもらうのよ」
「外……出たいですか?」
「出たいけど出ない。そういう約束だもの。
でもね、ちっとも寂しくないのよ。ヘリヤがいるもの。
それに、あなたのオルゴールを聞いて、とっても楽しかった」
少女は無邪気にお喋りする。後ろでヘリヤのそれとない咳払いが聞こえた。これ以上口を挟むなということか。
自分は一介のオルゴール職人に過ぎない。この少女を連れ出してどうこうするなどあってはならないのだ。少女もそれを望まないのだから。
「今日は、とっても素敵なオルゴールをありがとう。
あのね、もしよかったら、またオルゴールを注文してもいいかしら?」
その答えは決まっている。
「もちろん。
その時は、いつでもご注文ください」
アウレリアの別れを惜しむ言葉を胸に、職人はヘリヤに地上まで送ってもらっていた。
あの独特の浮遊感に再び苛まれながら、ヘリヤにしがみついて耐えていた。
地上から空へ上っていくときとはまた別の感覚に気分が悪くなったが、慣れるころには地上に降りていた。
「この度は、アウレリアお嬢様のオルゴールを作って頂き、感謝します」
ヘリヤが深く頭を下げる。
「いえ。職人ですから」
朗らかに笑って職人はそう答える。
「報酬は、あなたの工房へすでに用意してありますので、どうぞ」
「ああ、そうでしたね。忘れてた、あっはは」
「それでは、私はこれで。
いずれまた、お伺いに参ります」
そういうとヘリヤはひとりでに浮かび上がる。まっすぐ空へと帰って行った。
それをぼーっと中央広場で見上げていた職人は、ヘリヤが見えなくなるとその場を後にする。
工房に戻ると、作業台の方に妖精が集まっているのに気づいた。
「なに、どした?」
妖精をかきわけてなんだろうと台をうかがう。
「……お」
職人は思わず間抜けた声を出す。
そこには大量の硬貨と、空色に透き通る石が置かれていた。
硬貨には眼もくれず、職人は石を指でつまみ上げる。
陽の光にかざすと、光を吸収してきらきら輝く。
「……っふふ」
職人はエプロンのポケットにそれをしまい、ソファに転がり眠ることにした。
オルゴールと空に浮かぶ城を出して何か書きたいなーと思ってこのお話になりました。楽しんで頂ければ幸いです。